人の魔法と化け物の力
「人間、体が資本だと思うのよ」
「……まあ、それはそうだな」
胸を張るティアに、ルーアは半眼になりながらも同意した。
「それはすなわち、健康が大事であるということ。そして健康のためには、規則正しい生活と、バランス良い食事が必要になるわ」
「……まあ、それも認めよう」
ティアが、ユファレートとドラウの心配をしているのは、わかっていた。
ルーアたちが、国境を越えてドニック王国からホルン王国へ戻ったのは、しばらく前のことである。
年明けに越境した時はかなり入国審査に時間を取られたが、今回はすんなりといった。
ドラウの知名度の高さによるものらしい。
そのまま西へ旅を続け、現在ルーアたちは、ホルン王国王都ヘザトカロスに滞在していた。
オースター孤児院のあるロウズの村の近くを通ったが、ドラウは寄ろうとはしなかった。
ティアの養母であるリンダ・オースターとドラウは、旧くからの友人であるはずだ。
『会わなくていいのか?』
ドラウと二人になった時に、聞いた。
『彼女とは、別れの挨拶を済ませてある』
それが、ドラウの返答だった。
理由は定かではないが、オースター孤児院は『コミュニティ』の攻撃対象から外されている。
自分が訪れることで、また襲われことになるかもしれない。
ドラウは、そんなことを考えたのだろう。
ヘザトカロスは、混雑した街だった。
ホルン王国北部に都市は少なく、そのためこの街に、全てが集まっているという感じだった。
立ち寄る旅行者も多く、なかなか空いている宿がなかった。
ようやく見付けた宿は、かなり粗末なものだった。
ドラウ・パーターの名前を使えば、宿くらいすぐに見付かるだろ。
ルーアのその提案は、ドラウに受け入れられなかった。
国境を越えるために利用するのは良くても、宿を捜すのに利用するのは駄目らしい。
その辺りの感覚が、ルーアにはよく理解できなかった。
他の旅行者や宿主に迷惑だから、ということだった。
目的地は『火の村』アズスライにあるが、この街で旅は滞った。
ユファレートとドラウが体調を崩したのである。
無理もない。
ハウザードのことは、余りにも辛いことだっただろう。
二人とも、度々食事を抜く。
特にドラウは、一日一食くらいしか口にしようとしない。
他のみんなにはまだ知らせていないようだが、ドラウは病を患っていた。
残されたわずかな時間が、更に短いものになるのではないかと、さすがに心配になる。
ティアの口上は続いていた。
「ユファもドラウさんも、もっと食事を採って体力を付けるべきだと思うの。風邪がこれ以上長引かないように」
「…………まあ」
「といっても、二人とも病気で余り食欲がないだろうから。だからあたしが、二人のために病人食を作ることにしたの」
「……お前は二人にとどめを刺すつもりか?」
「大丈夫。ちゃんとルーアに味見をしてもらうから」
「……お前は病人を三人にするつもりか?」
げんなりしながら、ルーアは周囲を見回した。
余り清潔とはいえない台所である。
この宿は、別宅にいる宿主に金を先払いし、部屋を借りるという方式だった。
食事などは出ないが、台所は使用できた。
できれば、『ティア・オースター使用禁止』と制限を付けて欲しかったが。
「病人食といえば、なにが思い浮かぶ、ルーア?」
ティアの少し高い声に、視線を引き戻される。
なぜ自信に満ちた表情で、眼を輝かせているのか。
きっと、実に好対照な表情をルーアはしているのだろう。
「病人食……」
いくつか思い付くものを、全て頭から追いやる。
「水」
「水て」
「いや、水だ。だからお前は、水をコップに注いで二人に持っていけ。それ以外のことは一切するな」
「色々おかしい!」
調理場のお前にだけは言われたくない。
「病人食といえば、代表的なものとして、まずお粥!」
「あー……」
「だからこれから、お粥を作ります!」
「うー……」
「まず材料から!」
「えー……」
適当に相槌のようなものを打ちながら、どうすればこの状況から逃げられるかをルーアは考えていた。
普通に逃亡しようとしても、テラントとデリフィスとシーパルに妨害される。
「お米!」
米が詰まっているらしい袋を、どんとテーブルに置く。
「水!」
小さな水瓶を、がちゃんとテーブルに置く。
「塩!」
タバスコが入った赤い容器を。
「待てぃ!」
テーブルに叩き付けられる前に、堪らずティアの手首を掴む。
「塩っ!? 塩ぉっ!? この段階ですでにおかしい!」
「え?」
「赤い! 容器も中身もすごく赤い! せめて砂糖と間違えろ! 同じ白だから、まだ納得いくわ!」
「でも、黒砂糖は黒いし……」
「確かに黒砂糖は黒いが! そこで黒砂糖が出てくるお前の思考回路が理解できんし、塩とタバスコを間違える理由には全然ならんし、もうどうしろというんだこの女はぁぁ!」
叫び疲れて、ルーアはうなだれた。
荒れた息を整えながら、自分に言い聞かせる。
(落ち着け……落ち着かねえと、見えるものも見えなくなるぞ……)
初っ端から度肝を抜かされたが、それでも止めたのだ。
これを繰り返していけば、当然最後に残るのは正解への道だけである。
全ての間違いを正せば、助かることができる。
(……できるのか、俺に……?)
