生きていればこそ
「とりあえずエターナルに戻ってバズールに会うか」
「あぁ」
翼を解放した時、ふと見たことのない作りや屋根が並ぶ、見慣れない街に我ながらようやく戸惑いを覚えた。
そういえば。
この街は、見覚えかない。
「なぁ、ここどこだ?」
「分からない。方角を聞けば問題ないだろう」
「だな」
何となく振り向くと勝手に開く扉から白布を着た男が出てきたので、翼を消して歩み寄る。
「チュウドウという国の方角を知らないか?」
どこか疲労感に苛まれたような顔色の若い男は、表情を固まらせたまま言葉に詰まり、困ったように唸り出した。
「あ、ちょっと待って下さい」
そう言うと男は羽織っている布の穴から何やら掌に収まる大きさの、黒く四角いものを取り出し、そしてそれを指でなぞり始めた。
「・・・方角は、あっちですけど」
男が指を差した方に顔を向け、ガルガンと顔を見合わせてから歩き出すが、すぐに男が呼び止めるように声をかけてくる。
「チュウドウって、どれくらいの距離か分かってます?」
「いや、遠いのか?」
すると男はその質問になのか、こちらの落ち着いた態度になのか首をひねり、しかも眉を緩め、苦笑いを浮かべる。
「いやぁ、遠いですよぉ?もしかして、今歩いていこうとか思ってます?」
「いや、飛んでいく」
「え、ティーガーですか?」
「いや、自分の力、人間からすれば、魔法とでも言うものだ」
大きく頷いた男の、落ち着きを取り戻していく様を見ながら再び歩き出し、翼を解放して街並みを眼下にしていく。
「なぁベイガスもハクラからリッショウ教えて貰ったんだろ?」
ん・・・。
「リッショウ?」
「背中に排気口をってやつ」
ああ、あれか。
リッショウというのか。
「あぁ」
「いやぁ、リッショウってすげぇよな?体が軽くなる上に、堕混の気力だって膨れ上がってさ」
「あぁ。ところで、方角が分からなくなったらどうするんだ?」
「そんなの、また誰かに聞きゃいんだよ」
いつもの後先考えないような物言いと気さくさ溢れる笑みは不安を消し、ふと初めてこの世界に来た時を思い出させた。
しばらくして山を越えると見えてきた、青い屋根の建物が敷かれ、大きな水溜まりのある街に一旦降りていく。
そして建物の陰に降り立ち翼を消すと、ガルガンは途端に怠さを吐き出すようなため息を吐いた。
「全然着かねぇじゃねぇか」
「少し休むか」
白布の男は遠いと言ってたが、まさかこれほどとは。
「何か食うか」
「おおそうだな」
前方の網目状の模様が入った赤茶色のキレイな道から、後方の踏み固められたような荒々しい道で繋がれた、でこぼこな肌にうねった枝が伸びる木々が生い茂る山に目線を移していく。
「オレ達も一旦ユーフォリアについて行けばよかったな」
「あぁ」
法則性の無いうねり方で、胸元より高い視界をグシャグシャに阻む枝をくぐっていくが、途中で突如ガルガンは疲れきったような力無い笑い声を上げた。
「無理だろこれ。こんなんじゃ生き物も居ないんじゃないか?」
確かにそうだが。
「だが、金が無いなら、自分で獲るしかないだろ」
「・・・そこに誰か居るのかぁ?」
ん?
年老いた男の声がする方には葉の付いた枝が入り組んでいて、視界が全く悪く、ガルガンでさえも疲れやら怠さやらで顔をしかめる。
「助けてくれ」
な・・・助けを。
「仕方ねぇな、ベイガス」
「あぁ。どこだっ」
「おっ、ここだぁ」
仕方ない、焼き払うか。
いや、これでは翼も出せない。
「ガルガン、とりあえずへし折っていこう」
「あぁ」
体を大きくさせていくガルガンを見てから赤い光の剣を作り、枝を斬り払っていく。
こんな森があるとは。
「爺さんどこだー」
「・・・う、上だ」
ん?上とは。
な・・・。
顔を上げてみると、そこにはまるで洗った布を乾かすように枝に俯せにもたれかかった、1人の初老の男が居た。
「滑り落ちてしまってな、腰を打って動けないんだっはっは」
そう言って男は身動きの出来ないそんな状況下を、何がおかしいのかと思うくらいに明るく笑い飛ばす。
「そこの街に運べば良いのかぁ?」
「おう、悪いな若いの。まずはこの荷物を頼む」
体を元に戻したガルガンと共に男の肩を支え、男の家だという巨大な水溜まりの傍にある建物に入る。
「えっお爺ちゃん、またなの?」
また?
