二人分の敗北
アジトに戻ったマックスたちを、兵士が二人待っていた。
救援を求めるキースからの伝言である。
死にかけの敵を攻撃するために、戦力を集めているらしい。
上の立場を誇示するためか、命令のような口ぶりだった。
「……いいだろう。ダン、行ってやれ」
「わかりました」
アジトは、外から見た限りでは小さな民家にしか見えないだろう。
柱にマーシャを縄で縛り付けるダンに、マックスは告げた。
キースなど見捨ててしまいたいが、ウェイン・ローシュなどはそういう行動を嫌うだろう。
上の人間の心証が悪くなっても、いいことはなにもない。
マーシャを見張る者も必要なため、マックスは残らなければならないが。
マックスは、アジトで一人、なにかを待った。
マーシャは、意識を失っている。
助けにくる者が現れるだろうか。
保護者であるテイルータ・オズドは、おそらくもう死んだだろう。
生きていたとしても、助けにくる力など残っていない。
あと可能性があるとしたら、アズスライの軍人か、お人好しの旅人たちか。
本格的にアジトが広がる地下に篭るつもりはなかった。
マックスは、魔法を使える。
そして、『悪魔憑き』である。
左肩から先を、無数の鋼線のように変化させることができた。
鋼線を叩き付けてやれば、家の壁くらいは陥没できる。
どちらも、広い地上でこそ真価を発揮できる力だった。
マーシャをただ人質にするのも、芸がないように思える。
(……そうだな)
ふと思い付き、マックスは左腕の鋼線で家を支える柱に亀裂を走らせていった。
そのまま柱に埋め込み、体から分離させる。
崩れかけの柱に変わり、民家の屋根を支えている形だった。
これでいつでも、民家を倒壊させることができる。
幼いマーシャを圧殺できるくらいの重量が、屋根にはあるだろう。
仮にマックスを出し抜いて、マーシャを助けに民家に入っても、その者は屋根に潰されることになる。
もっとも、使う機会はないようにしなければならないが。
マーシャは、昇格するための材料であるのだ。
余り人質として使うつもりがないのだと、マックスは気付いた。
実力には自信がある。
そんなものがなくても、勝つ。
堂々としていればいい。
孤独になった少女を助けに、誰かがくるのだろうか。
時間が、ゆっくりと流れていく。
マックスは、ただ待ち続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
村の中を進む。
深夜であり、出歩いている村人の姿はない。
鍛冶場から鎚を打つ音が途切れることなく響く。
王都ヘザトカロスへ送られる武器防具が、昼夜を問わず作られている。
テラントは、アズスライの軍基地の外で、軍隊の調練の見学をしていた。
基地から知らせが来たのは、しばらくしてからのことである。
ユファレートが魔法を使い、一人で先に宿に帰ったという。
危険なことをと思ったが、彼女の側を不用意に離れた自分に、なにかあった時の責任はあるだろう。
自分で判断して、ユファレートは宿に帰還した。
それは、そう悪いことではない。
意思を取り戻しつつあるということだ。
更に、連絡が入った。
村人を人質に、民家に立て篭もっている魔法使いがいるという。
テラントたちが宿泊していた宿の近くで起きた事件であり、村人が基地へ通報したのである。
繋がった。
その魔法使いが使用した魔法を、ユファレートは察知したのだろう。
宿の近くのことであり、みんなの身を案じ、テラントを待たずに帰還した。
ニック・ハラルドは、調練中の部隊をそのまま現場に向かわせることを即座に決めた。
テラントも付いていこうとしたが、軍の仕事だからと断られた。
そして、基地への道がわからなくなっては困るだろうと、地図を渡された。
村の南西に印が付けられている地図である。
『コミュニティ』のアジトの印だという。
軍影を見送り、テラントは考えた。
道を忘れてはいない。
ニックも、それはわかっているだろう。
ならばなぜ、地図を渡した。
時間が随分経過したため状況に変化があるかもしれないが、デリフィスとシーパルとティアは軍人殺しの罪を着せられ、逃亡した。
アズスライの『コミュニティ』も、部隊を編成して三人を追いかけ回しているだろう。
