エピローグ
「つまり、そのウェイン・ローシュの目的は、最初から儂の命ではなかった、ということかな?」
「そういうことだ」
居室で腕を組み座るニック・ハラルドに、エスは頷いた。
基地に単身乗り込み、ニック・ハラルドの殺害を宣言したウェイン・ローシュの目的は、自分に軍の注目を集めることだった。
全ては、ノエルが快適に行動できるようにするため。
暴れるだけ暴れ、ウェイン・ローシュは基地を去った。
「基地での戦闘による軍の被害は、死者三十四名、負傷者百五十八名。村の外での騒ぎによる軍の被害は、死者二十一名、負傷者は……無し」
報告書を読み上げるような口調で、ニック・ハラルドが数字を並べていく。
対ウェイン・ローシュで負傷者が死者を遥かに上回り出たのは、彼が相手を殺すことを目的にしていなかったからだろう。
暴れ、騒ぎを大きくすることを考えて行動していた。
対ノエルで負傷だけの者が零というのは、彼の特異性を表しているように思える。
「それなりに訓練を課してきたつもりなんじゃがな……。何者かな、彼らは」
「『コミュニティ』でも、最も危険な存在のうちの二人だよ。ザイアムやクロイツ、ソフィアには劣るかもしれないがね」
「ふむ……」
「君は、まだ運がいい。彼らが本気で君の命を狙っていたら、アズスライの全軍を以ってしても止められなかっただろう。軍も、壊滅状態にまで追い込まれていた」
「儂の首に、それだけの価値を感じなかったのだろうな、彼らは。脅威を感じることもなかった」
それを屈辱だとは思ってはいないようだ。
客観的に、今回の件を見直している。
「中央に、報告しなければならんが……」
「それは、そうだろうな」
「儂自ら、王都に赴こうと思う」
「……ほう?」
どういう風の吹き回しか。
これまでニック・ハラルドは、中央からの呼び出しをのらりくらりとかわし、赴任地であるアズスライを離れようとしなかった。
王都へ行けば、ホルン王国の王であるムーディンはニック・ハラルドをアズスライに帰そうとしないだろう。
この老人の能力を、ムーディンはよく理解している。
「泥沼の中に、また沈んでみようと思ってな」
「泥沼か」
泥沼とは、言い得て妙かもしれない。
政府と王宮では、日々暗闘が行われている。
「お前は、これからどうする、エス?」
「これまで通りさ。なにも変わらない」
変化など、必要ない。
ただ、繰り返せばいい。
「この世界を、私は終わらせない」
それが、エスの存在意義。
ニック・ハラルドは、静かな眼差しでエスを見つめている。
「さて、彼が目覚めたようだ。これにて失礼するよ」
「ああ。エスよ、また縁があったら会おう」
「そうだな。縁があったら」
言葉を残し、エスは転移のために能力を奮った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
手を伸ばしても、馬車は遠退くばかり。
どうしてこうなった。
ドラウが死んだ時から、歯車が噛み合わなくなっていったように思える。
一人で、ウェイン・ローシュと戦った。
それを間違いだとは思わないが、別の選択があったのも事実だ。
ティアに、事情を話さなかった。
ドラウの葬儀に参列しなかったことにティアは腹を立て、ルーアもなにか向きになっていた。
反発し合った。
邪魔だからいらないと言った。
きちんと事情を説明しておけば、なにかを変えられたのではないのか。
側にいることができた。
奪われることを防げたかもしれない。
守れたかもしれない。
少なくとも、抗うことはできた。
馬車が遠ざかっていく。
待てよ。ふざけるな。
◇◆◇◆◇◆◇◆
眼を覚まし、ルーアは額を押さえた。
体のあちこちに痛みがある。
宿に取った部屋だとは、床に転がる自分の荷物で知れた。
誰が連れてきてくれたのか。
デリフィスはさすがに無理だろうから、テラントかシーパルかユファレートか。
アズスライの軍の者かもしれない。
(……どうだっていいだろ、そんなことは)