真っ先に気怠そうな口調でそう言った若い女は、ガルガンに椅子に座らせて貰っている男に手を貸さず、すぐにこちらに歩み寄り、表情を曇らせる。
「ごめんなさい。迷惑かけてしまいまして」
「いや。俺達はたまたま通りかかっただけだから」
「おうそうか、そりゃあオレぁツイてるな。はっはっは、あっ腰に響いたっはは」
まったく陽気な爺さんだ。
「あの、お急ぎでなかったら、何かお礼でも」
お、お礼・・・。
顔を見合わせるとすぐにガルガンはニヤつき、そんなガルガンを見てか女も役に立てるのを嬉しがるような安堵を伺わせる。
「家がレストランやってて、もし良かったらお食事でも。そこのミズウミで捕れた新鮮なお魚を使ってるんです」
レストランか。
「いや、オレら、金無いんだ」
「構わんよ、お礼なんだっあっはっは」
「いやぁ悪いなぁ」
これも、運命なのだろう。
女に連れられて家を出ると、巨大な水溜まりを右手に女は道を進み、華やかに飾られた花が店先に並ぶ建物の先にある、道を挟んでウッドデッキから水溜まりを望める造りとガラス張りの壁が印象的なレストランに入っていった。
水溜まりに冷やされた心地のいい風を感じながら、レストランに入り、少し照明の落とされた店内にまばらに居座る客を眺めながら、ソファーのような形の席に適当に座る。
「静かな街だな」
「あぁ」
「ていうかオレら、ツイてるよな」
「きっと運命だろう」
するとガルガンは遠くを見ながらふと思い出すような笑みを溢す。
「王の言葉か。生きていればこそ、確かにそうだよな」
こういう旅も、良いものだな。
「まさかあの天使がエターナルに入るなんてなぁ、これからずっと顔を合わせる訳か」
掌よりかは小さい、放射状に広がる窪んだものの中に入った、くすんだ白さに染まった得体の知れないものをフォークで刺し、口に運ぶ。
んん?
塩気に弾力のある歯応え・・・。
「んー、うめぇなこれ」
思わず表情を綻ばせてしまいながら、同じように堪えきれずに笑みを溢すガルガンと目を合わせ、再び皿に置かれている、放射状の窪んだ殻のようなものを眺める。
美味い。
噛むごとに肉厚な身から溢れる、脂身の無い爽やかな塩気に満ちた汁。
得体は知れないが、美味い。
これが、あの水溜まりから採れるというのか。
「お口に合いますか?」
女に顔を向けると同時に、女は次に何やら赤々と色づいた長い殻が盛られた皿を運んできた。
「初めてだけど、すげぇうめぇよ」
慣れた手付きで2つの皿をテーブルに置きながら、ガルガンの言葉に女は安心するような笑みを浮かべる。
「良かった」
「何て言うんだ?これ」
「バイロンハマグリです。あのミズウミの名前がバイロンなので、あそこから採れるギョカイ類は、バイロンって名前が付くんです。なのでこの街もバイロンの街って呼ばれてるんです」
バイロン、か。
「ふーん、で、これは?」
「バイロンシュリンプです」
この殻は、食えるのか?
