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風が吹く

馬車の列と擦れ違う。

軍に警護されていた。


ここアズスライで造られた剣や鎧が、荷として積まれているのだろう。


ルーアは、足を止めた。

軍人たちに声を掛けようか、迷ったのである。


ティアだけでなく、マーシャも攫われた。

立派な誘拐事件だろう。

なんとか軍を動かせないか。


しばし迷い、だが諦めた。


ここで軍人たちに要請しても、彼らには馬車の荷を守るという役目がある。


動くとしたら、上司であるニック・ハラルドに報告してからだろう。


そして、ニック・ハラルドは狸である。


腰を上げるのが、いつになるかわからない。


誘拐されたのが、旅人であるティアやマーシャではなく村人ならば、また話は違ってくるのかもしれないが。


軍は、頼りにならない。


敵でないだけ、ましだろう。


進みかけて、ルーアはなにか引っ掛かるものを感じた。

後方に眼をやる。


こうして眺めると、馬車の列は商隊のように見えた。


二ヶ月に一回、ヘザトカロスへ武器防具を送る馬車の群れ。

ただそれだけである。

それなのに、引っ掛かりが取れない。


しかし、ルーアは前方に足を進めた。


引っ掛かりの正体が気にはなるが、今はなによりも、ティアとマーシャを救出することを考えなければならない。


走るが、後ろ髪を引かれるような感覚があった。


風が、少し強くなっている。


◇◆◇◆◇◆◇◆


対峙するのは、ダンに兵士が十一人、そして、獅子の鬣を思わせる金の髪と髭をした逞しい男。


デリフィスは、キースを担ぐテラントから少し離れて立った。


今の自分の状態は、わかっている。


隣に立てば、テラントは本気を出せなくなるだろう。


「人質交換が希望だったな?」


距離を保ったまま、金髪の男が声を上げる。


外見だけでなく、発する声も獅子が吠えているようである。


キースから聞き出した情報によると、マックスという名前であるはずだ。


キースの部下ということで小者を想像していたが、上司よりも余程雰囲気がある。

それは、ダンも同様だった。


「応じてやるぞ」


マックスが、親指で背後を指す。


一軒家があった。

ただの民家に見えるが、そこにティアがいるのだろうか。


人質交換に応じる姿勢を見せすぎている。


罠があると、デリフィスは感じた。


テラントが、地面にキースを放り投げる。


「連れて来い」


「自分たちで、連れ出せばいいだろう?」


テラントに言葉を返すのは、マックスである。


デリフィスは、ダンや兵士たちに注意を向けた。

今のところは、動く様子がない。


「デリフィス、どう思う?」


小声で、テラントが聞いてくる。


「……ノエルがいない。おそらく……」


「だな」


どこからか、こちらの様子を窺っているのではないか。


ティアを助けに一軒家に足を踏み入れようとした瞬間、中から斬り掛かってくるかもしれない。


その時に外にいるマックスやダンからも攻撃をされれば、為す術がないだろう。


マックスは、魔法を使えるらしい。


遠距離で魔法を使用し場を制してこないということは、人質交換の意思が少なからずあるということだろう。


交渉次第で、罠を破ることは可能なはずだ。


それは、テラントに任せる。

デリフィスよりは、上手く口が回る。


「お前たちが、連れて来い」


「……」


「それか、解放しろ」


ティアが家から出てこない。

意識がないのか、縄などで拘束されているのか、他者に妨害されているのか、負傷して動けないのか。


「そうしたら、こちらもこいつを解放する」


キースには、意識があった。

ただ、途中で散々痛めつけたため、思うように動けないようだ。


魔力が尽きるまで魔法を使わせた影響もあるだろう。


限界まで魔法を使用すると、昏倒する魔法使いもいる。


「どうした? 人質交換に応じてくれるんだろ?」


魔法道具『カラドホルグ』から光を伸ばし、キースに向けるテラント。


初老の魔法使いは、堪らずといった感じで声を上げた。


「なにをしている、マックス、ダン!? 早く言う通りにしろ……!」


マックスは無反応。


ダンが、なにかをマックスに語りかける。


それで、マックスの口が微かに動いた。


二人で話し合っている。

口論しているようにも見える。


ややあって、マックスが腕を振り上げた。


「キース殿を、お助けしろ!」


指示に反応した兵士たちが、武器を手に駆け出す。

ダンは、狼狽しているようだ。


事情はわからないが、それよりも戦闘が始まったことが重要だった。


テラントが、キースを蹴倒し『カラドホルグ』を構える。


デリフィスは、動けなかった。


足が動かない。

支えなしで立っているのがやっとだった。

剣を抜く力もない。


兵士のほとんどが、前に出たテラントに向かっている。


だが、一人だけはデリフィスを目指していた。


柄を握り、鞘をベルトから外すことで、なんとか剣を抜いた形にした。


兵士の右手には、短槍。

左手には、短剣。


短槍が、肩に突き立つ。

短剣が脇腹を破り、臓腑をえぐる。

かわすことはできなかった。


(……一人、だったな)


戦場に立っても、なにもできない。

それでも、立った。


死ぬのならば、一人殺してから死ね。


最後の力を振り絞り、デリフィスは剣を振り上げた。


兵士の体が、宙を舞う。

地面に、壊れた姿で叩き付けられ、転がる。


殺した。

これで、死んだとしても負けではない。


まだ敵は、十数人いる。

それでもテラント・エセンツという男ならば、一人でもなんとかするはずだ。


(いや……)


