プロローグ
「おーほっほっほっほっ!この〈人魚の瞳〉はわたくしこと怪盗エスカトーレが戴いていきますわ〜。おーほっほっほっほっほっほっ!」
タキシードをはためかせ、盗品片手に夜の街を駆ける。風邪は今日も穏やかで、絶好の盗み日和。〈人魚の瞳〉を月明かりに輝かせ、怪盗エスカトーレは仮面越しに微笑んだ。
[1]
「またよ!また、怪盗エスカトーレにしてやられたわ!」
警察庁魔術犯罪対策係。日々増加の一途を辿る魔術犯罪に対抗すべく設置された対策係。その面々は、一人の怪盗のせいで猫の手も借りたい状況だった。
天才と称され、若干十七歳でこの対策係の指揮官として任命された藤山明智もまた、頭を悩まされていた。
十年前、どこかの馬鹿が怪盗を名乗り世界中の貴重なお宝を盗みに盗みまくる事件があった。それに触発され、十年前から怪盗が増え続けている。現在確認されている怪盗の数は二千人強。逮捕した怪盗も含めれば、三千人を超える。時代は繰り返すというが、本当に繰り返されてはたまったもんじゃない。
「明智ぃ。そんなにキレんなよぉ。明智はエスカトーレの担当じゃないだろうに」
椅子の背もたれに全身の体重を預け、やる気が感じられない台詞をだらしなく言ったのは、藤山明智の自称頼れる相方の織田柊。ボーイッシュな外見は、藤山と正反対。身長も高く、あらゆるところで違うことから、お姉ちゃんと呼ばれることもしばしばある。
「何言ってるのよ柊!これは挑発よ。私たちはなめられてるのよ!『ちゅかまえらりぇるのにゃら、ちゅかまえてごりゃんなしゃ〜い』って、わざとらしく舌っ足らずに挑発してるのよ!」
「してないだろぉ。お嬢様みたいな口調は勘に触るけど」
今時、『おーほっほっほっほっ』と笑うって、時代が繰り返されている今でもダントツで古い。死語同然であり、過去の遺物と化していた。
怪盗エスカトーレは、そのお嬢様口調を好み、使う。小馬鹿にされているように感じられることから、関わった対策係の人間に嫌われている。だが、怪盗としては一流だ。一目置かれ、怪盗以外の犯罪者を数多く捕らえている藤山でさえ、エスカトーレを捕まえられていないのだから。
「勘に触るとかいうレベルじゃないわよ!人の神経逆撫でしてるのよ。モロクソ馬鹿にしてるでしょ!考えただけでイライラしてきたわ」
ワナワナと身体を震わせる藤山は、ダンッ!と拳を机に叩き付けた。その衝撃に、机にあった資料が数枚ヒラヒラと舞った。その中の一枚が、織田の足下へと滑り落ちた。拾い上げた織田は、それに目を通す。
「えっと、なになに?」
『上司面してんじゃねえよボケ。偉そうな口叩く暇あったら、怪盗の一人でも捕まえてからにしろ!』
始末書だった。これじゃあ受理されないよぉ。まぁ、明智らしいけど、これはどうかと思う。しかも名前は藤山明智様となっている。自分の立場をどれほど上に見たら上司に向かってボケとか言えるのか知りたい。
言葉が出ない。開いた口が塞がらない状態。上司があのアホしゃなければ即クビだ。まぁボクも、アホとか言ってるし。どうかと思うかもしれないが、実際アホだしねぇ。
そんなことより、明智を一旦落ち着けないと。これ以上キレられたら、上司に怒られる羽目になる。何故か相方であるボクが重点的に怒られる。監督責任とかなんとかで。意味がわからない。
「イライラしないイライラしない。それよりも、宿題終わったぁ?終わったなら見せてよぉ。ボク数学苦手でさぁ」
藤山と織田は年齢通りの学生だ。対策係の仕事は学校が終わってからという契約だ。実はこの対策係の人間は学生のみで構成されている。近隣の学校、学園、学院からの寄せ集めだが、怪盗を捕らえるのには学生という職業が好都合なのだ。多種多様な場面でも、その年代なら怪しく見えない。警戒されにくい、潜入しやすい、という理由だ。
魔術系の学校に通っている全員の学生が魔術を使えるが、ここに集められた学生は全員がエリートだ。
「別にいいけど、どこがわからないの?」
「えへへぇ。全部わからない」
エリートと言ってもこっち方面じゃない。藤山はこっち方面もいいが、織田はどうも勉強は苦手だ。この対策係に集められた面々は、魔術方面だけのエリートだ。多少頭の出来が悪くても、魔術で優秀ならば関係無い。
「ぜ、全部ってあんたね。…………まあいいわ。公式教えるから、当て嵌めれば柊でも出来るわ。てか宿題のプリント出しなさいよ」
「ちょっと待って」
織田は自分の鞄を取り、漁った。
「ごめぇん。学校に忘れてきたみたい」
あはは。と頭を掻きながら笑う織田を見た藤山のこめかみの血管がぷちっと切れた。
「あ、ああんたねえ。人に頼んでおいて忘れただあ?」
「い、いや、だからごめんってぇ。悪かったってぇ。持ってきたと思ってたんだけどなぁ」
確かに鞄に入れたはずなのに。と、ここまで記憶を遡ってようやく気が付いた。「あっ」そう言えばボク、一旦鞄にプリント入れて、どうせ出来ないから明智に明日写させてもらおうと思って引き出しに戻したんだっけ。
「あっ。って何よ。何か思い出したのよね?」
藤山はまるで女帝のように鋭い目付きをし、織田を睨んでいる。これで織田が『あはははは〜。明日写させてもらおうと思ってぇ、置いてきたんだったぁ』と言ったら、藤山は爆発するようにキレるだろう。ここはなんとしても誤魔化すしかない。
「あ、あぁ」
どうしよう。なんて誤魔化していいか思い付かないねぇ。
「もしかして、置いてきたのすら忘れてた。みたいなオチじゃないわよね?」
ゴゴゴ……………。と背後からどす黒いオーラとともにそういった効果音が聞こえてくる。
「そのトゥーリ!hahaha!」
「……………………………………………ハァ?」
「ご、ごめん明智ぃ!この通りだからぁ!」
手を合わせ、織田は頭を下げた。藤山を怒らせてはいけない。爆発した藤山は本当に爆発させていまう。藤山がぶちギレた姿を見たことのある者は、トラウマになるか爆死するかのどちらかしかない。例外は、織田くらいのものだろう。
「柊じゃなかったら、爆破してるところだったわ」
「サラッと怖いこと言うなよぉ」
藤山と織田は相方である前に、親友同士だ。どちらかがどちらかを傷付けることは無い。
「黙れボクっ娘。次ボケかましたら、もう手伝わないからね」
「わかってるわかってるぅ。でも爆破は遠慮させてもらうよぉ」
藤山本人は知らないと思うが、影で『ボマー』と呼ばれているのは黙っておいた方が良さそうだ。
ところで、何か忘れてないか?