宿の付近で起きた事件についても、『コミュニティ』が関わっている可能性が高い。
多くの『コミュニティ』の者が、村の中を動いている。
アジトは手薄になっていると見ていい。
ニックが率いるアズスライの軍隊ならば、村から『コミュニティ』の構成員たちを掃討するなど、容易いはずだ。
今までそれをしてこなかったということは、ニックは『コミュニティ』と事を構えたがっていない。
旅人たちがアズスライの『コミュニティ』を潰してくれれば、万々歳というところだろう。
つまり、今のうちに『コミュニティ』のアジトを叩け、とテラントに言っている。
テラントは、村の南西を目指した。
ニックの思惑通りに動くのは、いささか気に喰わないが。
意図を汲み行動すれば、ニックはテラントたちに利用価値があると感じるだろう。
利用価値を見出だせる間は、敵にしようとはしないはずだ。
軍が敵になればどれだけ厄介か、軍属だったテラントには嫌になるほどわかる。
ついでに、既にこの村の『コミュニティ』とテラントたちは、争っている状況だった。
痛撃を与えられるなら、それに越したことはない。
ユファレートに続き軍も向かったのならば、テラント個人が宿方面に行っても余り意味はないだろう。
やはり、アジトを叩きにいくべきだ。
地図を頼りに進んでいく。
そして、アジトまで徒歩であと二時間というところだろう。
テラントは、剣撃の音を聞いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
兵士が繰り出した槍の穂先が、脇腹を裂いていく。
新たな傷ができても、デリフィスは気にしなかった。
剣を振るい、兵士の体を断ち割っていく。
ノエルに敗北した。
傷は、そのままである。
血が染み込み体に張り付いた衣服が包帯の代わりをしていなければ、とっくに失血死していただろう。
ノエルと、捕らえられたティアを追った。
追い付けないとわかっていても。
進んでいると、遮られた。
相手はまた、キースというらしい初老の魔法使いに、十五人程度の兵士。
まともに歩けない。
ろくに剣も振れない。
それでも、戦うことはやめられない。
腹の肉を削り取られた痛みに、逆に意識が覚醒する。
右に左に兵士を斬り捨てていく。
矢を払い落とし、向かってきた光球も二つにする。
ミスリル銀と合わせて、剣を鍛え直した。
魔法でも斬れる。
兵士の壁の後ろで、キースが後退するのが見えた。
魔法を斬られ、動揺しているのだろう。
デリフィスの剣が魔法道具だと勘違いしたのかもしれない。
魔法道具には、ティアの『フラガラック』のように飛び道具として使える物もある。
キースは、そういうことを警戒しているのだろう。
距離を保ち、魔法を防御に使用することを考えているのか、それ以上仕掛けてこようとはしない。
キースが怖じけづいても、まだ兵士たちがいる。
十人以上がデリフィスを取り囲んでいた。
一斉に襲い掛かってくる。
デリフィスは、剣を振り回し応戦した。
兵士を斬り裂いていく感触が、反動となり体を叩く。
剣を振るたびに、傷口が開いていく。
血が吹き出る。
それでも、剣を振り続けた。
他に、戦い方を知らない。
傷が増えていく。
それでも決定的な致命傷だけは避け、デリフィスは剣で仮初めの命を奪っていった。
意識が途切れても、剣を振った。
いつ斬ったか記憶にないが、首から上のない兵士の死体が、前を遮っている。
蹴倒し、次の兵士を頭上まで斬り上げ、杭を地中に埋め込むように剣を振り下ろす。
どれだけの時間が流れたか、どれだけの傷を負ったか。
いつの間にか、兵士はあと二人になっていた。
途中で、また魔法を斬ったような気もする。
あと三人か。
だが、キースを庇うように現れた男がいた。
よく鍛え上げていることがわかる、引き締まった体付き。
手にする細剣。
デリフィスがその姿を認めた時、それを待っていたかのように突進してきた。
兵士の間を割り、繰り出される細剣。
その切っ先だけが見える。
見事な突きである。
鋭さだけを追求したかのような一撃に、剣で受け流すもデリフィスは横転した。
負傷した足が、言うことを聞かない。
兵士を斬りながら立ち上がる。
更に繰り出される突きを捌く。
(王宮剣術……?)