不安になる。
以前、ルシタという女性と知り合った。
テラントの元部下でありラグマ王国の副将軍だった、キュイの妻である。
主婦としての技能を極めた女性だった。
その彼女でも、ティアは止められなかったのである。
(……いや! 弱気になるな!)
ルシタは女性であるため、力尽くでティアを止めることはできなかったはずだ。
ルーアにはそれができる。
顔を上げた。
「やってやる……!」
集中しろ。
どんな些細なミスも見落とすな。
「オースター!」
「うわっ!? びっくりしたぁ……」
「いくらでもきやがれ! 俺が絶対守ってやる! 俺を!」
気合いを入れるため、両の頬を張る。
「……なんかすごく力入ってるけど……えと、続けるね?」
「おう!」
「材料はこんなもんで……」
ティアは棚を開き、鍋を取り出した。
次は調理道具か。
必ず、止めてみせる。
「時間の都合とかあるから、あらかじめ作っておいた出来上がりをここに準備してあるんだけど」
(そうきたかぁぁぁ……!)
ルーアは両膝に手を付き、再びうなだれた。
すでに調理済みでは、止めようがない。
「いや待ておかしい! 時間の都合ってなんだ!?」
「え? だって他のお客さんが台所使うかもしれないし」
「……ああ……そういう……いや、だったら材料のくだり、丸々いらんだろっ!?」
「そこはまあ、ノリというか」
「ノリ!?」
「まあとにかく……」
ティアが、鍋の蓋を開く。
「じゃーん!」
「いやそんな誕生日プレゼントを披露するような声を出されてもな……青い!」
ティアが粥だと主張するそれには、米の白さもタバスコの赤さもなく、ただただ青かった。
「材料はなんだ!?」
「え……だから、お米と水と塩と……」
「それで青くはならん!」
「と、とにかく味見をしてよ!」
「嫌だ!」
「大丈夫よ! 今回は自信があるから! うっ!? 絶対おいし……けほっ! 絶対おいしいから! けほっ! げほっ! ふぐっ!?」
発生した気体を吸ってしまったらしい。
涙ぐみ咳き込みながら言われても、全然説得力がない。
ティアが苦しむ間に、ルーアはそろそろと廊下への扉へと向かった。
気付いたティアが、声を上げる。
「なんで逃げるのよ!?」
「食べたくないからだ!」
「そんな! せっかく作ったのに! 母さん悲しいわ!」
「誰が母さんだ、誰が!」
ドアノブを回し、詰め寄ってきたティアに押し出されるように廊下へと出て。
(……おっと)
騒ぎ過ぎたかもしれない。
様子でも見にきたのか、扉のすぐ近くに他の客らしい者たちがいた。
二人である。
二十代半ばくらいであろう男と、それに背負われている子供。
男の方は、眼付きも向けてくる視線も雰囲気も、かなり刺々しい。外見上際立った特徴はないが、意図的に消しているように感じられた。
廊下に出ようとするティアを、ルーアは腕で遮った。
立ち姿だけでわかる。
この男は、少しまともではない。
子供を背負いながらも、さりげなく戦闘のための姿勢になっている。
余り関わらない方がいい手合いの者である。
まず、なんらかの訓練を受けているだろう。
おそらくは、人を壊し、殺す訓練。
そして、殺すことに慣れている。
「……あ、ああ、すみません。なんかばたばた騒がしくして。迷惑掛けました」
警戒心を持たれぬように愛想笑いをし、ルーアは男が背負う子供へと眼をやった。
(……ん?)
