その日は風がなく
ドラウ・パーター死去。
その情報を掴んだ時にクロイツがまずしたことは、椅子を引くことだった。
座り込み、瞑目する。
(……惜しいな)
恐ろしい男だった。
ストラーム・レイルのような、特別な天才ではない。
エスのような、特別な能力があった訳でもない。
だが、行動も思考も深かった。
常に先を見通していた。
クロイツはいつもドラウ・パーターに注意し、神経を遣っていた。
もし、彼にあと十年の寿命があったらと考えると、ぞっとする。
最大の敵の一人であったはずだ。
だが、死んだ。
『コミュニティ』にとっては朗報であるはずだが、クロイツは手放しで喜ぶ気にはならなかった。
ドラウ・パーターが死んだという意味を、本当に理解している者が、この世界に何人いることか。
世界と人類は、大きなものを失った。
誰かと語り合いたかった。
ソフィアでは駄目だろう。
彼女は、ドラウ・パーターのことをそこまで評価していなかった。
ストラーム・レイルとならば、今ならわかり合えるかもしれない。
互いの立場上、会うのは不可能だが。
立ち上がろうとして、やめた。
衝撃が余韻となって、まだ残っている。
ドラウ・パーターが死んだことで、ストラーム・レイルは独りきりになった。
部下を育てていることは知っている。
頼りにしているだろう。
部下の一人であるルーアが、仲間を作ってもいる。
いずれも、優秀な者ばかりだ。
だが、ドラウ・パーターはいない。
彼と比べると、余りに小さい。
実力的に問題があるのではない。
ただ、小さい。深さがない。
決戦の時まで、ストラーム・レイルはたった一人でライア・ネクタスを守り、『コミュニティ』と向かい合わなければならない。
それでも、あの男は退かないだろう。
揺るぎもしない。
だからこそ、長年『コミュニティ』の最大の敵でいられた。
(……私も、やるべきことはやらなくてはな)
『コミュニティ』最高幹部の一人クロイツとして、出すべき指示を出さなければならない。
接続した。
「ウェインよ」
『……あいよ』
「ドラウ・パーターが死んだ。君の出番だ」
ウェインの姿は見えない。
声だけが聞こえる。
ウェインにも、クロイツの姿は見えていないはずだ。
「ドラウ・パーターの遺体の、回収を頼む」
『あー……』
雑音が混ざった。
頭を強く掻いてでもいるのだろう。
『……やっぱ、アズスライで?』
「そうだ」
『ってことは……』
「ああ。彼は自身の死後、我々がどう動くか、完全に読み切っていた」
『おっそろしい……』
ウェインは、『百人部隊』を率いてドラウ・パーターに対する期間が長かった。
その怖さは、よくわかっていただろう。
『なんか、あれだけ立派だった爺さんを、兵士の材料なんかにするのは申し訳ないような気もするけどな』
「他にも、使い道はあるかもしれない」
(……兵士か)
動く死体のことを兵士と呼び、組織に定着させたのは、ソフィアだった。
クロイツは個人的に、『小さなルインクロード』と呼ぶことが多かった。
その『器』に必要なものは、人の死体。
『中身』として必要なのは、『天使』か『悪魔』の欠片、または魔法使いの肉片。
ドラウ・パーターほどの魔法使いの遺体ならば、純度の高い魔力が染み付いているはず。
『小さなルインクロード』を大量に生産できるはずだった。
ハウザードの修復が遅れた時の、替えの『器』としても使用できるだろう。
しばらく『中身』を押さえておけるだけの、強度はあるはずだ。
『……まあ、やれるだけやってみる』
ウェインの口調からは、無理だ、という響きがはっきりと感じられた。
ドラウ・パーターの遺体の周りには、六人いる。
五人はなかなかのものであり、いくらか劣るティア・オースターも捨てたものではない。
遺言により、近いうちに火葬される。
ウェインとしては、戦力的にも時間的にも厳しい指令だろう。
アズスライに潜伏させている組織の構成員たちは、一枚岩ではなく連携に不安がある。
ノエルが思い通りに動くことは、まずないだろう。
ドラウ・パーターの遺体回収は、どうしても必要なことではなかった。
優先させなければならないことは、他にいくらでもある。
だから、アズスライにそこまでの戦力は割けない。
地理的な問題もあった。
ホルン王国の隣国であるドニック王国で、少し派手なことをしたばかりである。
ホルン政府は、大いに『コミュニティ』を警戒しているところだった。
目立つだけの戦力は送れない。
「失敗しても、責めはしない。ウェイン、君の今回最も重要な役割は、ノエルを繋ぎ止めることにある」