一人ではないか。


兵士たちの剣や槍を弾き、テラントが後退する。

その隣に、並び立つ者がいる。


「これで、貸し借りなしだよな、デリフィス?」


宿を飛び出したティアを、代わりに捜しに出た。


一つ貸したはずだが、簡単に返されてしまったようだ。


ルーアが、来た。


テラントとルーア。

この二人ならば、負けることはない。


背中から、デリフィスは倒れた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


眼を開くと、魔法による治療を受けている最中だった。


おそらくヨゥロ族だろう、緑色の髪をした男はテイルータの腹部に、長い黒髪の女は折れた足に、それぞれ癒しの光を当てている。


なにがあったか、すぐにはわからなかった。


眩しい朝の光に辟易しながら、段階を踏むように一つずつ思い出していく。


負傷し、動けなくなり、助けを求め、気を失った。

助けなければ。誰を。

攫われた。マーシャが。


マーシャ。


跳ね起きた。


ヨゥロ族の男が、わかりやすく驚いた顔をする。


「あいつを……」


「まだ、動いては駄目です」


ヨゥロ族の男がテイルータの肩を押さえようとするが、弱々しい。


魔法を使い過ぎたのだろう。

魔力を振り絞らなければならないほど、テイルータが危険な状態だったともいえる。


「マーシャを……」


「その子は、僕らの仲間が助けに向かっています。ルーアなら、彼なら必ず助け出してくれますよ。僕らも、援護に向かいますので……」


ヨゥロ族の男の脇に、地図が置かれていた。


南西の位置に、印しが付けられている。


マーシャが連れていかれ、テイルータが向かっていた方向である。


反射的に、体が動いた。

ヨゥロ族の男を払いのけ、地図を奪う。


立ち上がっていた。


倒れ込みそうになるヨゥロ族の男を支える、長い黒髪の女が非難の声を上げる。


テイルータは構わず走り出した。


そう、走れるのだ。


腹に穴が空いた。

足が折れた。

それでも走れる。


『グン』に所属させられていた時は、目茶苦茶な訓練を強要された。


腕の骨が折れた状態で、格闘の訓練に取り組むこともあった。


血を抜き取られた後、長距離を走らされたこともある。


(……違うか)


テイルータは、否定した。

今、走ることができているのは、昔の訓練のお陰ではない。


あのヨゥロ族の男と長い黒髪の女が、素晴らしい魔法使いだからだ。


死ぬはずだったテイルータが、走れるくらいに。


(すごい奴らだ……)


マーシャを助けるために、戦ってくれている者がいる。


ついでだとは言っていたような気がする。


だが、ついでだとしても、他人のために戦えるものなのか。


『コミュニティ』という巨大な組織を相手に。

命を懸けて。


(すごい奴らだ……)


魔法使い二人を、かなり引き離していた。

まともに走るのにも苦労しているようだ。


そこまでなりながら、テイルータを救ってくれた。


マーシャを助ける。


この体では、まともに戦えないだろう。

それでも、側にいてやる。


旅を続けているうちに、いつの間にか決めていたことだ。


風が吹く。

テイルータを、背中から押す。


◇◆◇◆◇◆◇◆


念入りに治療する暇などない。

デリフィスの肩と腹の傷を半端に止血して、ルーアは立ち上がった。


「状況は?」


「あの偉そうなのがマックス、剣士がダン、転がっている爺さんがキース。兵士が、あと十人」


「名前とか人数じゃなくてな……」


どうせ、今日を最後にもう会うことがなくなる連中だ。


おそらくは、故意だろう。

無駄な緊張を解そうとでもしているのかもしれない。


ずれた返答をするテラントを、ルーアは軽く睨んだ。


「オースターは?」


「あちらさんが言うには、あそこらしい。……一応な」


真っ直ぐに家を差す指とは裏腹に、曖昧な言い方である。


敵の言うことなど、当てにならない。


ただの民家のように見えるが、本当にティアがいるのならば、マーシャもそこだろう。


周囲には、他に人質を隠せそうな建物や障害物はない。


「……デリフィスは、誰にやられた?」


キースという初老の魔法使いはともかく、マックスやダンには場慣れしている雰囲気があった。


それでも、ここまで一方的にデリフィスが負ける相手だとは思えない。


「……ノエルだ」


重く、テラントがその名を口にする。


「そいつが、デリフィスを斬った」


「……」


他に、いる。

危険な相手は、ウェイン・ローシュだけではない。


「だから、あと十四人だな」


「いや、もう一人。ウェイン・ローシュって奴がどこかにいる」


「……どんな奴だ?」


「剣も魔法も、俺と五分かそれ以上。ついでに能力者でもある」


「それはきついな」


「能力は……」


説明しようとしたところで、敵が動いた。


向こうも、ただ黙って見ていた訳ではない。


陣形を整え、マックスから防御の魔法の援護を受けていた。


キースを除く全員が、淡い光に包まれている。


マックスの魔法を遠距離からの狙撃で妨害しても良かったが、現在のルーアには、魔力にそこまでの余力がない。


昨日のウェイン・ローシュとの戦闘の影響は、まだまだ残っている。


それに、テラントの持つ『カラドホルグ』ならば、さして苦労することなく簡単な防御魔法など裂けるだろう。


テラントが、突っ込んだ。

力強く踏み込み、大きく『カラドホルグ』を振る。


隙ができる大振りだが、テラントほどの身体能力と技術ならば、兵士たちにとっては必殺の斬撃に近いだろう。


二人の兵士の体が断ち割れ、一人は武器を失っている。


相手の突撃の勢いを削ぐために、敢えて隙ができる大振りで攻撃を仕掛けた。


それは、ルーアの援護を当てにしているということである。


「フォトン・ブレイザー!」


光線がテラントの脇を通り、兵士を弾き飛ばす。


テラントが後退するタイミングに合わせ、次の魔法をルーアは解き放った。


「ル・ク・ウィスプ!」


威力重視で撃ち出した無数の光弾が、防御の魔法を突き破り、兵士の体に穴を穿つ。


二人しか倒せなかったが、陣形は大きく崩れている。


見逃さず、テラントが再度突っ込む。

『カラドホルグ』の光が、兵士の喉を裂く。


向かってきた兵士に、ルーアは剣を向けた。


体は重いが、兵士一人などに苦戦はできない。


剣を剣で払い、刃を肩口に叩き込む。


防御の魔法の抵抗はあったが、体重を乗せて振り下ろす剣を阻めるほどではない。


魔力の波動を感じた。

地面に座り込んでいた、キースである。


震える手を、ルーアに向けていた。


迷わず、その顔面をブーツの底で蹴り付ける。


おとなしくしていれば、そして、ティアやマーシャを返してくれるのならば、軍に突き出す程度で済ませてもいい。


だが、少しでも攻撃的姿勢を見せた時点で、一切の容赦はしない。


こちらは命懸けで、仲間の命も懸かっている。


剣を、キース目掛けて振り下ろした。

確かな手応え。


断末魔は聞き流して、ルーアは戦況を確認するために視線を動かした。


マックスの左腕がなくなっているように見えた。

糸のように細かく分かれているようだ。

それが、地中に潜っている。

『悪魔憑き』なのだろう。


ダンという剣士は、眼付きが変わっていた。


キースが絶命した瞬間からだろう。

なにかが吹っ切れた感じだった。


(あと、四人……)