訝しく思う。
少年の格好をしているが、少女であるようだ。
それも、極普通の。
十歳くらいだろう。
血生臭い雰囲気の男とこの少女では、不自然な組み合わせに思えた。
親子、兄妹、友達、仲間、恋人。
どれも当て嵌まらないような気がする。
少女を観察していると、ティアが後ろで呟いた。
「……ロリコン」
「ぅおいっ!?」
つい、声を上げてしまう。
男たちに愛想笑いを向けてから、ルーアはティアを台所に押し戻した。
「なんでだよ!?」
「だって……なんかあの子に見惚れてたし」
「見惚れてねえよ!」
「どうかなぁ? これまでも前科あるし。リィルとかー、ユリマとかー、マーレにペペにキャリーに……」
「前科なんかねえよ! 誤解を招くおかしな言い掛かりはやめろ!」
上げられた名前のうち、三人は多分オースター孤児院で暮らすティアの妹たちだろうが、顔と名前が一致しない。
まさに言い掛かりである。
「だから、まあ」
ティアは、スプーンで青いのを掬った。
「味見を」
『だから』の使い方がおかしい。
逃げようとすると、服の裾を掴まれた。
こういう時のティアは、なぜか異様に素早い。
ついでに、力強い。
振り解くことができなかった。
ティアの腕を両手で掴み、なんとかスプーンの接近を防ぐ。
「だいたいなんで、いつもいつもお前は俺に味見させようとするんだ!? 他の奴でもいいだろ!?」
「……へ?」
不意を衝かれたように、ティアの動きが止まる。
「えっと……それは……その……」
なぜか急に、赤面しだした。
「やっぱり、まずルーアに食べてもらいたいというか……えと……」
毒物突き付けておいて、もじもじすんな。
「と、とにかく食べてよ! 今回は大丈夫だから! あたしだって日々成長してるんだから!」
「そうは思えん!」
「あ。成長といえば」
いきなり、テンションを変える。
「ユファね、まだおっきくなってるって」
「……あん?」
「一つ上のサイズに、買い替えなきゃいけないみたい」
「……ほ、ほほぅ」
「成長しない奴め」
隙ができた、のだろう。
口にスプーンを捩込まれる。
「!?」
嵌められた。
一年くらい前にも、似たような手に引っ掛かったような。
ともかくルーアは、口を押さえた。
米粒が、口の中で暴れている。
吐き捨てようとするが、勝手に食道へ入り体内を降っていく。
不快感に、ルーアはうずくまった。
「ど、どうかな? おいしい?」
ティアがしゃがみ込み、顔を覗いてくる。
「どうもなにも、旨い訳あるか! こんなまずい物を……あれ?」
確かにまずい。ついでになんか臭い。
だが、これまでよりは随分ましなような。
「もしかして!」
ティアが眼を輝かせる。
「おいしかった!?」
「いや、それはない。まずい。すごくまずい。……だけどまあ、すごく頑張れば、食べられなくもない……か?」
「じゃあ、おいしかったのね!」
「……待て。今の俺の台詞をどう解釈したら、おいしいことになる?」
「これならユファもドラウさんも食べられるはず! 早速持っていくわ!」
「いやいや、病人にはさすがに……」
鍋を手にするティアを止めようとして、だがルーアは再びうずくまった。
「おおおおお……!?」
便意とは異なる強烈な腹痛が、突然ルーアを襲った。
胃の中で、米粒が暴れ回っている。
(時間差で来やがったぁぁ……!)
ばたばたと、鍋を抱えたティアが台所を飛び出していく。
このままだと、ユファレートとドラウの二人が殺されてしまう。
だが、追い掛けようにも立ち上がることができない。
(……すまん……爺さん……ユファレート……!)
どんがらがっしゃん、と音が響いた。
ルーアが廊下まで這い出ると、浮かれて足が縺れたのか、階段の途中ですっころんでいるティアの姿が見えた。
鍋の中身も、全てぶちまかれている。
からころ、と鍋の蓋が転がる音が、虚しく響いた。
こうしてユファレートとドラウは助かった。
だが、青い物が付着した廊下や階段の床や壁の清掃には、丸二日が必要となったことを明記しておく。
「おおおおお……!?」
便意とは異なる強烈な腹痛が、突然ルーアを襲った。
胃の中で、米粒が暴れ回っている。
(時間差で来やがったぁぁ……!)
ばたばたと、鍋を抱えたティアが台所を飛び出していく。
このままだと、ユファレートとドラウの二人が殺されてしまう。
だが、追い掛けようにも立ち上がることができない。
(……すまん……爺さん……ユファレート……!)
