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三者対立

ウェインが、アズスライの兵士たちの指揮を執り始めたようだ。


当人は謙遜するが、戦闘能力だけではなく指揮能力も高い。


(謙遜というよりも、自己を過小評価しすぎなのだな、彼は)


椅子にもたれながら、クロイツはアズスライの状況を分析していた。


テイルータ・オズドとマーシャは、村の中で少しずつ逃げ場を失い、おそらく今晩にも少女は捕らえられることになるだろう。


ウェイン・ローシュは、これまでの追跡者とは違う。

二人の逃亡劇も、今日までだった。


これまで、追っ手を厳しく掛けなかった。

理由は三つ。


一つ目は、単純に人材不足だったから。


有能な者には、それぞれ重要な任務を与えてあるのだ。


あの二人の追跡だけに力を入れる訳にもいかなかった。


二つ目は、二人で旅をすることにより、マーシャの能力に新たな変化が生まれるのではないかと期待していたから。


二十九回連続で能力を暴走させたマーシャは、テイルータ・オズドと出会った日、初めて能力の制御に成功させた。


成功させたと思われる現象が起きた。


失った手足や腹部、内臓を再生させ、変形していた右腕も元に戻した。


そして天井を消失させて、テイルータ・オズドと二人で地下研究所を脱出し、逃走した。


彼女の能力は、なんなのか。

消失と再生。単純に、それだけなのか。


死後二日経過した死体に、能力を使わせたことがある。


死体だったはずのそれは、眼を開き、身を起こした。


意識の混濁などなく、明瞭に自分の意思を語った。


そして、マーシャに呪いの言葉を吐きながら、三十四秒後灰になった。


内臓に不治の病を患った者を、健康体にしたこともある。


その者は、翌朝自室の寝台で、変死体で発見された。


検査を行ったところ、内臓全てが腐り果てていた。


能力を使用するたびに、マーシャは肉体の一部を失い、あるいは変形させる。

能力が暴走しているのだろうか。


対象者が変死するのは、能力の効果に制限時間があるからだろうか。


それならば、なぜマーシャの肉体は元に戻らない。


肉体の変化は、能力を使用する代償なのだろうか。


壁についた数センチの傷を修復させた時に、マーシャは内臓を失った。


代償としては、異常に大きすぎないか。


暴走した能力が、マーシャに跳ね返ってきているのだろうか。


だが暴走は、能力者に負荷がフィードバックする理由にはならない。


肉体の一部を失っても、マーシャは痛がりも苦しがりもしない。


内臓の一部を失っても、命に別状はない。


残った他の内臓が、失った内臓の役割を補うように変化していた。


彼女の能力については、理解できないことばかりである。


唯一の成功例らしきものは、テイルータ・オズドと出会った日に使用した時のみ。


能力を制御できるようになったのだろうか。


それとも、三十回に一回の成功が、あの時だったというだけだろうか。


不明なことばかりなので、クロイツは慎重にマーシャとテイルータ・オズドを観察した。


なにか、能力の仕組みが判明するかもしれない。


だが、テイルータ・オズドは、どんな状況に追い込まれてもマーシャに能力を使わせようとしない。


マーシャは、こっそりと日記を付けている。


荷物の中、所持する本の下に隠してあるそれの内容を、クロイツは知っていた。


テイルータ・オズドに隠れて書いているらしく、簡潔な内容であることが多い。


『花が綺麗だった』

『食事がおいしかった』

『たくさん歩いた。足が痛い』

そんな些細なことばかりである。


テイルータ・オズドに見付かりそうになったのか、途中で文章が途切れていることもある。


そのテイルータ・オズドについても、書かれていることがあった。


『力を使うと言うと、テイルータは怒ってくれる』、『シチューを食べてる時、旨いなって言ってた。ちょっとだけ笑ってた。テイルータが笑ってるとこ、初めて見た。嬉しい』、というように。


マーシャの能力は、再生か、破壊後の再構築か、変化か。


解析不能なことばかりだが、思うことがある。


もしかしたらテイルータ・オズドと出会った日、マーシャは正常に能力を発動させ、手に入れてしまったのではないのか。


彼女にとっての、理想の姿を。


実験体として『コミュニティ』に扱われ、肉体を異形にし、神のような能力、あるいは呪われた能力を持つ少女にとっての、理想の姿を。


それが、追っ手を厳しく掛けなかった、最後の理由だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


軍の基地までの道を、ルーアは走っていた。


(なんなんだよ、あの女は!)