構えや華麗ともいえる足捌きはそれに近い。
実戦を強く意識したデリフィスの剣とは対極といっていい、貴族の剣である。
だが、お上品な貴族の剣術にはない荒々しさも感じた。
スポーツ剣術をより実戦向きに変えた剣術というところか。
負傷したこの体では、いつまでも防ぎきれない。
デリフィスの横に回り込み、キースが掌を向けてきた。
細剣を使う剣士は、その動きなど眼中にないかのように、デリフィスだけを喰い入るように見ている。
かなりの集中力である。
絶望的か。
だが、キースが背後から蹴り飛ばされる。
ルーアに魔法で狙撃され、右腕を痛めていた。
そして、その右腕から転んだ。
ぎゃっ、と悲鳴が聞こえる。
キースを蹴り飛ばしたのは、なぜこんな所に現れたのか、テラント。
キースを踏み付けにし、そのまま細剣遣いに突撃する。
細剣は、攻撃を受けるのには向いていない。
跳びすさり、テラントの剣をかわす。
最後の兵士を斬り飛ばし、デリフィスも細剣遣いに剣を向けた。
キースは、地面でもがいている。
テラントの登場で、一気に状況は逆転した。
細剣遣いが、微かに表情を歪ませる。
細剣を右手に、そして左手を腰の後ろに回す。
まだなにか、武器があるのか。
だが細剣遣いは、新たな武器を抜くことなく、横に走り出した。
キースと合流しようとしている。
すかさずテラントが間に回り込む。
細剣遣いはテラントに任せ、デリフィスは足を無理矢理動かしキースの元まで行き、痩せた魔法使いの体を踏み付けにした。
いつでも剣を喉に振り下ろせる。
「……ダン! 私を助けろ!」
キースは叫ぶが、立ち塞がるテラントに、細剣遣いダンは動けない。
救出を諦めているようでもないが。
「……諦めて、一旦退け」
口を動かすのも苦しいが、デリフィスは言葉を絞り出した。
「慌てなくとも、こちらから行く……人質交換だ」
「ん?」
人質という単語に、声を漏らしたのはテラントである。
ダンは、微かに眉を上げただけ。
テラント、デリフィス、キースと視線を移していき、そして後退していった。
キースが、助けを求めて叫ぶ。
踏み直して、黙らせた。
ダンの姿が見えなくなったところで、デリフィスは倒れ込んだ。
代わりにテラントが、キースに剣を向ける。
「……こいつの傷を治せ」
「……」
「断るのなら、殺す」
キースはテラントを見上げたが、睨み返されると身を竦ませた。
のろのろとデリフィスに掌を翳し、治癒の魔法を発動させる。
シーパルやユファレートの魔法とは比べられるものではないが、それでも傷口を塞ぐことができるのはありがたい。
「……お前、何人にやられた?」
「……」
言いたくはないが、言わない訳にはいかないだろう。
「……一人だ」
「……なに?」
「……一対一だ。一人の剣に負けた」
「……」
キースに向けている剣の先を、テラントは無駄にふらつかせた。
もしかしたら、動揺しているのかもしれない。
「誰にだ? さっきの……ダンて奴じゃないよな?」
ダンは、かなりの使い手ではある。
剣を合わせたのは短い時間であったが、それが充分に伝わってきた。
それでも体調が万全ならば、一方的に負けることはないだろう。
「違う。ノエルという奴だ」
「……ノエル、ねえ」
「お前は、手を出すな。……俺が斬る」
「その様でそれだけ強がりを言えればたいしたもんだ。で、人質ってのは?」
「そのノエルに、ティアが捕まった」
「……ティアが? 殺されずに、人質に? なんでだ?」
「わからん」
敵ならば、殺せばいい。
しかしノエルは、わざわざティアを生かして捕らえた。
しかも、失神させた時以外は乱暴を働かず丁寧に扱っている。
要求を通すための人質ならば、その扱いはおかしい。
取り敢えず命だけでもあれば、人質の意味はあるのだから。
テラントが、視線の向きを変える。
南西の方角だった。
ノエルが去った方向であり、デリフィスが向かっていた方向でもある。
「この先に、『コミュニティ』のアジトがある」
テラントが地図を取り出し、デリフィスの眼の前でひらひらさせた。
