5話 ~怖いなぁ…~(前編)
~レオの月 二廻≪ふためぐり≫~
この世界では日付の数え方は月の満ち欠けではなく、「日時計」と呼ばれる一回りを一日とする時計を用いて日付を数える。
そして今はレオの月の二廻。大体2週間目を指す。
この日、ウロマルドの国内にあるいくつかの街では、国を救った英雄を讃える「英雄祭」の真っただ中だった。
熱も冷めやらぬその夜、ウロマルド国家騎士団の幾人かが英雄の墓を訪れていた。
本来であれば毎年の感謝の印にと供物と花を供えるのがこの国での仕来り≪しきたり≫だが、今回は墓の周りを騎士団の兵士が取り囲み、墓標の前では立派な甲冑を纏った騎士が黙して腕組みをしている。
彼はネイサン。ウロマルドの安寧を守護する騎士団の団長だ。
「団長、間違いありません。この遺体はまだ死後数日程度……墓荒らしでしょうか」
「それは分からん。埋葬された遺体のみを持ち去る墓荒らしなど聞いた事が無い。呪術目的ならば極刑に値するが……?事前に通報を受けた市民からは何か情報はあるのか」
「いいえ。ただ、墓守が明け方に墓から去っていく人影を見たと」
「そうか。ではその人物の詳細を調べろ。些細な情報でも構わん。市民から情報を提供させるのだ、有力な情報を提供した者には褒美を取らせろ」
「はい」
「すぐに取り掛かれ」
ネイサンは兵士達を解散させると、墓から出された遺体に目をやった。
その死体は死後数日とはいうが不自然に腐敗が遅れており、肌の貼りなどは生きている人間とさほど変わらぬ様子である。
もっと何か不審な点はないだろうかと更に調べを進めようと遺体の前にかがむ。
しかしどうであろうか、ネイサンが遺体に触れようとした瞬間、まるで魔法が解けたかのようにボロボロと崩れ去ってしまったのだ。遺体を形成していた破片は灰のように粉々になり、海風に乗って彼方へと散って行った。
その後に残ったのは、見た事もない紋章が掘り込まれた記章のようなものだった。
「これは……」
ネイサンは記章を拾い上げ眺めていたが、ふと背後に不意打ちの気配を感じた。
流石は訓練と実戦を重ねた騎士と言ったところだろうか。振り向きざまに剣を抜き、飛んできた何かを弾いた。キィンという金属音とともに弾かれ木に突き刺さったソレは、まぎれも無く鉄製の鋭い投げナイフだった。
ナイフの飛んできた方向を見たネイサンは驚愕と共に不審の念を抱いた。
「貴様……!何故ここにいる!いや、どうやってここに……?!」
彼の視線の先にいたのは緑のローブを纏った男性だった。目深にフードを被っているせいで表情は窺えないが、わずかにのぞかせた口元は不敵な笑みに歪んでいた。
ネイサンは彼が誰なのか知っている。
呪術師エヴィー。彼は世の禁忌を犯したとして終身刑を言い渡され、長らくエルフ達が管理する大樹の魔物、トレントの檻に厳重に収監されている囚人だ。
彼はこの国にとって、世界にとって異例の囚人であった。終身刑といはいえ、彼が檻に入れられてから既に500年が経っていた。
エヴィーが犯した罪、それはかつてのウロマルドの国王を呪術により殺害したという事だ。それまでは呪術といえばただの予言や占いが主流だというのが一般的な見解だった。
彼はウロマルドの王宮に使える一級魔術師であり、市民の悩みや国家の行き先を占う呪術師でもあった。
呪術により人の命が奪う事ができると証明されて以来、一部の呪術は禁忌とされ、この世から排除されてしまった失われた魔術と化した。
「そんな言い方は無いだろう、騎士殿」
「不意打ちをかけておいて白々しい!」
「剣を降ろせ。そんなものを向けられていては恐ろしくて話もできない」
「何故ここにいるのかと聞いている……!」
ネイサンはエヴィーに向けた剣を降ろすことは無く、激昂した狼のような剣幕で怒鳴る。
「とにかく落ち着いてくれ、殺しに来たのではないのだからな。あまり手を煩わせないでくれないか」
「私を愚弄する気か貴様!」
「その墓にはしばらく関わらないでもらいたい」
「何だと?貴様、何か知って―――――」
その時であった。ネイサンの体は重い甲冑を着ているにも関わらず、突風に吹かれたかのように吹き飛ばされた。
エヴィーはネイサンに対し何か術でもかけたのだろうか、それは分からなかった。
とてつもない力に押し出されたような、圧倒的な存在感を身体で感じるのがやっとであった。
吹き飛ばされた拍子にネイサンは地面に体を強く打ち付けられ意識を失う。
薄れゆく意識の中でその時最後に聞こえたのは、エヴィーの静かで悪意に満ちた含み笑いだった。
――――――同日ウロマルド郊外。
リカルドとシャルロッタは、アンドレから得た情報を基に街の端にある造艇所を目指している最中だった。しかし昼頃に出発して大体二刻半が経とうとしていた。
だが歩けど歩けどあるのは民家ばかり。それらしい建物は一向に見えてこない。
シャルロッタも最初こそテンションが高かったものの、全く見えてこない目標物に希望をそがれつつあった。
「おじさん……シャルロッタ、疲れてきました」
「知ってる……」
そうシャルロッタがぼやいたのはリカルドの背の上の事だ。
ちょっと前、いい加減疲れたとシャルロッタが駄々をこね始めた。疲れたからどうしても動きたくない、甘いハチミツとナッツのお菓子かケーキを食べさせてくれなければここから一歩も動かないと言って聞かないのだ。
残念ながらこの辺りには最早そういった店はない。畑と民家が延々と続く小道だ。
見かねたリカルドは、駄々をこねるシャルロッタをおぶって行く事にした。
しばらくそのまま歩いていると、リカルドの背でシャルロッタは寝息を立てていた。
昨日と今日ではしゃぎ過ぎたのだろう。起こすのは忍びないと思い、リカルドは歩を進めていく。
どれくらい歩いただろうか、日は傾き始めていた。今日は野宿かとリカルドが考えていると、後ろからガタガタと荷馬車の車輪の音が聞こえてきた。
馬車はリカルドのすぐ横で止まると、手綱を握っていた気の優しそうな老人が語りかけてきた。
「あんたらどこまで行くつもりかね」
「街の住人から街の端に造艇所があると聞いたんだが……」
「造艇所……?あぁ、あの変わり者が一人でやってる工場の事だな」
「多分それだ。後どれくらいかかるか分かるか?」
「そうさな、ここからあそこまでだとあと1日はかかるな。あそこは街の端の端。ウロマルドは広いからな。はっはっは」
ロージーと名乗った老人はカラカラと笑う。リカルドはあと一日はかかると聞いて愕然としていた。
シャルロッタが起きていたら更に駄々をこねる事は間違いないだろう。眠っていて良かったと心底思う。
「あんたさん子連れみたいだし、この辺で野宿は危険だ。すぐ近くにわしの家があるよ。泊まっていくといい」
「良いのか」
「家に帰ってもどうせ一人だ。それに客人はめったに来ないからな。歓迎するよ」
ロージーは快く2人を荷台に乗せると、ゆっくりと馬車を再発進させる。
馬車はかなり揺れたが、文句は言ってられない。シャルロッタは隣でまだ寝息を立てていた。
後編は瞳孔おっぴろげて神妙に待つのじゃ