苛つかせてくれる。

まあ、自分にも原因があるが。

それでも、腹が立った。


道は途中で、小さな林へと入る。

林道は狭苦しいが、走りにくくはない。

毎日村人により踏まれているためか、足下はしっかりしていた。


ルーアは、足を止めた。

囁き声のようなものが、聞こえたような気がしたのだ。


息を殺し、意識を周囲へと拡げていく。


枝を踏む音がした。

林の奥に、小さな人影。

『コミュニティ』か、ただの村人か。


別の気配を感じ取って、ルーアは振り返った。


視界の中で、影が動く。

咄嗟に、首から上を傾けた。

眼の前を、なにかが通っていく。


おそらくは、投げ付けられた短剣。


何者かが、飛び掛かってくる。


後退しながら、ルーアは剣の柄へと手を伸ばしたが、再度投擲された短剣に阻まれる。


剣を抜くことを諦め、ルーアは掌を人影へと向けた。


何者かの手には、剣。


「テイルータ! その人、違う!」


声。林の奥からだろう。

女の子供の声だった。


剣が、ルーアの喉に突き刺さる数センチ手前で止まる。


ルーアも、掌を人影に向けたまま魔法を放っていない。


低い声がした。獣が唸っているかのような声だ。


「……この距離なら、魔法を使う前に殺せる」


「この距離なら、魔法を発動させれば確実に殺せる。どっちが速いかは、試してみるかよ?」


言い返しながら、ルーアは現れた人物を観察した。


中肉中背の、これといった特徴のない男だ。


ただ、眼付きや雰囲気が、手にする剣よりも鋭い。


(こいつは……)


先程聞こえた少女の声と合わせて、男が誰かをルーアは思い出した。


あの時は、少女の声を聞いた訳ではないが。


少女と二人一組で思い出した。

ヘザトカロスの宿で会った男だ。


林を踏み分け、何者かが道に出てくる。


「……あの、誤解だったんです。だから……」


ルーアに向けて言っているようだ。


テイルータとか呼ばれたこの男と一緒にいた、あの男装をしていた少女だろう。


そちらは一瞥もせずに、ルーアはテイルータという男を睨み続けた。


眼を離した瞬間に、剣を突き出してきそうである。


テイルータの口が、開いた。


「……お前は、何者だ? 『コミュニティ』か?」


「……あ?」


とんでもなく的外れな質問に、ルーアは頬が引き攣るのを感じた。


「そんな訳ねえだろ……」


「じゃあ、なぜ俺たちをつける?」


「……はあ?」


「惚けるな! ヘザトカロスで会っただろうが! このアズスライまで……」


「……」


どんだけ自意識過剰だ、と口にしそうになってしまう。


「……そりゃ誤解だな。お前らなんかに、興味ねえよ。俺はただ、付き添いでこの村に来ただけだ」


「……誰の付き添いだ?」


「……ドラウ・パーター」


そこまで教えてやる義理はないが、ルーアは口にした。


至近距離での剣と魔法では、一般的に剣の方が早く攻撃を仕掛けられる。

不利な状況なのは、確かだった。


テイルータが、鋭い眼を更に細める。


「……ドラウ・パーター? あの役立たずか?」


「……あ?」


今、ドラウのことを役立たずと言わなかったか。


考えた時は、体が動いていた。

至近距離ならば、魔法よりも腕を動かす方が早い。


左腕で、剣を払いのけていた。

投げ付けられた短剣は、右腕で叩き落とす。


厚い防寒着の下は、いつも通り耐刃ジャケットである。


そう簡単に、刃物が通りはしない。


打撲傷にはなっただろう。

骨まで痺れているが表情には出さず、ルーアは後退したテイルータに掌を向けた。


「……なんて言ったよ、お前?」


「……」


無言でテイルータは片手で剣を構え、何本持ち歩いているのか、懐から更に短剣を取り出す。


二人の間に、少女が割って入った。


以前見た時と同じく、少年のような格好をしている。


「待ってください! えっと……」


「どけ、糞ガキ!」


テイルータが吠えるように言うと、少女は身を竦ませた。

それでも、そのまま続ける。


「誤解なんです! わたしたち、あなたと同じ髪の色の人に襲われて、それで……わっ!?」


テイルータは短剣を捨てて背後から少女を抱えると、跳びすさった。


その時には、ルーアも体の向きを変えている。


「ルーン・シールド!」


横手から突き進んできた光線を、魔力障壁で受け止める。


(この魔力は……!)


