プロローグ
一つの世界を襲った、たった一つの脅威。
世界が一丸となり、脅威を退けようとした。
しかし燃え盛る炎に兵士達は炭のようになり、鋭い牙と爪に大地は引き裂かれた。
突如現れた強大な力。打ち倒す事のできない恐ろしい怪物。
剣の刃も通さぬ鎧で覆われた彼女を人々は、「黒龍・ヴィクトリカ」と呼んだ。
ヴィクトリカの猛攻に対し、世界は為す術も無く諦めかけていた。
だがその状況を一変させる者が現れた。
彼は故郷も持たぬ、一介の旅人であった。誰に名乗る事も無く、一本のなまくら剣を手にヴィクトリカに挑んだのだ。
その戦いぶりは剣士と言えるほど上等な技術ではなく、野盗と言うのはあまりにも潔かった。
名も無き旅人とヴィクトリカの勝負は、誰もが公平な勝負だとは思わなかった。
しかしその時、不思議な事が起こった。
太陽すら隠してしまう黒煙が、突然消し去られたのだ。
顔を出した太陽の光が旅人の剣をキラリと照らす。
その眩しさはヴィクトリカの眼を潰し、一瞬の隙を突いた旅人は装甲の薄いヴィクトリカの喉笛に剣を突き刺したのだ。
その時見ていた生き残りの兵士や、逃げ遅れた国民は固唾を飲んで見守った。
痛みに苦しみ暴れるヴィクトリカ。己の喉笛に剣を突き刺された憎しみは大きく、息絶えるまでに一つでも傷をつけてやろうと鋭い爪を振り回した。
暴れるヴィクトリカから離れようと旅人が背を向けた時だった。彼の背にヴィクトリカの剣より鋭い爪が襲い掛かる。
傷は深かった。ヴィクトリカはその後すぐに息絶えたが、それと同時に旅人も息を引き取った。
旅人は世界を救った英雄と讃えられた。
彼の遺体はヴィクトリカが最後に襲った国、ウロマルドという国の海がよく見える岬に埋葬され、この英雄譚は後世まで語り継がれた。
この世界の名はイー・ス。尊大な女神の樹の下に広がる雄大な地。
―――――――それから500年の月日が過ぎた。
~ミザール歴52年 レオの月~
暖かい海風の吹く夏の夜中の事であった。
全身をマントで覆い、フードを深く被った一人の男が、英雄として讃えられている旅人の墓の前で何やら呪詛を唱えていた。
一通り済むと男は墓標をまじまじと眺めて言った。
「あれから500年か。牢獄も中々退屈だったな。お前もきっとそう思うに違いない。夜明けと共に目を覚ますと良い」
墓標に語り掛けても返事はない。それも当然だ。死人に口無しと言うだろう。
しかし男は返事は求めていない様子だった。
用が済むと墓標に背を向け、その男は姿を消した。
――――――――さざ波の音と、遠くから聞こえる町のにぎやかさに目を覚ました。
目を開けても閉じても暗闇なのは変わらなかったが。
意識がはっきりしてくると、自分はとんでもなく狭い箱のようなものの中に閉じ込められているのだと気付いた。
いつからこんな所にいたのかは定かではないが、息苦しさに耐え切れず、力いっぱい箱の天井を殴りつけた。
箱にやっとの思いで穴を開けると、その穴から一気に土がなだれ込んで来た。
そうして自分は土の中にいるのだとようやく理解した。
何とかして土をどかし身を起こすと、朝焼けに燃える空が見えた。
こんな空なら何度も見たことがある。しかし何か違和感を覚えたのが、自分の下半身がまだ土の中にあることと、自分の背後に大きな石の板がある事だ。
そこには「悪しき黒龍を退けし英雄、ここに眠る」と書かれている。
なんだ、まるで墓みたいじゃないか。
いったいなぜこんな所に自分がいるのだと考えたが、その疑問はすぐに解決した。
これは自分の墓だ。
自分の両手を見つめて確信した。このミイラともゾンビとも、あるいは両方とも言える干からびた両手を。 そういえば、自分はあの龍を倒したのだ。だが倒した後の記憶が無い。背中に強い痛みを感じてから、きっと死んだのだ。
だったら今の状態はどういう事だろう。
全身を墓穴から掘り出し、草の茂る地面にやはり干からびた両足で立つ。
近くの井戸をのぞき込んで、やっと自分の姿がはっきりした。これは化け物だ。
こんな姿でその辺をうろうろしていては魔物か何かだと思われて倒されてしまうに違いない。
さらに奥の森に入ると、息絶えたどこかの国の兵士の遺体があった。甲冑のおかげで顔は見えないが、きっと死んでいるはずだ。
そこで閃いた。この遺体の装備を拝借し、身代わりにしよう。
まだ日が昇らぬ時間帯だ。こんな場所に来る人間もいないだろう。
手早く自分が入っていた墓穴に埋葬した。
「……悪いな。色々借りるぞ」
行く先は決めていないが、前方にそびえ立つ見事な城を目印にしていこう。きっと町に出るはずだ。
名も知らぬ兵士に両手を合わせ、兵士の装備を着込み、その場を後にした。
目指すはウロマルドの町だ。