体の痛みを無視して、上体を起こす。
「……エス、いるんだろ? 出てこいよ」
音もなく、部屋の中央にエスが現れる。
「……オースターは、どうなった?」
「現在の私は、追跡能力のほぼ全てを封じ込まれている。よって、推測だが。ヘザトカロスへ連れていかれているのは間違いないだろう」
ホルン王国の王都だった。
ここアズスライから、そう離れていない。
数日東へ向かうだけで到着できる。
「目的地は、ヘザトカロス?」
「いや。これも推測だが、おそらくはラグマ王国だろう。ザイアムがいる」
「……ザイアムが、ラグマ王国に?」
ラグマ王国は、大陸南部から南東部までを制覇している、世界最大の国家である。
しばらく前に、ザイアムとはこのホルン王国で会った。
とにかく動きたがらないあの男が、越境したのか。
「……なんで、ザイアムの所に?」
「ティア・オースターを捕らえるようノエルに命じたのは、ザイアムだからだ」
「……なんでザイアムが、そんな命令を出すんだよ?」
エスが、鼻から息を抜く音が微かに聞こえた。
「とっくに気付いているはずだが。いい加減認めたらどうかね? ティア・オースターが、何者であるか」
「てめえ……」
エスの白い顔を睨み、ルーアは唸った。
「前に、言ったよな? 『ティア』とオースターは別人だって」
「記憶にないな」
「言ったじゃねえか! フレンデルで、俺があいつと会った時に!」
「言ってない。ただ、こうは言った」
「……」
「『彼女は、『ティア・オースター』。『ティア』ではない』」
まったく表情を変えずに続ける。
「『まさか、本人だとは思ってなかっただろうな?』」
そして、肩を竦めた。
「君が私の言葉をどう解釈しようと、それは君の自由だ」
「……てめえ」
確かに、ティアの現在の姓名は『ティア・オースター』であり、『ティア』ではない。
当人ではないとも言ってはいない。
エスは、嘘をついてはいないのだ。だが、真実を隠す言い方をして騙した。
それは、ただ嘘をつくよりも質が悪い。
「ティア・オースターは捕らえられた。だが、そこまでの身の危険はないだろう。ノエルが側にいる間はな」
「……なんで?」
「ノエルは、ザイアムの弟子だからさ。彼に心酔し、その命令には逆らわない。ザイアムにとって、ティア・オースターがどういう存在かも理解している。だから、害を及ぼすようなことはしない。クロイツやソフィアに捕らえられるよりは、ずっと安全だ」
「……ザイアムの弟子だと?」
長いエスの台詞を聞き、ルーアが引っ掛かったのはそれだった。
「ザイアムが、弟子……?」
「君と暮らしていた時も、ザイアムは稀に家を離れることがあったはずだ」
「……ああ、あったな」
特に行き先を語りはしなかったが、たまにザイアムはどこかに出掛けていた。
昼前後が多かったような気がする。
ザイアム不在の時に、何者かに襲撃を掛けられたことがある。ふと、それを思い出した。
「それは、ノエルの剣を見るためだった」
「……」
意味もなく、ルーアは自分の胸を掻いた。
「……そのノエルよりも、まずはオースターだ。……ヘザトカロスだったな?」
「そこから、ラグマ王国だろうな。陸路を使うかニウレ大河を遡上するか、まだ読めないが」
ニウレ大河は、大陸を東西に二分する。
始まりはラグマ王国の山中からであり、河の流れに逆らい進めば、当然あの国に辿り着く。
ルーアは立ち上がった。
が、疲労の影響か足下が覚束ない。
「……どうするつもりかね?」
「決まってるだろ」
ノエルを追う。
そして、今度こそティアを助け出す。
「……いいだろう。私も、可能な限り情報を集めよう」
「頼む」
微かに、エスが驚いた顔を見せる。
「……どうした?」
「……いや、珍しい言葉を聞くものだと思ってな」
表情を戻し、続ける。
「さて……繰り返すが、私は能力の大半を封じ込まれている状態にある。どこまで君の要望に応えられるかわからないが」
「……ああ」
それでも、エスはエスだった。
エス以上に情報収集に長けた者はいない。