ノエルに、もっと深く『コミュニティ』と関わって欲しい。
扱いづらいことこの上ない男だが、捨てるには余りにも惜しい。
『あー……ノエルね……あーっと……』
「……どうしたのかね?」
『いやぁ、あいつ……何日か前に、どっか行ったんだわ。はっは』
「……」
『さてと、そろそろ通信を切ってもらえるか?』
「ふむ?」
『集中したい。最初の難関かな? 赤くて黒いのが、眼付きを悪くして俺を待っていやがる』
「……そうか。健闘を祈るよ」
あっさりと、クロイツはウェインとの接続を切った。
最後の言葉を、ウェインは聞いていなかったかもしれない。
意識を鋭くさせているのが、伝わってきていた。
一人に戻り、クロイツは椅子に腰掛け直した。
(死んだか、ドラウ・パーター……)
火葬するようにと、遺言書にはあった。
他の方法で、肉体を消すこともできたはずだ。
わざわざアズスライまで旅をせずとも、事情を説明すれば、テラント・エセンツやデリフィス・デュラム、それにルーアならば、遺体を焼き払う。
だがそれをすれば、確実にユファレート・パーターの傷は深くなる。
アズスライは、ドラウ・パーターにとって第二の故郷ともいうべき所だった。
死ぬ前にもう一度見ておきたいと言い出しても、誰も不審には思わない。
アズスライで眠ることや、その地の風習である火葬で送られることを望んでも、特に不自然ではない。
つまりこれは、優しさなのだろう。
ユファレート・パーターの心の負担を減らすため。
祖父から孫娘へ送られる、最後の優しさ。
(敬意を表すべきかもしれないがね……)
喪に服してもいいくらいの気分だった。
(だが、私たちは敵だ。……そうだろう?)
ドラウ・パーターの死後も、ドラウ・パーターの敵として振る舞う。
捻れているかもしれないが、これもまた一つの敬意の形。
ドラウ・パーターの遺体の回収は、難しい。
だが、作戦の成否よりも、ドラウ・パーターがなにを想って死んだのかが気になった。
無念だっただろうか。
それとも、諦観しただろうか。
満足できる死なのか。
そして、託せる者を見付けられたのか。
◇◆◇◆◇◆◇◆
(まあ、無理だよなあ……)
クロイツからの依頼を聞いて、すぐにウェインはそう判断した。
余程の幸運に恵まれない限り、無理だ。
クロイツは、多忙だ。
『器』の修復以外にも、いくつもの仕事を抱えている。
エスを封じながらも、逆にエスの情報操作により妨害を受けているだろう。
つまり、いつもドラウ・パーターの動向を視ることができていた訳ではない。
情報には、かなりの遅れが出ているはずだ。
おそらくは、一日か二日。
火葬まで、猶予があってもあと数時間ではないだろうか。
もしかしたら、まさに今、ドラウ・パーターの遺体は焼かれようとしているのかもしれない。
そして、クロイツの決定的な勘違い。
アズスライで他の『コミュニティ』の構成員たちと合流し、その指揮を執っていると思っていたのだろうが。
ウェインたちはドラウ・パーターたち一行を追っていたのだから。
一行がアズスライに到着したのは、四日も前のことなのだから。
実は、ウェインはまだアズスライに到着してもいなかった。
全てはノエルのせいである。
ある日目覚めたら、唐突にいなくなっていたのである。
ドラウ・パーターの遺体回収よりも、ノエルに干渉することの方を、クロイツには求められていた。
だからウェインは、ドラウ・パーター追跡を中断し、ノエル探索を優先した。
どうせ、老魔法使いがアズスライを目指すのはわかっている。
数日ノエルを捜して、諦めた。
手掛かりとなりそうな痕跡一つ見付からないのである。
まあノエルのことだ。野性の獣に襲われようと山賊に囲まれようと平気だろう。
ドラウ・パーター追跡を再開し、数日が過ぎ、クロイツから連絡があったのは、アズスライまであと二時間といったところでのことだった。
アズスライの地形は、多少知っている。
『百人部隊』が百人纏まって行動することは余りなく、隊長という立場上、ウェインはあちこちを回らなければならなかった。
以前、アズスライを訪れたことがあったのである。
村の入り口は東にあり、背後は断崖絶壁と海、それ以外は崖に囲まれていて、通じる道は一本だけという、天然の要塞だった。
今のウェインの位置から、村の西側、奥の部分と海は見えた。
間もなく崖の淵であり、岩壁を削り作られた道を一時間ほど降って、アズスライに到着となる。
ドラウ・パーターの火葬までの時間は、ほとんどないと考えた方がいい。
