マジシャンズ
何もこの部屋のを使わなくてもいいのに。
考えてみたら、3つの部屋を自由に使えるなんて、ミサは贅沢だよな。
トイレから出て素早く洗面台の前に立ったミサは、手を洗いながら鏡越しにこちらと目を合わせる。
「あたしの部屋で待ってて」
手を拭いて歩き出すと同時にミサが後ろで呟く。
「んん」
口をゆすぎながら頷いてミサの方に顔を向けると、もうすでにミサの姿は無かった。
照明と暖房を消してミサの部屋に入ると、こっちの部屋にも同じように暖かい空気が充満していた。
まさか昨日からこの部屋にも暖房を点けていたのだろうか。
でもホテルの電気代とかも、どうせタダなんだろうけど。
ソファーに座っているとミサに呼ばれたので、共に廊下に出る。
「氷牙、ちゃんとお風呂とか入ってる?」
扉を閉めて歩き出すと、ミサはこちらを見ながらそう聞いてきた。
「そういえば入ってないね」
「え・・・」
ミサの足が止まったみたいなので、後ろを振り返った。
「1日も?・・・え、シャワーも?」
ミサは徐々に困ったように顔を歪ませていく。
まぁ必要無いと言えば必要無いしな。
「そうだね、ここに来てからは」
「あら・・・そう」
少しだけ安心したように頷くとミサは歩き出すが、こちらに向けるその眼差しは依然として困惑さを訴えるようなものだった。
「でももう1週間も経ってるんだし、シャワーくらいは浴びなさいよ」
ミサは眉を八の字に曲げながらも優しい口調で言い聞かせてくる。
「そうだね」
ホールに入り朝食をとっていると、ユウコがミサの隣に座り、ミサとユウコはお互いに微笑み合うと世間話を始めた。
「ミサちゃんて、いっぱい服持ってるよね、いいなぁ」
「あたしはその制服もちょっと羨ましいと思うわ」
「そうかなぁ?」
「あたし、小学生の時から今の大学まで同じインターナショナルの学校に通ってたから、ずっと制服じゃなかったのよ」
「へぇそうなんだぁ」
しばらくしてユウジが、舞台の前方中央で静かに佇む1本のスタンドマイクに歩み寄っていくと、ユウジに気がついた人達から次第に話し声の音量が抑えられていった。
「皆さんどうも、今完成してるブレスレットは20個です。今すぐ欲しい人は先着順で、1人1個まででお願いします」
「ネックレスの方は作ってるの?」
声を抑えて話し掛けると、振り返ったミサはすぐに笑顔を浮かべながら顔を寄せてくる。
「それがね、ネックレスは少し時間が掛かるし、男性にはあまり人気が無いんじゃないかってことで不採用になったのよ」
「そうか」
「でもデザインのリクエストがあれば他の形のも作ろうかしらね」
そう言うとミサは小さく首を傾げながら、いつもの気品さを漂わせる笑みを浮かべる。
「そうか」
「夜になればまた増えるので、その時はまだ持ってない人を優先してほしいと思います。以上です」
ユウジが会議室に入ってしばらくすると、支度を整えたミサとユウコがゆっくりと席を立ち始める。
「それじゃあ行ってくるわね」
ミサは椅子を押し、バッグを肩に掛け直しながら、こちらに顔を向ける。
「あぁ」
このままイングランドに行ったら、やっぱり上手く話が出来ないよな。
今のうちにおじさんに相談してみるか。
舞台に向かう途中にブレスレットを持った人と何人かすれ違っていくが、その人達の誰もがその表情に小さな期待の中に若干の不満足さを伺わせていた。
そこまで売れ行きが良い訳じゃないみたいだ。
やっぱり皆2つ一気に手に入れたいという考え方なのかな。
会議室に入るとテーブルの上にはダンボール箱が置いてあり、そのダンボール箱の前には、ブレスレットを受け取りに来る人を楽しそうに待つマナミが居た。
「あ、氷牙も欲しいの?」
こちらに顔を向けながらマナミは笑顔を浮かべ、箱からブレスレットを取り出し始める。
「いや、おじさんに用があって」
「何だそっかぁ」
するとマナミは残念がるような顔色を見せながらブレスレットを箱に戻すと、ゆっくりと椅子に座って本を読み始めた。
おじさんの扉をノックすると返事が聞こえ、間もなくして扉が開かれた。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