「他の者には、私から状況を話しておこう。君は、旅の支度をしたまえ」
「……わかった」
エスが消える。
ルーアは、床に散らかした荷物を手早く集めた。
ティアは、整理整頓などについてうるさい。
ルーアが上着などを床に放り投げると、文句を言ってきたりするのだ。
荷物を担ぎ、ドアノブを掴む。
「……くそっ」
短く呟いて、ルーアは扉を開いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
下の階に降りると、すでにみな身支度を整え、ロビーでルーアを待っているところだった。
なんとなく、ユファレートの隣を捜してしまう。
それに気付いて、ルーアは溜息をついた。
ユファレートが、少しだけ近付いてくる。
ティアならば、もっと無神経にずかずかと踏み込んでくる。
思わずこちらが身を引いてしまう距離まで。
「あのね、ルーア。ティアは無事だって、エスさんも言ってたから……だから……」
ルーアは、苦笑した。
ユファレートは、しばらく前にハウザードを失った。
次にドラウを失い、今、友人であるティアさえも失う危険にある。
最も精神的に追い込まれているのは、ユファレートだろう。
それなのに、ルーアのことを気遣っている。
意識はしていないが、それだけ痛々しい雰囲気をルーアが出しているのかもしれない。
「大丈夫だ」
ユファレートの肩を叩き、他の者たちの顔を見回す。
テラントは壁にもたれ、シーパルは姿勢良く立ち、デリフィスは負傷の影響があるのかロビーのソファーに深く身を沈めている。
「オースターは、ヘザトカロスの方へ連れていかれたらしい。行こう」
「まあ、すぐに村を出るのは難しいだろうがな。事件の後だし」
テラントが、短剣を突き立てられた左足の具合を気にしながら言う。
元々出るのに時間が掛かる村ではある。
事件のせいで、村の出入りの管理は更に強化されているだろう。
「その辺は、ニック・ハラルドと交渉できれば、少しは……」
ルーアたちは、アズスライの軍を統括しているニック・ハラルドと顔見知りとなった。
上手くすれば、村を出るための検査の時間を短縮できるだろう。
それでも、ノエルたちとの距離は開いてしまうだろうが。
「あの……」
シーパルが、遠慮がちに手を上げる。
「あの人……テイルータでしたっけ? あの人に挨拶とかは……」
「……なんでわざわざあんな奴なんかに、そんなもんしないといけないんだよ」
第一、そんな暇はない。
「行こう。……それと、歩きながらになるけど、話しておく。俺とオースターと……あと、ザイアムのことを」
『火の村』アズスライでは、今日も鎚が打たれる音が響いている。
フロントでは、ここ数日の村の厄介事の中心だった旅人たちを追い払えるためか、宿の主人が笑顔を浮かべていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「むーむーむーむー! むんむがむっが! むー!」
近くを馬群が通る蹄の音と振動を感じ、ティアは行動を起こした。
もちろん、助けを求めるためである。
ティアを捕らえた者たちの会話によれば、ヘザトカロスから南へ移動している最中らしい。
王都を出て、まだそれほどの時間は経過していない。
きっと軍が演習でもしているのだと、ティアは思った。
さるぐつわを噛まされ、全身を縄でぐるぐる巻きにされた状態では、馬車の荷台で芋虫のようにのたくり、呻くしかできない。
結局、ティアの声に気付くことなく、馬群は去っていった。
「……助けを求めて、それでどうするつもりなんだ、ティア・オースター?」
当然、助けてもらうに決まっている。
笑いを含んだ口調で言う赤毛の男を、ティアは寝転がったまま睨みつけた。
他の者たちから、ウェインという名前で呼ばれている男である。
同じ赤毛だが、ルーアよりもやや明るい赤色に思える。
ついでに、ルーアみたいにだらし無く伸ばしてもいない。