どんがらがっしゃん、と音が響いた。
ルーアが廊下まで這い出ると、浮かれて足が縺れたのか、階段の途中ですっころんでいるティアの姿が見えた。
鍋の中身も、全てぶちまかれている。
からころ、と鍋の蓋が転がる音が、虚しく響いた。
こうしてユファレートとドラウは助かった。
だが、青い物が付着した廊下や階段の床や壁の清掃には、丸二日が必要となったことを明記しておく。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ドラウの最後の旅は、西へと続く。
ヘザトカロスで数日足止めを喰らったが、それ以外は順調な旅だった。
ドラウは、楽しかった。
七人である。
これだけの人数で旅をするのは、久しぶりのことだった。
激しく生きてきた。
なにしろ、あのストラームに付いていかなければならなかったのだから。
多くの者と別れ、失ってきた。
ドラウたちの激しさに、付いていける者は稀だった。
ヘザトカロスを西に出てからは、徒歩である。
道が荒れているため、馬車は使えない。
意図的に、政府が整備していないのだ。
かなり昔の話になるが、王都ヘザトカロス近郊までドニック王国の軍に攻め込まれた過去が、ホルン王国にはあった。
後に『火の村』と呼ばれることになるアズスライが誕生したのは、その戦いが終わってからである。
鍛冶が盛んな村であるが、製造しているのは主に刀剣や鎧の類いだった。
つまり、戦争の道具である。
王都ヘザトカロスが前線になった場合でも、武器や防具の補充ができるように作られた、いわば後方支援の村だった。
敵軍に回り込まれて占拠されてはまずいと、村はかなり攻めにくい所に作られた。
崖にあり、背後は海。
道は一本しかなく、細い。
まるで天然の要塞であるかのような村だった。
現在はホルン王国がドニック王国に進攻することが多く、ヘザトカロスが危機に陥ることは考えにくいが、アズスライまでの道が悪路なのは当時のままである。
道は険しいが、そこまで苦にはならなかった。
若かりし頃より、歩き慣れている。
それこそ、世界中を歩き回った。
ユファレートはきつそうだったが、ドラウにはまだ余裕がある。
他の者を観察するだけのゆとりがあった。
人を見るのは楽しい。
それぞれに個性がある。
風景や街などを眺めるよりも、ドラウは人の動きや表情を見る方が好きだった。
歩き方にも個性がある。
テラントとデリフィスは常に先頭を歩くし、シーパルは二人の前に出ようとはしない。
ユファレートは、シーパルから少し遅れた位置にいることが多い。
ルーアは最後方から、全体を見ている。
ティアは、他の五人の間を行ったり来たりしていた。
六人の個性が合わさり、一つの集団として陣形となっている。
それが、なんだかちょっとおかしかったりする。
眠る姿にも、個性があった。
ユファレートの寝息は、静かだった。
いつも右肩が下になるのは、昔からである。
杖を抱いたまま寝ることも多い。
六人で最も早寝早起きなのは、シーパルだった。
寝相はかなり良く、手足を真っ直ぐ伸ばした姿勢から、ほとんど動かない。
テラントの眠りは、浅いようだ。
微かな絹擦れの音にも、反応しているようである。
デリフィスは、座ったまま眠ることがあった。
不測の事態が起きた時に、素早く対応できるようにだろう。
立った姿勢で木にもたれ眠ることもある。
ティアは、とにかく寝相が悪い。
寝た時と起きた時では、頭と足の位置が反対になっている。
寝言を、たまに口にする。
彼女の沽券に関わる、恥ずかしい内容のこともある。
ルーアは、余りちゃんと眠っていないようだ。
夜襲などを警戒しているのだろう。
朝早いシーパルが目覚めてから、本格的に眠る。
そのため、起きるのは最も遅い。
それをティアに責められたりするのだが、本人は至って平然と聞き流していた。
全ての者に、個性がある。
当たり前のことだが、新しいものを発見した気分になる。
アズスライまであと半日という所で、野宿をすることになった。
山の中であり、ヨゥロ族のシーパルが慣れた様子で場所を決める。
野生の獣に襲われにくく、風雨を凌げて、いざという時にすぐ移動できるという条件で選んでいるようだ。
みな、野宿など手慣れていた。
ユファレートもである。
彼らと旅に出てドラウが最初に驚いたのは、孫が冷たい地面の上でも平気で眠れるようになっていたことだった。
しばらく見ないうちに、随分変わったものである。
夜になると、旅の疲れがあるのか全員すぐに横になった。
たまにテラントやデリフィスが起きて、焚火に枯れ枝などを足している。
この季節、火を失えば簡単に凍死する。