「はいどうぞ」
「まだイングランドからは連絡来てない?」
巨大なモニターの前に椅子を出して貰いながら話を切り出す。
「来てないですね」
向かい合うように椅子を回しながら、おじさんは恐らくメールを確認するかのように片手でキーボードを叩いている。
「そうか、あのさ、小型の自動翻訳機ってあるかな?」
「ありますよ、いくつ必要ですか?」
おじさんはモニターを見ながらすぐに平然とそう応えてから、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
「2つでいいよ」
「分かりました」
立ち上がったおじさんは巨大なモニターから右手に歩き出すと、隅にある小さなテーブルに置かれたステンレス製の箱を開ける。
間もなくして椅子に戻ったおじさんは、青いスイッチが印象的な人差し指ほどの白いイヤホンマイクを2つ、キーボードの前に置いた。
「これでいいですか?」
「あぁ、ありがとう、イングランドから連絡が来るまでここに置いといてくれない?」
「分かりました」
会議室から出たときに、突如ホールにおじさんの声が響き渡り始める。
「警視庁から応援要請が出ました。応えられる方はすぐに私の部屋に来て下さい。繰り返します・・・」
早速警察は能力者を頼ってるみたいだな。
そういえば東京にはここ以外に組織はあるのだろうか。
間もなくしてノブやヒロヤ達が足早に舞台に上がってくる。
「おぉ氷牙、聞いたろ?お前も来るか?」
ノブが立ち止まりこちらに話しかけてくる中、他の人が次々と会議室に入っていくが、不思議と舞台やホールにはそんな彼らの緊迫感が伝わっていないように感じた。
「僕はちょっと用があるんだ」
「そうか」
そう言うとノブはすぐに会議室に入って行ったので、舞台から下りてテーブルに向かう。
ノブは確か自衛隊に居たって言ってたし、実戦になってもノブなら上手く動けるのかな。
そういえば、鉱石があれば誰でも能力者になれるんだし、北村刑事が能力者になれば、テロにもすぐに対応出来るかもな。
「ちょっとあんた」
すぐ横をすれ違う時に、ふと知らない女性に話しかけられる。
「ん?」
「あんたは応援には行かないのか?」
ショートヘアで少しハスキーボイスの、ノブと同じくらいの歳に見えるその女性には、一瞬だけ初対面とは思えないような親しさを感じた。
「用があって、ここで待たないといけないからね」
「ふーん、あんたが応援のチームに名前を入れないなんて意外だって、ノブが言ってたよ」
支援型には見えないけど、戦いの現場に行くとなれば攻撃型なんだろうな。
テーブルに腰を掛けながら、その女性は天井や床を見ながら気楽そうに話している。
「戦えるのは僕だけじゃないしね」
「それもそうか、思ったんだけど、警察の人間が能力者になれば警察も楽になんじゃないかな?」
「僕も同じこと考えたけど、警察に鉱石の事を言えば、国が鉱石を管理するようになるかもね」
「ああ・・・それは嫌だなぁ」
女性は腕を組みながら少し険しい顔で目線を上に向けた後、何かを思い出したかのように歩き出し、舞台に上がっていく。
援軍のチームって何人くらいになったんだろう。
「氷牙」
タツヒロの声がした方に振り向くと、歩み寄ってくるタツヒロのその表情は真っ先に強い緊張感を感じさせた。
「あぁ」
「一応さ、昨日例のスレ見たんだけどさ」
喋り出したタツヒロはポケットから携帯を取り出しながら、近くの椅子に腰掛けていく。
「ここ3日くらいで目撃情報がすごい増えててさぁ。どこに行ったら良いか分かんないんだよね」
画面を指でなぞりながら話していたタツヒロは、最後におもむろにその携帯を見せてきた。
今画面に出ている限りでも3件の目撃情報が書かれているのが分かり、指でなぞって少し画面をスクロールさせただけでも、更に2件の目撃情報と思われる書き込みが確認出来た。
「そうだね」
こんなに目撃されてるのか、巨大生物は。
