逢引予定
以下に記されているのは、ある占い師と客の記録されるに値する意味も無い会話の一部である。
――そうだね。取り敢えず相手の自宅の合鍵を入手して、家事するかな?
ん?ああ、そう定義されてみればあんたの恋し方や愛し方に近いかな。
その考え方は確かに面白いね。
与えられる側でありたいのか、与える側でありたいのか、か。
で、本題は喋らない積もりかい?犯罪行為だからか?
全く、随分昔にも言ったじゃないか。私は先読みの魔女だって。
まだ信じてないのか?
全く、何でそんなに現実主義なあんたが占なんて信じるんだ?
それにその時に忠告したじゃないか。いや、してないか。
なら改めて忠告しておこうかな。と言ってもこれが初めての忠告なんだが。
あれに関わると、駄目になるよ。
あんたが言う所の不肖の後輩はね、普通じゃない。
人と猿程の開きがある。
結構近いって?相変わらずだな。
あんたは猿に恋したり猿を愛したりした事はあるのか?
無いだろ?
その位違う。あれは人から分離しつつあるものだよ。
大体は途絶えるんだが、継続させようとする物好きもいるからね。
ああ、そう言った意味では、あんたが絶やさない様にすると言うのもありだね。
何を今更恥じらうんだ?そんなおぼこい女でもあるまいに。
それにしたって話が逸れ過ぎだな。
そろそろ今日の本題に触れようか?
反社会的と、非社会的と言う話さ。
凄く簡単に言うとだな。
暴れる餓鬼は反社会的。引き籠る餓鬼は非社会的。
反社会的の方が派手に見えるからな、調子に乗りたいだけの餓鬼はその方向に走る。
で、発散し続けて普通に戻る。若干影響が残る奴もいるみたいだが。
不良とか呼ばれる凡人がそれだ。
一方で発散出来ない輩もいる。
大体が外を拒絶して終わるな。引き籠りとかがそれだ。
でも中には発散せずに貯め込み続ける輩がいる。或いは発散しきれない輩か。
まあ、大体その手の輩は危険なんだが、あんたみたいな人間を妙に惹きつけるんだよな。
恋なんてのは大体危うさを内包するんだが、それは丁度いい刺激に感じるんだろう。
丁度良いどころか、行き過ぎて致命的なんだってのは後から気付く。
今のあんたがそうだな。
はあ。
悩ましい顔とか青い顔とかしないのか。
腹は決まってるんじゃないか。
そう言った感情は恋じゃなくて愛って呼ばれるんだが。
さっきあんたが定義した通りじゃないか?
恋とは与えられる側。愛とは与える側。
結局あんたは与えたいんだろ?
だったらしたい様にすればいい。
ん?止めないのかって?
占い師は客の人生を確定させないものさ。
もっとも、私は――
南那の住む残酷荘においてガスは各階に一つある共用スペースにしか引かれていない。
そしてその利用率は入居率の変動に殆ど影響されない。
二階では三人しか自炊をしない。
南那洋々と鮫島繭ともう一人。
南那と鮫島はもう一人の名前を知らない。
午前四時、チリチリと明滅する蛍光灯に照らされて、今は鮫島がそこを独占している。
山菜の素揚げが更に乗せられていく。
鮫島は心の中だけでニヤニヤ笑いながら、心待ちにしていた今日と言う日に思いを馳せる。
楽しくなりそうだと。
「明日、山に行こう」
そんな事を南那が言い出したのは昨日の夕食の席で、空の茶碗を差し出しながら。
先々週の一週間。三十二人もの人を殺しては、その死体を様々な場所に遺棄してきた南那は理想的な場所をようやく見つけた。
残酷荘の裏手にある山林だ。
寺と墓がある以外は人造物の無いその山林は一人の人間に所有されており、その所有者の名前は富宮富弥と言うのだが、そこまでの事を南那は知らない。
「昼食は準備しておきますね」
鮫島は米を茶碗によそいながら、心の中だけに満面の笑みを湛えてそう答えた。
実際の所はどうあれ、鮫島にとってはデートのお誘いと言う程度の認識だ。
人気の無い山中は鮫島にとって雰囲気の良い場所なのである。