村にいる『コミュニティ』の構成員たちを集め、作戦を練る暇などないだろう。
アズスライにいる構成員たちに、纏まりはない。
すなわち、指令を達成するためのやり方は、一つしかない。
単身突っ込み、腕利き六人を相手に立ち回り、ドラウ・パーターの遺体を奪い、抱えて退却する。
(無理無理)
といっても、確率が零でない限り、指令の放棄もできない。
崖の淵まで、あと二百メートルというところか。
その男に気付き、ウェインはクロイツとの通信を切った。
雪は降っていないが、真冬の間に積もった量はかなりのものであり、道の脇にどけられたそれは、三月の陽気で解け切ることはない。
白が目立つ風景の中で、その男はやや眼に付く。
鬱陶しくはないのか、ウェインと同じ赤い髪は、腰まである。
黒いジャケット。その上に着ていたであろう防寒着は、木の枝に掛けられていた。
崖の淵近くにある岩にもたれていたが、ウェインの姿に鋭い眼を向けてくる。
背中で押し、その反動で岩から離れる。
すでに、剣を抜きそうな雰囲気である。
(おいおい……)
色々聞きたい。
葬式には出なくていいのか。
今、ここをウェインが通ることを予想できていたのか。
ウェインが敵だと、認識しているのか。
疑問を感じながらも、歩く速度は落とさない。
普通の旅行者として振る舞い続ける限りは、襲い掛かることなどできないだろう。
「やっぱ、来たか……」
だが、男は言うと剣を抜いた。
「……誰かと勘違いしてませんかね?」
「このタイミングでこの村に来て、そんな場慣れした雰囲気で、ただの旅人です、か? 違ったら後で謝るけどよ。お前は、『コミュニティ』の一員。狙いは、ドラウ・パーターの遺体ってとこか」
「……」
見抜かれている。
(こりゃ、惚けても無駄かな……)
ただの旅人として無抵抗でいる間は、乱暴はできないだろう。
それでも、村まで付いてくるはずだ。
事は起こせなくなる。
観念して、ウェインは立ち止まった。
敵の戦力が分散されたということだ。
障害は増えたが、壁は薄くなった。
時間は、余計に掛かるだろう。
「……ったく。情報を得たのか? 勘が鋭すぎるのか?」
腰に提げた二本の小剣に手を伸ばす。
「俺は、ウェイン・ローシュ。よろしくな、ルーア」
鞘から小剣が抜き放たれる冴えた音が響いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ドラウの遺言により、遺体は火葬されることになった。
簡素に済ませるようにともあり、ティアたち以外に参列者はいない。
宿の主人にも火葬場の人たちにもドラウ・パーターという名は伏せさせているため、村人たちは、宿に宿泊していた旅人がただ死んだ、としか感じていないようだ。
宿の主人には、同情の視線も向けられている。
宿泊客が死んだ宿という響きは、聞こえが悪いからだろう。
宿の主人に、気にした様子はなかった。
いずれ、ドラウの死は知れ渡る。
『英雄』が最後を迎えた場所として、ちょっとした観光スポットになる、そんなことを考えているのだろう。
葬式に参列するという経験が、ティアには余りなかった。
礼服など持ち合わせてなく、またこの鍛冶が盛んな村に貸衣装店などなく、みんな普段着で参加することになった。
黒いローブ姿のユファレートだけが、唯一礼服を着ているように見えなくもない。
ユファレートは、泣いてばかりだ。
ハウザードに続き、ドラウまでも失った。
好きな人と唯一の家族を、立て続けに失ったのだ。
不幸な思いをしている人は世の中にたくさんいると知っているが、ユファレートだけが神様に嫌がらせをされているのではないかと思えた。
このままだと、ユファレートの心は壊れてしまうのではないか。
君がいてくれれば。
ドラウからは、そういうことを言われた。
他のみんなも、今のユファレートにどう接するか、ティアを見て決めているようなところがある。
長い付き合いになるが、正直どうすればいいのかティアにもわからなかった。
それくらい、ユファレートは弱りきっている。
ドラウの亡骸は、ざらざらとした質感の棺に入れられた。
木製ではなく、石かなにかでできているようだ。
そのまま火葬炉へ運ばれ、焼かれる。
骨だけが残るらしい。
ドラウの顔は、穏やかに見えた。
見るのは、これで最後になる。
ユファレートは、泣いていた。
ユファレートのこと、ドラウのこと、想うことは色々あるが、どうしてもティアには他に気になることがあった。
(……なにやってんのよ、あのバカは!?)