覚えがある。

この村まで来ていたか、『百人部隊』隊長、ウェイン・ローシュ。


その姿は見付けられないが、木々の間に黒装束を纏う者たちはちらほら眼についた。


漂う死臭。

『コミュニティ』の兵士。


かなりの人数がいるようだ。

ウェイン・ローシュだけでもきついのに、これは厳しすぎる。

体調も余りよくない。


ルーアは、奥の林へと後退した。

なんとかやり過ごせないか。

頭を下げ、移動していく。


木々の後ろに回り込み、声を上げそうになった。


ばったりと、テイルータと出くわしたのだ。


声を発しそうになったのか、少女はテイルータの手に口を押さえられていた。


構えるが、複数の足音がしてルーアは身を低くした。


兵士たちが、ルーアたちが隠れている林の方まで踏み入ってきたようだ。


一本の木の後ろで、テイルータや少女と隠れる。


(……なんだこの展開……?)


なぜ、刃を向けてきた相手と、肩を並べて隠れなければならないのか。


(……こいつは、俺が『コミュニティ』の一員ではないかと勘違いして、襲い掛かってきたんだよな?)


つまり、『コミュニティ』とは敵対しているということだ。


本来なら、協力するべきなのかもしれない。


「……おい、ロリコンチンピラ」


小声で囁く。


「ここは、一旦共闘しよう。俺も、『コミュニティ』を敵としている。協力して突破を……」


「いいぜ」


いきなり、思いきり蹴り飛ばされた。


両腕でガードしたが、木陰から転がり出てしまう。

兵士たちの眼が、こちらを向く。


「てめえ! せっかく俺が友好的に……!」


「フォトン・ブレイザー!」


声が響き渡るのが聞こえ、ルーアは魔力障壁を展開させた。


光線が破裂して、尻餅をついてしまう。


(野郎……! 俺を囮にしやがった……!)


転がるようにしながら、ルーアは林の中を奥に進んだ。

足音がついてくる。


見付けた小さな崖の下に、ルーアは身を潜めた。


近くを何人かが歩き回っている気配がする。


息を潜めることしばし。

兵士たちだろう、気配が遠ざかっていく。


(……結構、諦めがいいな)


すぐには動かず、様子を窺う。

つまりウェイン・ローシュはルーアよりも、ルーアを囮に逃げ出したであろう、テイルータと少女に用があるということだった。


「けっ」


悪態を付きながら、ルーアは崖を登った。


『コミュニティ』に追われるとは、テイルータはともかく少女は不憫である。


まあ、なんとかなるだろう。

あのテイルータという奴は、相当しぶとい類いの人間だ。


(知るかよ。こっちは、他人に構ってられるほど暇じゃねえんだ)