兵士が、三人でテラントを囲んでいた。


テラントの動きが、切れている。

力を持て余しているかのようだった。


これ以上ルーアが援護しなくても、兵士は勝手に倒してくれるだろう。

だから、兵士は数に含めない。


あと、四人。

マックス、ダン。

そして、ノエル、ウェイン・ローシュ。


足下が割れた。

鋼線が、湧き出るように生えた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


三人の兵士に、テラントは囲まれていた。


前に二人、戦斧を持つ者と、槍を構えた者。


視界の外、背後の兵士は剣を遣う。


前の二人から動いた。


振り下ろされる戦斧を引きながらかわし、槍は柄を左手で掴み止め、背後からの剣は、体を捩り『カラドホルグ』で弾く。


腕一本の力で槍を遣う兵士を押し返し、テラントは背中を向けた。

背後にいた兵士と正対する。


戦斧は重い。そう立て続けには振れない。


槍遣いの兵士は、体勢を崩している。


剣を持った兵士と、束の間一対一になった。

その束の間の時間に、『カラドホルグ』を振る。


兵士の体が、肩から裂ける。


血飛沫が地面に降り注ぐ前に、テラントは体の向きを元に戻していた。


残りの兵士二人は、それぞれの武器を構え直している。


その間を走り抜ける。

『カラドホルグ』が、首を二つ飛ばす。


そして、テラントは後退した。

というよりも、正面からの圧力に後退させられた。


接近してきたダン。その細剣がしなる。


突きを、下がりながら払い捌く。

眼と眼、喉を狙ったものだった。

速く正確で、そして鋭い。


なんとか防ぎつつ、左手を腰へと回す。


剣を抜く気配を見せたところで、ダンの前進が止まった。

間合いが開く。


ダンを睨み据え、テラントは剣を抜いた。


対峙するダンは、半身を引いた構え。


細剣を右手に、左手は腰の後ろに。


テラントの右手には『カラドホルグ』、左手には剣。


「……お前が、一番増しに思えるな」


このダンは、たった今死んだばかりのキースの部下であるらしい。


そして、マックスよりも立場が下であるらしい。


だがテラントは、キースやマックスよりも、ダンを手強そうだと感じていた。


彼らが『コミュニティ』においてどういう役割を担ってきたか正確には知らないが、こうしてテラントたちに刃を向けてきている。

戦闘を担当する一面もあるはずだ。


そして、戦闘だけに限定すれば、このダンはマックスやキースよりも突出している。


「上に立とうとは思わなかったのか?」


「……」


ダンは、無言。


(……まあ、いいけどな)


彼らが戦闘部隊だとして、上に立つ者に必要なのは、個人の戦闘能力ではない。


指揮能力、管理能力の方が重要だろう。


それらについては、対峙するだけでは測れない。


このダンは、誰かの指揮の下でこそ力を発揮する男かもしれないのだ。


そうだとしても、キースよりは余程戦闘集団の上に立つに相応しいと思えるが。


今から殺すことになるが、それが惜しいと感じさせるほどに。


無言のまま、ダンが踏み出した。


互いの武器の長さに、それほどの違いはない。


だがダンは、挙動が少ない突きを主体に攻撃してくる。

先手は取られる。


また後退させられながらダンの突きを弾き、しかしテラントは冷静だった。


かつて、もっと手強い相手と戦ったことがある。


埋めようのない技量差があり、反則なまでの効果がある魔法剣も所持していた。


それでも、殺せたのだ。

このダンを、殺せないはずがない。


しばらく防御を固め観察し、ダンが細剣を突き出すタイミングに合わせテラントは踏み出した。


突きを左手の剣で受け流し、ダンの懐に入る。


右手の『カラドホルグ』を振る。


ダンの左手が動いた。

抜き取られたのは、短剣。


それは、予想の範囲の武器であるが。


ダンは、短剣の刃ではなく、背で『カラドホルグ』を受けた。


テラントの右腕の手首と肘に、微かな痛みが走る。


ダンが手にする短剣の背は、櫛状になっていた。


それが、『カラドホルグ』の刃を絡め取っている。


舌打ちして、テラントは力任せに『カラドホルグ』を引き抜いた。


後方に跳ぶ。

ダンも、わずかに後退する。

また、間合いが開いた。


右手に細剣、そして左手の短剣を、もう隠すことなく構える。


これで、ダンの戦い方ははっきりした。


攻撃は細剣で行い、防御は短剣で行う。


(マインゴーシュ……というよりも、ソードブレイカーか……)