ルーアが、朝からいない。
ドラウの葬儀なのに。最後の別れなのに。
間もなく、ドラウの亡骸に火が付けられる。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「なんで、俺がここを通るとわかった?」
ウェインとかいう男からの問い掛けに、ルーアは観察しながら答えた。
「勘だよ」
「勘ねえ……」
「考えていたら、引っ掛かるものがあった。で、なんとなくここで張っていた。そしたら、お前が来た。そんだけだ」
半分ははったりで鎌を掛けてみたが、確かに場慣れしている雰囲気はあった。
ルーアと同じ赤毛の男は、相当に死線を潜ってきているだろう。
引き締まった体つきに、両手に小剣。
構えからして、両利きだろう。
隙は、まったくない。
「……なにに引っ掛かったのか、詳しく聞きたいね」
「……ストラームはな、俺に、ハウザードを破壊しろと指令を出した。この世から消滅させろってな」
ウェインが肩を揺らしたことで、ルーアは剣の先を少し上げた。
攻撃の予兆ではないかと感じたのだ。
ただ、寒さに反応しただけかもしれない。
「ハウザードは、死んだのか?」
「……ああ。死んだ」
「死体は、どうした?」
「……」
ウェインは、口の端を上げた。
野性的な笑み。
嫌な感じはしない。
「ドラウの爺さんは、なんでアズスライで死ぬことを選んだ? 第二の故郷らしいが、俺には、爺さんにとってそこまで特別な場所には見えなかった」
郷愁を抱いているようではなかった。
暮らしていた孤児院の跡地に行った時も、特別に寂しそうではなかった。
「爺さんは、火葬されるためにこの村に来たんじゃないかってな」
ルーアは、剣の先をウェインに向けた。
「お前……ドラウ・パーターの遺体に用があるんじゃねえのか?」
乾いた笑いを、ウェインは漏らした。
肩を竦める。
「お前、探偵やれよ。きっと喰っていけるぜ」
「……いや、そうでもねえよ。初めは、ほんとにただの勘だ。それに無理矢理にでも筋道つけて、もっともらしくしただけさ。で、試しにここで張ってみた。道は一本だからな。そして、お前が来た」
勘がまったく外れていても、『コミュニティ』が動く可能性は高かった。
ドラウの死は、こちらにとって大きな戦力低下なのだから。
その時は、やはりこの道を利用してくるはずだ。
すでに村の中に敵がいる可能性もあるが、ドラウの遺体とユファレートの周りには、他のみんながいる。
大抵の危機は、なんとかしてくれる。
「……それで、確実じゃない勘に従って、葬式に出ない、か?」
「……いいんだよ、それで」
「あん?」
「火葬場にいても、俺にはなにもできないからな……」
ユファレートのために、なにもできない。
「一緒に泣くことも、涙を止めることも……」
ハウザードが死んだ時も、思ったことだった。
「だから、俺はここだ……」
ブーツの底で擦られ、地面が少し鳴った。
「あいつがゆっくり泣く時間くらいは、作ってやる」
体の左側を前に。
剣を左手に持つルーアの、いつもの構えだった。
「こっから先は、通さねえ……」
「へっ……」
ウェインの構えは、腕の位置が低い。
防御よりも、攻撃を重視した構え。
「ぶっちゃけよう、ルーア。別に、お前らと絶対に戦う必要はない。ただな、お前らの資料を見た時に、お前とはやり合ってみたいと思った」
「……」
「お前、似てるからさ」
摺り足で前進してきた。
半歩分だけ。
「改めて自己紹介しとく。俺は、『コミュニティ』『百人部隊』隊長、ウェイン・ローシュ」
(……『百人部隊』?)
「好きな言葉は、『天命を待つのは人事を尽くしてからにしよう』。好きなタイプは、性格が可愛い女。一緒にいて飽きないからな」
途中から、その自己紹介とやらは聞き流していた。
『百人部隊』だと言った。
能力者だと主張しているも同然である。
自分の手の内を明かして、なんの得があるのか。
ソフィアの『邪眼』のように、絶対的な能力であり、自信があるということだろうか。
そして、隊長だと言った。
ウェインから眼を離さず、その背後にも注意を向ける。
他の者の姿は見えない。
「……あと九十九人は、どこにいる?」
「ここにはいない」
「……」
すでに村に潜入しているということだろうか。
みんなの腕は信用しているが、さすがに能力者九十九人を相手にするのは厳しいはず。
「集中しろよ」
ウェインが言った。
村がある背後にルーアが意識を向けたことに、気付いたのだろう。
「安心しろ。あいつらは、別の国にいる。ここにいる『百人部隊』は、正真正銘、俺だけだ」
「……一人で?」
「お前だって、今、一人じゃねえか」
「……」
ということは、この場は一対一となる。
どんな能力を持っているのかはわからないが、一人が相手ならば対処してみせる。
「……始める前に、お前は自己紹介しないのか?」
(……くだらねえ)
思ったが、なんとなく口を動かしていた。
「……ルーア。所属は、一応無し。嫌いな言葉は、『味見』。好きなタイプは、顔とスタイルと性格が良くて、家事万能で、経済力がある女」
「いねえよ、そんな女」
ウェインが、小剣の柄を握り締めた右手を上げる。
ルーアも、空の右手を上げた。
「フォトン・ブレイザー!」
互いに叫ぶ。
両者の中央で、光線と光線が衝突して破裂した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ぶつかり合った光が、弾ける。
(こいつ……!)
