見抜かれざる嘘
ドラウ・パーターが『火の村』アズスライを目指し旅をしている。
王都ヘザトカロス近郊にある村で、テイルータはその噂を聞いた。
ドラウ・パーターは、『世界最高の魔法使い』と世間から呼ばれている老人である。
そして、『コミュニティ』という組織と長年敵対していた。
もし協力関係を築ければ、これほど心強い味方はないだろう。
テイルータは『コミュニティ』の手から逃げ回って生きてきたが、その気になれば兵士と呼称されている動く死体の、十や二十は相手できる。
求められれば、いくらでも一緒に戦ってやる。
利用するだけ利用して、必要なくなった時に捨てればいい。
他に行く当てもなかったので、テイルータはアズスライに向かうことにした。
険しい道である。
子供の体力ではきついだろうが、マーシャはぐずらない。
まだ幼いが、逃亡生活により旅には慣れている。
テイルータも、マーシャの狭い歩幅に合わせることに慣れていた。
二人で逃亡の旅を始めたばかりの頃は、すぐに苛々した記憶がある。
アズスライに到着したのは、三月になってからだった。
アズスライの東部、村の入り口に近い所で宿を取った。
村の中心から西よりの所にも宿があるが、そこはうるさい。
アズスライは鍛治が盛んで、村の西部は無数の鍛治場に占められている。
昼夜を問わず鎚が打たれ、それは村の中央まで響く。
テイルータたちが泊まった宿に、ドラウ・パーターはいなかった。
村人の話によると、それらしい人物が村の中央近くにある宿に泊まっているらしい。
訪れる前に、一日休息を入れた。
隠してはいるが、旅の疲れだろう、マーシャが体調を崩している。
宿に一人残しておくのも危険だった。
翌日の昼下がり、マーシャの顔色が良くなるまで待ち、テイルータは外に出た。
ドラウ・パーターが宿泊する宿まで、一人ならば徒歩で三十分、マーシャを連れているため実際には四十分といったところか。
風の無い日だった。
鎚を打つ音が聞こえる。
テイルータはうるさく感じたが、マーシャは気にならないようだ。
自分が神経質であることは自覚している。
着いた宿は、しっかりとした造りのようだった。
防音のためか、壁が厚いようである。
ドラウ・パーターのことを聞くと、宿の主人は表情を曇らせた。
「死んだだと……?」
「ああ。つい先日ねえ……」
小さくテイルータは舌打ちした。
「使えねえな……」
自分に向けられた台詞と勘違いしたのか、宿の主人が眼を細める。
誤解を正す気にもならず、テイルータは宿を後にした。
マーシャが、狭い歩幅で付いてくる。
「ねえ、テイルータ」
「……なんだよ?」
「亡くなった方に、ああいうこと言うのは、良くないと思うの」
「……うるせえよ」
ドラウ・パーターは死んだ。
『世界最高の魔法使い』だろうと『英雄』だろうと、死ねば終わりである。
自分たちの役に立たずに死んだ、としか思わなかった。
無駄足を踏んだ。
この村は出入りのための道が少なく、逃亡生活をしている者たちにとっては、長居をするに相応しくない。
次はどこへ向かうか。
いつまで逃げなければならないのか。
答えの見付からない問いは、鎚を付く音と共にテイルータを苛立たせた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ノエルには平らに思えたが、世界は球体をしているらしい。
大半の学者はそう主張し、世間もそれを信じている。
まあ、実際にそうなのだろう。
学者なんて連中は身命と時間を捧げて、ノエルにとってはどうでもいいことを研究している。
彼らが世界が球体であると述べるのならば、本当に丸いに違いない。
世界の裏側の人々が空に落ちていかないのは、引力やら重力がなんとかかんとか。
とにかく、世界に在るものはなんであれ、下に引っ張られる。
それだけ理解していれば、ノエルには充分だった。
アズスライを囲む絶壁を歩いて降っていくのは。
平坦な道に足の裏を付ける地面があるように、絶壁にも足掛かりになるものがある。
重力が引っ張ってくれるので、平地を歩くよりも楽なくらいだ。
足裏を付けられる場所がある。
あとは、普通に踏み出せばいい。
それだけで、九十度近い絶壁も歩くことができる。