雑な見せ方でわかりにくいが、村の南西に印が付けられているようだ。
「ティアが連れていかれたのは、そこか……」
「だろうな」
そこまで会話をしたところで、キースが発動させていた治癒の魔法の淡い光が消えた。
魔力が尽きてしまったらしい。
容赦なく蹴りを腹に打ち込み、テラントがキースを悶絶させる。
「で、人質交換か。応じてくれるかね?」
軽そうな魔法使いの体を、テラントは軽々と担ぎ上げた。
「……応じてもらう」
デリフィスは、テラントの足首を掴んだ。
次いで、膝の裏、太股と掴み、体を這い上がっていく。
「おいおい……」
「歩けん……連れていけ……」
「……おとなしく、ここで死んでろよ。全部終わったら拾いに戻るからよ」
なんとかテラントの肩まで辿り着いた。
太い首に腕を回す。
「連れていけ……」
「あー……」
やれやれと溜息をついて、テラントはキースを担ぎ直し、デリフィスの手首を掴んだ。
「この負けず嫌いめ」
そのまま引きずり歩く。
「お前な、そんな状態で戦えば、今度こそ確実に死ぬぞ。わかってんだろうな?」
「わかっている……」
「ったく……」
まだ暗い。
だが、夜明けはそこまで遠くないだろう。
アジトに到着する頃には、朝になっているかもしれない。
「デリフィス、お前さぁ……死ぬなら、誰か一人殺してからにしろよ」
「……」
「それで、お前の負けじゃねえ」
一人殺し、それから死ぬ。
それは敗北ではなく、引き分けなのかもしれない。
「あんまお手軽に負けてくれるなよ。なんて言うか、俺の格が下がる」
テラントには、負けたことがない。
勝ったこともない。
敵と敵として、一度だけ戦場でぶつかった。
決着は付けられなかった。
それ以来、実戦の舞台でテラントと戦ったことはない。
訓練で剣を合わせたことはいくらでもあるが、実戦と訓練は違う。
「そうか……」
デリフィスの敗北は、実質テラントの敗北でもあるのかもしれない。
(俺の敗北は、二人分か……)
これは、簡単に負けてやる訳にはいかなくなった。
死ぬこともできない。
「気を付けよう……」
テラントに引きずられ、テラントと二人、デリフィスは進んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
朝になり、ウェインは身を潜めていた茂みを掻き分け、軍の基地の方へと向かった。
門までの距離は充分にあり、いきなり仕掛けることはできない。
門番が二人。
奥に詰め所のようなものが見える。
そこにも、何人か控えているだろう。
堂々と、ウェインは足を進めた。
門番たちも気付いているだろうが、ウェインがはっきりと姿を見せているためか、まだ襲撃者と認識していないようだ。
それも、門まで十数歩の所まで来れば変わった。
警戒の色が濃くなり、詰め所から四人ほどが出てくる。
ウェインは臆することなく門へ近付いた。
「……なんの用かな?」
門番の一人が問い掛けてくる。
さすがに、まだ手にする槍の穂先は向けてこない。
ウェインは無言で左手を伸ばし、槍の柄を掴んだ。
砕け散る。
「なっ!?」
驚く門番の胸を、掌で押した。
体がひしゃげ吹き飛び、壁へと叩き付けられる。
戦闘体勢を取る軍人たち。
ウェインは、静かに告げた。
「ニック・ハラルドに伝えな。『コミュニティ』が殺しにきたぞってな」
一人が、報告のためだろう基地の建物へと向かう。
残りは、ウェインに武器を向けてきた。
左腕を振る。
武器も軍人たちの体も砕けていく。
あっさりと門を制圧し、ウェインは基地の敷地を進んだ。
飛び道具だけには特別に注意する。
死角から狙われたら、そう対応できるものではない。
建物から、次々と武装した軍人たちが現れた。
建物の裏や中庭らしき所からも、姿を出し始めている。
何十人といる。
ニック・ハラルドによる訓練を受けた、統制の取れた集団。
強力な集団である。
だが、稀にあるのだ。
強力な集団が、強烈な個にあしらわれるということが。
彼らは今日、それを知る。
老いたニック・ハラルドの姿は、まだ見えない。
屈強な軍人たちの包囲の輪の中で、ウェインは構えた。