「明智ぃ。そう言えばエスカトーレのこと忘れてないぃ?」
「あ、あああああああ!思いっきり忘れてたわ!そうよ怪盗エスカトーレよ!何であいつだけ捕まえられないのよ!」
追い詰めるまでは行くものの、いつも取り逃がしてしまう。それはどうあってもだ。気が付くと目の前から遠ざかっている。絶対に届かないのだ。
「そうだよねぇ。明智でもボクでも無理だからねぇ。対策係って言ってるけど、ぶっちゃけなんにも対策出来てないよねぇ。そう考えるとエスカトーレはすごいねぇ」
怪盗エスカトーレ。全くといっていいほど、今までの怪盗とは違う。予告状を送るまでは同じだが、それ以降が違う。警備し、入ることも出ることも不可能な体制を取っているはずなのに、必ず警報がなる。
いつの間にか侵入され、わざと警報を鳴らされる。そして予告状通りの展示品を盗まれる。つまり、必ず目の前に現れるのだ。
お手上げとはこのことである。
「どんな魔術使ってるかもわからないし、ホントなんなのよ」
腕を組み、はあとため息吐く藤山と、その手際に関心する織田。怪盗エスカトーレは、この二人を悩ませるほどの人物であった。だが、織田は藤山の台詞に疑問を感じていた。
「どんな魔術か……………って、え?明智知らないのぉ?エスカトーレの魔術は反射と遮断の併用魔術。反射は光を屈折させる為の魔術で、遮断は自分の存在自体を隠す為。どうやって侵入してくるのかはわからないけど、侵入してから逃げる時に使ってるのはこの二種と、飛行魔術だねぇ」
「え?なにそれ…………」
エリートである織田は、魔術に関してはこの対策係の中でも飛び抜けている。魔術の種類や系統を、見ただけで判断、断定することが出来る。そしてその対応魔術、応用魔術、迎撃魔術を一瞬で構築し、発動出来る。言わば"視る"天才。それが織田柊だ。
「だぁからぁ、エスカトーレの魔術は基本、反射と遮断の二種だって言ってんのぉ。飛行魔術は逃走用だってぇ」
「そういうこと聞いてるんじゃないわよ」
「へ?」
「何でそれを知ってるくせに黙ってたのかって聞いてるのよ」
頬が引きつってヒクヒクしてる。これって地雷踏んだぁ?もしかして爆破…………………?
「ちょっと待って明智ぃ!ここで爆破はまずい―――――――――――」
「う、うるっさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」
藤山の足下に魔力が集中し出し、どんどん膨れ上がって行く。
これまずいんじゃぁ……………。
「待って明智ぃぃぃ!」
結界魔術を出来るだけ大きく張り、相殺する魔術を放つ。ギリギリで間に合え。そう思いながら新たに魔術を放った。
「こんの馬鹿あああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
午後十八時過ぎ、対策係が設置されている第三会議室で魔術的な小火が起きるというちょっとした事件が起きた。始末書が、また増えた。
[2]
「衣笠。首尾はどうなっていますの?」
美しいブロンドの挑発を靡かせて、副会長、衣笠類似に確認を取るのは第一魔術学院東京本校の生徒会長、天王寺咲良その人だった。
「順調。後一時間ほどで対策係に届くはず。俺たちも準備した方がいい」
衣笠はそう言ってソファに座り直した。
「いえ、まだですわ。まだ時間はたっぷりありますの。ゆっくりじっくりいきませんっ、品がなくてよ、衣笠」
「あっそう」
天王寺は何やらご満悦の様子でニヤリと微笑んだ。
藤山明智、そして織田柊。目にもの見せてやりますわ。あっと驚くような展開、好きでしょう?
午後二十時十分。第三会議室に新米刑事が飛び込んできた。慌ただしいのは毎日だが、今日はいつもより慌ただしい。
「何?今忙しいんだけど。くったらない用なら、今すぐ帰れ」
第三会議室に残っていたのは、藤山明智と織田柊の二人だけだった。大体の対策係の面々は、召集された時か暇な時以外は来ないが、この二人は毎日来ている。
「あぁ、ごめんねぇ。今明智機嫌悪くってさぁ」
織田がヘラヘラして新米刑事、豊歳中野に謝った。一応、年齢は豊歳の方が上だが、立場上は二人の方が上だ。
「誰のせいよ誰の。全く、柊は報告義務を忘れ過ぎよ。一番の手掛かりを今更になって言うなんて」
「だぁからごめんってぇ。それよりも、豊歳さん。なんか用事があったんじゃないのぉ」
話を進めるのは織田の役目だ。藤山がその役目を買って出るが、断固として織田が許さないのだ。キレたら話にならないどころか爆発してしまう。藤山は効率の悪い話をしているとイライラしてくるらしい。
「ああ!対策係に二通、手紙が届いている。一つは学院からだが、もう一つは怪盗エスカトーレからだ!」
「何ですって!見せなさい!」
ズンズン豊歳に歩み寄り、右手に持っている手紙をぶんどって読み始めた。
ちょっと乱暴に取るなよ!という豊歳の言葉を無視した藤山は、身体を小刻みに震わせ始めた。
あれぇ。これってもしかしてもしかするともしかしちゃうぅ?
「あああああああああ!何だよもう!怪盗エスカトーレ、ぶっ殺してやるっっ!」
ぐしゃっと予告状を握り潰し、床に叩き付ける藤山は完全に怒り狂ってしまった。こればっかりは織田にも止められない。もう放っとくしか無いのだ。
「あぁあぁ、予告状こんなにしちゃってぇ」
ぐしゃぐしゃになった予告状を拾い上げ、シワを伸ばして読み始めた。
『わたくし、怪盗エスカトーレが今夜〈竜王の涙〉を戴きに参上いたしますわ!ちゅかまえりゃれりゅものにゃら、ちゅかまえてごりゃんなしゃ〜いですわ〜!おーほっほっほっほっほっ!怪盗エスカトーレ』
これは、ぐしゃぐしゃにしても仕方無いねぇ。ボクも若干イライラするよ。
藤山は先程の怒りを全て怪盗エスカトーレに向け始めた。織田は意外と冷静だが、藤山の怒りがどこで爆発するかわからない状況と、怪盗エスカトーレの予告状のこともある為、冷静になるのは仕方ないかもしれない。この対策係で一番の功労者は織田なのかもしれない。
「豊歳さん。これから警備隊に連絡しておいてぇ。ていうかぁ、予告状を見る限りだとぉ……………どこ?肝心なところが抜けてるし、時間の指定も曖昧。これ、予告状じゃなくて単なる嫌がらせじゃないのぉ?」
書かれているのは、お嬢様口調で対策係を挑発する台詞と、〈竜王の涙〉を盗むということだけ。場所も時間も曖昧と来た。場所は〈竜王の涙〉が展示されている博物館を探せば簡単に見つかるとはいえ、時間指定が無いからさっさと警備隊を配備しないといけない。
