7話~艇~
手紙の内容は以下の通りだ。
『親愛なるシャルロッタへ
まだ幼いおまえにはこの手紙を渡すのは早いだろうが、これはきっと私の遺書になるだろう。
まずおまえには本当の事を話しておかなければならない。おまえの両親は不慮の事故で亡くなったと話したが、あれは私がおまえを傷つけんとばかりについた大きな嘘だ。
シャルロッタ、おまえは赤子のころに近くの森に捨てられていた、捨て子なのだ。
だが私はおまえが実の孫娘でなくともおまえを愛している。心から。多分時には厳しく躾けることもあるだろうが、この先長くない私が、おまえが一人でも生きて行けるようにできるようにする為だ。
私は人に優しく接するのが苦手な性分故、どうか分かってほしい。
おまえへの遺産として、少しの金銭と、格納庫にある私の飛空艇を残しておく。もう壊れてからかなりの時間は経つが、売ればきっとシャルロッタが大人になるまでの生活費にはなるだろう。
おまえが幸せに暮らせることを心から祈っている。
アズバンドより』
その手紙ともう一枚、予備部品を置いてある場所と、それらが手に入る店の紹介状が同封されていた。
しかしシャルロッタは一枚目の手紙を読み終えるとその手紙をくしゃくしゃに丸めて放り投げた。
「お、おいシャルロッタ。そんな事をするなよ。何が書いてあったんだ?」
彼女なりに思うところがあったのだろうか、リカルドの制止も聞かずにそのまま外に飛び出して行ってしまった。
リカルドが放り投げられた手紙を拾い上げて中身を読むと、彼女が自分と同じ境遇ではあったが自分よりも愛情を受けて育ったという事がわかる内容だった。
シャルロッタは自分が孤児だという事に傷ついて飛び出していったのか、それとも遺書の中にある他の事に関して何か思ったのかは本人にしか分からない。
「追いかけないのかい?」
テオドールはもう一枚の紙に目を通しながらリカルドに訊ねた。
今の彼女には一人で考える時間、心を整理する時間が必要だとリカルドは考えていた。引き止めはしたものの、追いかけはしなかった。
リカルドはテオドールの問いに対しては首を横に振った。
シャルロッタは1時間ほど経っても戻ってくる事は無かった。テオドールはその間にも飛空艇の整備をすると言って格納庫へと去って行った。その時ばかりは無情な奴だと思ったリカルドだが、きっと彼なりの配慮なのだろうと解釈する事にした。
夕方になってもシャルロッタは戻ってこなかった。日が落ちると魔物が徘徊し始めてとても安全と言えない。リカルドはシャルロッタを探しに行くことにした。
「シャルロッタ」
以外にもシャルロッタは小屋からそう遠くない、池の畔に座り込んでいた。
声をかけられても彼女は返事をする事も振り向く事も無く、ただ視線の先の虚空を見つめている。
リカルドは険しい顔をして遠方を見つめるシャルロッタの隣に、同じように座り込む。
2人はしばらく何を話すわけでも無く池を見つめていた。沈みかけた日が映り込む池に、蛙の鳴き声と風で揺れる葉の音が空間を支配していた。
「おじさん。シャルロッタは捨てられた子供なんですって」
「……あぁ」
「シャルロッタはいらない子なんですって!!」
シャルロッタは吐き捨てるように叫ぶと、そこら辺に落ちていた小ぶりの石ころを池に向かって力まかせにぶん投げた。
石は緩やかな弧を描き、ぽちゃんと水面に小さな波を残して水底に消える。
リカルドにはかける言葉が見つからなかった。自身も同じ境遇だったとはいえ、育ててもらったあの老夫婦には何の恩義も感じていなかったからだ。シャルロッタはこの時分まで、厳しくもい愛情を注いで育ててくれた「お祖父さん」の存在があったからこそ、事実を知った時の悲嘆の感情がより一層なのだと。
水面にわずかに残る波紋を見つめるシャルロッタの顔は今にも泣き出しそうなほどだった。
「シャルロッタ、お父さんやお母さんに捨てられたことが悲しいんじゃないんです!お祖父さんに嘘を吐かれてた事が悲しいんです!お祖父さんはシャルロッタに、嘘を吐くような人間にはなるなっていつも言ってました……でもお祖父さんはシャルロッタに嘘を吐きました!シャルロッタはお祖父さんに嘘を吐いた事は一度もないのに!」
シャルロッタは瞳から次々と涙をあふれさせながら思いの丈を石に込めて次々と池に投げ入れていく。
ありったけの石を投げ入れると、シャルロッタは息を切らしながらドサリと尻餅をつくように座り込む。
「気は済んだか」
リカルドは頃合いを見てシャルロッタに話しかける。