ルーアは、左に駆けながら手を振った。
「フレア・スティング!」
炎塊を、ウェインとの間に叩き込む。
巻き上がる炎と粉塵で、互いに視界が奪われたはずだ。
だが、魔法使いは魔力を感知できる。
放った相手の魔法で、位置を知れる。
「ファイアー・ボール!」
(きた!)
「ルーン・シールド!」
予想通りのウェインからの一撃を魔力障壁で受け止め、ルーアは斜めに走った。
最初の魔法のぶつかり合いで、ウェインの魔法使いとしての実力はわかった。
おそらく、ルーアとほぼ互角。
距離を取って魔法を撃ち合っても、勝つのは難しい。
自分と互角かそれ以上の実力がある魔法使い相手には、接近を試みる。
それが、ルーアの戦い方だった。
粉塵の中を、ウェインの側面に回り込むように移動する。
足音は、鍛治が盛んなアズスライから響き渡り続ける、鎚で鉄を叩く音があやふやにしてくれる。
「!?」
いきなり視界に飛び込んできたウェインの姿に、ルーアは眼を見開いた。
ウェインも、接近戦を考えていた。
そして、ルーアの動きを読んでいた。
小剣が振られる。
接近されすぎた。
武器の長さが違う。
小回りは、ウェインの方が利く。
右手の小剣を剣で払いのけるが、左手の小剣がルーアの脇腹をえぐるべく突き出されていた。
右手だけ剣の柄から離し、ウェインの左手首を押さえる。
ルーアは足を振り上げ、ウェインの腹を蹴り付けた。
反動を利用して、後退する。
ウェインは、咄嗟に後ろへ跳躍して蹴りの威力を殺したようだ。
たいして効いてはいないだろう。
右足の太股に、微かな痛みがあった。
小剣が掠めたようだ。
かすり傷であり、動きに支障が出るようなものではない。
前に出るふりをして、ルーアは右手を上げた。
電撃が生まれる。
ウェインが突き出した拳の先には、炎が。
「ヴォルト・アクス!」
「ブレイジング・ロー!」
電撃と炎が弾け、光に眼が痛くなる。
ルーアは左に跳んだ。
ウェインは右に。
剣を両手に持ち、前進する。
武器の違いは、得手不得手の差異でもある。
小回りと手数はウェインの方が上。
ルーアが勝るのは、武器の重量と長さの違いによる、一撃の重さと間合いの広さ。
剣を振り下ろす。
ウェインは、かわそうとしない。
元々届かない位置からの斬撃である。
ウェインの動きを見極めるための誘いだった。
剣が振り下ろされるのを待ってから、ウェインが足を前に出す。
それに合わせ、ルーアは剣を引いた。
左からくる。
見切り、ウェインの体の中心に突きを繰り出す。
かわしづらい胴突きであり、ウェインは両手の小剣を交差させ防御した。
更に、突きを放っていく。
じりじりと後退していくウェイン。
主導権を握った。
このまま押し切りたい。
だが、ウェインはそこまで甘くなかった。
突きに慣れたか、合間に反撃してくる。
ルーアの腕を狙った攻撃が多い。
巧みな剣捌きであり、徐々にリズムが崩されていく。
突きをかい潜り、ウェインが踏み出そうとした。
魔法を放つ仕草で牽制し、ルーアは後退した。
ウェインが、前に出る。
体重を乗せた横薙ぎの斬撃で、その前進を止めた。
鍔ぜり合いの状態になり、睨み合う。
(こいつ……接近戦でも……!)