「もう警備隊には連絡したから、今向かってるはずだ」
豊歳の言葉に、ぴくっと藤山が反応した。
「あんた、対策係宛の予告状を勝手に見たの?」
「い、いや、予告状と言っても封書じゃないし、裏見て判断しただけだろ」
「はあ?一応対策係宛なんだから、勝手なことしないで!軽率な行動は身を滅ぼすのよこの低能!」
「て、低能……………。よりによって低能って、言い過ぎだろ!訂正しろ!」
「黙れ馬鹿!独断で行動するな馬鹿!これがもし罠だったらどうすんのよ!そこまで考えて、その先まで考えて行動するのが刑事でしょう!?被害が出たら、全部お前のせいだからね!」
「ちっ。いちいち正論いいやがって。はいはい悪かった悪かった」
「わかればいい、なんて甘ったれたこと言わないわよ。お前はクビにでもなればいいわ。こんなアホは放っといて行こう柊!」
「あ、あぁ。すみませんねぇ豊歳さん。でも今回の判断は良かったと思うよぉ。ただタイミングが悪かっただけでぇ」
藤山がキレていなければ、こけまで罵倒されることは無かっただろうに。元を正せば、悪いのは全部怪盗エスカトーレと織田だ。
「ちっ。別に気にしてねえよ。さっさと行け。他の対策係の連中には連絡しとくから」
「さんきゅ〜っす、豊歳さん。これるやつだけでいいからさぁ。これ以上何か起こると、爆発のレベルが尋常じゃなくなるからねぇ」
まぁ、これは先走った豊歳のせいなんだけどねぇ。なんか被害者面してるけど、責任感を持ってもらわないとねぇ。ボク、豊歳のそういうところ大っ嫌い。言わないけど。
「柊!行くわよ!」
「待って待って!今行くからぁ!」
豊歳の横を無言で通り過ぎ、第三会議室を出る藤山の後を織田は慌てて追った。
東京第一博物館。ここの最深部に〈竜王の涙〉が展示されている。最新鋭の警備設備。魔力センサーも多数設置され、この部屋で魔術を行使すると、全てのドアがシャットアウトし魔力を乱す攪乱装置が作動する。行き過ぎな厳重警備の為、今まで怪盗に狙われたことが無かった〈竜王の涙〉。それをエスカトーレは盗むと予告した。
警備隊に腕章を見せ、藤山と織田は博物館の中に入った。
「明智ぃ。なんかここ、厳重過ぎない?」
「柊も気付いた?」
ここは、厳重過ぎる警備体制を取っていることで有名だ。それにより、怪盗たちは〈竜王の涙〉に手を出さなかった。つまり、現状維持に若干の警備隊を増やせば事足りる。だが、これは異様だ。
広い展示室に五十人の警備隊。それに元々厳重な警備システムは健在。それに加え、各階にも警備隊が配備されている。もちろん、博物館外も同じだ。囲むように配備された警備隊。侵入を防ぐ為には当たり前だが、数が多過ぎる。合計で百人を軽く超えていた。
「たかが〈竜王の涙〉ぐらいで、ここまでする?」
「たかがぁ?それ、どういう意味ぃ?」
「知らないの?〈竜王の涙〉は、相当な金額を注ぎ込んで作られたレプリカよ。本当は私たちが生まれる前から行方不明って話。金の為に盗むのにはリスクが大き過ぎるのよ」
盗めば多額の金になるのは事実だが、この警備網にまで盗むというのは至難の業。怪盗が流行ったキッカケとされる初代怪盗も、この〈竜王の涙〉には手を出さなかったらしい。
捕まる危険が高まれば高まるほど、盗む価値がある。そう言った怪盗もいたらしいが、捕まっては意味が無いのも事実。つまり、リスクの大きさはある程度でいい。ということだ。予告状を送り、警備をゆり厳重にしてまで盗む価値は、それほどでも無いのだ。
「つまり、他に何かある、ということよ。多分だけどね」
「そう考えればそうかもしれないけどぉ。怪盗の格を示すぅ、とか無いかなぁ」
「それは無いわ。あの高貴ぶってる怪盗よ?格を示すっていう考えすら浮かばないでしょうね。もしかすると、他の目的があるのか、それとも怪盗エスカトーレの名を借りた模倣犯なのかもね。考えたくないけど」
言われてみればその通りかもしれないけど、後半は考え過ぎだと思う。他の目的と模倣犯、それはいくらなんでも。
「ボクが考えてもしょうがないなぁ。推理とか苦手だしぃ」
「でもこの警備体制は以上だわ。何かあると思うのは仕方の無いことなのよ」
「明智の言うことは大概当たるから、そうなんだろうねぇ」
藤山はこういうのに鋭い。勘が良いというのだろうか。自分の危機に瀕した時に働くことが多い。それで何度も織田とともに事件を解決し、犯罪者を捕らえている。藤山が対策係の指揮官に抜擢されたのも、この勘のお陰だ。他にも色々理由はあるが、第二に上がる理由はこれだろう。
「あくまで、よ。怪盗だけじゃなく、ここにいる全員を警戒した方が良さそうね。念の為に」
「はぁいよぉ。でもでも、もしこの人数が全員エスカトーレの手下とかだったらヤバイよねぇ」
「怖いこと言わないでよ」
「いやぁ。ボクが言ってるのは明智の魔術にボクとか美術品とか展示品とかが巻き込まれると、って意味なんだけどねぇ」
殲滅とか言って博物館爆破とかされたら、責任取れないよ。一体ここに展示されている美術品の総額っていくらになるんだろうねぇ。もしそんなことになったら、末代までタダ働きになるかもしれない。税金払ってたのになぁ。
「大丈夫よ。そっちは使わないから。ていうか、巻き込まれても柊なら無傷で助かるでしょ?」
「無傷かどうかは知らないけど、人生的には終わったも同然になるけどねぇ」
そうなったら、家族連れて高飛びしようっと。
「そう言えば、予告状に書かれてたのって本当にあれだけなの?
時間の指定とか無かったの?」
「今夜ってことぐらいだねぇ。だからいつ来るかわからないのが現状かなぁ。来なければそれでいいんだけど、来るまで警備しておかないといけないのは辛いねぇ」
もしかするとそれが狙いかもしれない。ここに警備隊と対策係の指揮官とその相棒を釘付けにして、予告状と違う全く別の物を狙っているのかもしれない。だが、怪盗エスカトーレは今まで予告状通りに行動を起こしている。怪盗という人種は、何かとプライドが高いという傾向がある。それ故に、予告状通りに指定した物を盗みに来る。そんな詐欺師みたいな真似は好まない。あくまで正々堂々だ。
そう考えると、模倣犯の可能性は低い。ただの悪戯とも考えられるが、そちらはさらに可能性が低くなる。ここ数年、そういった悪戯は確認されていないからだ。
「もうっ。面倒臭いわね!来るならさっさと来なさいよ。いちいち怪盗捕まえるのに、何でこんなに考えないといけないのかしら!」
「考え過ぎなんじゃないのぉ。もっと気楽にさぁ」