それを、一日だけノエルの山岳訓練の教官を務めた者に言ったことがある。
教官は、笑った。
『馬鹿か、お前は?』嘲りながらそう言ったのは、ノエルに首を撥ね飛ばされる一秒前のことだったか。
ただ歩くという当たり前のことも満足にできない未熟な者に語るのは、無駄なことだとノエルは学んだ。
絶壁は歩ける。
特別な理論やこつはない。
ただ歩くだけ。
という訳で、ノエルは絶壁を降りアズスライに至った。
道が他にもあるらしいが狭苦しく、絶壁を歩いていった方が余程手軽で時間が掛からない。
一人だった。
ウェインはいない。
しばらく前から、別行動をしている。
『コミュニティ』の情報部の者たちを利用し、ノエルはホルン王国北部に噂を流させた。
噂というよりも、事実か。
ドラウ・パーターが、アズスライに向かっているという内容である。
テイルータ・オズドという男がいる。
ウェインが追う対象で、長年『コミュニティ』から逃亡している者である。
組織や組織と敵対している者についての情報や噂には、敏感なはずだ。
接触した時期から考えても、まだ王都ヘザトカロスからそう離れた所にはいなかっただろう。
かなりの確率で、ドラウ・パーターについての噂が耳に入る。
その後、テイルータ・オズドはどうするか。
ドラウ・パーターと接触することを考えるのではないか。
余り細々と計画した訳ではなかった。
テイルータ・オズドは、マーシャという少女を連れている。
ドラウ・パーターとマーシャ。
この二人に、ウェインの目的はあるはずだ。
二人が近くにいた方が、やりやすいこともあるだろうと、ノエルは安易に考えただけだった。
ウェインも、アズスライに向かっているはずだ。
すでに到着したかもしれない。
一人にしてしまったが、ウェインならば問題ないだろう。
それに、快活で人付き合いが上手い男だが、実は孤独癖があることを知っている。
一人旅を満喫したのではないか。
ここで合流できるなら、それもいい。
ウェインがいるとしたら、先にアズスライに潜伏させてあった『コミュニティ』の部隊のところか。
どこをアジトにしているか一応は聞いているが、直行はしなかった。
しばらく、村を見て回る。
余り村人以外の姿がない。
アズスライは優秀な鍛治師が多く、直接注文をするために訪れる旅人や行商人は少なくない。
ただそれは、主に夏場のことだった。
寒冷地方にあり、険しい山道を通らなければならないアズスライは、寒い時期は閑散とする。
軍が駐屯しているようだ。
大量の武器や防具を造り王都ヘザトカロスに送るアズスライは、ホルン王国にとっては武器庫のようなものなのだろう。
敵軍や盗賊団に占拠されるなど、万が一にでもあってはならないことだ。
攻めにくい地形ではあるが、一応の備えということか。
目立つ動きは避けた方がいいだろう。
ぼんやりと考え、そしてノエルはアジトへと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
アジトは、村の端にある廃屋の地下にあった。
『コミュニティ』という組織は、なにかを構える時、よく地下を選ぶ。
地上よりも目立たず、広い範囲を利用できるからだろう。
木や鉄の板で補強されているため、天井が崩れてくることはなさそうだ。
所々傷んでいるように見えるのは、アジトが造られてから結構な年月が流れた証に思えた。
百人近くが生活できるだけの空間があるようだ。
かなりの人数、主に魔法使いが動員されて造られたのだろう。
魔法が使えず、肉体労働を課されることなどないノエルには、関係ない話だった。
居心地が良いとはいえない。
兵士が何十人といるのだ。
動く死体であり、臭う。
空気穴などがあるだろうから密閉された空間ではないが、それでも堪え難い臭いだった。
兵士たちはできるだけ遠ざけて、ノエルはこの部隊の隊長に当たる三人を集めた。
ホルン王国北部に配置されている『コミュニティ』の構成員たちには、纏まりがない。
元々この地域で活動していた者たちと、新たに赴任してきた者たちで、派閥のようなものができている。
ウェインは纏めるのを面倒臭がり、派閥の代表者をアズスライに送った。
勝手にやれ、ということらしい。