珍しい物を扱う。


峰に銛の先端のような形をしたものが櫛状に並んでおり、そこで敵の攻撃を受けられる。


熟達した者になれば、敵の剣の破壊や、武器を奪うことも可能になる。


もちろん簡単な技ではなく、遣う者はそうはいない。


ダンと向かい合い、テラントも無言になっていた。


剥き出しになった、ダンの腕。

無駄な脂肪などなく、よく鍛え上げられていることがわかる。


真っ直ぐにテラントだけを見ている。


ルーアやマックスのことなど、意識にないのかもしれない。


戦闘というよりも、一対一に特化した戦士。


ダンが動く。突き。


それに被せるように、テラントは『カラドホルグ』を振り下ろした。


技を磨いてきたのは、ダンだけではない。


そのまま細剣を突き出せば、テラントの肩を貫くことができただろう。


しかし、ダンは細剣を引いた。

そうしなければ、テラントの『カラドホルグ』はダンの腕を斬り落としていただろう。


ダンが引いた分、テラントは踏み出そうとした。

半歩、それでダンの懐である。


ダンの左手の短剣が揺れる。

防御でもなんでもすればいい。

こちらは、それを上回る斬撃を放つだけだ。


ダンは、短剣の背ではなく、刃先をテラントに向けた。


「!?」


柄から離れ、刃だけが飛ぶ。

バネでも仕込んであったのだろう。


咄嗟に剣で防ぐが、左足に痛みがあった。


運が悪いことに、弾いた短剣の刃が左の太股に突き刺さっている。


見逃すことなく、ダンが細剣による突きを繰り出す。


それは『カラドホルグ』で払い、投げ付けられた短剣の柄は首の角度を変えてかわし、反撃にテラントは左手の剣を放った。


胴を裂かれる前に跳び退き、剣をかわすダン。


また間合いが開き、睨み合った。


ダンが、新たな短剣を抜き取る。

やはり、ソードブレイカー。


テラントは、左足に刺さった短剣はそのままに、両手で『カラドホルグ』を構えた。

短剣を抜けば、血が溢れ出す。


「……今以上のびっくり箱はあるか?」


問う。ダンは、これまで通り無言。


ないだろう、おそらくは。

つまり、これ以上テラントの意表を衝くことは、ダンにはできない。


そして、意表を衝きながらも、テラントを殺すことはできなかった。


刃が突き立ち負傷した左足をいつものように動かせれば、ダンの攻撃はもう通用しない。

斬れる。


一振りの魔法剣を手に、二本の足で体を支える。


ダンが、踏み出した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


足下から、鋼線が貫き出る。

跳躍しながら、ルーアは剣で払った。


なかなかの強度であり、斬れない。


ともすれば、こちらの剣が刃毀れし、使い物にならなくなりそうである。


マックスが、空いた右手を向けてきた。


「フォトン・ブレイザー!」


放たれる光線をかわしつつ、ルーアは左に駆けた。


追うように、鋼線が地面に穴を穿っていく。


走りながら、ルーアは剣身を撫でた。


「ルーン・エンチャント」


剣に魔力を纏わせ、それで鋼線を弾く。


「ファイアー・ボール!」


ルーアが魔法を使用する瞬間を狙っていたのだろう。

マックスが火球を投げ付けてくる。


跳び退いた背後で、魔法が炸裂した。


巻き起こる爆風に逆らわず地面を転がり、すぐに跳ね起きる。


無数の鋼線が、今度は頭上から振り下ろされる。


かわし、あるいは魔力を込めた剣で払う。


激しい攻撃である。

それなのに、ルーアは冷静だった。


攻撃を仕掛けるマックス、それを防ぐ自分を、外から眺めている気分だった。


まるで、他人が戦っているようである。


そして、腹の底に冷たいものを感じた。


(そうか……)


昨日、ウェイン・ローシュと戦った。

あの時のような緊張感がない。


マックスは、強い。

実力的に、ウェイン・ローシュより激しく劣ってはいないだろう。


そして、ルーアがマックスのことを侮っている訳でもない。


だが、なにかが足りないのだ。

どこか小さく感じてしまう。


「フライト!」


飛行の魔法を発動させた。


高く舞い上がることはせず、低い位置を横に飛ぶ。


マックスの攻撃の狙いに、大きなずれが発生し始めた。

横の動きに弱いのかもしれない。


飛行の魔法を維持し、時に進行方向を切り返しながら、徐々に間合いを詰めていく。


光線や光弾、火球や鋼線が降り注ぐ。


ユファレートやシーパルのような細かい魔法の制御力は、ルーアにはない。


地面を蹴りつつ強引に向きを変え、マックスの攻撃をかわしていく。


剣が届く距離まで接近し、ルーアは飛行の魔法を解除した。


着地と同時に腕を振る。

魔力を帯びた剣が、防御の魔法ごとマックスの胴体を斬り裂いていく。


「小僧っ……!」


怒りの声に、ルーアは力場の魔法を発生させた。


横殴りの鋼線が、防御魔法を叩く。


勢いに、弾き飛ばされる。


間合いが外れ、ルーアは改めて剣を構えた。


マックスの腹は、血で染まっている。


生命力溢れる『悪魔憑き』なだけあって、まだ死んでくれる様子はない。


怒りに燃える眼で、ルーアを見ている。


「……女を返せよ。それで、半殺し程度で許してやるぞ」


マックスは、鼻を鳴らした。


「人質の娘をいつでも殺せる状態に、俺はある」


「……やってみろよ」


ティアの身に、なにかがあったら。


それに関わった敵全員に、生きていることを後悔するくらいのことをさせてもらう。


「……さすがに、見知らぬ子供のために、死んではくれないか」


「……?」


流れ聞こえてきた呟きに、ルーアは疑問符を浮かべた。


見知らぬ子供とは、マーシャのことだろうか。


確かに、マーシャのことも助けにきた。


だがこの場面、人質としてより有効なのはティアだろう。


なにか噛み合っていないような気がした。


疑問が解消される前に、マックスが腕を上げる。


「ちっ!」


気にはなるが、まずはこの男に集中することだった。


互いに放った光線が、ぶつかる。


弾ける光の中に隠すように、マックスが左腕を、鋼線を投げ付けてくる。


これまでよりも速いか。

剣で払うが、全てを防ぎきれない。


左肩に衝撃があった。

鋼線が一本当たったか、衣服が破れ肉が弾けている。


それでも、剣は手放さなかった。

そして、前進していた。


マックスは強い。

だが、これで決まる。確信に近いものがある。


激しい攻撃の中に、隙が見えるのだ。


使う魔法一つ一つに、粗が見える。


あるいは、昨日ウェイン・ローシュと戦っていなければ。


ドラウ・パーターという魔法使いの教えを受けていなければ。


そして、ティアが攫われていなければ。


もっと苦戦していたのかもしれない。


いくつもの攻撃を防ぎ、接近する。


腹の底にある冷たい感情、殺意を明確に意識し、そしてルーアは剣を振った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ダンの前進に合わせ、テラントは負傷した左足を引いた。

右足だけに体重を掛ける。


ダンの、細剣による突き。

磨かれた技。


テラントは、眼を細め視界を狭めた。


手にする『カラドホルグ』。

信頼できる武器。

そして、自身にある重ねてきた鍛練。


テラントは、短く雄叫びを上げた。


ダンの攻撃と同じく、繰り出すのは突き。


細剣の先に、『カラドホルグ』の切っ先がぶつかる。


たたらを踏んだのは、足を負傷したテラントではなく、ダンの方だった。


細剣は、半ばから折れ曲がっている。


ダンの動揺が、手に取るようにわかった。


(そりゃ、ショックだよなあ……)