間合いを外したのは、どちらからだったか。
今度は距離を保ち睨み合う。
(魔法使いとしても、剣士としても、俺とほぼ互角……)
似ている、と言われた。
こうして戦ってみると、よく理解できた。
やり合ってみたい、と言われた。
わからないでもない。
(こいつ、強い……。自画自賛になるかもしれんけど)
空気が張り詰める。
互いの微かな動作に、互いが反応する。
そして、ルーアは踏み出した。
戦い方は変わらない。
武器の重さと長さを活かす。
両手に持った剣を、力任せにウェインの小剣に叩き付ける。
全力の一撃であり、ウェインは受け止めるので精一杯だろう。
それで、反撃を封じることができる。
ルーアは、剣を振るった。
ウェインが、小剣を交差させて応じる。
体格でルーアよりも劣る訳ではないのだ。
力と力の勝負に乗ってきた。
剣と二本の小剣、鍛え上げられた鋼と鋼がぶつかり合い、火花を散らす。
何度も何度も。
(ここは、引かねえぞ、絶対に!)
譲れない。
似ている、と言われたせいかもしれない。
意地になっている。
リーザイ王国特殊部隊『バーダ』の同僚だった、ライアと実戦形式の試合をしていた時と同じ感覚だった。
ウェインも、引かないだろう。
同じような性能の者同士、弱気になった者、逃げ腰になった者が、相手の勢いに呑まれる。
何度目になるか、剣を小剣に叩き込む。
直後、瞬時に頭を切り替えた。
状況や展開に応じて、戦い方を変える。柔軟に。
ストラームやランディのような男たちが、訓練の相手だったのだ。
様々な戦い方が、体に染み付いている。
(引け!)
体に命じる前に、足は動いていた。
一歩半ほど引く。
押されたのではなく、自ら引いた。
意味がまったく違う。
ウェインがつんのめる。
ルーアは、右の掌を向けた。
「ガン・ウェイブ!」
至近距離から放った衝撃波が、ウェインを襲う。
金属が破壊されていく音。
金属だけが。
「なっ!?」
(かわした!? この至近距離を!?)
衝撃波を浴び粉々に砕けた小剣の破片は、ダイヤモンドダストのように見えなくもない。
日の光に砕片が輝くが、視界の中にウェインはいない。
跳ね上がる土、空気の流れ、そして勘。
それらで、ウェインを捜す。
(左……!)
体勢を低くしたウェイン。
腰溜めに固められた拳。
ルーアの腹を狙い、突き出される。
「ちぃっ……!」
かわしきれない。
覚悟を決めた。
一発は殴られてやる。
肋骨の二、三本はへし折られるかもしれないが。
体格はそこまで変わらない。
腹打ち一発で死ぬことはないだろう。
剣の柄を持つ左手に、力を込める。
殴られる代わりに、首を撥ね飛ばしてやる。
向かってくる拳。
腹筋を固める。
(……なんだ?)
それは一瞬の間のことなのだが、確かに悪寒がした。
剣と拳。
相打ちとなればどちらが勝つか、瞭然としている。
それなのに、ウェインに止まる様子はない。
この拳。
わからないが、なにかやばい。
咄嗟に体を捩る。
ウェインの拳が、耐刃ジャケットの表面を掠めていく。
「ふっ……!?」
それだけで、訳のわからない衝撃が体を貫く。
為す術もなく足が浮き、巨人にでも投げ飛ばされたのではないかというような勢いで、吹っ飛ばされる。
地面に叩き付けられ転がりながらも、ルーアはなんとか受け身を取っていた。
転がる途中で受け身を止め、代わりに腕を振る。
ウェインの追撃を阻むために、暴発に近い形で目茶苦茶に魔法を放つ。
十メートルは転がされたか。
跳ね起き、背後に跳躍して更に間合いを取る。
放った魔法に効果があったか、ウェインは立ち止まっていた。
(なんだ……?)