両方の代表者たちの反目が続けば、当然ここの部隊は分裂する。
アズスライに駐屯しているホルン王国の軍に、各個撃破されるだろう。
派閥争いをなくす、荒療治という訳である。
仮に彼らが国軍に潰されれば、派閥は代表者不在となり力を失う。
そうなれば、ウェインも構成員を纏めやすくなるだろう。
ノエルが知るウェインは、そこまで狡猾な類いの男ではない。
ただ、無意識のうちに状況を利用することが、人にはある。
「僕たちの標的が誰であるか、君たちはわかっているよね?」
ドラウ・パーターは死んだ。
彼の旅に付いてきた六人、そしてテイルータ・オズドとマーシャ。
この八人が敵であり、標的だった。
「彼らを、攻撃して。状況によって、僕やウェインは動く」
「無茶な注文ですな」
金髪でがっしりした体格である中年の男が、不平を口にした。
髭は髪と繋がっており、獅子の鬣のように見えなくもない。
名前は、確かマックス・ハイドフェルト。
ラグマ王国から赴任してきた者で、新任の者たちの支持を集めている。
「そんなことをすれば、アズスライの軍に動くきっかけを与えます。こちらの戦力は、わずかに五十ほど。あっという間に踏み潰されます」
「現在、アズスライの軍責任者であるニック・ハラルドと交渉中です。それが纏まってからでも、よろしいのではありませんか?」
交渉が上手くいけば、軍の動きを抑えられる。
事を起こすのは、それからでいいのではないか、と言っているのだ。
発言したのは、生白い肌をした貧相な外見の五十代の男だった。
古くからホルン王国北部に配置されていた者たちの、代表者である。
名前は、キース・ジョーンズ。
カリスマ性などは感じさせず、誰よりも長くホルン王国北部の『コミュニティ』の部隊に所属しているために、代表者となったという男である。
立場としてはマックスよりも上だが、侮られている。
それが派閥争いを生むきっかけになったといえた。
キースの口から出たニック・ハラルドについては詳しく知らないが、ホルン王国の軍人である。
ウェインは、したたかな老人だと言っていた。
交渉が上手くいくとは限らないし、上手くいったとしても、どれだけの時間が掛かるかわからない。
「……僕が、動けって言ったんだよ?」
ノエルが言うと、マックスとキースはたじろいた。
一見すると線の細い男が、二人の前に出る。
痩せているのではなく、無駄な筋肉や脂肪が付いていないのである。
どちらの派閥にも所属していない者たちの代表者で、ダンという。
腰に提げられた細剣の柄は、手垢に塗れていた。
どれだけの鍛練を自己に課してきたか、それだけで想像に難くない。
三十前だろう。
三人の中で最も若いが、もっともできるとノエルの眼には映った。
ただし、マックスは『悪魔憑き』であり、キースは魔法使いである。
「ノエル殿。状況によって動くとおっしゃった。ということは、我々の役割は、撹乱にあるということでしょうか?」
「……うーんとね」
まともに戦えば、例え勝利してもかなりの犠牲が出る。
そしてその後、あっさりとアズスライの軍に制圧されてしまうことになるだろう。
全滅を避けるために、ダンはノエルに妥協させようとしているのではないかと感じられた。
「……そうだね。必ずしも倒す必要はない。倒してしまってもいいけど」
「……ある程度、我々の自由にしてもいいでしょうか?」
ダンは、探るような眼でノエルを見ている。
胆力も、三人の中で一番ありそうだ。
「うん。まあ、好きにしちゃっていいよ」
「……であれば我々は、戦力を分け彼らを幾度か攻撃します。軍に眼を付けられぬように目立たず、だが彼らには脅威を与えられるように」
「うんうん」
「キース殿、マックス殿、それでよろしいか?」
二人とも頷く。
マックスの方は、不満気な顔をしていた。
ダンへの不満ではなく、ノエルへの不満だろう。
「じゃあ、頑張って。僕は、適当に外をぶらついてるから」
あっさりと言って、ノエルは外へと向かった。
死体が放つ悪臭は鼻が曲がるほどであるし、慣れたくもない。
外に出て、まずは深呼吸をした。
ウェインがまだ到着していないのが少し意外だったが、そのうち現れるだろう。
(まずは、三人のお手並み拝見かな?)