日はとっくに沈んで辺りは暗がりに包まれていた。頼りになる明かりと言えば夜空に浮かんだ大きな満月の光だけだ。
深々と照らす月明りを道しるべに、二人は小屋へと歩き出す。
リカルドの隣をくっつくようにして歩くシャルロッタが不意に口を開いた。
「おじさんのお父さんとお母さんってどんな人でしたか?」
「知らん。俺も捨て子だった」
「そうなんですか?」
「あぁ。でも俺が若かったころは別段珍しい事じゃなかった。戦争も多かったしな。皆貧乏だった」
「……お祖父さんはどうしてシャルロッタに本当の事を言わなかったんだと思いますか?」
「さあなぁ。きっとお前の事を思って黙ってたんだろうけど、祖父さん本人じゃないからわからんなぁ」
「手紙に書いてあったことは本当だと思いますか」
「そりゃお前次第だろ」
「おじさんは寂しくないんですか?」
「全然寂しくないよ。昔は独りだったけど今はお前もテオドールもいるし」
幼いながら色々と思う事があるのだろうか、シャルロッタは歩いている間はずっとリカルドに質問ばかりしていた。しかしリカルドはそれを煩わしく思わずひとつづつ正直に本心を応えた。
小屋に戻るころには、いつもの明るく元気なシャルロッタに戻っていた。きっとリカルドとの会話で気分が晴れたのだろう。
捨て子であることは何の事は無い。問題は時分と一緒にいてくれる人物がいるかどうかなのだ。それが実の親兄弟だなんてことは関係ない。孤独で無ければそれで良いのだ。
深夜になってもテオドールが格納庫から戻ってくることは無かった。
一緒に帰りを待つと言っていたシャルロッタも、既に机に突っ伏して寝息を立てている。
相変わらず眠る事ができそうな気配がないリカルドは、様子見にと思いシャルロッタを起こさぬよう小屋の扉を開け、格納庫へ足を運んだ。
「ん、やぁ」
「進捗はどうだ」
「まぁまぁってところかな?遺書に書いてあった場所の通りに良い状態で部品が保存されていた。タンクも何とかなりそうだ。徹夜すればきっとなんとかなる」
「そいつは良かった」
「それにしても本当に凄い艇だよこれは……。百と数十年生きてきたけどこんなの見た事ない」
埃に塗れながらも飛空艇を整備するテオドールはどこか嬉しそうだった。
技師の性分というものだろうか、珍しいものをいじくるという事はそこまで名誉な事なのだろう。
テオドールが知っていようが分からぬが、シャルロッタがテオドールの事を「師匠」と呼んでいるという事をリカルドは彼に話した。
「へぇ、あの娘が?」
「あぁ。知ってるか?」
「いいや知らない。でも彼女には素質あると思うんだ」
「そうか?」
「彼女は何でも知りたがる。技師にとって好奇心は必要不可欠なものだよ」
テオドールは手を止める事無く答える。
リカルドは少し離れた木箱に腰を掛け、テオドールが作業する様子を眺めていた。
「……でも師匠か。なんだか恥ずかしいな」
「どうして」
「私は弟子なんて取るつもりは無い。むしろ彼女は私なんか必要ないくらいに勝手に見て覚えるだろう」
「教えてやればいいじゃないか」
「だから、教えてやれる事なんかなんにもないんだよ。彼女とは良き友でありたい」
「あいつが聞き入れてくれるかな」
その問いにテオドールは愛想笑いで受け流した。
それからはしばらく二人とも黙っていた。
今テオドールがどうにかしようとしている飛空艇、シャルロッタの義理の親アズバンドの遺品は凄まじく迫力のある艇だ。
ウロマルドにいた頃でもこの大きさの艇は一隻も見なかった。
この塊が空を飛ぶのだと思うと技術の進歩に感心させられる。
リカルドがぼーっとしながら鯨のような腹の艇を眺めていると、珍しくテオドールの方から話を振ってきた。
「聞いてもいいかな」
「どうぞ」
「もしも魔女に会って、君にかかっている呪いを解く方法が分かったら……君はそれを解きたいと思うかね」
「呪いを解いたらどうなるかも分からねえのにか」
「仮の話だよ。で、どうなんだい」
「呪いが解けることによって体が人間みたいに戻ってくれるなら考えるな」
「トリエンナの魔女はかなり曲者だって聞いたよ。何か良い事を教えてくれるといいんだが……」
翌朝の事だ。といってもまだ日も昇らぬ時間、再び小屋に戻っていたリカルドは外から聞こえる重低音で我に返る。
まるで地鳴りのようなそれは格納庫からだ。
何事かと思い外に出ると、格納庫の屋根は開け放たれ、そこからゆっくりと浮かび上がるようにあの飛空艇が姿を現した。
旅立てなかった・・・