音がして、ドラウは眼を覚ました。
空気が、余韻を持って震えている。
それが魔法によるものだと、ドラウにはわかる。
音と魔力に反応してか、シーパルも遅れて目覚める。
ユファレートも、起きかけていた。
テラントが寝転がったまま、またか、と呟いた。
ティアは、熟睡して目覚める気配がない。
シーパルが立ち上がりかけたところを、ドラウは制止した。
「僕がいこう」
見ていたのだろう、ある方向に、デリフィスが無言で視線を送る。
ドラウは、頷き立ち上がった。
音の発生源である彼は、その方向にいる。
(まったく……)
苦笑しながら、ドラウは夜の山中を進んでいった。
木が少ない山である。
明かりさえあれば、そこまで歩くのに苦労しない。
暖気の魔法で身を包み、足下を杖の先に点した明かりで照らし、ドラウは進んでいった。
(……まるで、若い頃の僕だな)
魔法を放ったのは、ルーアだった。
威力だけを重視し、制御を無視した一発。
力を求めての一撃。
それを、空に放ったのだ。
なんのためかというかと、ストレス解消である。
週に一回くらい、ルーアはそれをする。
他の者たちに聞いたところ、ドニック王国に来るまではなかったことだという。
きっかけは、おそらくクロイツだろう。
(君の気持ちは、わかるよ……)
彼は、ストラームの指導を受けてきたのだから。
そして、ザイアムとソフィアとクロイツのことを知った。
超人たちのせいで、自分の小ささを知ってしまう。
ドラウも、同じだった。
隣にストラームがいて、敵にはクロイツやソフィアがいた。
ルーアは、才能に恵まれている方だろう。
だが、特別というほどのものではない。
かなりの戦闘能力を持っているが、それは血の滲む鍛練で得たものといえる。
周囲の者は、容易く天才などと口にするかもしれないが。
実際に、天才の領域にいるかもしれない。
だがあくまでも、人間的な位置である。
現在のルーアの力では、グリア・モートは倒せても、クロイツには届かなかった。
これまでも、何度か超人の壁にぶつかっただろう。
だから、苛立つ。
地道な基礎の反復を、ルーアには課した。
それが必要なことであると、彼は理解している。
それだけでは、超人たちには届かないということも。
故に、求めてしまう。
威力を。絶大なる力を。
(本当に、似ている……)
多くの者を失った。
そのたびに、自分の非力さを嘆いた。
苛立ち、力を求めた。
それが、届かないと知りながらも。
拓けた場所に出た。
ルーアは、空を眺めぼんやりとしていた。
日々の鬱積を一撃にして吐き出したのだろう。
ドラウに気付き向けてくる表情に、苛立ちなどは感じない。
「……ああ、起こしちまったか。すみません」
「余り感心できる魔法の使い方じゃないね」
「まあ、あんたに教わっていることの真逆だからな」
ルーアには、基礎の大切さ、制御力の重要さを説いてきた。
「……これから、馬鹿なことを言うけど、聞いてくれるか?」
「どうぞ」
ルーアは、顔を横に向けた。
白い吐息が、夜陰に輝いて見えた。
「あんたの教えは正しい。だけど……他に、もっと手っ取り早く強くなる方法はないのか?」
「……」
「ソフィアには、二度負けた」
知っている。
彼の故郷であるリーザイ王国ミジュアと、ここホルン王国のヴァトムで、ルーアはソフィアに敗れている。
「ザイアムには、負けるどころか殺された。……あれは、殺されたようなもんだろう。あいつ……クロイツには、近付くこともできなかった」
「……彼らは、彼らだ。君には、君なりに強くなる道がある。例え時間が掛かろうとも……」
「ユファレートは、泣いてたぞ」
ルーアが、真っ直ぐにドラウを見た。
それに、ドラウは微笑んだ。
「そうか。君が焦る要因の一つは、ユファにあるのか。それには、感謝するよ」
舌打ちしたかもしれない。
ルーアはまた横を向いた。
(まったく……)
似ている。
届かないものに手を伸ばし、足掻いていた若い頃の自分と。
照れに近い感情が、ドラウの中にあった。
力を求めるルーアの気持ちが、よくわかる。
だからこそ、導かねばならない。
「一つ、勝負してみようか」
「……勝負?」
「君も男だったら、嫌いじゃあないだろう?」
「……なにをするんだよ?」
「戦ってみるのさ。僕と、君が」
「……」
戸惑いが窺える。
ルーアを観察しながら、ドラウは覚悟をしていた。
おそらく、これが最後の訓練になる。
これが終われば、ルーアにドラウは必要なくなる。
基礎の反復は、誰かに見られなくてもできる。
助言が欲しいならば、ユファレートに聞いてくれればいい。
シーパルだっている。
「ライト」