展示品の防弾ケースに背凭れて、大きな欠伸をする織田は心底退屈そうに携帯を弄っている。
「気楽過ぎなのよ柊は。携帯弄る暇あったら、デバイスの調整でもしときなさいよ。どうせずっと手入れしてないんでしょう?」
デバイスとは、魔術を使用する際に使う武器である。種類は多種にあるが、使いやすいピストルタイプが人気だ。藤山と織田もピストルタイプを使用している。基本、魔術戦闘に置いてデバイスを使用する。直接魔術を使うとなると、魔方陣を展開し魔術を設定しなければならない。その為、若干一秒間の間が出来る。つまり、隙が出来るのだ。そこを突かれない為に、デバイスを使うのだ。
デバイスにあらかじめ魔術を設定し、組み込んで置くことにより魔術の指定と設定、魔方陣の展開のタイムラグを綺麗に消せる。
だがしかし、例外がある。藤山のように感情を発動条件として組み込み、それを満たしているとデバイス以上に即座に使用することが出来る。そして蓄積、強化も出来る。この例外の魔術のことを感情魔術、もしくはショートカットと呼ばれている。その感情魔術が使えるのは、ほんの一握りだ。
「そうだねぇ。デバイスの手入れかぁ。でも大丈夫じゃない?使う魔術は捕縛魔術くらいのものだし、飛行魔術も飛んでる時に展開すればタイムラグは出ないからねぇ。まぁ、念の為にやっとく」
制服の内ポケットからデバイスを取り出す。織田はそのデバイスの接続口にふっ、と息をかけた。カチャカチャとデバイスを確認しながら、銃身を取り付けた。織田が使っているのはピストルタイプでありながら、短いではあるものの魔術刀も併用している一級品だ。一見銃身の長いピストルだが、魔力を銃身へと送るとタイプが切り替わる。その銃身から三十センチほどな魔力で固めた銀色の刀身が現れる。それに加え、魔弾(魔力で形成した弾丸)も射出することも出来る。ピストルタイプでありながら魔術刀も兼ね備えている為、扱いづらい仕様となっている。
藤山のデバイスは、ポヒュラーな通常のピストルタイプだが、全体的に改造が施されており、魔弾の連射数を格段に上昇させている。その上、魔力の消費を極限まで抑えている省エネ仕様だ。魔力の削減は、魔術戦闘に置いて命綱になることもある為、省エネを兼ねている藤山のデバイス(改造前)は需要は高い。
「デバイス使用の私の魔術は近接戦闘に向いてないからね」
「まぁ、デバイス使わなかったら近接戦闘も出来るよねぇ。超弱いけど」
そう。魔術はエリートだが、近接戦闘は藤山の苦手分野だ。多対一、中距離遠距離、迎撃が得意魔術だ。織田が言うように、近接戦闘となると使い物にならない。感情魔術で敵ごと吹き飛ばせればいいんだが、そうしてしまうと自爆テロと同様だ。自分への被害も大きくなる。先程第三会議室で使った魔術と類似しているが、あれは少し違う。
「仕方ないわよ。私の魔術はほとんど多対一用だしね。それに引き換え、柊は全部出来るじゃない。遠距離は超微弱になるけど」
織田は魔術のスペシャリストだ。"視る"天才は、敵の魔術に対応出来る天才でもあるのだ。その為、ここぞという場面での行動の速さが尋常じゃない。瞬間的状況判断能力が逸脱している。たがその反面、爆発的な俊敏性が仇となる。特にその俊敏性が活かせない場面、遠距離迎撃は苦手としている。
「それをいっちゃあいけない。苦手は誰にでもあるさぁ」
「じゃあ私にも、超弱いとか言わないで。まあ、克服しないといけないのはわかってるけど。それよりも今は、怪盗よ。デバイスの手入れが終わったなら、いつでも動けるようにしておきなさいよ」
「明智もねぇ。だけど決して爆破はしないでくれよぉ」
しないわよ。そう言って、デバイスを構えた藤山は一つ大きな欠伸をした。
午後二十一時二十八分。現在の学院には生徒は残っているはずは無い。全寮制のこの学院の規則に則り、午後八時までに全生徒は下校しなくてはならない為だ。だが、申請をし、職員室から許可をもらい、寮に連絡すれば午後二十二時まで門限延長出来る。それには正当理由が必要だが、唯一その規則を免除され申請無しで門限延長出来る権限を持っている生徒がいる。
「衣笠。わたくし、胸がハラハラしていますの。これはなんというのかしら?初めての経験でして、ピッタリの言葉が見当たりませんわ」
生徒会役員だ。仕事が多いということもあり、門限は初めから午後二十二時となっている。
「知りません。知りたくもありません。馬鹿みたい」
衣笠は冷めている人間だ。ほとんどの事象に興味を示さないのが特徴で、淡々とした口調は独特。
「衣笠。もう少し興味を持っても宜しいんじゃなくて?それにその馬鹿って、このわたくしに言ってるのかしら?もしそうなら、それ相応の制裁を加えますわよ?」
衣笠は天王寺をシカトした。馬鹿みたいと言ったのは、もちろん天王寺に向けてだからだ。
「衣笠。返事をしなさい衣笠」
衣笠は天王寺を無視し続けた。
「まだ来ないねぇ」
織田はデバイスを片手に退屈を持て余していた。予告状の時間の指定が曖昧な以上、いつ来てもいいようにと配備しているのだが、かれこれ二時間、音沙汰がない。
近くに藤山の姿は無く、会話する相手は誰一人としていない。
織田が配置されているのは、〈竜王の涙〉が展示されている部屋の上階の廊下。一つしかないその展示室に繋がるドアを上階から監視し、いち早く対応出来るようにと計算された配置だった。
「これは結構堪えるねぇ。精神的攻撃だぁ。ははは」
笑う織田だが、なんとなく察していることがあった。
もうそろそろ、来る。ジャストタイミングをわざとずらし、こちらの警戒が緩んだところを狙って来る。それは注意力が散漫になる時間帯だ。
ここでさらに気を抜くと、取り返しのつかないことになるのは確かだ。自分の中の警戒レベルを上げておく必要がある。
「とか考えてたら、ダメなんだろうなぁ」
明智なら、多分ここまで考えているはずだ。それにその先も。
「ダメだねぇ。まだまだってところかなぁ、ボク」
そんな時、ポケットにしまってある携帯が鳴った。
…………………こんな大事な時に、誰だろ。
携帯を取り出し、画面を確認した。
……………………………メール?明智から?
受信画面には『明智』の文字が表示されていた。メールを開くと、こんな内容が書かれていた。
『暇だからメールしない?』
はぁ。これはどういう意味なのかねぇ。
『別にいいけど、こんな時に?』
送信っと。
三十秒後、携帯が振動した。
「はぁやいっ。どんな速度で文字打ってんだか」
『こんな時だからよ。柊、あんた今なんて思ってる?』
ん?何のことぉ?
