第3話 相談事承ります
それよりも彼女はずっとドアノブに手を掛けたままだ。
というよりもドアに体を寄せて体重を預けることでかろうじて立つことが出来てている、といった所だろうか。
メイクで隠されてはいるものの顔色は良くないのだから、その体調も推し量れるというものだ。
「イチゴちゃん、体調は大丈夫? つらそうよ。ロビーで座ってお話しましょうよ」
「部屋……は何も出せませんしねー、そーさせて下さい」
三人で階下におりて一階のロビーに向かう。
そこにはテーブルとソファーがあるし、宿の主人か従業員に頼めば飲み物も出てくる。
俺たちの部屋にもテーブルと椅子はあるのだが、現在の部屋の状態を鑑みると少女を招き入れて良いものではない。
「人数分のお茶を。支払いは俺のにツケといて」
「そんなー、悪いですよー」
「いいのよ。ケイ君はコレでも稼いでるから遠慮しなくて。イチゴちゃん、ご飯もあまり食べていないんでしょう」
「そうなのか? それなら軽食も持ってきてくれると嬉しい」
注文を受け付けた宿屋の従業員が、お茶が入ったティーポットとカップ、サンドイッチの皿を持ってくる。
サンドイッチは一人分で良かったのだがきっちり人数分ある。
目の前に置かれたサンドイッチの具は刻んだゆで卵をマヨネーズと塩とマスタードで和えたものだ。
以前は具など期待できなかったが、最近では街で売っているサンドイッチにも生鮮野菜や卵、まともに食えるハムやソーセージが挟まれている。
パンの不味さはいつまでたっても改善されないが、食べられるものの種類が増えることは良いことだ。
「頂いちゃって良いんですよね、いただきまーす。うーん、具は美味しい」
「良かったわ」
食べることでイチゴちゃんの顔にも少し元気が戻ってきたようで、正直な感想を述べてくれる。
この世界のパンは不味いものな……いつか美味いパンを食べてみたいものだ。
「あ、さっき話途中だったですけどー。言葉といえばー、お二人はー日本人には見えないんですけどー、日本語が分かるんですよねー。どーしてですかー?」
「俺は以前、日本に滞在していたことがあって。そのときに使っていたからというのもある」
「わたしはそういうのが必要な仕事をしていたからとしか。話せば長くなっちゃうから今はこれで納得出来るかしら」
「そーなんだー」
うん? ちょっと待ってお姉ちゃん。
俺は隣に座るお姉ちゃんに体を寄せて静かに耳打ちする。
「もしかしてお姉ちゃんには前世が存在している?」
「ケイ君、わたしだって転移者なんだからね。神様が造ったとでも思っていた?」
「……」
思っていました、とは言うことが出来なかった。
お姉ちゃんが多種多様な言語を自在に操れるというのは、神に与えられたものだと勝手に思っていた。
それは俺が望んだ結果、お姉ちゃんという便利な存在が生まれたとすれば都合がつくからだ。
そうでないとするならば、お姉ちゃんが俺と一緒に居てくれている理由ってなんだ?
お姉ちゃんは一体何をお願いした結果、この世界で俺の側にいる?
分からないことだらけで疑心暗鬼になってしまうぞ、俺。
「あのー、急に静かになっちゃったんですけどー、お二人の間でー何かありましたー?」
「いや、なんでもない。言葉については苦労させられる事が多いよな。イチゴちゃんはよく一人で何とか出来たもんだ」
俺にはお姉ちゃんがいてくれたから言葉をすぐに覚える事ができて、今は普通に暮らすことが出来ている。
でも、一人でこの世界に来たイチゴちゃんには厳しい環境だったのでは?