磨いた、そして自信があったであろう技を、そのまま返されたのだ。


傷付いた左足で踏み出す。


ダンが、短剣を防御のために上げる。


だが、動揺がそのまま挙動の乱れに出ていた。


『カラドホルグ』を振り上げる。

短剣を掠め、剣先がダンの胸に突き立ち、肩まで裂いていく。


苦悶の声を漏らしながら、ダンが折れ曲がった細剣を振る。


『カラドホルグ』を返し防いで、テラントは後退した。


負傷のため、よろける。

この足では、思うように追撃を掛けられない。


短剣は捨てずに、ダンは手首の辺りで胸の傷を押さえていた。


やや浅かったか。

負傷した左足では、踏み込みが甘くなった。


ダンが、曲がった細剣を構える。


このまま続ければ勝てるだろうと、テラントは思った。


もちろん、絶対ではない。

だが、かなりの確率で勝てる。


かといって、負ける可能性を軽視はできないが。


負ける訳にはいかなかった。

ティアが捕らえられている。


こだわらなくてはならないのは、なによりも結果だった。


自分たちが死ぬことなく、ティアを助けなければならない。


そのためなら、一対一の勝負に固執しない。


より確実な勝利を得るために、男のプライドなどいくらでも捨てられる。


ダンは、落ち着きを取り戻したようだ。


その集中力が、更に増している。

テラントしか、見ていない。


冷たく見返し、テラントは口を開いた。


「最後に教えてやるよ。お前の弱点」


「弱点……?」


ダンが、片方の眉を上げる。


初めて声を聞いたような気もする。どうでもいいことだが。


「集中しすぎ」


それに伴う弊害、視野の低下。


これは、試合ではない。


戦闘であり、殺し合いである。

そして、ここは戦場だった。


言い残し、テラントは跳び退いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


マックスが無数の鋼線となった左腕を振る前に、ルーアは剣を左肩に打ち込んだ。

鎖骨が砕ける感触。


土台を破壊され、鋼線が力無くルーアの体を叩く。


痛みか、怒りか。

咆哮を上げながら、マックスが右の掌から光を放つ。


かい潜りながら、ルーアは魔法を発動させた。


光球が、マックスの右頬で弾ける。

生え揃った髭が灼ける。


よろけるマックスに、ルーアは指先を向けた。


「ライトニング・ボール!」


再度放った光球が、厚い胸板に貫通寸前の穴を空ける。


「いたぶる趣味はねえんだけどよ……」


ルーアは、右手を空に翳した。


『悪魔憑き』だ。

何度も攻撃を叩き込まなければ、倒せない。


空気を掴む感覚で、指を曲げる。

そして、腕を振り下ろす。


「ヴォルト・アクス!」


電撃がマックスの全身を包み、弾け、細胞から沸騰させていく。


「小僧……!」


マックスが呻く。


その体を、ルーアは剣先で軽く押した。


乾いた枯木が倒れるように、炭化したマックスの体が地面に転がる。


まだ、死んではいない。

だが、死んだも同然だった。


もう赤ん坊を殺す力も残っていないだろう。


(あと、三人……)


死に体であるマックスからは眼を離し、テラントを捜す。


ダンと戦闘中だった。

互いに負傷しているが、テラントが剣と剣による一対一に負けるとは思えない。


それでも、なにが起きるかわからないのが戦闘というものだった。


そして、そのなにかを起こさせる訳にはいかない。


まだ背後に、ウェイン・ローシュとノエルとやらが控えている。


自分と同等かそれ以上の戦闘能力を持つ者と、デリフィスを負かすような剣士の二人を、一人では相手にできない。


だからここは、どんな形でも確実に勝利する必要があった。


徹底的に実を求める。

その意識は、テラントも共有してくれているはずだ。


ルーアは、右腕をダンに向けた。

掌の先に、炎が生まれる。


炎は揺らぎ、膨張して、球体へと収まる。


この魔法は、着弾と同時に破裂する。


そして、周囲に炎と破壊を撒き散らす。


テラントやダンのような身体能力の者ならば、効果範囲外まで逃げるのは、難しくないだろう。


ただしそれは、攻撃されることを察知していればの話。


眼前の敵に集中しすぎて、周囲に意識が向いていない状態では、かわすのは困難になる。


テラントが、ダンを残し後方に跳躍した。


さすがだった。


ダンは、余裕を持って戦える相手ではないだろう。


それでも、テラントには周囲が視えている。


「ファイアー・ボール!」


テラントが跳んだ瞬間に、ルーアは魔法を放った。

火球が唸り、突き進む。


着弾寸前で、ようやくダンは横手からの魔法に気付いた。


折れ曲がった細剣を向けるが、そんな物では魔法は防げない。


火球が破裂し、ダンの体が炎に包まれる。


(あと、二人……)