光量と持続性を重視した明かりを、頭上に打ち上げる。
昼間の太陽とまではいかないが、戦闘に不自由しないだけの明るさではある。
「さあ、始めようか」
ドラウの声が、作り出された明るさの下で響いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
(始めようって言われてもな……)
自然体で立つドラウの姿に、ルーアは困っていた。
魔法使い同士の実戦的な訓練は、難しい。
剣ならば、途中で止めることができる。
放出した魔法は、そうはいかない。
そもそも、なぜいきなり勝負しなければならないのかがわからない。
ここしばらく、もやもやしたものがルーアにはあった。
自分の無力さに苛立っていたのだろう。
溜まったものを、一発の魔法に込めて撃ち出す。
もちろん人に向けてのものではなく、なにかを破壊した訳でもない。
近隣に人家は見当たらず、そこまでの迷惑は掛けていないはずだ。
山に暮らす動物は驚いたかもしれないし、眠っている人間を起こしてしまったが。
ルーアの元へ、ドラウが来た。
見咎めたのではなく、ただ見にきたという感じだった。
そして、勝負することを要求してきたのである。
(って言われてもな……)
「なんであんたと、勝負を……」
「訓練の一環だよ」
「……」
「自信がないのかい?」
(うるせえな……)
図星を突かれ、ルーアはわずかに頬を引き攣らせた。
一息で詰められる間合いではなく、剣よりも魔法が有効な距離。
そして相手は、『世界最高の魔法使い』ドラウ・パーターなのである。
「仕方ないなぁ……」
わざとらしく、ドラウが溜息をつく。
「じゃあ、少しハンデをあげよう」
杖で、自分の周りの地面に線を引いていく。
魔法陣などではなく、ただの円である。
「僕は、ここからでない」
「……」
「あと、僕は二種類の魔法しか使わない」
舐められている。
解消したはずの苛立ちが、また湧き出しつつあるとルーアは感じていた。
「使うのは、まず暖気の魔法。寒いからね」
おどけるように、ドラウは肩を竦ませてみせた。
「もう一つは、これ」
極小さい、ただの光球である。
「もちろん君に、制限はない。剣でも魔法でも、好きなだけ使えばいい」
「……」
口の端が、ぴくりと動く。
舐められているどころではない。
舐められ過ぎである。
「ふーん……」
ルーアは、剣を抜いた。
殺すつもりなどはまったくないが、好きに使えと言ったのはドラウである。
余裕の笑みを、ドラウは浮かべた。
「じゃあ、改めて。始めようか」
それは、開始の合図だった。
合図と同時に、ルーアは前へ駆け出していた。
相手は、魔法使いである。
それも、数段上の。
接近を試みるのは当然だった。
小細工なしの前進で、ドラウの攻め手を狭めることにもなる。
なにがくるか読めれば、対処もしやすい。
だが。
視界の中で、光が弾けたような気がした。
次の瞬間には、ルーアは後ろに転がっていた。
なにが起きたのか、よくわからない。
混乱しながらも後転して、立ち上がる。
ドラウは、変わらぬ姿勢でルーアを見つめていた。
(……なんだ?)
額が、ひりひりする。
光球をぶつけられたのだろうか。
だが、見えなかった。
構えるドラウを、凝視する。
杖の先に、小さな光球がまた生まれた。
すぐに消失する。
そして、消失と同時にルーアの喉に痛みが走った。
(これは……!)
軽い衝撃、しかし急所を撃たれた痛みに、顔をしかめる。
なんとか見えた。
超高速で、小さな光球を当てにきている。
威力はほとんどない。
ただ、とにかく速い。
そして的確だった。
(けどよ……!)
なにを仕掛けてくるのかさえわかれば、対応はできる。
防御魔法を発動させるため、魔力を引き出そうとした。
「!?」
息が詰まる。
鳩尾を撃たれ、座り込みたくなる。
それでも魔法を発動させようとしたが、今度は顎先に衝撃があった。
集中が乱れ、魔力が霧散する。
魔法を使わせてもらえない。
横に走り出そうとした。
足下、足首、膝、次々と光球が着弾して、転ばされる。
立ち上がったところで、また喉を撃たれた。
急所を守ろうと、腕を前に回した。
それでも、光球は間をすり抜け体を撃っていく。
かわせない。魔法も使えない。移動もできない。防ぐこともできない。
しばらく衝撃に叩かれ続けた。
いつの間にか、ルーアは膝を付いていた。
攻撃が、止んでいる。
「すげえな。けどよ……」
数えきれないほどの光球が、ルーアの体に着弾した。
だけど、死んではいない。
速度と精度をとことんまで追求した結果、威力はほとんどない。
「これじゃ、人は殺せない……」
負け惜しみだとはわかっていた。