最初に戦ったライオンよりも遥かに巨大な野良猫や、群がるやじ馬を一瞬で蹴散らせた、人間をも越える巨体を有するカラスが、そこらじゅうに居るってことか。
携帯をタツヒロに返し、タツヒロが再び画面をスクロールさせ始めたとき、ふとタツヒロの指と目の動きが止まったのが分かった。
「どうかした?」
「・・・いや、この最初の目撃情報の書き込みの場所に、カサオカが来て、次の書き込みの場所にはアリサカが来たことがネットに書かれてたなぁって」
「そうか」
「あ、その次の場所も確かニュースに出てた」
もしかして、書き込まれた順に巨大生物を襲撃してるのか。
「順番にやってるってこと?」
「多分そうだよ。その次のがマルが出てた場所だから」
順番か、なら次にアリサカ達が出る場所も特定出来そうだ。
「最後にアリサカ達が出たのはどこ?」
「えっと、マルが出てた場所の次のが最後だから、その次は芝公園だね」
また随分と有名な場所だな。
いや、だからこそ書き込みがあるのか。
「芝公園のどこら辺?」
「ああ、芝公園内でも別の巨大化する動物が何体か目撃されてるみたい」
何体も?・・・。
まぁ広いしな、目撃情報が複数あっても不思議じゃないけど。
「とりあえずそこに行こうか」
「そうだね」
席を立ったタツヒロの表情はどこかすっきりしたようなものになっていて、先程伺えた不安感は、まだやるべきことを見定められていなかったことから来るものだということが何となく分かった。
「行く前にちょっとおじさんに用があるんだけど、良いかな?」
「ああ、いいけど」
会議室を通っておじさんの部屋への扉を開けると、ゆっくりとこちらに振り返ったおじさんの表情は至って冷静さに満ちていた。
「氷牙君、どうかしましたか?」
ノックしなかったけど、別に怒りはしないんだな。
「これから外に出るんだけど、イングランドからメールが来たらすぐに知らせて欲しいから、無線機みたいなもの、無いかな?」
「そうですねぇ」
あれ、さっきはすんなりと答えを出したのに。
席を立ったおじさんが右手にある小さなテーブルに向かうと、テーブルに置かれている様々な形の物の中に紛れたステンレス製の箱から、先程のものとは違う小さなイヤホンマイクを取り出した。
「では、メールが来たらこれに通信を入れますので、持って置いて下さい」
「あぁ、ありがとう」
会議室を出ると舞台下で待っていたタツヒロとホールの後方に行き、芝公園と書かれたシールキーを貼ってから中央の扉を開ける。
「やっぱりさ、動物が縄張りにするんだから緑が多い所が怪しいと思うんだ」
「あぁ、そうだね」
人気の多さを寛大に包み込むような、穏やかさに満ちた雰囲気を感じながらふと東京タワーを眺める。
例え緑が多い所にしか縄張りを作らないとは言え、ここは都心部だ。
存在するだけでもかなり危険だよな。
「あれ・・・」
そんな事を考えていたときに、突如タツヒロが小さく声を出しながら遠くを見つめる。
タツヒロの目線の先に目を向けると、そこには小さな人だかりがあったが、そのやじ馬らしき人達の中には先端に大きなマイクが付いた長い棒を持つ人や、日光を反射させるための大きな白い板を持つ人、そして肩に乗せなければならないほど大きなカメラを持つ人が居た。
「何か撮影してるよ」
「あぁ」
人気の多さはあれのせいか。
それより、もしあの人達が巨大生物に襲われなんかしたら・・・。
ふと同じようにその人だかりを遠くから眺める、深くフードを被った1人の人物が目に留まる。
「氷牙、もっとあっち行ってみよう」
「・・・あぁ」
その人物から目を離そうとしたとき、その人物はおもむろに伸ばした右腕を水平になる高さまで上げていく。
「タツヒロ」
「ん?」
その瞬間、その人物の右手には突如ロウソクの火の如く、赤々と揺らめきながら燃え盛る豪炎が灯った。
「テロだ」
その人物がゆっくりとこちらに体を向けてくると同時に、タツヒロはメルヘンチックなデザインの拳銃を手の中に出現させる。
炎か、相性が悪いな。
この章でのミサの行動は、まぁ男の妄想のテッパンでしょうね。(汗)
ありがとうございました。




