第6話 肉と肉と肉
「ようやく来たのでございまし!」
赤レンガの建物に入ると、既に出来上がっているベアトリクスがとてもご立腹であった。
一時間後の約束を二時間近く遅れてきたらこうもなるか。
「ごめんなさいねぇ~ベアちゃん。準備に手間取っちゃって」
「何やってたのかはあえて聞かないのでございまし。ここに約束の金貨……」
「そんなことより、まずは飯と酒だろ? 肉だよ肉、肉肉肉肉肉肉ぅ!」
興奮するアンジェリカの言葉など無くても、既に俺もそんな気分である。
建物の中には昼までとは違う匂いがしている。
そう、牛肉の匂いが充満していた。
報奨金の受取なんて飯の後でも、なんなら明日でも問題ない話だ。
「ホイよっご両人。今日は全てが無料でサービスだい!」
チェルシーが頼んでもいないのに料理が載った皿、酒の入ったジョッキを持ってくる。
酒に口をつけるのもいいが、なにより今は料理から手をつけたい気分だ。
なにせこの世界に来てから初めての肉料理だ。
「むぅ……」
「これ……」
肉が不味い。
お姉ちゃんがくれる調味料がなければ食べる気にもならない。
不味い原因はハッキリとしていて単純明快だ。
肉――蒸されたか茹でられたやつ。
肉――煮られたやつ。
肉――ステーキまたは串焼き。
注文せずに出てきた夕食の顔ぶれがこれである。
タンパク質しかねぇ……いや、肉と肉にはタンパク質も含まれている。
牛の品種が悪いのか、育った条件が悪いのか、その両方が原因なのか分からないがその品質は決して良くない。
ただでさえ不味い素材に乗っかる味は薄い塩味だけであり、不味さを誤魔化しきれていない。
あまりの肉の量に頭がおかしくなりそうだ、そして何より――
肉が硬い。
お姉ちゃんがくれる調味料でもどうにもならない。
硬い原因はハッキリとしていて単純明快だ。
品種――ブランドってことはないただの牛。
育ち――どこから来たか知らんが多分その辺。
食物――その辺の草または不味い畑の作物。
どう考えても人の手が入っていない野生の牛である。
旨くなる要素がねぇ……いや、そもそも巨大な牛は本当に牛と言っていいのか?
暴れていたという話もあり筋肉質だろうし、肉が柔らかくなる要素は決してない。
ただでさえ不味い要素しか無い材料だ。
塩ぐらいしか調味料がない料理方法で不味さを誤魔化しきれるものではない。
「なんでこんな肉を美味そうに食えるんだ?」
「肉だからでございまし! 一年ぶりのまともな肉だからでございまし!」
「アタイ達はもーずっと、芋と豆と麦の生活だったんだヨ。だぁら、不味い肉でも旨く感じるんだヨ」
良かった、不味い自覚はあるようだ。
それよりさっきから顎が動きっぱなしだぞこいつら。
みんな肉を噛み切れていないんだ。
このままじゃ協会も共同体も冒険者の呼び名がアゴになってしまいそうだな。
「お姉ちゃんの力で何とかならないかな?」
「どんなときでも重曹よケイ君。でもそれなりに時間が掛かるわよ?」
「手短に済ませるなら?」
「そうね、ハンバーグなんてどうかしら。細かくミンチにすれば噛み切れないってことはなくなるわよ」
「それで行こう」
ハンバーグならいつまでも肉の繊維が口の中に残るということはなくなるだろう。
しかし、それを食べるにしても問題はある。
一人だけでそんなものを食べていると周りの視線が痛い。
ただでさえ調味料の件で鋭い視線を浴びているんだ、皆の分もあったほうがいい。
そうなるとお姉ちゃんだけでは手が足りないな。
「ハンバーグ……その手があったか、儂も手伝おう。儂らは与えられることに満足しすぎておったのかもしれんのう」
「介添しもす」
話にノッてくる冒険者連中の数が少ないと思ったら酔いつぶれていた。
久しぶりに肉を前にして変なテンションになった彼等は、酒を飲むスピードが上がっていたらしい。
奥の方のテーブルにはグロッキーな人達が山積みだ。
お姉ちゃんがキッチンに入っていき、十分ほどして出てきた牛肉百パーセントのハンバーグは匂いこそ普通である。
ナイフを入れるとサクッといき、これは柔らかい。
フォークの刺さる感覚もスルッとしており、口の中に広がる味は――
「旨すぎる……お姉ちゃんこれは……」
「化学の力よ」
濃厚な塩気にスパイシーな胡椒の風味。
それにこの脂、牛の味じゃあない……ラードか。
極めつけはグルタミン酸とイノシン酸が掛け合わされた旨味の暴力。
お姉ちゃん、一体どれだけの量の化学調味料をぶち込みやがったんだ。
「これが転移者の力なのでございまし……」
「今までの肉は一体何だったんだヨ……」
「これに比べるとあんなのはカスや」
不味い炭水化物に慣れた舌。
不味い肉でも喜んで食べられる舌。
そんな舌を持つ冒険者連中の表情がおかしくなっていく。
味付けの時計の針を数世紀分ぶん回したハンバーグという脅威の料理は、見事に彼等の味覚を破壊してしまった。
「ケイ君、お味はどうだったかしら?」
「旨い、旨すぎる。でもお姉ちゃん、これはやり過ぎじゃないかな?」
「そうかな? そうかも」
明日から飯が喉を通るのか。
そんな心配はするものの、この旨さの前には既にどうでも良いことだ
俺は旨すぎるハンバーグを酒で喉の奥に流し込む。
「やっぱ旨いわこれ」
「良かった」
明日のことは明日に考えればいい――
[おしらせ]
次は5月の中頃。
[登場人物紹介]
ケイ君 この作品の主人公。たまに思考が壊れる。
マスコットお姉ちゃん 料理は目分量。
チェルシー 食堂のウェイトレスさん。
ハンバーグ みんな大好き。この世界でも特別な調理方法ではないが、仕込みが面倒くさかったため忌避された。脂質の少ない牛100%であったため、それを補うためにラードで豚の脂が添加されて肉汁がたっぷり。熟成がされておらず旨味成分が少なく、それを補うために大量のうま味調味料が投入されている。臭みを誤魔化すために胡椒を大量投入し、濃い味にするため塩も大量である。それら調味料の総ては提供者であるお姉ちゃんの手で目分量で入れられた。




