ビニース・ザ・ムーン
「見た目は普通に人間だね」
「私達は九十九神と一緒に暮らしてるんです。欲まみれの人間と一緒にして欲しくありません」
小さく首を横に振りながら、その女性は自信の伺える優しい笑みを浮かべる。
「そうか」
角を地面から抜いてあげると、その女性は大きな荷物を抱えるように角を持って去って行った。
翼を消して角を持ち、鬼達の死骸と薙ぎ倒された木々を何となく見渡す。
ジャクヨクはどっちだっけ。
しばらく歩いていると少しずつ日が暮れ始め、林の中に居るからか、薄暗い視界と共に妙な静けさが辺りを支配し始めた。
そんなにジャクヨクから離れちゃったのかな。
空でも飛ぶか。
「ねぇ」
足音も気配も無いその場で、いきなり後ろから声を掛けられたので反射的に振り返る。
薄暗くて見づらいが、シワがあり過ぎる着物を着崩しているその女性は、大きく胸元と脚を露出しながら誘うような目つきでこちらを見ていた。
いつの間に・・・。
するとその女性はゆっくりと歩み寄ってきて、こちらの胸元をゆっくりと撫で始めた。
「あんた、迷子かい?」
「・・・まぁ、そういうことになるかな」
こちらの胸を撫で下ろしながら腰に手を回してくると、その女性はこちらの耳元に口を寄せた。
「なら、あたしが町まで連れてってあげるよ」
そう囁いたその女性は顔を目の前に戻してくると、首を小さく傾げながらこちらの腰に当てた手をゆっくりと下げ始める。
「いや、良いよ。道ならすぐ分かるし」
「ならあんたは、あたしをこの薄暗い林に置いていくのかい?あたしが妖怪共に喰われても良いって言うのかい?」
唇が着きそうなほどの距離でそう囁くその女性の眼差しから、淋しさと共に何か別のものを感じた。
・・・まぁ町に帰るだけだけど、確かに日も落ちてきたしな。
「じゃあ、一緒に帰ろうか」
「3つ目もぎりぎりだったみたいだからぁ、4つ目は相当難しいわねぇ」
確かに、侵略する場所が分かってれば、配置する兵も増やせるだろう。
柔らか過ぎるほどの眼差しでバードがレテークに目を向けると、小さくため息をつきながらレテークはうつむき出す。
「陽動とかどうかな?」
「そうねぇ、中心街から離れた四方の町と言っても、小さな町じゃ無いからぁ、兵を分散させるのは案外簡単かも知れないわねぇ」
ソファーに座りながら部屋の反対側のテーブルの椅子に座る2人の会話に耳を傾けていたとき、2階から下りてきたシープは周りを見渡しながらバードの向かい側に座った。
「そろそろ夜ご飯食べようよ」
「そうねぇ、ラビットはぁ?」
「チガリューって人について行ったけど、戻って来てないね」
・・・確かラビットもコガと言う町に行ったんだったな。
「もうちょっとラビット待ってあげたらぁ?」
その瞬間、突如扉の前に飛び込むような姿勢のラビットが出現する。
どうかしたのか・・・。
そしてそのまま倒れ込んでいるラビットに近寄ると、ラビットの肩と脚からは血が溢れ出ていた。
「つぅ・・・」
「ラビットっどうしたの?」
シープが駆け寄ってくると、ラビットは肩を押さえながらゆっくりと起き上がった。
「チガリュウに、やられちゃった」
・・・何だって?堕混の力を貰っておいて裏切るなんて。
苦しそうな表情でこちらに顔を向けたラビットはすぐに扉を睨みつけた。
「ハルク、もうすぐチガリュウが来るから、迎え撃ってよ。話次第じゃ、殺しても良いから」
「分かった」
小屋を出てすぐに翼を解放し、堕混の力の気配を頼りにチガリュウに向かって歩き出す。
少し進んだときに鋭い殺気を感じると、やがて木々の向こうにチガリュウの姿が見えた。
「貴公か」
「お前、何でラビットをやったんだ?」
逆立った毛のように何百もの刃で両腕を覆ったチガリュウは、殺気に満ちた眼差しで小さくニヤつき出した。
「我は力が欲しかっただけだ。どの龍にも太刀打ち出来ぬほどのな。故に元より貴公らと行動を共にするつもりはない」
「だからってラビットをやる必要は無いだろ」
「貴公らの目的は刻印であろう?それは我も同じ故、邪魔な貴公らには先にここで消えて貰う」
・・・俺らを利用したって訳か。
「なら、もうお前は戻るつもりは無いんだな?」
チガリュウの表情から笑みが消えると、眼差しからは空気を刺すような殺気が溢れ出した。
「・・・無い」
「分かった」
体中に力を溜め、白と黒の水流を生み出して体を覆った。
視界を覆っていた水流が消えると、こちらを見上げたチガリュウの眼差しに宿る殺気に、一瞬の陰りが見えた。
「・・・な、何だ・・・その姿は」
しばらく経ったけど、全然町に着かないな。
もうすっかり夜だし。
「あのさ、本当に町に行く道知ってるの?」
立ち止まったその女性はゆっくりとこちらに振り返り、黙ってこちらを見つめてきた。
すると表情は見えないがほくそ笑むように微かな笑い声を出しながら、その女性はゆっくりと歩み寄ってくる。
「なぁ、夜も遅いし、このまま朝までここに居ようじゃないか、疲れたろ?」
そしてその女性はゆっくりと抱きしめてきた。
・・・やっぱり道分からないのか。
「・・・夜は冷えるだろ?あんた・・・あたしを温めておくれよ」
着物の内側から腰に手を回してくると、女性の手がお尻のポケットに入った感覚がした。
・・・ん?