ウェインは、空手になっていた。
ルーアの腹を掠めたのは、間違いなく拳だった。
背中まで痺れる感覚があり、片膝を付く。
「そうか……」
ウェインは、『百人部隊』の隊長だと言った。
能力者ということである。
どれだけ効いたか見定めるような眼で、ウェインが斜に構える。
「気付いたか? 今のが、俺の能力。特に名前はないがな。名前を付けるほどの能力ではないってな」
「なに言ってんだ……」
掌で地面を押し、立ち上がる。
腹が、まだ痛んだ。
おそらくウェインの力は、魔力のような何かを拳に込める能力。
そして、触れたものに衝撃を与える。
(掠っただけで、この威力か……)
まともに当たれば、体が千切れる。
(なんて凶悪な能力だよ……)
剣を構え直す。
そして、ルーアは苦笑した。
(馬鹿か、俺は)
今、手にしている物はなんだ。
この鋼の塊は、掠っただけで肌を裂き、まともに当たれば肉も骨も断つ。
凶悪さでは、ウェインの能力に引けを取らない。
「ルーン・エンチャント」
魔力を帯び、剣身が淡く輝く。
「……そっちにも気付いたか」
ウェインが、拳を上げる。
「なにかを、拳に込められる。つまらない能力で、そのなにかを解析する気にもならない。クロイツの言葉だ。能力名も付けられていない。絶対でも特別でもない能力だ」
「……」
なぜ、『百人部隊』の隊長であることを隠さなかったか。
能力の解説をしたか。
隠す意味が、余りないからだろう。
少し見られただけで、理解されてしまう能力。
その能力がなくても、人は殴り殺せる。
小剣があれば、尚更確実だろう。
「中途半端なんだよ、俺は……」
ウェインが笑う。
微笑とも苦笑とも取れる、中途半端な笑い。
「剣でも魔法でも、敵わない相手がいる。能力者としても、例えばソフィアとかは、俺よりもずっと上だ。総合力でもな。なにもかも中途半端。それが俺だ」
「……そうかよ」
似ている。
テラントやデリフィスがいる。
シーパルやユファレートがいる。
剣だけ、魔法だけでは、彼らには届かない。
剣も魔法も上の者として、ストラームがいる。
化け物の力は、制御できない。
つまり、得たとしても実戦では使えない。
なにもかも、中途半端。
互いに、中途半端。
だからこそ、譲りたくない。
「ル・ク・ウィスプ!」
放ち合った無数の光弾と光弾が、引かれ合うようにして衝突する。
衝突を避けたいくつかの光弾が、体の近くを通っていく。
前に出る。
ウェインも、前に。
喉から声が漏れた。
雄叫びに変わる。
間合いの広さと一撃の重さ。
勝るものは変わらない。
両手に持った魔力を帯びた剣を、ウェインに叩き付ける。
両の拳を剣身に叩き込むようにして受け止めるウェイン。
互いに、後方へ弾かれる。
(引くな!)
地面を後ろ足で突き刺すようにして蹴り、前に出る。
体を捩り、全力で斬撃を放つ。
拳とぶつかる。
(下がるな!)
意地になれ。
剣を振るう。
ウェインは、拳を振るう。
剣と拳ではなく、巨大な鎚と鎚が正面衝突しているかのような衝撃音が響く。
何度でも剣を振る。
今度は、フェイントはない。
意地でも正面から捩じ伏せる。
何度目の衝突か、軽く十は超えたか。
踏み出し、体重を乗せ、剣を横に振る。
両の拳が受け止める。轟音。
譲るつもりはなかった。
だが、雪溜まりを踏んだ。
足が滑り、体勢が崩れる。
反射的に右手を剣の柄から離し、バランスを取る。
ウェインは、見逃さない。
右手で剣を払いのけ、左の拳を打ち込んでくる。
必殺の拳。
咄嗟に魔法を組み立てた。
右の掌の先に炎が生まれ、渦巻く。
「フレア……!」
ウェインの左拳に、炎を叩き込む。
力と力が破裂して、ルーアは後方に弾き飛ばされた。
地面を転がり、岩に叩き付けられる。
体のあちこちを焦がしながら、ルーアは身を起こした。
血の味がする唾を吐き捨てる。
ウェインも、似たような状態で木の袂にいた。
共に立ち上がる。
それぞれの武器を構え、対峙した。
じりじりと距離を詰めていく。
剣よりも、魔法が有効な間合い。
だが、同じ程度の実力がある魔法使いに、遠距離の魔法は決定打になりにくい。
魔法で牽制し、また接近戦に持ち込む。
いきなり、ウェインが構えから力を抜いた。
「残念ながら、ここまでだな」
「……あん?」
「五秒やる。村の方、見てみろよ」
「……」
戦ううちに立ち位置が変わり、村は左手の方になっていた。
警戒しつつも、言われるがままに村へ眼をやる。
煙が見えた。
「あの建物って、火葬場だよな?」
「……」
ドラウの遺体が、今、焼かれている。
「俺は、依頼を達成できなかった。だから今回は、俺の負けだ」
ドラウ・パーターの遺体回収が、ウェインの目的だった。
それが不可能であるとはっきりした今、これ以上争う必要はない。