それともこのバイロンハマグリと同じなのか。
「食えるのは、中身だけか?」
すると女は質問に疑問を感じるように、一瞬だけ目を見開き、言葉を詰まらせた。
「あ、はい。もしかして、見るのも初めてだったりしますか?」
「あぁ」
「へぇーそうなんですかぁ」
そんなに驚く事なのか。
赤い殻に沿うように詰まった身をフォークで剥がし、透き通ったような肌色に染まった色合いの身を口に運ぶ。
「これもうめぇ」
うん、これもしっかりとした歯応えにすっきりとした甘みが強い肉汁が、真っ先に美味いという言葉を引き出させる。
「旅の途中だったりするんですか?」
「いや、チュウドウに行きたいんだ。だが金が無いから、自分の力で飛んでいくつもりなんだが」
「えっチュウドウって、あのチュウドウですか」
あの、とは。
「その国のモノカイという街に行きたいんだが、ここからは近いのか?」
「え」
すると女はすぐにまるで戸惑うように笑みを溢す。
「飛んでいくって。すごいですね。ティーガーならわりと時間はかからないですけど」
ティーガー、俺が吸収したもの。
なら俺の力なら、時間はかからないということか。
「では今回は本当にありがとうございました」
「あぁ」
しばらくして店を出て、手を振る女に軽く手を振り返してから翼を解放し、水溜まりを眼下に街を後にしていく。
「なぁ、ベイガスが吸収したあれってティーガーだよな?」
「あぁ」
「なら本気出しゃすぐに着くんじゃねぇか?」
「だが、俺についてこれるか?」
するとガルガンはそれが答えだと言わんばかりにすぐに挑戦的にニヤついて見せたので、リッショウを意識し、最大限まで翼に力を込めていく。
「あっはっはっは、いやぁーはっはっは」
大笑いしているガルガンと共に緩やかな下り坂を進み、勝手に開く鉄の扉を抜ける。
「ほんとすげぇな、リッショウ」
よくついてこれたな。
「あぁ」
「おお来たか」
親しげに迎え入れるエターナルの人間と軽く挨拶をかわし、更に奥にもある扉を抜けると、こちらに気付いた1人を皮切りに周りの人間達も、まるで家に帰ってきた者にかけるような声を一様に発してくる。
アレグリアには悪いが、やはりここが俺の居場所だな。
「バズールから聞いたが、用は済んだのか?」
「あぁ、そんでオレはちょっくらサジタルの村に行ってくる」
するとバズールと顔を見合わせたセディアフはその話も知っていたという態度で小さく頷く。
「あぁ、結婚するんだろ?」
「あは、まぁそれはこれからだよ」
照れ臭そうに笑みを返すガルガンにセディアフも表情を和らげる中、居心地の良い雰囲気にふと死神界を思い出す。
レイ、あの時の俺はやはり少し生き急いでいたのかも知れないな。
だが、やはり堕混になって良かったよ、こうしてここに居られるのも、レイとバクトのお陰だな。
いつか、顔を出してみるか。
バズールと共に再び荒野に出ていき、そしてしばらくして乗り物を降りてサジタルの住み処の入口へと入っていく。
「ガルガンは村で暮らすのか?」
「あぁオレはぁ、エターナルがあるから、出来れば外で暮らしたいけどな。けど、メーラがこっちで暮らしたいって言うなら、エターナルを行き来することになるかなぁ」
さすがにエターナルを理由にほったらかしにすれば、愛想尽かされるだろう。
エレベーターを降り、心の底から穏やかさを感じられるような静けさに満たされた村を進む中、ふとガルガンの緊張したような横顔にもまた微笑ましさが湧く。
仲間、そして家族か・・・レイは尻に敷かれてたが、ガルガンはどうだろうな。
「バズールは結婚しているのか?」
こちらに顔を向けるとすぐにバズールは目線を落としたが、その表情は落胆ではなく照れを伺わせた。
「いや、だがこの前、カシカの町の道を作っただろ?そこの娘から、恋文を貰った」
おおっ。
「それは良かったな」
「相手はどんな女だ?」
するとすぐにガルガンがニヤつきながら問いかける。
「それが、12歳の娘なんだ」
な・・・。
「そ、そうか」
「が、頑張れよ」
「ベイガスはどうなんだ?」
結婚、か。
「そりゃあいつかはしたいさ」
長老の家に着き、ガルガンが扉を軽く叩くと、少しして扉が開けられ、メーラが顔を出した。
「よっ」
するとすぐにメーラは嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら、扉を大きく開けて中に迎え入れた。
「待ってたよ」
「あぁ」
微笑み合う2人の姿にふとこれからの未来に明るさを感じながら、カシカの町の希望に満ちた人間達の姿を思い出す。
「お爺ちゃーん」
正面の部屋に向かい椅子に座るとメーラはキッチンに向かい、その間に長老が奥の別の部屋から姿を現す。
「部屋なら空いてるのを使えばいい」
ん。
「あー」
「それともメーラと一緒が良いじゃて?」
「ちょっと待ってくれ。これから話し合うんだ」
「何だそうか」
長老が椅子に座り、メーラが皆の分のサミガーをテーブルに置くと、トレイを置きながらガルガンの隣に座ったメーラは、すぐに期待を寄せるような笑みをガルガンに見せる。
「じゃあとりあえず2人用に家具模様替えしよっか」
「え」
「え?それとも新しく2人だけの家作る?」
だが、この早とちり家族とは、先が思いやられるかもな。
ベイガス篇終了です。
ありがとうございました。