「一対一の勝負に、横槍を入れるか……」


寝転がったマックスが、そんなことを言う。


「一対一だ? 知るか、そんなもん」


吐き捨てて、ルーアは左肩の傷を癒すために治癒の魔法を発動させた。


テラントは、転がるダンと言葉を交わしている。


会話の内容は聞こえないが、見当は付いた。


ダンはマックスと同じようなことを言い、テラントはルーアと同じような答えを返しているのだろう。


一対一など、知ったことではなかった。


泥臭かろうと、卑怯だろうと、とにかく勝ちの形にする。


ティアとマーシャを助けなければならないのだ。

形振り構っていられない。


「て言うかお前ら『コミュニティ』は、俺たち六人を相手するのに、いつも何十人て集めてるだろうが。今更一対一とか言ってんな、ボケ」


毒を吐くと、マックスは自嘲的とも取れる笑みを浮かべた。


反攻のための力は残っていないようだ。


テラントが、事切れたらしいダンを置いて、左足を引きずりつつ寄ってきた。


突き刺さった短剣を抜き取り、手早くルーアは傷口を塞いだ。


応急処置に過ぎず、激しく動けばすぐに傷口が開く恐れがある。


じっくり治療をする時間も魔力もない。


倒れているデリフィスの胸が上下している。


ここまでは、こちら側の誰も死んでいない。


「あと二人だが、テラント」


「おう」


「あとは任せた」


「おい」


「いや、主力っぽい三人とも、俺がとどめ刺したし」


「ガキに華を持たせるために、譲ってやったんだろうが。大人の余裕というやつだ」


「だから、その余裕であと二人、斬ってくれよ」


「お前な」


まあ、冗談ではある。


いくらテラントでも、ウェイン・ローシュとノエルの二人を同時に相手にはできない。


なんとかして、二対二か一対一の状況に持ち込むしかないだろう。


「まあ、ウェイン・ローシュの方は、なんとか俺が押さえるからよ」


というよりも、ルーアではノエルの相手はできない。


デリフィス以上の剣士を前にしては、数秒と立っていられないだろう。


遠距離から魔法で攻撃しようにも、ノエルは『ブラウン家の盾』による、準絶対魔法防御壁で守られている。


かつてルーアはその防御を破ったことがあるが、相手がランディであり、彼がルーアの力を引っ張り上げてくれたからだ。


ノエルは、おとなしく魔法を浴びてはくれないだろう。

だから、ルーアでは勝てない。


中途半端な力しかない者の悲しさであり、ノエルに勝てる可能性は、ユファレートやシーパルの方が持っている。


「まあ、俺の担当になると思ってたが」


テラントが、がりがりと頭頂部の辺りを掻く。


「……自信がないか?」


「ない」


テラントとデリフィスの技量は、全てにおいてほぼ互角。


これは、二人を知る者ならば誰でもそう思うだろう。


デリフィスが敗北した相手に自信を持てないのは、当然のことだった。

ましてや、片足を痛めている。


「それでも、やらなきゃならんのだろうが」


「頼むぞ、最年長」


勝つ。勝たなければ、ティアもマーシャも助けられない。


嘲笑が聞こえた。

倒れているマックスである。


「無駄な相談を……」


死にかけのはずだが、まだ口は動かせるようだ。


「貴様らごときで、あの二人に勝てるものか……」


「……どうかな。少なくともウェイン・ローシュ相手には、引き分けか判定勝ちに近い結果を俺は残したぞ」


「だが、殺せはしなかった……」


「……」


「貴様らでは、勝てん……。そして、誰も救えない……」


マックスの左腕、鋼線が一本だけ動く。


悪あがきをするつもりかと身構えるが、違った。


マックスの体から離れ、鋼線が宙を漂う。


「……この『悪魔』の一部を、俺は遠隔操作できる……」


「……だから?」


「人質は、あの家の中だ……。そしてあの家の柱は破壊し……この鋼線を埋め込んである……」


「……」


「わかるか……? あの家の屋根と壁は、俺の能力で支えられている……。いつでも、俺は人質を殺せる……」


「てめえ……」


マックスが嗤う。

死にゆく者の、絶望的な嗤い。

狂喜的な、眼の輝き。


「お前は俺を殺した……! その代償だ……!」


叫び、そしてマックスの肉体から、命が抜けていく。


「俺が死ねば……鋼線は力を失う……道連れに……」


それが、マックスの最後の言葉だった。

宙を漂う鋼線が、地に落ちる。


そして、家が揺れた。


遠い。飛行の魔法を使用しても、すぐに辿り着ける距離ではない。

瞬間移動の魔法では届かない。


ここから屋根や壁を吹き飛ばすことは可能だが、中の者もただでは済まないだろう。

最悪の結果も考えられる。


特に、幼いマーシャだ。

少女の細い首が、屋根の重量や魔法の衝撃に耐えられるのか。


走った。だが、間に合いそうにない。


家が崩れる。助けられない。ルーアにも、テラントにも。


風が吹く。


人影が、崩れていく家に飛び込むのを、ルーアは見た。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ひどく重たい音を聞き、マーシャは眼を覚ました。


薄暗い。建物の中であるようだ。

窓から、外の光が入っている。


埃っぽかった。そして、揺れている。

建物全体が揺れていた。


本能的に危険を感じたが、身動きが取れなかった。


柱に固そうな縄で縛り付けられている。


揺れが更に大きくなった。

建物の壁や天井が崩れることを、マーシャは予感した。


(死ぬのかな……?)


漠然と、そう思う。


屋根が崩れたら、きっとぺちゃんこになってしまうのだろう。


これまでも、たくさん怖い目に遭った。


生きてこれたのは、テイルータが側にいてくれたからだ。

いつも守ってくれた。

そのテイルータも、もういない。


大怪我をしていた。


もしかしたら、死んでしまったかもしれない。


涙が眼に浮かんだ。

今から自分が死ぬことよりも、テイルータが死んでしまったかもしれないということが、マーシャを恐怖に叩き落とした。


轟音と共に、屋根が崩れる。

マーシャは、きつく眼を閉じた。


(助けて!)


テイルータは、超人ではない。

元々能力者であったマーシャには、尚更それがわかる。


テイルータ・オズドという男は、ただの人間でしかない。


ただの人間が、あんな怪我をして動き回れるはずがない。


(助けて、テイルータ!)


それでもマーシャが助けを求めたのは、テイルータだった。

彼以外に、頼れる人を知らない。


怖い組織の実験体であったマーシャを、初めて人間として扱ってくれた人。


閉ざした視界の外で、屋根や壁が崩れていくのをマーシャは感じた。


瓦礫と瓦礫がぶつかり音が響くのを、しばらく聞いた。


(あれ……?)


マーシャは、不思議に思った。

ぺちゃんこになったはずなのに、痛くない。重たくもない。


死ぬとは、こんな程度のことなのか。

それなら、怖がる必要はなかった。


風が吹いている。それを、肌で感じた。

瓦礫の下にいるはずなのに。


恐る恐る眼を開く。


マーシャに覆い被さるように、立っている者がいた。

マーシャが、一番よく知る人。


いつも通りだった。

いつも通り、側にいてくれる。

マーシャのことを、守ってくれる。


マーシャは、その名を口にした。


「……テイルータ」


「……よお……助けにきてやったぜ……一生感謝しろよ、糞ガキ……」


傷だらけの体で、折れた足で、屋根を、壁を、マーシャに降り注ぐはずだった全ての瓦礫を背負い、その男は立っていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


瓦礫ごと、ルーアはテイルータを払いのけた。


倒れ込むテイルータは、すでに意識を失っていた。


それには構わず、柱の根元に括りつけられたマーシャの側にしゃがみ込む。


「君以外に、捕まっている奴はいなかったか?」


縄を切りながら、尋ねる。


涙で顔をくしゃくしゃにした少女はしばし不理解の色を表情に浮かべ、やがてかぶりを振った。


「そうか……」


マーシャは助かった。

それは、大いに結構なことである。

だが、ティアがいない。


「捜すぞ」


言いながら、早くもテラントが瓦礫の一つに手を掛ける。


「……ああ」


崩れた壁を持ち上げながら、ルーアは考えた。


どこかで下敷きになっているのか。


小さな家である。

瓦礫の下にいれば、すぐにでも見付かりそうなものだが。


見当たらない。助けを求めるやかましい声も聞こえない。


「地下室、とか……」


瓦礫をどかしながら、テラントが呟く。


地下室があるのは、充分有り得た。


この小さな家では、何十人という兵士は収容できない。


しかし、地下室があるとして、ティアはそこにいるのか。


人質を、同じ家で別々にする意味があるのか。


(この家に、オースターは最初からいなかった……?)