自分の死体が似合いそうな場所だから。
同時に、短い間に阿吽の呼吸になった南那と一緒であればどこでも楽しめそうだと、そんな事も考えていた。
一緒に居て心地良い相手とはこう言った相手を指すのだなと、鮫島は心の中だけでニヤニヤ笑いながら考えていた。
今自分の中には南那が大きな領域を占有している。
一方で、南那の中でも自分が大きな領域を占有しているのを感じている。
「これはやはり相思相愛ですね」
そう言って、少しだけ頬を緩める。すぐに元通りになってしまったが。
そうしている間に素揚げの粗熱が取れる。
塩胡椒の小瓶を手に取り、殆ど残っていなかった中身を全て振り掛ける。
買い直さなくてはいけないなと思いながら、皿を持って部屋へと戻る。
「それにしても」
そこまでは言葉に出して、残りは心の中で呟く。
いつの間に相思相愛になったのでしょうか、と。
ここに来てからの時間を思い起こしても、特殊な出来事は殆ど無かった。
ただ毎日食事を用意し部屋を掃除し、南那を送りそして迎える。
そんな日々があっただけだ。
閉じると開くのが面倒なため、開きっぱなしにしていた扉から室内へと戻る。
ほぼ同時に炊飯器がご飯を炊き上げた事を電子音で通知した。
部屋では南那がまだ寝ていた。
最初は他人が居ると深く眠れないと言っていたが、今は鮫島が頬を軽くつついても起きない。
恋とは、または愛とは、存在感を消した先にあるのではないだろうかと、そんな思考が鮫島の頭を過ぎった。
どの様な経緯を辿ってその様な親密な関係性が構築されるのか。
極最近それを体験した筈なのに覚えていない。
その事実に気付き若干の寂寥感を覚える。
一体どんな経緯だったのか。
そんな鮫島の疑問に答える者はその場にはいなかった。
鮫島の知る所ではないが、向山雛と言う名の人間が占い師に同じ事を聞いている。
そしてその占い師は一つの回答を示していた。
以下はその一部である。
――詰まりだ、過ぎ去る事によって実体を伴うんだよ。全ては美化された経験で――
その回答が投げ遣りで適当なものだったのは兎も角。
鮫島は南那の寝顔を覗き込みながら、口角を僅かに引き上げて笑った。
まるで風鈴が鳴る様な涼しげな笑いだった。
その慎ましやかな笑い声に目を覚ます。
覗き込む風鈴の笑顔に珍しいものを見たと呟いて、出会ってから初めて、真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。
目と目が合ったと言う事は、双方にその事実が適用されると言う事。
“怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ”という言葉がある。
二人はどちらも怪物と戦う者ではないのだが。
覗き込まれる南那の方が鮫島の眼球をその虹彩の筋に至るまで見えていたのと同じように、鮫島もまた南那の眼球をその虹彩で蠢く極小の瞳まで見えていた。
きっと、この瞳の見え方を理解する事は出来ない。
鮫島は感覚的にそう思った。
生来、自他の認識の相違を理解しない鮫島が、そう思った。
それは先程僅かに感じて、すぐさま霧散してしまった寂寥感を強く引き戻した。
知りたい。
常に自分の事を考えて欲しい、即ち掌握したい、そう言った感情しか発現していなかった鮫島の中に、その感情が初めて生じた。
今までより深みが増した様な、南那の存在がより濃密で大きなものへと変容した様な、そんな感情を鮫島はあっさりと消化した。
自分の存在を南那に残したいと言う既存の感情に、自分もまた南那の存在を焼き付けて死にたいと言う感情を並列して抱いた事を把握しながら、鮫島は風鈴の笑いを深くして行く。
そして、僅か数秒で直視される事に耐え切れなくなった南那は、視線を僅かに逸らしながら右手を伸ばし、鮫島の頬を撫でて押した。