『明智メール早いなぁって思ってたけど?それがどうかした?』
送信し、携帯を閉じる。またすぐ来るんだろうなぁ。そう思っていたが、メールの返信を知らせる振動音は、けたたましい警報音にかき消された。
[3]
「おーほっほっほっほっほっ!この〈竜王の涙〉は、わたくしこと怪盗エスカトーレが戴いていきますわ!」
展示室から響き渡る警報音とお嬢様口調。自ら宣言した通り怪盗エスカトーレ本人だ。織田は上階から飛び降り、藤山はどこからか駆けて最深部の展示室に突入した。
真っ黒なタキシードに身を包み、頭には黒のシルクハットを乗せている。そして顔には純白の仮面。左だけの鋭い瞳はまるでこちらを嘲笑うように垂れ、口は瞳と同じく左側だけ。それも耳まで裂けている。本当に笑っているかのようだ。
「どうやって入った?」
藤山は冷たく台詞を言いながら、デバイスを怪盗エスカトーレに向ける。
「わからない、ですわよね〜。そうですわよね〜。おほほほほほほ。頭の悪い三下ごときが、わかるはずありませんわよね〜」
人をからかうような態度を取る怪盗エスカトーレは、本当に可笑しそうに笑う。織田もデバイスを向けているが、視線は怪盗と藤山を交互に見ている。
「黙れにわか怪盗が。こっちの質問にだけ答えてればいいわ」
「落ち着いてねぇ明智ぃ。ここで暴れないでよぉ、弁償できないしぃ」
「わかってるから、魔術使ってないんじゃない」
エスカトーレから目を離さない藤山は、感情が昂っている。織田は若干藤山の感情魔術に意識を向けてしまう。
「ではこれより、わたくし怪盗エスカトーレがここから最高の脱出劇を見せて差し上げますわ!とくとご覧遊ばせっ!」
タキシードを翻し、魔術で飛び上がるエスカトーレ。藤山は目で追い、デバイスで追う。そして設定した捕縛魔術を連射した。まるで弾丸のような捕縛魔術は、標的に当たると瞬時に魔術的束縛を展開し、行動を封じる簡易魔術だ。一定の魔力を加えれば誰でも解除出来るほど弱い術式だが瞬間的なもので行動を止められることから、重宝されている魔術だ。
だがそれは、当たればの話。
エスカトーレは藤山の放った捕縛魔術を難なく回避し、そして笑う。
「柊!あいつの魔術の解析結果は!」
「飛行魔術と反射魔術の併用!光を屈折させてるから、当たらないよぉ!」
「ちっ!厄介ねえ。どこに撃てば当たるのよ!」
「明智は魔術を撃たないで!ボクがいく!」
織田はそう叫ぶと、床に向かってデバイスのトリガーを引いた。すると織田の周囲に風が巻き起こる。膝を曲げ、一気に飛び上がった。
飛行魔術。エスカトーレの飛行魔術と違い、織田の魔術は空気圧縮を利用した断続的飛行技術だ。エスカトーレのように飛び回ることは出来ないが、断続的に使い続けることにより、直角に移動出来る飛行魔術だ。
「織田柊ですわね。"視る"天才はわたくしを捕らえることが出来るのかしら?」
「わっかんないけどぉ、それじゃぁないんだよねぇ」
デバイスに魔力を送り、魔術刀を構成する。銀色に輝く魔術刀をエスカトーレに振った。
「野蛮なんですわね。織田柊は」
滑るように宙を舞うエスカトーレは、速度を上げその銀色の魔術刀を後退してかわした。
「どうもぉ」
織田は重力に従い、床に降り立った。そしてデバイスの魔術刀を消した。
「見破ったりぃ、怪盗エスカトーレ!お前の魔術!」
織田は再度床に向かってトリガーを引いた。瞬間、まるでガラスが砕けるような破砕音が響き渡った。そして織田はニヤリと笑う。織田は展示室に張り巡らされているエスカトーレの魔術を打ち砕いたのだ。
"視る"天才には、使われている魔術を読み取り、その魔術を強引に解体させることは容易過ぎた。
反射魔術の使い方は人それぞれだ。光の屈折はもちろん、飛んでくる魔力や魔術をねじ曲げることも出来る。それ以外に物体や大気までもがその範疇だ。
何故エスカトーレが簡単に侵入出来たのか、何故誰にもエスカトーレの姿を確認できなかったのか、何故、警報装置は必ず鳴らされるのか、これでようやくわかった。
「反射魔術はボクたちの目を誤魔化す為だけと思ってたけど、魔力や赤外線も反射させていたんだねぇ。それに、今わかったんだけど遮断魔術も使ってるねぇ。それで自分の気配と魔力を感知されないようにしてたんだよねぇ。気付かないわけだよ」
「"視る"天才はの名は伊達じゃありませんわね!ご名答ですや!でも、九十点といったところかしら」
「へぇ。それはそれは光栄だねぇ。ボクそんな点数もらったの初めてだよぉ」
学校のテストは常に赤点ギリギリ。今までの最高得点は模擬テストで取った六十三点だ。だがそれは勉強での話。魔術試験なら、常に百点だ。
嘲笑うエスカトーレはさらに飛行速度を上げた。だが、織田はその姿を追わなかった。
「全てを反射、屈折、そして遮断を使った侵入はお見事と言わざるを得ないけどぉ、これは反射させるべきではなかったねぇ。残念でした、怪盗エスカトーレさん」
デバイスに設定した魔術を展開させ、博物館全体を覆う。
「やけに警備隊の人数が多いと思っていたけど、やっぱり多かったんだねぇ」
そう呟いた織田はデバイスのトリガーを引くと同時に、ある魔術を展開させた。
織田柊。藤山と同じく、数少ない感情魔術を使える人間だ。実は先程の魔術相殺もそれを組み合わせた織田独自の魔術だ。
限定、指定した空間にある物体、魔術の破壊、滅却、切断。単純なその感情魔術は単純故に凶悪だ。デバイスを使用し、魔術と感情魔術を組み合わせるのは、全てを限定、指定しないようにする為だ。
先程とは比べ物にならない破砕音が博物館内全体に響き渡った。それはそれだけの数が織田の感情魔術によって破壊された証拠となった。
「警備隊自身を反射させたのは、失敗だねぇ。本物かと思ってたから魔力サーチしなかったけど、もっと早くサーチするべきだったねぇ。もとの魔力が全部同じだったよぉ」
警備隊が異様に多かったのは、エスカトーレの魔術によるもの。反射を利用した投影。本物の警備隊を別の場所に姿を転写させ、数を増やしたというわけだ。遮断も同時に使用している為、誰も増えたことに気付かない。不自然と思わないほど的確なのだが、織田と藤山には違和感として感じ取られたことが、今回の誤算。
「これで百点、かなぁ」
エスカトーレは光を屈折させ、自らを遮断し、堂々と正面から侵入してきたのだ。全てをねじ曲げ、全てを遮断することでその姿を消したのだ。警報装置も魔力センサーも反応しないのは、単に認知出来ないという簡単な理由だ。それを証拠に今、全ての警報が鳴った。
「お見事ですわ!百点満点を差し上げましょう。ですが何故、今までその解答が出なかったのですか?」
「ボクとお前は、室内で話すのは初めてだよねぇ。直接戦うのも。だからじゃないかなぁ。それに、もらった百点は辞退させてもらうよぉ」
気が付かなかったことに今更気が付いた。それは藤山も同じよえで、辺りをキョロキョロと見渡している。
「ここにいた五十人の警備隊、どこに隠したのかなぁ」
そう、ここには警備隊が多過ぎるほど配備されていた。それが今は織田、藤山、エスカトーレの三人のみ。それに、警報がなっているのに誰一人駆け付けて来ない。
「これは一体、どういうことかなぁ?ボクにはわからないや」
織田はお手上げのポーズを取った。魔術のことは人一倍詳しい。だが、それ以外はからっきしの織田には、そのことはわからない。