「ちなみに、もし軍が君の救出に駆け付けてきたら、こちらとしてはあいつを向かわせることになる」
と、御者台の方を指す。
そこには、昨日まで暇だ暇だと荷台で口ずさんでいた黒ずくめの男がいる。
「死体の山ができるぞ。……文字通りな」
「……」
ノエルという名の黒ずくめの剣士が、普通ではないことはわかる。
デリフィスの背後を取り、ユファレートやシーパルの魔法を難無くかわし、簡単にティアを捕らえたのである。
「まあ、でもあれだ。おとなしくしてくれるなら、拘束を外してやらんこともない」
こくこくとティアは頷いた。
食事と、トイレや体を拭く時以外は、ここ数日ずっとこの格好なのである。
いい加減体中が痛い。
ウェインが合図を出し、セシルという二十歳くらいの女性が縄を解いていく。
黒い髪をしているが、日の下では青みがかる。
ザッファー王国の少数民族に、そんな髪質の一族があったかもしれない。
ティアの身の回りの世話をするのは、決まってこのセシルだった。
そのため、乙女の危機などは感じない。
だからといって、いつまでも囚われの身でいいわけがないが。
食事の時などは、束縛から解放される。
だが、逃げることを考えると、まるで思考が読めるかのようにウェインが鋭い視線を送ってくる。
ふらりとノエルが視界に入ってくる。
その二人だが、妙に紳士的なところがあるのか、体を拭く時や着替えの時は物陰の向こうに行く。
単に、女としての魅力がティアに足りないということかもしれないが。
そういう時にティアを見張るのは、セシルだった。
同じ女である。
そんなに力があるようには見えない。
武器は取り上げられてしまったが、取っ組み合いになればなんとかなるかもしれない。
人質にすることだってできるかもしれない。
そんなことを考え、実行に移そうとしたことがあったが、躊躇いなくセシルにボウガンの矢を放たれ敢え無く頓挫した。
当たりはしなかったが、セシルは涼しい顔で言った。
怪我してもどうせ治せるから、と。
見えない所にいるだけで、近くにウェインやノエルがいる気配もある。
逃げられそうにない。
助けを求めようにも、セシルはともかくノエルに対抗できる人がどれだけいるのか。
そのノエルに信頼されている様子なのが、ウェインだった。
こちらも、かなりのものだと考えられる。
助けを求めたら、おそらく惨劇が起きる。
この二人から、ティアを助け出せるとしたら。
ユファレートの顔が思い浮かんだ。
他の仲間たちの姿も、次々と思い浮かぶ。
最後に脳裏に浮かんだのは、赤毛でどこか拗ねたような顔付きの男だった。
その男の舌打ちが聞こえたような気がして、ティアはむくれた。
アズスライで喧嘩をした。
だから、助けにきてはくれないかもしれない。
(……そんな訳ないか)
ヴァトムでもアスハレムでもロウズの村でも、見返りなく助けにきてくれた。
だから今度も、助けにきてくれる。
(助けてくれたら……)
まあ、礼くらいは言ってやってもいい。
ひっぱたいたことは謝らないけど。
「……どこに向かっているの?」
退屈そうに欠伸をしているウェインに聞いた。
しばらくウェインは外の風景を眺め、ティアが教えてもらえないかと諦めかけた時になって、口を開いた。
「ラグマ王国だ」
(……ラグマ王国)
大陸南部にある王国である。
そもそも、ここホルン王国にはラグマ王国から来たのだ。
昏倒したシーパルを助けるために、北上した。
敵に捕らえられ、今は南下している。
がたごとと車輪が回る音が響く。
大陸北西部におけるティアの旅は、思わぬ形で終わろうとしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
外を出歩くのは、久しぶりのことだった。
踏み砕かれた左膝の状態は、悪くはない。
これならば、旅にも耐えられるだろう。
テイルータの隣では、いつものようにマーシャがちょこまか歩いている。
十歳にしては、小柄なのかもしれない。
隣で並んでいるというよりも、後ろから付いてこられているような感覚になる。