黙々と瓦礫をどかしながら、戦闘と負傷で疲れた頭で思考する。


村のどこかに他のアジトがあり、そこに捕われているのだろうか。


それを、あのニック・ハラルドが見落とすのか。


あの老人は、アズスライの軍の総指揮官だった。


他に国の機関がないアズスライでは、村の支配者に等しい。


他に『コミュニティ』のアジトが村にあるとして、それをニック・ハラルドが知らないということがあるのだろうか。


おそらくあの老人は、ルーアたちと『コミュニティ』をぶつけたがっていた。


他のアジトの存在を知っているのならば、ルーアたちに教えるはず。


村の中にいる限り、ニック・ハラルドの掌の上だった。


「村の中、なら……」


ぽつりと呟く。

同時に、なにかが途中まで閃く。


なぜ村の中にこだわり考えたのか。


村の外までは、ニック・ハラルドの手も眼も届かない。


そして、無限の逃げ道と無数の隠れられる場所がある。


問題は、どうやって村を抜け出るか。


アズスライでは、大量の武器と防具が日夜造られ、王都ヘザトカロスに送られている。


村の性質上、入るよりも出ることの方が難しい。


武器防具の密輸出や盗難を防ぐため、厳重な検査が行われている。


ティアを担ぎながらでは、騒ぎを起こさず村を離れることは不可能だろう。


ならばあとは、ニック・ハラルドやアズスライの軍に任せてしまえばいいのか。


なにかが引っ掛かる。

なにかを見落としている。


(密輸出を防ぐため、検査が行われる……)


逆に言えば、王都へ武器防具を送るための、正規の手順があるということだった。


それに紛れてしまえば、そして検査に引っ掛からなければ、堂々と村を出ることができる。


ここに来る途中にすれ違った、馬車の列。


荷として積まれているのは、武器や防具。


二ヶ月に一度、アズスライからヘザトカロスに送られる。

それは、今日。


足を負傷したテラントを置いて、ルーアは走り出していた。


今度は、完全に閃いた。


絶対の根拠などないが。


ティアは、あの馬車の列の中にいる。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ルーアが馬車の列と擦れ違ったのは、随分前のことだった。


今頃、村を出ているかもしれない。


だが、まだ村からそう離れた所にはいないはずだ。


途中から、飛行の魔法を発動させた。


魔力の消耗が激しいが、それを気にしている暇はない。


アズスライを出た瞬間、敵は様々な選択肢を得られるのだ。


そして、時間を与えれば与えるだけ選択肢は増えていく。


ティアの行方を追うことが困難になる。


村の出口まで来た。

ここから、長く細い道の上り坂だった。


それは、アズスライを包む崖を越えるまで続く。


村の出口には検問所のようなものがあり、アズスライの兵士たちが詰めているが、ルーアは飛行の魔法を維持し続け、彼らの頭上を飛び越えた。


制止の声が掛けられるが、無視して速度を上げる。


そして、高度を変え崖を昇る。


崖という岩の壁に穿たれている捩曲がった道を駆けるよりも、余程早い。

検問所にいた兵士たちにも捕まりにくい。


『急げ』


耳元で聞こえたエスの声に、ルーアは魔法の制御を失い掛けた。


それでも、なんとか立て直し、垂直に近い崖を昇っていく。


「……随分遅い登場じゃねえか」


『クロイツに押さえ込まれていてね。こうして声を届けるのがやっとだが。君の推測通りだ。ティア・オースターは、この先にいる』


(そうかよ!)


頭の中で叫び、崖を昇り終えた。

飛行の魔法を解除し、手と膝を付く。


長距離を飛行すれば、魔力の消耗はそれだけ大きなものになる。

速度を上げ高度を変えれば、尚更だった。


これまでの戦闘もある。


魔力が、もうほとんど残っていない。


こんな状態でも、ウェイン・ローシュやノエルと戦い勝たなければならない。


出し抜き、ティアを助け出さなければならない。


どうやって。


「知るか!」


短く声を上げ立ち上がり、飛行の魔法を発動させる。

可能な限り速度を上げる。


馬車の列の背後が見えてきた。

だが、様子がおかしい。

混乱し、停滞している。


転がっている軍人たちの姿が見えた。

斬られ、死亡しているようだ。


何人かの軍人が、馬を脇道へと向けていた。


(どういうことだ?)


『彼らを追え。ティア・オースターを乗せた馬車は、脇道へと入ったようだ。名前だけは知っているだろうが、ノエルの指示だ』


(ヘマでもやらかしたか?)


村を出ることには成功していた。

ここは騒ぎを起こさないために、しばらく馬車の列に加わっておくところではないのか。


まさか、ルーアの追跡に気付けたとも思えないが。


ティアの誘拐を軍人たちに気取られるような失敗でも、犯してしまったのだろうか。


『飽きてしまったのだろうな、馬車の列と付き合うことに』


(……は?)


『ノエルの思考を、理解しようとするな』


(……)


腑に落ちないが、ルーアは魔法を制御し脇道へと入った。


まだ遠い。

だが、不吉な気配のようなものを感じた。


血の臭いが流れてきているように思える。


馬車を軽くするためだろう、荷が打ち捨てられていた。


道が、先で少し広まっている。


中央に、黒い人影。

剣を抜いた、黒い髪に黒い瞳、黒い衣服に身を包んだ男。


足下に転がる、いくつもの軍人たちの死体。


(……あれが、ノエル?)


馬車は見えない。

足止めとして残り、馬車を先に行かせたのだろうか。


ルーアの前を行く軍人たちが、馬を駆り、ノエルに突撃する。


(……!?)


なにが起きたのかよくわからないのだが、近付いてはならないものに近付いたというように、人も馬も両断されていく。


『戦うな!』


珍しく、鋭いエスの声が響く。


『君では相性が悪すぎる!』


(わかってるよ!)