「そうですわね、織田柊。あなたに上げた百点は取り消しますわ。九十点止まり。残念でしたというのは、これで二度目ですわね。考えませんでした?察しませんでした?わたくしは一言も、一人なんて言いませんでしたけど?」
「共犯者がいるのは知らなかったわ。お前は一度も、その共犯者と行動しているところを見せなかったから」
そこで割って入ったのは、藤山だった。
「でも、それもタネを明かせば簡単なこと。私たちが来る前からいなかったんじゃないかしら」
「それってどういう意味ぃ?」
「あいつが言ったでしょう?一人なんて言ってないって。共犯者の可能性を提示したの。もしそれがいるとしたら、誰にでも出来るわ。警備隊の連中は、怪盗が見えないんだもの。殺すのは容易だろうし、運び出すのも容易でしょうね。なんせ、全て反射、遮断させてるんだから」
「長いねぇ。まぁいいけど。じゃぁこう考えていいのかなぁ?外に出れば警備隊の死体があると?」
「共犯者を捕まえれば、出てくるでしょうね」
そう言って藤山はデバイスを外壁へと向けた。藤山のデバイスには、魔術があまり設定されていない。本人がそれを面倒だと嫌い、四つほどしか設定していないのだ。通常は、十以上設定するのが当たり前だ。
その一つが、壁に向かって放たれる。藤山が良く使う迎撃魔術。弾丸として己の魔力を射出し、魔方陣を転写、そしてその魔方陣ごと爆破させる。言わば、感情魔術の弾丸化だ。
「いるとしたら、駐車場に面している壁の外。間接的に魔術を行使出来る上に、中にいる私たちには気付かれない」
壁が崩れ落ちる。月明かりが差し込み、粉塵の中にシルエットを浮かび上がらせる。
「なるほど。流石と言わざるを得ませんね。関心はしませんが」
淡々と話すそのシルエットの人物は、ゆっくりと展示室に足を踏み入れた。
「同じ格好してたら、紛らわしくないぃ?」
宙を舞うエスカトーレと全く同じ格好の人物が、その粉塵から姿を現した。いや、同じじゃない。現れた二人目のエスカトーレの仮面は、右半分だけ笑っていた。
[4]
午後二十二時三十三分。勢揃いした精鋭たちは睨み合ったまま動かない。怪盗エスカトーレが二人となった以上、藤山と織田は打つ手が無いのだ。
織田の感情魔術を使えば反射魔術を打ち砕けるが(先程破壊したのは、博物館に張り巡らされている魔術のみである為、エスカトーレは飛んでいられる)、二人となっては話が変わってくる。織田が幾度となく感情魔術を使用しても、交互に使われては魔力が枯渇するのは織田の方だ。例え藤山がいたとしても、この状況で藤山の魔術を使っては、全てが吹き飛ぶ。それは何が何でも避けなくてはならない。それに藤山にこの状況は向いていない。反射や屈折の魔術を解析出来る織田はともかく、それが出来ない藤山に戦闘させるということはただ魔力を無駄に消費する以外のなにものでもない。せれはさっきの捕縛魔術を連射した時に立証されている。つまり、藤山は使えない。
それは怪盗エスカトーレ側も同じで、織田に感情魔術を使われ、一瞬でも隙を作ってしまえば、藤山に奇襲を喰らう。逆に藤山に感情魔術を使われれば、反射させるだけで二人同時に魔術を使わなければならない。その隙に織田に感情魔術を使われれば、魔術を破壊され二人とも吹き飛ぶ。
どちらも危険がある故にどちらも動けない。ただこの四人の中でのキーマンは、織田柊だった。
その織田は、今まさに魔術を使おうと魔力をデバイスに込めていた。
それはこの場にいる全員が察知していた。だが、織田本人含め、動くタイミングを見極められない。
「明智ぃ。これ、どうしたものかなぁ」
「今迂闊に動かないのが賢明ね。まあ、ぶっ壊していいなら私がやるけど」
「それは止めて欲しいなぁ。出来れば高飛びしたくないしぃ」
ここが何も無い平地なら良かったんだが、博物館だ。壊していいはずがない。
「な〜んの話をしているのかしら〜?もしかして逃げる算段でも立ててるのかしら?お気の毒ですわね〜。逃げることしか考えられないなんて、哀れですわ〜」
おーほっほっほっほっ!と高笑いするエスカトーレ。そしてこめかみに血管が浮かび上がる藤山。それに気付いた織田は魔術を変更した。
「この逃げ畜生!ですわ〜。おーほっほっほっほっほっほっ!」
その台詞に、藤山の怒りは一瞬にして頂点に達した。
「吹っ飛べコラァァァァァァァァァァァ!」
「高飛びは嫌だってばぁ!」
藤山の感情魔術と、織田の感情魔術が交錯する。瞬間的にいくつもの魔方陣がエスカトーレたちの周囲を取り囲んだ。
やばいなこれぇ!
藤山の魔方陣は、色が異様だった。これは感情魔術の特徴だ。魔力の量と感情の大きさにより、白、黄、緑、青、紫、赤、黒と変化する。通常、感情魔術の色彩変化は黄、もしくは緑で留まるのだが、藤山が放った魔方陣の色は黒だった。すなわち、最大出力だ。
織田は即座に感情魔術を放ち、上乗せしてさらに魔術を放つ。博物館内部に硬化魔術を展開し、身の周りに感情魔術を展開させた。
藤山の魔術が惜しみ無く発動せる。核兵器に匹敵しそうな爆音と爆風が展示室に巻き起こる。粉塵に隠れた藤山の姿は確認出来ない。織田は爆風に吹き飛ばされながら、怪盗エスカトーレの魔力を確認する。
(………………………あれぇ?反応が無い?)
織田は飛行魔術を応用し、圧縮した空気を飛ばして粉塵を一気に晴らす。
宙を舞っているはずのエスカトーレと、二人目のエスカトーレの姿が見当たらなかった。それに、外壁の粉砕加減が増している。展示室内はどうにか守れたが、元々破壊されて脆くなっていた部分は衝撃に耐えられなかったようだ。
「いつぁ。明智やり過ぎだよぉ」
床に叩き付けられる瞬間、ギリギリで受身を取ったがタイミングがずれたせいで背中を強打しながら床を転がった。
手を付き立ち上がり、藤山とエスカトーレの姿を確認する。ついでに展示室を確認したが、思ったより破壊されていない。ほっと一息着いたところで、一人だけ立っている人物がいた。後ろ姿を見るなり、見知った姿だった。
「明智ぃ、やり過ぎだよぉ」
「あぁ?………………柊か。ごめん、吹き飛ばして」
「いやぁ、ボクはいいんだけどさぁ。展示室ごと爆破されたらたまったもんじゃないってぇ。間に合って良かったけどぉ」
「だからごめんって。あとで抹茶アイス奢ってあげるから許して」
「三つでよろしくぅ。ていうか、怪盗たちはぁ?」
粉塵は織田が放った魔術で晴れている。だが姿が確認出来ないのだ。その時、織田に木っ端微塵といい嫌な言葉とともに嫌な想像が浮かぶ。
だが、そうでは無かった。藤山は右手を上げて天井を差し、左手で外壁に空いた巨大過ぎる穴の向こうを差した。
「一人は天井に激突。もう一人はそのまま吹き飛んで駐車場に停まってる車に衝突した」
「えっ?」
織田は耳を疑った。ここにいないということは、逃げたというわけではなく吹き飛ばされて、この場を強制離脱させられたということ、そういう意味で藤山は言った。
疑心暗鬼のまま上に目を向けると、天井にぶら下がっている黒い物体がいた。それはユラユラと揺れ、瓦礫とともに落下してきた。同時に藤山の右手がその黒い物体を追って降ろした。つまりこれが怪盗エスカトーレということだ。
「うわっ。すっげぇボロボロなんですけどぉ」