歩幅の差で、マーシャが遅れることがたびたびあるからだろう。
「ねえ、テイルータ。これから、どこに行くの?」
「……決まってんだろ」
アズスライへ通ずる道は、一本だけ。
それは、王都ヘザトカロスから伸びている。
だから、アズスライからどこを目指すにしても、まずはヘザトカロスへ行くことになる。
ヘザトカロスの次の目的地は、まだ決めていない。
怪我は完治していないが、いつまでもアズスライに留まるのは得策とはいえなかった。
なにかしらの組織に潜り込むことで、自分たちの身を守ってきた。
だが今のテイルータは、無所属の状態である。
確たる背景がない状況では、いつ『コミュニティ』から攻撃されるかわかったものではない。
一所に留まるのは、危険だった。
ヘザトカロスにも長居はできないだろう。
所属していた組織が、『コミュニティ』に潰されたばかりだ。
どこへ向かうか。
「……あいつらは、どこへ行ったんだろうな?」
「……え?」
マーシャに聞き返され、テイルータは舌打ちした。
「なんでもねえよ」
今回は、自分だけの力で生き延びたのではなかった。
傷を治してくれた魔法使いたちがいなければ、テイルータは死んでいた。
テイルータの代わりに戦ってくれる者たちがいなければ、マーシャは今頃容器の中だっただろう。
彼らはテイルータとマーシャを助け、だが、テイルータが宿で目覚めた時には、すでに村を去った後だった。
マーシャによると、ヨゥロ族の男と黒髪の魔法使いが宿を訪れ、意識のないテイルータの治療の続きをしてくれたということだった。
それが、数日前。そのまま、村を発ったらしい。
彼らが何者なのか、テイルータは知らない。
名前も知らない。
気に喰わない連中だった。
「……東だ。ドニック王国に行くぞ」
しばらく考えた後、テイルータは言った。
ホルン王国の北東にある小国である。
少し前に内乱があったばかりで、国中がまだまだ混乱しているだろう。
潜り込むには、都合がいい。
元々、大小様々な勢力が乱立している国家である。
テイルータの殺しと戦闘の技術を必要としてくれる組織も、あるかもしれない。
「ドニック王国って、どの辺だったっけ? ヘザトカロスの近く?」
「……ヘザトカロスから、何日か掛かるな。国境までは、山歩きになる」
「平気」
「まあ、小さな村や集落がいくつもある所だから、そこまで歩きにくくはねえだろ。退屈は、するかもしれないけどな」
「どんな村かな?」
「どんなって……なんもねえよ。ただの山奥の村がぽつぽつ……いや、『ヒロンの霊薬』の製造工場がある村があったな。村の名前は……なんだっけな……」
思い出せない。
ふと気付くと、にこにことマーシャがテイルータを見上げていた。
「……なんだよ?」
「ううん。ただテイルータ、いつもよりたくさん話してくれるから」
「……あ?」
呻いて。
「ちっ」
テイルータは舌打ちした。
「あのね、テイルータ」
マーシャは、なにが楽しいのかにこにこしっぱなしである。
「一生って、すごく長いよ」
「……あ?」
訳のわからないことを。
笑顔のマーシャと、並んで歩く。
間もなく、村の出口だ。
「あー……思い出した」
「……なに?」
「『ヒロンの霊薬』の製造工場がある、村の名前だ。確か、ロウズとかいったな」
(一生は長い、か……)
まったくもって、その通りだろう。
ただしそれは、天寿を全うできればの話だ。
テイルータとマーシャに、天寿を全うするなどということが可能なのだろうか。
逃げ回る旅を続けなければならない。
マーシャが、安全に暮らせる場所を見付けるまで。
アズスライの村では、風が吹いていた。
村を訪れた時とは違う、春の気配をわずかに感じさせる風。
日差しが、少しだけ暖かくなったからかもしれない。
安住の地は、どこにあるのか。
マーシャの『楽しい』と『嬉しい』がある場所は、どこだ。
『火の村』アズスライの風を浴びながら、そんなことをテイルータは考えていた。