眼球などは狙われていないのだから。
「確かにね。だけど」
ドラウは、微笑んでいる。
耳元を、光球が通り過ぎた。
背後で、鈍い衝撃音。そして、木が割れる甲高い音。
見ると、木の幹を貫く穴ができていた。
「この程度までなら、威力を上げられるよ」
「……」
今のも、反応できない速度だった。
そして、木の幹に穴が空くのだ。
胸板を貫くくらい、容易いだろう。
その気にさえなれば、ドラウはいつでもルーアを殺せた。
幹にできた空洞を、ルーアは唖然と見つめた。
(『世界最高の魔法使い』……)
「『世界最高の魔法使い』、『英雄』……」
ドラウの呟きに、思考を読まれたのかと思い、はっと振り返る。
ドラウの姿勢は変わっていない。
ちらほらと雪が降り始めていた。
「そんなふうに僕は言われているけど、自己評価してみようか? 至極真っ当な評価だと思う」
「……」
「僕は幼い頃、魔力を暴発させて、両親を死なせたことがある」
「……ああ」
「……そうか。君は僕のことを、エスから聞いたんだったね。あいつめ、勝手なことを」
以前、エスは話してくれた。
ドラウが病であることも、その時に聞いた。
「まあ、いいか。話を続けるよ。僕は、両親を死なせた。自分自身を呪いそうになったよ。魔法という力を、憎みもした。だけど、どうしても捨てられなかった」
ドラウの表情は今、穏やかだった。
好々爺然とした雰囲気で、雪が降る中を佇んでいる。
「ちゃんと使いさえすれば、たくさんの人を助けることができる。乾いた大地を、潤すこともできる。空だって飛べる。とても夢のある、素敵な力だと思った。魔法というものに、僕は魅せられた。夢中で、学んだ」
そして、ドラウは笑った。
まるで、悪戯っ子のような笑顔だった。
「つまりね、僕はただの、魔法馬鹿なのさ」
「……」
「それを、この歳まで一貫して続けてきた。どうだい? 馬鹿も生涯貫き通せば、なかなかのものだろう?」
「魔法馬鹿か……」
ドラウ・パーターという男は、魔法馬鹿であり続け、魔法使いとして突き抜けた存在になったのか。
ならばその馬鹿は、格好悪くはない。
ルーアは立ち上がり、剣を構えた。
「続きを、頼む」
「……ああ」
ドラウが頷くのを待ってから、足を前に出した。
光球に弾かれ、後退させられる。
それでもまた、前に出る。
もう、かわそうとは思わなかった。
体に覚え込ませたかった。
どんな防御も破壊するような、必殺の威力はない。
だがこれも、一つの必殺の形。
魔法使いとしての技術が究極まで凝縮された、一つの完成型。
それを、眼に焼き付けたかった。
前に出る。
それだけ、押し戻される。
雨のように、体を光球が撃つ。
前につんのめり、転びそうになった。
すぐには、なにが起きたのかわからなかった。
突然、光球の雨が止んだのだ。
「……爺さん!?」
ドラウは、前のめりに倒れ込んでいた。
「おい! 大丈夫か、爺さん!」
駆け寄ると、ドラウは自力で身を起こした。
口の端から血を流しながら、苦笑している。
「やあ、参ったな。僕の負けだ……」
倒れ込んだ拍子に、円の外に出ていた。
「なに言ってんだよ……」
ルーアはドラウの側に膝を付き、唇を噛んだ。
「なに言ってんだよ……」
ドラウは、病人なのだ。
それも、ほとんど時間の残されていない。
それなのに、無理をさせた。
「あんたの病気、『ヒロンの霊薬』とかでも……」
「もちろん試したさ。多少は楽になったかな。だけどあれはあくまでも、万能薬に最も近いだけで、万能薬ではないからね。それにこれはきっと、寿命によるものだと思う」
「……」
「そんな顔しなくていい。一度血を吐くとね、むしろすっきりするんだ。きっと血と一緒に、悪いものも体外に出ていってるんだよ」
強がりとしか思えなかった。
顔は蒼白で、呼吸は苦しそうである。
「……みんなのとこに、連れていくよ」
「……その前に、君に話しておきたいことがある」
「あんたは……!」
一度声を荒らげ、ルーアは息をついた。
「……もっと自分を大切にしてくれよ。もう、余り時間が残ってないんだろ……?」
「……そうだね。僕にとって、時間は今、一番貴重なものだ。だから、僕の好きに使わせて欲しい」
「……」
「ルーア、力を求めてしまう君の気持ちは、よくわかる。君は、超人たちを知ってしまったのだから。そして、以前君は、力を手にした。超人たちとも互角に渡り合える、ともすれば、圧倒さえできる力を」
「ああ……」
「でも……断言しようか。あれは、化け物の力だ。人の身で、簡単に制御できる力じゃない」
「だけど……」
曖昧な記憶から、ルーアはあの時を引っ張り出していた。
制御できていた。