焼け焦げたタキシードにひび割れた仮面。シルクハットはどこかへ消えて無くなっていた。綺麗なはずの金髪は長く、汚れてその輝きを殺していた。
織田は倒れるエスカトーレに近寄り、手を取って脈を確認した。
「ふぅ。良かったぁ、生きてるよぉ」
意識はどうあれ、殺人にはならなくて何より、と安心した織田はふとあることを思い付いた。それと同時に藤山も何か思い付いたようで、織田の隣にしゃがんだ。
「お約束だよねぇ」
「そうよね。お約束よね」
名状しがたい緊張感が二人を支配する。恐る恐る仮面に手を伸ばす藤山と織田。ひび割れた仮面を二人同時に人差し指で突いて割った。
気絶する怪盗エスカトーレが二人の前にいたはずなのに、仮面を割ったら見たことのある顔が現れた。
「「………………………………………………マジで?」」
二人は顔を合わせ、目を見開いて口をあんぐりと開けた。藤山は直ぐ様手錠を取り出し、織田は直ぐ様エスカトーレを抱えた。藤山の魔術で剥き出しになった外壁の鉄骨にエスカトーレを手錠で縛ると、そのままもう一人のエスカトーレへと向かった。
同じくボロボロになったタキシード。シルクハットは見当たらない。右側だけ笑っている仮面は、左側だけ無くなっていた。
織田が脈を確認し、生存を確認した後藤山が仮面を取った。髪が金髪ではなく茶色のことから、同一人物では無く性別も違っていた。
「「…………………………………………………マジだ」」
二人の怪盗エスカトーレの素顔は、この対策係の二人には嫌というほど見知っていた。
短気な藤山はともかく、織田にすらウザいと思わせるその高貴っぷりと人を馬鹿にした態度は、心外だが親近感があった。それは近過ぎて二人とも気付かなかった。そう言えば思い返してみると、金髪のお嬢様口調と、いつもそいつに侍っている織田よりやる気の無い一人の男子が、いた。
第一魔術学院東京本校。その学院の生徒会長と副会長、天王寺咲良と、衣笠類似が、その正体だった。
[5]
翌日。藤山と織田は愕然とした。昨日の怪盗エスカトーレ捕獲の後、現れた警官隊により連行された怪盗二人を見送り、二人は署に戻り報告書を纏めようと第三会議室へ向かった。
「何よこれ」
藤山は自分のデスクに座ると同時に、置かれている手紙を手に取った。回りを豪勢に金の刺繍のような模様が縁取り、どこかで見たことのある紋様のような刻印が入ったシールで封をされている。
その手紙の正面には、藤山と織田の名前が書かれていた。
「柊、ちょっと」
コンビニに抹茶アイスが置いてないなんてぇ。と嘆く織田を呼ぶ。
「どしたぁ。ボクは今、抹茶アイスのことしか考えられないぃ」
「抹茶アイスは、明日でいいでしょ?それよりこれ、何だと思う?」
手紙を持ち上げ、織田に見せる藤山。
織田は心底面倒臭そうに首を上げてその手紙を視界に入れた。
「抹茶アイスじゃないことは確かだねぇ」
「しつこい。しょうがないじゃない、無かったんだから。心配しなくてもちゃんと明日奢ってあげるわよ」
「五つでよろしくぅ」
「数増えてない?まあいいけど、それよりこれ、私と柊宛なんだけど何か知ってる?」
ヒラヒラと手紙を揺らし、その存在をアピールさせる藤山は、これが本当に何かわからなかったようだ。
「それ、豊歳さんが持ってきた二通目の手紙だよぉ」
「またあいつか。なんなのかしら、あるならしっかり言えっての」
言ったんだけどねぇ。明智、エスカトーレの予告状を見るなりキレちゃったから、存在自体記憶に無いんだろうねぇ。
「開けてみたらぁ?何か重要案件かも知れないよぉ」
「そうね」
ビリッ。と封を開け、中身を取り出した藤山は、目を通して固まった。
「どしたぁ?何かあった?」
藤山のデスクに向かい、手紙を取り上げて織田も目を通す。そして固まった。
手紙の内容はこうだった。
『東京魔術高等学校校長より、現時点をもって以下二名を退学処分とす。
二年三組藤山明智
二年三組織田柊』
その翌日。同封された手紙を頼りに藤山と織田はある場所へと向かった。
第一魔術学院東京本校。その理事長室だ。そこで、二人は愕然とする。
「な、ななななんでお前らがここにいるわけ??」
「どうなってるんだろうねぇ。これ」
理事長室にいた人数は四。そのどれもが知っている顔だった。
「明智ちゃん。そんなに驚かないで。少し傷付く」
そう言ったのは、老けた老人だった。今にも死にそうなほど痩せ細っている。若い頃はフサフサだったはずの髪の毛が一本も無い頭。そして柔和な顔立ちをしている。優しいお祖父ちゃんの典型とも言えそうな容姿から、笑い声は『ふぉっふぉっふぉっ』だろう。
「む、無理だから!こんなの驚かないのが無理だから!」
理事長に人差し指を突き立て、大声を上げる。
「まあまあ、落ち着いて下さい明智ちゃん」
理事長の隣に立っている優男が藤山を宥めるが、それが余計に藤山を活発化させる。
「誰が明智ちゃんだ!お前何言ってんの!意味わからないんだけど!」
「今から説明しますから、そこに柊ちゃんと座って下さい」
優男は空いている二人掛けのソファに手を向けた。が、そこにも有り得ない二人が存在した。空席のソファのテーブルを挟んだ対面にもまた、見知った顔が二人、平然と座っているのだ。
「柊ちゃん言うなぁ!うぅ、トリハダがぁぁ」
織田は外見から『女の子』として扱われることが少ない故に、ちゃん付けで呼ばれることに慣れていない。
「見苦しいですわ…………違った。見苦しいわよ。藤山明智、織田柊。少しは冷静になって状況分析したらいかがですか……どうですか?」
優雅に紅茶を飲みながら、ソファに座る金髪碧眼の女子がそう言った。
「黙れ犯罪者!なんでお前がここにいるわけ!?それにお前も!」
藤山は金髪の隣に座る眠たそうな茶髪男子に指を差した。すると茶髪男子はふわぁ、と欠伸をして藤山に視線を向けた。
「必然ですね。いや、当然ですか。そんなところです」
「答えになってない!説明を要求する!このクソ野郎!」
理事長に向き直り、暴言を吐くが理事長は至って笑顔。いや、輝きを増している。やはり、この理事長……………。
「明智ちゃん。今から説明するから、座って。柊ちゃんも」
「「ちゃん付けするな!」」
二人同時に理事長に突っ込んだ。
まあまあと落ち着ける姿勢を取る優男は、苦笑いを浮かべている。
「ちっ」
舌打ちしてようやくソファに座った藤山と織田は、この状況に全く着いていけていない。それは当然だろう。ここにいる四人は、この理事長室にいるはずの無い人物たちだったからだ。
「わかりやすく、簡潔に、手短に、話なさい」
足を組み、腕を組む藤山。織田は置かれていたお茶を啜り、お茶菓子を手に取った。
「これ意外といけるぅ」
「柊、暢気過ぎ……………」
「ふっ。織田柊は暢気ですわね。見習ってはどうですの、藤山明智?…………忘れて」
金髪の女子は顔を赤くして伏せた。何やら恥ずかしいことでも言ったかのような態度だが、二人ともそれが何なのか知っているから無視した。
「えっと、何から話しましょうか?質問どうぞ、明智ちゃん」
話を始めたのは優男からだったが、何でこの優男は理事長と同じくちゃん付けをするんだろうか。織田は久し振りに不快感を震えるほど感じた。
「まず、何でお前らがここに勢揃いしてるのか、それと昨日のことよ。何でこいつらまでいるのよ」