ウェインには。
「ふざけんなよ……くそっ……」
五秒は、とっくに経過しただろう。
煙を見たまま、ルーアは呟いた。
「そんなの、勝ち逃げじゃねえか……」
「……いや。俺の負けだと……」
「てめえじゃねえよ、ボケ」
ウェインへと向き直り、ルーアは深く溜息をついた。
ウェインは、少しずつ後退している。
逃げようとしている。
「『百人部隊』隊長ウェイン・ローシュ、だったか? 実は俺は、お前のことをよく知っている」
「……ん?」
「実はお前は、まだ全然本気を出していない」
「……」
ルーアの言葉に、ウェインは怪訝な表情をした。
じりじりと後退は続けている。
「本気のお前は、そりゃあ強くて……。そう、ドラウ・パーターを捩じ伏せられるくらい強い」
苦笑して、ルーアは後ろ頭を掻いた。
「そんな訳……ないか……」
「……」
不理解の色を表情に浮かべたまま、ウェインは後退していく。
ルーアは、剣を放り捨てた。
ウェインの眼付きが変わる。
ルーアという個人が、『コミュニティ』という巨大な組織にとって、どれほどの脅威であるか。
一人の力で行ったことではないが、いくつかの魂胆を潰してきた。
倒せる時に倒しておきたい、殺せる時に殺しておきたい、捕らえられるなら捕らえておきたい。
その程度には、脅威なのではないか。
そして、剣と魔法を駆使することにより、ウェインとはなんとか互角の戦いができていた。
ルーアが剣を捨てた今は、ウェインにとっては好機となる。
魔法使いであり剣士であり能力者である赤毛の男は、後退をやめた。
ルーアは静かに腕を上げ、ウェインに向けた。
武器は、魔法のみ。
一撃を防ぐかかわすかし、接近する。
ウェインは、それを狙っているだろう。
剣がない今、接近されたらルーアの負けだった。
理解した上で、魔法で攻撃する。
必殺に近い魔法があることを、知っている。
実現が難しいそれを、積み重ねた鍛練の日々で手にした男を知っている。
彼の、真似をする。
ウェインが、前傾姿勢となった。
くる。
その前にある、一瞬だけの空白の時間に。
ルーアは一瞬で魔力を引き出し、一瞬で魔法を構成し、一瞬で撃ち放っていた。
光球が着弾し、ウェインが転倒する。
跳ね起きるが、右肩に穴ができていた。
驚愕の表情。
だが、負傷した事実に、ウェインの行動は速かった。
すぐに身を翻し、道の脇にある林へと駆け込んでいく。
追うことはできなかった。
慣れない魔法の使い方に、短時間に無理な運動をした時のように疲れきっている。
遠ざかる気配。
やがて、それを感じなくなった。
「……逃げたか」
さすがに見切りがいい。
ルーアはその場に座り込み、体ごと村へと向けた。
火葬場の煙突から立ち昇る煙。
「……ったく」
ルーアは、また溜息をついた。
「……あんた、『世界最高の魔法使い』なんだろ? だったら、死くらい軽く超越してくれよ……」
我ながら目茶苦茶だと思えることを呟きながら、煙を眺める。
気が抜けたのか、体のあちこちが痛んだ。
「勝ち逃げじゃねえか……」
ドラウには、訓練の時まるで敵わなかった。
ウェインに放った最後の一撃についても、そうだ。
ウェインは、着弾する前にわずかに身をよじらせた。
ドラウ・パーターならば、もっと速かった。
よけようという動作さえさせなかったはずだ。
狙ったのは、胸の中心だった。
だが、肩に当たった。
ドラウ・パーターならば、もっと正確なはずだ。
確実に、胸の中心を撃ち抜いていた。
肩に穴が空いただけだった。
ドラウ・パーターならば、もっと強い威力で放っている。
当たったのが肩だったら、腕が千切れてしまうほどに。
ドラウ・パーターが相手だったならば、ウェインは死んでいた。
「俺は、まだ全然だ……」
ドラウ・パーターに、遠く及ばない。
そして、これからも届かない。
負けたまま、今後勝つことはできない。
ドラウは、死んでしまったのだから。
死者は生者の中で、美化されていく。
輝いていく。
ランディが、ルーアの中で最高の剣士であるように。
「あんたに負けたのが……最後だ……」
その日は風が無く、煙は一筋の線となり、真っ直ぐに空へと昇っていく。
「もう……誰にも負けねえよ……」
それは、おそらく意味の無い誓い。
ルーアは、ストラームでもザイアムでもないのだから。
戦い続けていけば、負けることもあるだろう。
死ぬことだって、あるかもしれない。
守られない誓いに、如何ほどの意味があるのか。
それでも、誓った。
一筋となった煙を、なんとなく指でなぞっていく。
煙は、空で雲と一つになっていく。
ドラウへ捧げる勝利などとうそぶくつもりはない。
そして、その行動に意味などない。意味などないが。
煙が混ざっていった雲に、ルーアは指先を向けた。