「そりゃー神様から自動で翻訳してくれる能力をおまけで貰ってますしー。これってーみんな同じじゃないんですかー? それだけにー同じ言葉を使っているとー違和感感じちゃうって話ですよー」
「わたしにはあるけど、ケイ君にはないものね」
自動翻訳能力か……知らんかったよそんなものがあること。
どおりで言葉に苦労している転移者を見かけない訳だし、お姉ちゃんがこの世界の言葉を理解出来ている訳だ。
まあ俺はすぐにこの世界の言葉に順応できたし、翻訳能力なんてもの必要ないんだけどな。
自ら望まなかったとはいえ、本当に神様は俺にお姉ちゃん以外何もくれなかったようだ。
「まあな。でも言葉のことで困っていないならいいや。随分とやつれているようだけれど、それが助けを求めた理由ってことで良いかな?」
「うーん、正解なようなー、間違いなようなー。色々と複雑なようなー」」
「複雑なら一つ一つ話してくれると良いと思うよ。お姉ちゃん、全部聞いてあげるから」
お姉ちゃんは胸を張って自信満々だ。
しかし、なんとなく嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
彼女がここまで疲れている理由の一つには心当たりがあるんだ。
「疲れてるのはー、夜に良く眠れてないってこととー良く食べれてないってことかなー」
「眠れないというのは辛いな。何か原因があるのか?」
答えを知っていて話を聞くのは徒労感があるが、ここは一つ受け止めてやるのも大人の仕事だろう。
「あたしがこっちに来たのがー二ヶ月くらい前でー、そっから一ヶ月くらいは快適に部屋に引きこもってたんですけどー」
「街には出ないのか?」
「出たって何もないですしー。それに魔物って言うんだっけー? あれが街の中にも出てきて危ないじゃないですかー。それでずっと部屋にヒキ気味ってやつー」
一ヶ月ほど前位に俺とお姉ちゃんが来た時のプリメロの街には本当に何もなかった。
何もない街を何もやることがない人間と、いつ襲いかかって来るかわからない魔物が徘徊しているというある種の地獄だ。
女子高生にとって楽しいものなど何一つとして無いだろう。
「それだとひと月前から状況が変わっちゃったってことねぇ」
「そーなんですよー。隣の部屋に何か変なカップルが入ってきてー、深夜だけじゃなくてー、夜明け近くまでうるさくってー。もー寝てらんないって感じ?」
「「……」」
知ってた。
さっきノックしたイチゴちゃんの部屋のドアって、俺とお姉ちゃんが泊まっている部屋の隣だもの。
その隣人が夜に眠れない理由なんて分かりきって余りある。
ここでタネを明かすべきか否か、俺はちらりとお姉ちゃんの反応を伺う。
「うるさい隣人さんって困っちゃうわよねぇ。わたしも前の世界では苦労させられたことがあったわぁ。それで、食べられてない理由は何かしらぁ。こっちに来てからずっとってことは無いわよねぇ?」
流した! 華麗にスルーしたよお姉ちゃん。
ティーカップに口を付けて冷静さまでアピールだ。
でもそのティーカップってさっきからずっと空だよね?
「部屋のことはぶっちゃけー、どーでもいーことになっちゃいそうなんですけどー。食べれてないって理由がー、お金が足りないってことなんですよー」
「段々と物価が上がっているものな。稼ぎがない引きこもりには辛いところがあるよな」
「そこなんですよねー。部屋からも追い出されそーってことでー、きちんと働いてお小遣い増やさないとって訳です」
ここ最近の物価の上昇には限界が見えない。
宿の料金が値上がりした結果、今では俺とお姉ちゃんの部屋は週に金貨ニ枚の支払いに変わっている。
当初宿泊した時の二倍の料金であり、これが一人部屋にも当てはまるとすると、日に銀貨二枚を支払っている計算になるはずだ。
食料についても値上がりが進んでいる。
プリメロの街の辺りの農業は芋と豆と麦の生産に全振りで、葉物野菜の栽培や家畜の飼育なんて自分たちで食べる分を除けば殆どしていないらしい。
在庫がダブついていた穀物やそれを利用して作られる酒が他の街に出荷される様になり、代わりに他の街から食料や雑貨が入るようになっている。
今三人で食べているサンドイッチの具である卵や、肉、生鮮野菜がそうだ。
それもこれも街全体の金回りが良いために起きていることで、物価の上昇は一概に悪いことではない。
しかしろくな稼ぎがないイチゴちゃんには手痛いところのようで、むしろ今まで大丈夫だったことが不自然である。
「そもそも部屋に引きこもっているというイチゴちゃんは、どうやってお金を得ていたんだ?」
「そりゃー、お小遣いですよ。銀貨っていうんですかー? あれが毎週十五枚きっちりですねーお財布の中に入ってるんですよー。きっと神様がやってくれているんですねー。頼んだわけじゃないですけどー、おまけってやつですよ」
いやー分かっちゃったよ俺。
名前のイチゴに掛けて15枚の銀貨ってことね。
勝手にお小遣いが振り込まれるその現象を、俺はイチゴサポートと呼んであげたい。
しかしお小遣いやるにしても物価のことを気にかけてあげてよ神様。
「それは嬉しいわねぇ。でもそれが今だとこの宿に泊るのが精一杯ってことかしらぁ? 食べてないっていうのも分かるわぁ」
「はいー。今はもう一番安いパンをちょっとずつ食べてーなんとかしてるって感じですー」
「うんうん、きちんと稼ごうねぇ。わたし達の仕事を手伝ってくれたらぁ、お金が稼げるからそうしよっかぁ?」
「それってー、仲間に入れてくれるってことですかー! やったー!」
「まあ、そうだな」
自分の話に共感してくれるお姉ちゃんにイチゴちゃんは懐いたみたいだ。
仕事の内容も特に聞かずに俺とお姉ちゃんについてくることになった。
仲間というには余りにもビジネスライクな上下関係でしかないのだが本当に良いのだろうか。
「そうと決まればぁ、まずは訓練からよイチゴちゃん!」
「はい! マスコットお姉ちゃん!」
威勢の良い二人はそのまま宿屋を飛び出していく。
ただ付いてくるだけの仕事なんだけど訓練とか必要だっけかな?
[登場人物紹介]
ケイ君 この作品の主人公。お姉ちゃん以外なにも神から貰ってない。
マスコット・チアーズ 今回も名前が出た。普通の転移者並に貰っている。ただしポーチはおまけ。
イチゴ 女子高生。ノリが良い