「簡単に言ってしまえば、彼女たちは理事長の指示に従ったまでですね、僕もですが」
優男はそう答えた。
「ということは、全ての元凶は理事長ってことになるわね。で、あんたら何者なのよ?東京本校だからって、警察に介入出来るとは思えないわ」
「それが、出来るのです。理事長ならば、それは容易なこと」
「どういう意味?それほどの権力保持者には見えないんだけど」
「だよねぇ。単なるアホ爺にしか見えないよねぇ」
織田の発言に、優男と茶髪が吹いた。
「それはですね……………いえ、これからは理事長本人の口から言った方が信憑性があるでしょうから、僕はこれで」
「別に誰が答えてもいいけどね。で?答えてくれる、理事長?」
「おぉ、怖い怖い。そんな顔をしなさんな、可愛い顔が台無しだよ?」
「心配は無用よ。私はいつだって可愛いわ。それより、正体を明かしなさい。爆破するわよ?」
藤山のその台詞に、金髪と茶髪がぴくっと反応した。若干怯えているような雰囲気が漂うが、それを気にする二人ではない。
「じゃあまず、正体から明かそうか。まずわし。第一魔術学院東京本校理事長兼、警察庁署長の湊川万次郎。魔術犯罪対策係の直属の上司でもある。どうだ、すごいだろう?」
「ドヤ顔はどうでもいいから」
「……………冷たい明智ちゃんもまた…………んん!で、こっちにいるのが、わしの頼れる相方、中野明後日だ」
優男は右手を胸に当て、にこやかな笑顔を浮かべて頭を下げた。
「は?豊歳じゃないの?」
「それは偽名です。あ、新米刑事と言うのも偽りです。僕は理事長代理の執事です」
「意味がわからないわ。柊、これはなんて言うのかしら?」
「ボクにもわからないよぉ。ていうかぁ、あんまり気にならないっていうかぁ、かぶってるんだよねぇ、一人称」
確かに。だが、発音的に柊はカタカナで、豊歳………じゃない。中野明後日は漢字でしょう?そっちの方がどうでもいいわ。
「それでしたら、柊ちゃんは『私』、もしくは『アタシ』にしてはどうです?」
「ちゃん付けするなぁ!それにボクはこれが気に入ってる。変える気は無いよぉ」
「そうですか。では僕が変えましょう。………………そうですね、『某』にしましょうか」
「馬鹿なの?」
藤山は蔑むような視線を某野郎に送り、柊ってボクっ娘自覚あったんだ。と新発見に関心した。
「馬鹿ではありません。某は……………馬鹿っぽいですね。『僕』に戻しましょう。僕は馬鹿ではありません」
藤山には、同じことを繰り返し言った某野郎を馬鹿野郎と認定した。
「あっそ。で、何でお前は新米刑事として警察に侵入したの?それもこの爺の命令?」
「そうですね。お二人の力量を見極める為にとのことでしたので。あ、そう言えば言い忘れてましたが、豊歳はキャラ付けです。ですから僕自身をあまり嫌いにならないで下さいね」
「「もう遅いよ」」
藤山と織田は同時に言った。
「…………………………………………………………理事長、後は頼みます」
露骨に悲しみにうちひしがれている。だが、相手の気持ちを汲み取るなんて高等技術は二人に備わっているはずもなく、放置となった。
「頼むっていわれてもなあ。まあ、これでわしらの説明は終わりだ。何で潜入させたのかは、最後に言おう。その前に、そっちの二人の説明からしようか」
中野が中断させた話を再開させ、ようやくこの目の前の二人の説明に入った。
「怪盗エスカトーレは、わしが作った怪盗だ。つまり、でっち上げだよ。盗んだ物は全てこちらで作ったレプリカ。もちろん全ての博物館などには許可を取ってある。怪盗エスカトーレは"ある理由"から作らざるを得なかった。だからまあ、でっち上げだ。警察庁の人間は、君らを除いて全員知っている」
「……………………は?ど、どういうこと!?話が突飛過ぎて見えないんだけど!」
戸惑うというより、驚愕した。意味がわからないのもあるが、怪盗エスカトーレを作ったという真実を受け入れられない。そしてそれが今まで自分たちにひた隠しにされていたのだ。
「まあ待て。言ったろう?理由があると」
「そ、そうね。一旦全部聞いてからにするわ」
落ち着きを取り戻した藤山は一旦引き下がった。
「手短に言うと、この学院に君たちが欲しいということだ。だが、君たちが通っている学校が手離さなくてね。ここは一つ、不祥事を起こさせようと策略したわけだ。そして君たちを釣る為に、怪盗エスカトーレを作りその捕獲に当たらせた。あくまで偶然を装って、どこかでドカンと一発不祥事を起こしてしまえば、学校側も決断せざるを得ないだろう?例えば、博物館の外壁破壊とか」
「なっ…………………………」
「案の定、君らは退学になった。そこをわし直々にスカウトしてるというのが、今だ」
藤山は唖然とした。何かあるのはこの四人が集っていることで理解はしていたが、まさかそれだけの理由で怪盗エスカトーレをでっち上げ、自分たちに不祥事を起こさせたのだ。それを当たり前のように言う理事長は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべている。
「じゃ、じゃあ私たちが今までやってたことって、あんたのシナリオ通りってこと?」
「いや、少し違う。わしはまさかこの二人がああもあっさりやられるとは想像もして無かった。良い線行くと予想してたんだが、明智ちゃんがまさかあれほどの魔術を使うとは思って無かった」
ふぉっふぉっふぉっ、と笑う理事長と、頬が吊り上がる藤山。茶菓子を食べ進める織田は、話を全く聞いていなかった。
つまり何?全部こいつの手のひらの上だったってこと?それに今の今まで気が付かなかったってこと?有り得ない。
「死ねよクソ爺。絶対編入しないから!」
全てを知った藤山はこれまで味わったことのない屈辱に支配された。
アホな上司とばかり思って見下していた人物に弄ばれたことに、心底腹が立った。だから最後だけでも悪足掻きしようと、スカウトを断った。
「学費免状」
だがその理事長の呟きに、反応してしまう。
更には織田も茶菓子を食べる手を止めた。
「授業免状」
追い討ちを掛けるように理事長は呟く。これは好条件だ。今まで馬鹿みたいに払ってた学費が無くなる上に、家でも出来る勉強を免除されるのだ。織田は違う意味で反応したが、それはそれ。
「寮費免除」
更に上乗せされ、決心が揺らいだ。第一魔術学院東京本校は全寮制だ。だが、学費よりも寮費(光熱費等)の方が高いというネックがある。その為、奨学金を頼る人も少なくは無い。それが免除されるのだ。揺らがないわけがない。実を言うと、藤山及び織田はこの学院に入りたかったのだが、金銭面で難しかった為諦めて近所の学校に仕方無く入学したのだ(ちなみに、藤山、織田は上京者であり独り暮らしである。近所の学校には、上京した後決めた学校だ)。
それが、金銭面全てを免除されると言うのだ。願ってもないチャンスではある。
だが、藤山は気に食わないのだ。それで受けた屈辱感が消えるわけでは無い。
「対策係の契約を改正。給料倍」
その言葉を聞いた時、織田が折れてソファに全身の体重を預けた。
「くっ、卑怯よ!金で釣るなんて!」
「そう言ってる割りには、揺らいでると見えるが?」
なおも不敵な笑みを浮かべる理事長は、最後にこう呟いた。
「全額」と。
藤山は負けた。これで二人とも正式に第一魔術学院東京本校に編入することとなった。