第19話 きつねの嫁入り
「死ぬかと思いました」
流石は天才を自負する魔法使いといったところか。
景気良く空に向かってかっ飛んだものの着地は優雅なものだった。
「欠片も見えないくらい高くに消えたのに無事に済むものなんですね」
「これが対抗魔法の一つです。山で不意な落石や足を踏み外すといった事故で命を落とさないために、常に物理衝撃を緩和する魔法を掛けています」
「へー凄いですねー。転ばぬ先の杖ってやつですねー」
ジェシカの顔色は顔面蒼白どころで表せ無いほどの狼狽を見せているが、口ぶりだけは冷静に無事帰還出来た理由を話してくれる。
ベージュ色のパンツの股間部分に大きく目立つ水染みが広がっているのだが、それに対して触れてあげない優しさが皆にはある。
雨、もとい人工的な水しぶきが少しだけ顔にも掛かったのだが、あくまでもそれは大気中の水分が凝固して降ってきた雨だ。
雲ひとつない空ではあるが湿度がゼロではない以上は自然現象として雨が降ることはあり得る話なのだ。
むしろジェシカの惨状を目の当たりにしてからの、イチゴちゃんとチェルシーのヨイショっぷりの方が不自然に映るくらいだ。
「あそこまでの高さだと南洋の海岸線まで見通せるものなのね。視野の広がりが実感出来ました。空気が薄く呼吸しづらいことには参りましたが」
「ここから海まで見えるんですか? あーボクも一度でいいから行ってみたいよ」
「あたしも夏は受験勉強だったからー行けてないなー。夏になれば行きたいよねー今の季節いつだよって感じですけどー」
遠くまで見えることを視野の広さと言わないことは気にしないとして、今日は晴れているからより遠くまで見えただろう。
この世界の大気中には化学物質が殆ど漂っていないため人工的な要素で空が霞んでいない。
障害物が無ければ地平線までクリアに見られるし、標高を稼げればかなりの遠景が望める。
ちなみにこの国は海に面していない内陸の国ということだから、南に広がる海まで行こうとするには国境を超えなければならない。
移動や入国審査とかを考えると面倒くさそうな要素はいくらでもあるが、まだ隣街にすら足を運んでいないので当面行くこともないだろう。
「そうそう一つご相談ではありますが見ての通り汗染みが酷くてですね。続きは着替えてからでいいかしら」
「あっ、はい。ボクは良いと思います。皆さんも構わないですよね?」
「そーした方がいーんじゃないですかねー」
服は着替えるにしてもせめて体を拭く、水浴びをする、出来れば風呂に入るなどで身を清めるべきだ。
それ位はジェシカ本人の頭の中に当然あるはずで、ただ着替えるだけ言ってはいるがそれなりの時間が必要になる。
着替え終わるのを待つことを考えると手持ち無沙汰となるのは必然だ。
「魔法の実物を見せてもらえたしぃ、今日は十分でないかしらぁ。ジェシカさんもお疲れさまだしぃ」
「そっ、そうですよ。また日を改めて教えて貰えれば良いと思います」
「あたしもーマスコットお姉ちゃんの意見にさんせー」
チェルシーとイチゴちゃんには続けたがっている気配こそがあったが、お姉ちゃんがこの場から離れることを提案するとノッてきた。
であれば、俺は出来る限り角を立てない形で撤退する方法を検討し実行するまでだ。
「そろそろ良い時間だし昼飯にしよう。みんなもお腹が空いてきた頃なんじゃないかな?」
「そーでしたー。あたし朝ごはん食べて無かったー。どーりでお腹がぐーるぐるしてる訳ですよー」
「冒険者の皆さんもいい加減起きて良い頃ですしね。散らかったフロアも少しは片付けないとです」
俺の提案に対してイチゴちゃんはお腹ペコペコアピールで援護してくれ、チェルシーは家の用事を思い出して帰らなければならない感を演出する。
それじゃあ最後に一発やってくれるかお姉ちゃん!
「お昼のメニューはオオカミのシシカバブよ~。滅多に食べられないしジェシカさんも赤レンガにいらしてねぇ。今日のお礼に奢らせて頂戴」
「そうねお昼を何にするかは決めていないし久しぶりに顔を出すことにします」
それは昨日も食ったの一言が言いたいが、ジェシカの了解はとれたし取り敢えずよしとして赤レンガに戻ろう。
「アポなしで押しかけたのに色々と教えてくれてありがとう。それじゃあまた後で」
「またですー」