夕方になっている。
山並みは、暗赤色に染まっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
気に喰わないことばかりだ、とマックスは思った。
まず、ノエルが気に喰わない。
若造のくせに、偉そうにマックスたちのことを顎で使おうとする。
気に喰わないが、逆らうことはできない。
『コミュニティ』でも特別な存在であり、笑顔のまま人を斬り捨てたという逸話がいくつも転がっている。
あのクロイツも、ノエルには遠慮しているところがあるという。
実際向かい合うと、不気味な威圧感があった。
袖口から蛇が入ってきたかのような感覚がある。
キースのことも気に喰わない。
そこそこ魔法を使うようだが、それ以外には取り柄のない男だとしか思えなかった。
年長者であり、ホルン王国北部の部隊での経歴も長い。
それだけで、マックスたちよりも上に立とうとする。
ただの冴えない五十男である。
話し合った結果、まずは兵士十人ほどに、ドラウ・パーターの連れたちが宿泊している宿を見張らせることになった。
話し合ったという形だが、敢えてマックスは余り発言しなかった。
ほとんどのことを、キースとダンが決めていった。
これで失敗すれば、キースの発言力は落ちる。
十一人の兵士を送ることになった。
半端な人数になったのは、キースが選びきれなかったからだ。
決断力のない男だった。
そんなもの、端から適当に十人選べばいいのだ。
兵士十一人を出発させた。
何人かには、ホルン王国の軍服を着させている。
これから日が沈み、暗くなる。
それは、攻撃を仕掛けるこちらには有利に働くだろう。
キースはどこかおどおどとしていた。
すでに戦闘を意識しているのか、ダンは無言になって細剣の柄をしごいていた。
マックスは、自慢の髭をただ撫でた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
体が重い。
たった一度、ドラウの真似をしただけである。
所々焦げたジャケットを床に脱ぎ捨て、ルーアは寝台に倒れ込んだ。
(あー……だりぃ……)
傷は治してあるが、あちこちがまだ痛んだ。
宿に戻る道が、どれだけ長く感じられたか。
知らない魔法の使い方をした反動だろう。
横になると、途端に眠気が襲ってきた。
(ほんとに、遠い所にいたんだな、爺さんは……)
なんとなく眠気に抗いたくなり思考するが、頭の中の靄は濃く、意識は暗くなっていく。
扉がノックされた。
叩き方に癖があり、それがティアによるものだとすぐにわかる。
「なんだよ?」
眠気と体の痛みのせいで、ややぶっきらぼうな口調になってしまう。
ドアノブが、がちゃがちゃ乱暴に回される。
鍵を掛けてあるので、開きはしない。
「開けて」
扉の向こうで、ティアが簡潔に要求する。
ルーアは、軽く舌打ちした。
その前に質問に答えろよ、と思う。
「なんの用だ?」
再度聞く。
返事はなく、扉から聞こえてくる音だけが変わった。
鍵穴が引っ掻き回される音。
(おい……)
ややあって、扉が開かれた。
ティアの手には、太さの異なる針金が二本あった。
「……お前な」
この女は、誰に習ったのか泥棒顔負けの解錠の技術を持つ。
ずかずか部屋に踏み込んでくるティアは、はっきりと不機嫌な顔をしていた。
全身が怠いルーアも、似たような顔をしているだろうが。