軍の基地に向かう途中だったのだ。

とんだ時間ロスである。


まだ痺れる腕を摩りながら、ルーアは林の中を進んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


居間のような部屋でチェスの盤を挟み、テラントはニックと向かい合っていた。


実際にチェスをしている訳ではない。


盤を戦場に見立て、駒を動かしていた。


見渡しのよい平原、兵数は同じ、兵の強さも同じ。


同じ条件で原野戦を想定し、ニックと駒を動かしていく。


ラグマの若き常勝将軍と、手合わせをしてみたい。

ニックに、そう言われたのである。


ニックの用兵は、巧みだった。

堅実であるようでいて、時に驚くような兵の動かし方をする。


三回やって三回ともテラントが勝ったが、紙一重の勝負だった。


テラントが三敗することもありえただろう。


もしこの老人と、本当に戦場で争うことになったら。

テラントは、それを考えた。


ラグマの軍を率いた自分が、ニックが指揮するホルンの軍と戦う。


苦戦は必至だろう。

勝敗の行方はわからない。


「いやあ、参りました。さすがは、音に聞くエセンツ殿。感服いたします」


清々しい表情で、ニックは言う。


テラントは、額に汗すらかいていた。


「なぜハラルド殿は……」


少し言い澱み、テラントは汗を拭った。


「失礼な質問を致しますが、なぜハラルド殿は、このような所にいるのですか?」


この老人が想像の戦場だけでなく、実際の戦場でも卓抜する指揮能力を示すのならば。


自分が王だったら、すぐにでも幕下に迎えたいほどの人材である。


年齢が年齢であるため前線の部隊の指揮は難しいだろうが、後軍の指揮などをさせれば、眼を瞠る働きをするはずだ。

軍の統括をさせてもいい。


こんな片田舎で燻っているのはもったいない老人である。


テラントの質問には答えず、ニックは軽く微笑んだ。


連絡に来た部下に、頷く。


「これより、夜戦の調練を行います。よろしければ、エセンツ殿もどうですか? エセンツ殿に、是非見ていただきたい。そして、助言していただければ、と思います」


「……そうですね」


見てみたい、とテラントは思った。


だが、ユファレートを守るために基地に残ったのである。


ユファレートは、部屋を借りて横になっていた。


彼女を一人にして、調練の見学に行く訳にもいかないだろう。


「お連れの方には、私の直属三十名を付けておきますよ」


それならば、まず誰にも手出しはできないだろう。


ニックと一緒にいるところを見たが、一人一人がかなり鍛え上げられている。


テラント一人がユファレートの側にいるよりも、ずっと安全なはずだ。


「……それでは、見学させていただきます」


誘惑に耐え切れず、テラントは言った。


ニックに案内され、テラントは外に出た。


連れていかれたのは、基地から北へ四、五キロほど移動した場所だった。


小さな丘が一つあり、麓には二百ほどの兵が集まっている。


騎馬が五十に、歩兵が百五十というところか。


ニックの合図で調練が始まった。


五十の騎馬は二つに分かれ、それぞれ一列の縦隊となる。


片方は丘の斜面を駆け上がり、片方は平地を駆ける。


丘の部隊が、斜面を駆け降った。


平地の部隊は、斜面を登っていく。


交錯した。

騎馬と騎馬がぶつかることもなく、綺麗に位置が入れ替わっている。


これは、かなり難しいことである。


一人が列を乱すだけで、全体の動きが破綻し騎馬は衝突し合ってしまう。


加えて、視界の悪い夜である。


やがて、騎馬は一体となった。

歩兵は、平地で堅陣を敷いている。


騎馬隊が、歩兵の陣に突撃する。

歩兵の陣は、堅陣でありながら柔軟に騎馬隊の勢いを殺し、包み込もうとする。

どちらも見事な動きだった。


「どうでしょうか?」


見入っているところを、ニックに声を掛けられた。


「見事です。助言などと、とんでもありませんな。ラグマの最精鋭の部隊と比べても、遜色ありません」


素直にテラントが賛辞すると、ニックは老人らしい柔和な笑顔を見せた。


「これはこれは。エセンツ殿にそう言ってもらえれば、自信がつくというものです」


言葉通りには、テラントは受け取らなかった。


この手の老人は、腹の内に本音を隠す。


アズスライの中を巡回する部隊がいる。

基地に控えている部隊。

今、ここで調練している部隊。

アズスライで造られた武器や防具を、移送する任についている部隊もあるだろう。


アズスライ全体の軍、つまりニックが掌握している軍は、二千ほどだろうか。


少なくとも、一千を下ることはないだろう。


その全てが精鋭であるとは、テラントには思えなかった。

なにしろ、実戦の機会が少ない。


そして、任務の種類が少ないため、兵は育っても指揮官は育たない。


ニックの指揮が届かない所にいる部隊は、脆いところがあるかもしれない。


つまり、多方面からの攻撃に弱い。


そこで、テラントは苦笑した。

敵として、このアズスライを攻略する場合のことを考えている。


「先程エセンツ殿は、私がなぜアズスライにいるのか聞かれましたね?」


不意を衝くように、ニックが言った。


「答える前に、伺いたいことがあります。よろしいですかな?」


「どうぞ。私に答えられることなら、なんでも答えましょう」


「エセンツ殿は、旅をされている。その目的は、聞きますまい。あなたは、地位も名誉も捨てた。余程の覚悟と理由があるのでしょうから」