その女性が体を放し始めたときにとっさに女性の腕を掴むと、女性の手には小判型に光が反射する何かが握られていた。
・・・金の小判?
まさかこの人、ただの物取りか。
女性に顔を向けたとき、威嚇するように剥き出しになった歯には2本の牙が生えていた。
・・・人間じゃない?
「ギャァァァ」
突如その口から猫に似た声が発せられると、女性の腕が振り上げられたのがかろうじて見えたが、その直後に左側の首筋辺りから、ピックで氷が刺されるような音が響いた。
「何っ」
防壁のヒビに気を取られた隙に女性から金の小判を奪い返すと、女性は素早く腕を振り払って後ろに下がった。
「お前、人間じゃないのか?」
・・・それはこっちの台詞だけど。
「普通の人間じゃあないかな」
まぁ・・・色仕掛けで迫る強盗ってところか。
「糞ったれ」
一言吐き捨てた女性は瞬く間に暗闇へと消えていった。
・・・とりあえず、ここはどこかな?
こんなに暗いんじゃ、空飛んだって分からないし。
困ったな。
「あっハルク帰って来たよ」
小屋に入ったときに目が合ったシープが声を上げると、落ち着いた表情をしたバードが奥の部屋から出てきた。
「ラビットは?」
「あっちの世界に行ったからぁ、すぐに手当てして戻って来るわよぉ?」
「そうか」
まぁあれくらいの傷なら命には関わらないだろう。
テーブルの椅子に座るシープの向かいに座ると、シープは少し怒ったような表情で身を乗り出す。
「ハルク、ちゃんとやっつけてくれた?」
「あぁ、遠くに飛ばし過ぎたから、死んだかどうか分からないけどな」
「そっかぁ」
落ち着いた表情に戻ったシープが背もたれに背中を着けたとき、突如シープの腹から小さな音が鳴った。
「あ」
「ラビットも大丈夫だしぃ、ハルクちゃんも帰って来たから、夜ご飯食べちゃおっか」
何となく暗闇の林を歩いていたとき、ふと遠くの方から何かが走ってくる足音が聞こえてくる。
・・・さっきの人じゃなさそうだな。
全貌までは分からないが、走ってきたのは子供の狼みたいで、その狼は走ってきた勢いでそのまま襲い掛かってきた。
しかし防壁にぶつかった子供の狼は、跳ね返るように飛んでいって地面を軽く転がった。
何だ何だ?