ノエルを避け、道の端へと飛行の魔法の進行先を変える。


ノエルに、一瞥されたような気がする。

本能的に、身を捩った。


眼の前を、剣が通り抜ける。

どういう勢いで投げ付けられたのか、剣身が根本まで木に突き立つ。


(……っ!)


無理な動きをしたために、墜落しそうになった。


それでもなんとか魔法の制御を取り戻し、地面との激突を避ける。


(危ねー……)


肩越しに背後を確認すると、感心したようなノエルの、やや幼い顔が見えた。


追ってくる様子はない。

人の足では、飛行の魔法に付いてこれるものではない。

馬も、自分で斬り倒してしまっている。


ノエルは、なんとかかわせた。


(あとは、ウェイン・ローシュか……?)


『いや、彼は……』


エスの声に、雑音が混ざる。


『村に……残っているため……』


そこで、縄を引きちぎるような音がして、エスの声が聞こえなくなった。


何者かの妨害を受けたのだろう。

何者かというよりも、クロイツか。


エスの妨害ができそうな者に、他に心当たりがない。


ともあれ、強敵との戦闘を回避できた。

あとは、馬車に追い付きティアを取り戻すだけだ。


魔法の使い過ぎで、眩暈がする。

唇を噛み破り、ルーアは意識をはっきりとさせた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「あーあ、かわされちゃった」


木の幹に突き刺さった自分の剣の所まで行き、ノエルはそれを回収した。


長い赤毛の男。知っている。

ザイアムに過去引き取られたことのある、ザイアムの息子のような存在。

そして、弟子のような存在。


鼻で笑う。

真にザイアムの弟子であるのは、自分だけだ。


セシルは、実に有能な女だった。

村を脱出するための下準備をしたのは、彼女である。


検査で引っ掛かることがなかったのも、セシルが堂々と受け答えをし、荷物に不審なものがなかったからだろう。


ホルン王国王都ヘザトカロスまで、馬車の列の中に加わっていればよかった。


だが、眠たくなった。喉も渇いた。

側にいた馬に跨がる軍人の鼻の具合が、気になった。

そして、飽きた。


だから、ノエルは剣を抜き、行動を起こした。


ウェインがアズスライの軍の基地で暴れているため、馬車の列に付いていた部隊のいくつかが村へ引き返し警護が手薄になっていたことも、行動の理由としては挙げられる。


適当に軍人たちを斬り倒し、馬車を脇道に入れるように指示を出した。


御者台にいるのは、セシルである。


突然のノエルの行動と指示にも、セシルはしっかりと応じた。


軍人たちが隊を為し追ってくる。

ノエルは馬車を飛び降り、セシルを先に行かせた。


向かってくる者たちを、尽く斬り捨てていく。


そこで、長い赤毛の男が現れた。

ルーアという名前だとは、記憶している。


剣を投げた。当たるはずだった。

しかし、すんでのところでルーアはかわした。


運か、実力か。

それだけのものを持っているということだ。


魔法で飛んでいる。

いくらなんでも、走って追い付くことはできない。


ティア・オースターを取り返されてしまうかもしれない。


セシルも、殺されてしまうかもしれない。


「まあ、いいか……」


首の後ろを掻き掻き、ノエルは呟いた。


ティア・オースターを取り返されたら、また奪えばいい。


セシルが死ぬのは少し可哀相だが、今更手の打ちようがない。


これ以上の追跡の部隊がないことを確認して、ノエルは別の小道へと入った。


セシルが操る馬車を、先回りできるはずだ。


なんとなく、セシルは死なないでくれるような気がした。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ルーアの視界に、馬車が映った。


あと少し。


魔力が枯渇しようとしている。

飛行の魔法の制御を失いかけ、何度も地面にぶつかりかけた。


それでも、なんとか魔法を持続する。


馬車が迫る。


負傷の影響のため、左腕は動かせなかった。

指先に、痺れがある。


右手を伸ばした。

馬車の荷台後部を掴む。


必死で自分の体を馬車に引き寄せ、頭で幌の後ろを破るようにして荷台に転がり込む。


疲労による眩暈に、頭がくらくらする。


荷台で横になっている女がいた。

ティア。ルーアの苦労など知らないだろう、安らかな寝顔である。


なんとなく腹が立ったが、これで助けられる。


だが、幌の前が開く。


御者台にいたのは、女だった。

黒い髪が、日に照らされ青く光沢しているように見えた。


身を捩り構えているのは、小型のボウガン。


「……!」


油断した訳ではない。

だが、魔力も体力も尽きかけていた。

そんな状態では、集中力を欠いてしまう。


女の持つボウガンは、連射式の物に見えた。


矢が放たれる。三本同時に。


防御のために上げた右腕に命中する。


普通の矢の半分以下の、短い物だった。


耐刃ジャケットを突き破るほどの威力はないが、衝撃に腕が痺れる。


女が、次々にレバーを引く。


殺傷能力は低いが、連射式、そして速射式、三本の矢を同時に放てる改造ボウガン。


防御の魔法を展開させるだけの魔力は残っていなかった。


腕でなんとか顔を庇うのが精一杯だった。


立て続けに矢が当たり、体が後方に傾く。


踏ん張るだけの体力も残っていない。


ティアを残し、馬車の荷台から転がり落ちるのを感じた。


(くそっ……!)


手を伸ばす。

だが、馬車は遠退く。

それが、妙にゆっくりに見えた。


最後、ティアになんと言ったか。

なぜか、それを考えた。


邪魔だからいらないと、そんなことを言わなかったか。


それが、ティアに掛けた最後の言葉か。


(ふざけんなっ……!)


背中から、地面に叩き付けられる。


車輪が回る音と振動を感じた。


「くそっ……!」


魔力が尽きた。体力も尽きた。

身を起こすこともできない。


浅くではあるが、足に矢が突き刺さっているようだ。


「くそっ! 畜生!」


『邪魔だからいらね』、最後にそう言った。


邪魔で足手纏いな女が、連れ去られていく。


これで、終わりか。


「ふざけんな……! こんな終わり方であってたまるかよ……!」


意思とは裏腹に、体は動かない。


日の光。鳥が囀り、木々が風でそよいでいる。


地に転がったまま、ルーアは呻き続けた。

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