厳しい眼付きで、寝台のルーアを見下ろしている。
「……どこ行ってたのよ?」
「……別に、どこでもいいだろ」
「よくない!」
ティアの声が、鼓膜を震わせる。
「ドラウさんのお葬式だったんだよ! それなのに、ルーア……!」
「あのなあ、俺は……」
言いかけて、ルーアは頬を引き攣らせた。
『ドラウやユファレートのために、俺はたった一人で敵と戦ってたんだぜ』
そんな台詞、口にしたくない。
無性に恥ずかしくなるだろう。
「……なによ?」
「……知るか」
吐き捨てて、ルーアは上体だけ起こした。
「葬式に出る出ないなんて、俺の勝手だろ? 俺は爺さんの親族でもなんでもないんだ。ただの他人でな」
「……他人って、それ、本気で言ってんの?」
「だって、そうだろうが。もっと言えば、他人の祖父だな。わざわざ葬式に出てやるほどの関係じゃねえよ」
「なによ、それ……」
ティアが奥歯を噛むのがわかる。
手を振り上げた。
そして、ルーアの頬を平手で思い切り叩く。
「いっ!?」
頚椎まで痛くなるような、とてつもない勢いだった。
「おまっ……!」
「バカ!」
鋭く叫んで、背中を向ける。
追い掛けようとして、だが体が思うように動かずルーアは寝台から転げ落ちた。
振り返らずティアは部屋を出ていく。
乱暴な足音が響いた。
「あの女ぁ……!」
呻くと、ちょうど廊下にいたのか、ひょいとシーパルが部屋を覗き込んできた。
「……どうしたんですか?」
「……なんでもねえよ」
険悪に言うと、シーパルは少し後退った。
その背後には、デリフィスもいるようだ。
ルーアは舌打ちして、頭を掻いた。
「……悪ぃ」
シーパルに当たり散らしても、仕方ない。
ティアが立ち去った方を、指差した。
「追い掛けてくれ。あの勢いだとあいつ、外に出ていくぞ」
一人にさせるのは危険だった。
いつ何時『コミュニティ』の襲撃があるか、わかったものではない。
「えっと、それでは……」
水の補充をするつもりだったのだろう、ルーアの部屋の棚に水差しを置き、ティアを追うためにシーパルは廊下を走っていった。
デリフィスは、動かない。
「……なんだよ?」
デリフィスは、やや焦げたジャケットと寝台から転がり落ちたルーアを見比べ。
「阿呆」
と呟いた。
「……てめえ」
「貸し一つだ」
そう言って、シーパルと同じく棚に水差しを置いた。
廊下を駆け去っていく。
「くそっ!」
毒づいて、ルーアは寝台によじ登った。
デリフィスは、ドラウの葬式の間ルーアがなにをしていたか、この部屋でなにがあったか、大体悟っただろう。
だから、貸し一つ。
張られた頬が痛む。
他の痛みを忘れてしまうほどだ。
「あー、痛ぇ! ……くそっ。すっげえ肩と腰が入ってたぞ、あのビンタ……」
さすがは、格闘の専門家であるリンダ・オースターの娘というところか。
(怒らせたな……)
多分、眠気と体の痛みのせいだ、無駄に悪態をついた。
ティアは、本気で怒っただろう。
いつもは拳で殴り掛かってくるが、今回は平手打ちだった。
なんとなくそれが、本気で怒った証であるような気がする。
怒るのも無理はない。
なんであんなことを言ってしまったのか。
性根が捻れていることは、自覚している。
口が悪いことも。
それでも、あんなこと言うべきではなかった。
(て言うか、なんだよあいつ! いっつも偉そうに、俺の嘘はわかるって言うくせによ! だったら今回も、ちゃんと見抜けよな!)