「……」


「もし……例えば、明日にでも目的が達成されたら、エセンツ殿はどうなされますかな?」


「え……?」


余り、考えたことがなかったことである。


目的は、妻であるマリィを取り戻すことにある。


「ラグマの軍に、復帰なさるのでしょうか?」


「……」


マリィを取り戻した後、ラグマ王国に戻り、国王ベルフ・ガーラック・ラグマに再度仕えるのか。


おそらくベルフは、すぐにでもテラントを将軍に就かせるだろう。


遅くとも、任務を一つ二つ熟させた後には将軍に戻す。


そしてテラントは、ズターエ王国かザッファー王国と戦う軍の指揮を執ることになる。


だが、それでいいのか。


共に旅をする者たちがいる。

テラントが目的を達成しても、彼らの旅は続くだろう。

『コミュニティ』という敵がいる限り。


「……軍に復帰することは、ないでしょう。少なくとも、すぐには」


「ふむ……」


ニックが、遠くを眺める。

東の空にある星を見ているのだと、テラントは気付いた。

王都ヘザトカロスがある方角である。


「私がアズスライから離れないのは、疑問に思ったからですよ」


「……疑問とは?」


「中央に戻れば、いずれドニックとの戦線か、南方のジロかヴァトムに送られることになるでしょう」


ジロの南にはレボベル山脈があり、越えればラグマ王国だった。


「兵の指揮を執り、ドニック人やラグマ人と戦い殺す。まあ、それもいいでしょう。私も軍人ですからな。しかし、思うのです」


ニックが視線を向けてきた。

眉と皺に半ば隠れた眼。眼光。


「果たして、人と人が、国と国が争っている場合なのだろうか、と」


「……」


「軍に復帰せずに、旅を続ける。それは、ズターエやザッファーよりも戦うべき相手がいる、ということではありませんか?」


「……そうかもしれません」


「私もね、思うのですよ。他国と争うのではなく、国の裏側にいる者たちと争うべきなのではないかと。いや、世界の裏側というべきでしょうか。だとしたら、他の国は敵ではない。国と国は、手を結ぶべきではないか」


この老人は、知っている。

どこまで知っているかは不明だが、もしかしたら、テラントたち以上にこの世界の状況を理解しているかもしれない。


「と思っていても、私にはなにもできなかった。そして、もういい歳です」


喚声が上がった。

騎馬隊が、とうとう歩兵の陣を断ち割ったのだ。


満足そうに、それをニックは眺めていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


魔力の波動を感じて、ユファレートは眼を覚ました。


ニックが貸してくれた部屋は、軍の基地らしく派手な装飾などはないが、それなりに立派な部屋だった。


客を迎えるための部屋なのだろう、寝台などは宿の物より余程寝心地が良い。


疲れて眠っていたのに、魔法が破裂した気配に叩き起こされた。

それくらい、大きな魔法だった。


シーパルやルーアの魔力ではない。


壁にある地図に眼をやったが、よくわからなかった。


その隣に掛けられた時計に視線を移す。

午前二時。


ユファレートは、部屋の外へ出た。


廊下には、軍人二人が立っていた。


他の部屋でも、何人か歩き回っている気配がある。


「あの、テラント……わたしの連れを呼んできてもらえませんか?」


「あの方なら、我々の夜間訓練の見学に、外へ出ていかれましたが」


「……え?」


一瞬、この非常時になにをしているのか、と思ってしまう。


そう、非常時なのだ。

多分、昼頃から。

だから、ルーアはドラウの葬式に参加しなかった。


ずっと非常時なのに、なにをやっていたのだろう。


みんな、きっとなにかをしている。


ユファレートは、泣いているだけだった。


「訓練している所って、どこですか?」


「ここから北へ四キロほど行った、演習場です」


遠い。

飛行の魔法を使っても、しばらく掛かる。


視界が悪いため、どうしても速度は上げにくくなってしまう。


なにより、土地勘がないため道に迷ってしまう可能性がある。


軍人の顔を見て、ユファレートは思い出した。


ニックに率いられ、ユファレートたちが利用していた宿を包囲した部隊の一員だ。


「わたしたちが泊まっていた宿って、どっちですか?」


軍人は、部屋の壁にある地図にちょっと眼をくれてから、ある方向を指した。


ユファレートが魔力を感じた方向でもある。


(……みんな、戦ってる)


「あの、彼に伝言お願いしていいですか? わたしは、先に宿に戻ってるって」


「え? ……ああ、構いませんが。宿に戻られるなら、道中危険かもしれません。何人か付けましょう」


「必要ありません。わたしは、魔法使いですから」


部屋の中央まで移動して、ユファレートは集中した。


泣きすぎたのか、眼の周りが痛い。

さぞ腫れていることだろう。


頭の芯に、痺れや痛みのような感覚があった。


戻ったとしても、戦えないかもしれない。


でも、みんなきっと戦っている。

ユファレートの代わりに傷付いているかもしれない。

命の危険に曝されているかもしれない。


もう、誰も失いたくない。


暗い天井に、杖を翳す。

足下に拡がる魔法陣。


そして、長距離転移の魔法が発動した。

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