あの力で、自分の身と『ティア』の体を守り、『コミュニティ』のボスを倒した。
「制御できていた、と感じたのなら、それは勘違いだよ。多分、同じ勘違いを、『コミュニティ』のボスやクロイツもした」
「……え?」
「巨大な力だ。自身の魔法もまだ完全に制御できていない君に、扱いきれる力とは思えない」
「……」
「たまたま、自分たちを守れた。たまたま、『コミュニティ』のボスを倒せた。たまたま、誰も巻き込まなかった。だけど、よく思い出してごらん」
リーザイ王国の王都ミジュア。
その南西、第九地区。
そこで、ルーアは力を奮った。
『ティア』がいた。『コミュニティ』のボスが。クロイツが。
ザイアムはいなかった。それ以外の者も。
「そう……君が力を使った時、ミジュア第九地区には、君たち以外の住民はいなかった。『コミュニティ』のボスが力を暴走させ、住民たちは消滅していた。それがなかったら、彼らを殺していたのは、君の力だった」
「じゃあ……」
取り戻すことができたとしても、使えない。
少なくとも、周囲にいる者たちが全滅しても構わないというくらいの覚悟がなければ、発動させられない。
「じゃあ、どうすれば……」
ドラウは、口の周りを拭った。
眼は、優しかった。
「ルーア。君は、魔法とはなんだと思う?」
「なにって……魔力により制御され、具現化される現象の総称……」
「では、魔力とは?」
「……それは……生れつき素養のある者が持つ力……」
教科書通りの受け答えだった。
そもそも、明確な答えがない。
人の身に宿りながら、まだ完全に解明されていない力だった。
「旧人類には、魔力がなかった。少なくとも、一般の者にはね。変わりに、道具があった。今でいう、魔法道具だね。そして、『天使』と『悪魔』がいた」
「『天使』と『悪魔』……」
「あれもね、旧人類が創造した、魔法道具の一種のようなものだよ」
「そういう説は、聞いたことがあるけど……」
「事実だよ」
「……なんで断言できるんだよ?」
その問いについては、ドラウは微笑むだけだった。
聞くな、ということらしい。
「旧人類が残した、多くの魔法道具。それに、『天使』と『悪魔』。魔力も、それらと同じようなものだよ。旧人類の時代が終わった時に、たった一人の女性から、生き残りの人類に分け与えられた力。それが、魔力。魔力もまた、旧人類が残した遺産。形のない魔法道具、というところかな」
「……」
不思議な感じがした。
眼が回るような錯覚を覚える。
途方もない神話でも聞かされているような気分だった。
「君が求める化け物の力も、そうだよ。旧人類が残した、負の遺産だ。街を簡単に滅ぼしてしまうくらいに、強力な力」
「……」
「人の魔法も化け物の力も、旧人類が残したもの。だからその意味では、親戚のようなものかもね」
「……魔法は、制御できる。化け物の力は、できない。……似て非なるものだな」
「それは、違うと思う」
ドラウの声にも眼光にも、力があった。
思わず、こちらが怯んでしまうくらいに。
「似て非なるものではなく、異なるが非常に近い力だと、僕は思っている。魔法の先にある力だよ」
「……つまり?」
「魔法を完全に制御できれば、いずれは、化け物の力も制御できるようになるかもしれない」
「……」
わからない。なぜかわからないが、身震いがした。
「君が力を求めるのは、よくわかる。君は人間だ。人間の力では、超人には及ばない。化け物の力が必要となるかもしれない。だけど今の君では、きっと制御できない」
「……」
「だからまず君は、人としてもっと強くなりなさい。化け物の力を求めるのは、その後でいい」
「……はい」
顔を上げられなくなった。
魔法使いとして成長させるだけではない。
ドラウは、もっとずっと先のことまで考えていてくれた。
ルーアが進むべき道を、見ていた。
それは、自身の死後のことであるはずなのに。
ドラウが、深く息を吐いた。
眼から、力が抜けていく。
「……爺さん?」
「……大丈夫だよ。……だけど……ちょっと話し疲れたかな……」
「……ユファレートたちのとこに、連れていくよ」
ルーアは、ドラウを背負った。
軽い。軽い老人だ。
ランディを背負った時にも思った。
人は軽くなる。
嫌になるくらい、簡単に死んでしまう。
「……孫みたいな歳の子供に背負われるか。こんなこと、なかったな……」
「ユファレートじゃ、無理だろうからな……」
ユファレートの体力では、大人を背負って山道を歩くことは難しいだろう。
ドラウの呼吸のリズムが変わる。
眠ってしまったらしい。
死を間近にした、弱々しい老人の息遣いだった。
山道を歩き、ルーアは奥歯を噛み締めた。