ドラウが死去し、ティアもかなり動揺しているのだろう。
だから、ルーアの嘘がわからなかったのかもしれない。
(爺さんが、ただの他人な訳ねえだろ……)
世話になった。
大きすぎるものを与えてくれた。
ただの他人などというのは、嘘に決まっている。
そこではっと気付き、ルーアは身を起こした。
「うわ……マジかよ……」
呻いて、また寝台に倒れ伏す。
つまり、そういうことではないか。
ティアならいつも通り、嘘を見抜いてくれる。
それを期待して、悪態をついたということではないか。
「だせぇ……。マジ最悪だ……」
恥ずかし過ぎる。
棚にある二つの水差しは、逆向きに置かれていた。
羞恥から、ルーアは喚いて寝返りを打った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ルーアがドラウの葬式に出席しなかったのには、なにか理由があるはずだとシーパルは思っていた。
悲しみに暮れていたユファレートは気付かなかったようだが、かなり遠くだろう、微かな魔力の波動を感じた。
きっとルーアだろう。
なにかがあったのだ。
ルーアの部屋でなにがあったのかも、廊下まで響いた景気良い音と、彼の赤くなった頬を見れば見当がつく。
葬式に出ないルーアに、ティアが腹を立てている雰囲気はあった。
二人は、擦れ違ってしまったのだろう。
ちゃんとした理由があれば、ティアも平手打ちなんてしない。
おそらく、ルーアはきちんと説明をしなかった。
なぜ、しないのか。
捻くれているから。一言で済ますなら、そういうことだろう。
ティアも、それはわかっているはずだ。
そして、引っ叩く前にもっと考える。
なにか隠しているのではないか、と。
今回それができなかったのは、やはりドラウの死去が原因だろう。
気持ちの整理がついていないのだ。
互いに少し歩み寄り、少し素直になるだけで、簡単に回避できた擦れ違いである。
(まったく、あの二人は……)
ルーアとティア。
端から見ている限り、はっきり言って二人は相思相愛だった。
他のみんなも、そう思っているだろう。
気付いていないのは、肝心の当人たちくらいのものだ。
気付いたとしても、素直に認めることはないだろう。
ルーアは元々屈折しているところがあるし、割りと素直なティアは、ルーアに対してだけ素直さを失うことがある。
二人がいない時に、二人の関係のことが話題になったことがある。
温かい眼で見守るべきだというのが、シーパルの意見だった。
周囲の者が下手に口出しをすると、多分、かなりややこしいことになる。
ユファレートも、大体同じ意見だった。
ついでに、ちょっと面白がっていた。
テラントは、二人を見ると間怠っこくて苛々するらしい。
男と女としてやることやってしまえ、投げ遣りにそう言った。
デリフィスは、余り関心がないようだ。
それでも敢えて意見を出させると、恋人同士でも夫婦でもいい、さっさとくっつけ、とのことだった。
「……中途半端な距離でいるから、些細なことで擦れ違う」
外に出たティアを、捜している最中だった。
隣で走るデリフィスが、ぼそぼそと言う。
その通りなのかもしれない。
近くなったら近くなったで、見えなくなることが出てくるのだろうが。
とにかく、今はティアを捜すことが先決だった。
幸い地面は舗装されておらず、足跡がくっきりと残っている。
デリフィスに言わせると、歩幅からして間違いなくティアのものだという。
走ればすぐに追い付けるだろう。
村は暗くなっていた。
魔法の明かりを作りだし、先行させ足下を照らさせる。
村の西にある鍛冶場からは、絶えることなく金属を打つ音が聞こえていた。
夜になると、それは遠くまで響き渡るようになるのだ。
いつもは北西からの風に乗り、更に遠くまで運ばれる。
今日は、朝から無風だった。
人通りは少ない。
自分たちの足音、息遣い、鎚が打たれる音だけが耳に入る。
やがて。
「……いた」
村の広場の中央付近に立つ人影に、シーパルは呟いた。
デリフィスも気付いていただろう、頷く。
ティアは、地面を蹴っていた。
駆け寄ったシーパルが声を掛けると、ぱっと振り向く。
「なんなのよ!? なに、あの態度!?」
なんのためにシーパルたちが追ってきたのかは、わかっているのだろう。
唾が飛びそうな勢いで口を動かす。
「えーっとですね……」
いきなりそう言われても、やり取りを詳細に知らないため、なんともいえない。