・・・妖怪なら、今は無駄に傷つけて親玉を呼び寄せるのは面倒臭いな。
暗闇だし。
立ち上がった子供の狼はこちらに体を向けると再び飛び掛かってきたが、案の定防壁にぶつかって軽く跳ね返る。
とりあえず・・・逃げようかな。
鬼の親玉の角を抱えて軽く走り出していくが、子供の狼も追いかけてきて何度も防壁に飛びついてくる。
・・・何か、木の密度が少しずつ少なくなっていってるような気がする。
少しの間子供の狼と追いかけっこしていると、木々の向こうに広そうな場所が見え始めた。
仕方ない・・・走るか。
そのまま林を抜けてみると、目の前には中央に人一人が乗れるくらいの小さな岩山がある、大きな湖が広がっていた。
・・・こんなところに。
一旦角を地面に刺して湖を眺めるが、依然として子供の狼はじゃれるように防壁に飛びついている。
そこは月の光が湖に反射していて、間接照明のように辺りを微かに照らしていた。
朝までここに居るか、林よりマシだしな。
それにしても、この狼、どうしよう。
少し息が上がった子供の狼はゆっくりと湖の方へと歩き出し、湖の水を舐め始める。
飲めるのか、この湖。
今のうちに狼から離れるように湖を回り込み、何となく目に留まった木により掛かるように座る。
湖を眺めていると、先程の子供の狼が再び後を追うようにこちらに近づいてきた。
また来たか。
ずっと威嚇されるように飛びついて来られたら目障りだしな。
子供の狼が今にも飛び掛かろうと歯を剥き出しにして威嚇しているとき、突如後ろの方から威圧的な空気が風のように迫ってきた。
「やめなさい」
木の陰から覗くように声がした方に目を向けると、子供の狼が駆け寄った先には狼の群れがあった。
すると周りの大人の狼よりも倍以上の大きさの、一際存在感を醸し出す1匹の狼がこちらに顔を向けた。
よく見るとその狼の頭には、光沢のある石のようなものが角のように後ろの方に向かって伸びていた。
妖怪石か。
「お前、人間の臭いがしないが、人間か?」
喋れるのか。
「一応人間だけど」
すると親玉らしき狼から感じる威圧的な空気が刺々しくなった。
「ここは私の縄張りだ、直ちに立ち去れ」
「悪いけど、朝まで居ても良いかな?暗くて帰る道が分からないんだ」
「お前の都合など知ったことか、私の縄張りの中で人間の姿を見ると、虫ずが走るのだ」
親玉の狼はその場から動かず、鋭い眼差しと共に静かに威圧的な空気をぶつけてくる。
「じゃあ、人間の姿じゃなきゃ良いかな?」
立ち上がって絶氷牙を纏うと、親玉の狼は真っ直ぐこちらを見つめているが、周りの狼達はお互いに顔を見合わせ始めた。
「お前、妖怪の臭いもしないな。だが、だからといって私の縄張りには・・・居られると、困る」
・・・何だか急に口ごもったな。
小さくうつむいた親玉の狼からの威圧が一瞬弱まるが、顔を上げるとすぐにまた威圧的な空気を押し付けてきた。
「早く、立ち去れ」
・・・まぁ仕方ないか。
鎧を解いて鬼の親玉の角を持ち上げたとき、湖に浮かぶように顔を出す小さな岩山の辺りから、何かが浮かび上がるような音が聞こえた。
・・・何だ?
すると岩山の横から、立ち泳ぎする1人の若い女性が姿を現した。
「あ・・・」
こちらに顔を向けた女性の動きが止まると、おもむろに湖の前に座った親玉の狼が、見下すようにこちらに顔を向ける。
「何をしている、早く立ち去れ」
「・・・あぁ」
あの人・・・ずっと湖に潜ってたのかな。
「あなた、誰?」
少し警戒するような表情だが、女性が話しかけてきたので、歩き出そうとした足を止めて女性に顔を向ける。
「こいつは人間だ。関わらない方がいい」
女性に応える前に親玉の狼が口を開くと、女性は岩山に隠れるように身を屈めながらこちらを見る。
「でも・・・人間の臭いしないよ?」
・・・あの人も妖怪なのかな。
「そうだが・・・」
困ったように親玉の狼が言葉に詰まると、女性は再び岩山の横から姿を現し、少しずつ親玉の狼に近づいていった。
「エンロウさんエンロウさん、今日も月がきれいだね」
「あぁ」
静かに立ち泳ぎしながら、女性は満面の笑みで親玉の狼に語りかける。
・・・エンロウ?
何だか親近感のある響きだな。
「あたし、あの人ともお話したいな」
笑顔でこちらの方に目を向けながら女性がエンロウと呼ばれた狼にそう言うと、小さく唸りながら狼もこちらに目を向ける。
「ユズが良いなら私は良いよ」
女性がゆっくりとこちらに近寄ってくると、ふとユウコを思い出させるような、緊張感が感じられない屈託の無い笑顔を見せてきた。
「あたしユズって言うの、あなたは何て言うの?」
「僕は氷牙だよ」
せっかくお金を稼いだのに、野宿ですね、氷牙。笑
ありがとうございました。