廊下に飛び出してきた時と同じく、ティアは喰って掛かりそうな表情をしている。
「ルーアにも、きっと色々事情が……」
なんとか宥められないかと、無駄に手振りを交えて対話する。
「事情って!?」
「それは……うん……多分……」
「シーパル」
デリフィスが口を挟む。
それが警告のためだとは、口調の鋭さでわかる。
「後にしろ」
口調と同じく鋭い視線の先に、十人ほどの一団がいた。
手にするそれぞれの武器に、漂う腐敗臭。
乾いた唇を、シーパルは舐めた。
「……兵士」
『コミュニティ』の戦闘員たち。
今このタイミングで現れたということは、ルーアはやはり戦っていたのだろう。
少しずつ向かってくるが、まだ距離がある。
戦うことも逃げることもできるが、デリフィスは戦闘を選ぶはずだ。
兵士の何人かが、横に逸れる。
その先にいるのは、通りすがりの家族だろう、若い男女と幼い少女の姿。
通りには、村人たちの憩いの場であるらしい料亭。
人質に取ろうと考えているのだろうか。
ぐずぐずしていたら、村人たちが被害を受ける。
デリフィスは頭を振り、周囲を探っていた。
しばしして、兵士の一団だけを見据えた。
他に敵はいないということだ。
ヨゥロ族だけの感覚だろうか、シーパルは視野の外のことも感じ取れる。
どの方向に何人いるか、わかってしまうのだ。
その感覚でも、他の敵は見付からない。
デリフィスが駆け出す。
『コミュニティ』は敵であり、話し合いで戦闘を回避することなどできない。
すでに相手も武装しているのだ。
ティアもさすがに頭を切り替えたか、小剣を抜いてデリフィスに続いた。
デリフィスの剣が、前に出た兵士の体を斬り裂く。
他の兵士は、デリフィスに接近されるのを避けるように、左右に展開していた。
弓矢を構える者が多い。
「ファイアー・ボール!」
火球をシーパルは放った。
村が火事にならないよう、一定の時間後自動的に火が消えるようアレンジしてある。
火球が破裂し、二人が炎に呑まれた。
敵が散らばっているため、大勢をまとめて倒せない。
反り返った剣をかわし、ティアが兵士の腕に斬り付ける。
返した刃が、兵士の胸を裂いた。
そこでシーパルは、はっとした。
明かりが乏しいので気付くのに遅れたが、防寒着の下に兵士が着込んでいるのは、ホルン王国の軍服である。
「デリフィス、待ってください!」
声が届くよりも先に、デリフィスは腕を振っていた。
兵士の体が二つに断ち割られる。
広場を通っていた村人たちから、悲鳴が起きた。
兵士たちが着ているものが軍服だと、彼らも気付いたようだ。
別方向から来る集団をシーパルは見付けた。
規律ある前進。
訓練を受けているのは、明白だった。
おそらくは、巡回中であるアズスライ駐屯の軍隊。
(嵌められた……!)
既視感。
同じような手に引っ掛かったことがある。
あれは、南国ズターエの王都アスハレムのこと。
警官の格好に扮した兵士たちを倒したために、シーパルたちは警察に追われることになったのだ。
「デリフィス、ティア、逃げましょう!」
『コミュニティ』の手は、政府やあらゆる団体に伸びている。
アズスライの軍隊にも、少なからず潜り込んでいるだろう。
弁解が通用するとは思えない。
村人たちに、軍服を着た兵士たちを倒すところを見られてもいる。
デリフィスも、事態を把握したようだ。
宿に戻るのはまずい。
素性を知られてしまう。
デリフィスと二人でティアを引きずるようにして、東へと駆けた。
他の宿があったはずだ。
宿泊客たちには悪いが、囮として利用させてもらう。
時間稼ぎにはなるはずだ。
その間に、宿にいるテラントとユファレートとルーアが逃げてくれれば。
なんとか、彼らに危機を伝えられないか。
シーパルは、唇を噛んだ。
アスハレムの時よりも、ずっと状況が悪い。
アズスライは村であり、その分隠れられる場所が少ない。
土が剥き出しになっている地面には、シーパルたちの足跡がはっきりと残ってしまう。
アスハレムの時はティアの兄であるサンがいて、逃亡の手助けをしてくれた。
警官にはデリフィスの旧友がいて、協力してくれた。
お陰で、警官殺しが冤罪だと証明できたのだ。
(どうすれば……)
自分たちはともかく、宿に残された三人は、状況がわからないはずだ。
時間が経過すればするだけ、村の脱出は困難になる。
背後から、軍隊が兵士の死体にざわめく気配が伝わってきた。