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その日《World》にログインすると、夜だった。
大小の青白い月が私を見下ろしている。
夜の《白の都》は、青い月光に浮かび上がり、まるで水の中にいるようだ。夕暮れの都は《紅の都》といった風情だったけど、夜の都は《蒼の都》といった美しさだった。
「リンお姉さん」
時計台広場から西の門へ移動していた私は、懐かしい声に足を止めた。
人ごみの中、月光に煌めく白の髪が目を引く。
「フール君」
「久し振り、リンお姉さん」
にっこりと、いつものようにエルフの少年、フール君は笑みを浮かべた。
確かに、久し振りの邂逅だった。
「うん、久し振りフール君。今からどこに行くの?」
「ちょっと狩りに行くつもりだったけど、予定変更かな。リンお姉さん、今時間ある?」
「え?」
「見せたい物があるんだ」
フール君は紫の眼を柔らかく細めて、私を誘った。
風が耳元で唸りを上げている。
私はフール君と一緒にグリフォンの浮舟に乗っていた。なんでも私に見せたい物があるとフール君に誘われ、押し切られる形でオッケーしてしまったのである。
まあ、特に予定はなかったから別にいいんだけどね。
グリフォンに乗るなんて初めての体験だけど、乗り心地は意外と良かった。
眼下には緑色の草原が広がり、頭上には二つの月が見える。
どうやら、グリフォンは東に向かっているようだった。
「フール君、どこに行くの? この先は、確か砂漠地帯だよね?」
「うん、そうだよ」
グリフォンの背中で、私はフール君の後ろに座り、落ちないように彼の腰に手を回している。
フール君は肩越しに私を見て、いつもの笑みを浮かべた。
「詳しいことは、着いてからのお楽しみ。ああ、ほら。砂漠が見えてきたよ」
「うわあ……」
フール君に言われて前を見た私は、感嘆の吐息をもらした。
月光に照らされて金色に輝く砂漠が、視界いっぱいに広がっていた。
黄色い風が吹く。乾いた空気は凍えるほどに冷たく、頭上の星は怖いほどに美しかった。
「綺麗……すごい、凄く綺麗だね、フール君」
私の貧困な語彙ではこの感動を言葉にする事が出来ない。子供のように、すごい、すごいとはしゃいでいると、フール君にくすり、と笑われてしまった。
「うっ、フール君、笑ったでしょ」
「うん、ごめん。リンお姉さんが可愛くて」
「か、かわっ……!?」
なんという切り返し! こんなに若くからそんな軟派なことを言えちゃうなんて……お母さんはあなたの将来が心配よ!
いえ、フール君の母親ではないのですが。
私が内心パニックしながら赤くなって口籠もっていると、フール君は下を指差した。
「あ、見てリンお姉さん。下にサンドワームがいるよ」
「え? どこどこ? あ、いた!」
遠目でもはっきりわかるくらい巨大な何かが砂煙を上げて砂の中を移動しているのが見えた。どうやら、砂を泳ぐ魚の群れを追い掛けているらしい。
「この砂漠には、魚もいるんだね」
「うん、いるよ。砂鯱に砂イルカに……まだ見たことは無いけど、砂クジラもいるらしいよ」
「へえー」
クジラもいるんだ。見てみたいなあ。
でも、まだ無理かな。砂漠を泳ぐ魚はファンタジーで素敵だけど、あんな巨大な生き物がいるのに探検するのは危険過ぎる。
本サービスが始まったら一度行ってみたいと思っていたけど、これはいつになったら行けるようになるかわからないかな。
そんなことを思いながらサンドワームと魚の追い駆けっこを眺めていると、魚達が砂から跳ね上がった。
金色の砂を撒き散らし、月光に鱗を煌めかせた魚の群れは、幻想的だった。
一瞬見惚れてしまう。だけど、次の瞬間私は顔を引きつらせた。
サンドワームがその巨体をあらわにして魚の群れに襲い掛かったのだ。
サンドワームは、まるで巨大なミミズだった。顔にあたる部分には丸い口があり、プロペラ型の歯が開くと、長い舌が出てきた。
その舌で魚達を次々捕獲し、飲み込んでいく。
正直、あまり愉快な光景ではなかった。
「大丈夫? お姉さん。倒そうか?」
「う、ううん。大丈夫……」
じゃないけど、倒してほしいわけじゃない。フール君なら簡単に倒せるのかもしれないけど、それが目的なわけじゃないだろうし。
「……見せたい物って、なに?」
「そろそろ着くよ。――ほら、あそこだよ」
「わあ……!」
それを見た私は、再び感動のあまり言葉を失った。
月光を受けて水面を輝かせるオアシスが、まるで砂の中に転がっている宝石のように存在していた。
しかも、それだけじゃない。
「綺麗……花が、光ってる」
オアシスに群生している白い花が、淡い光を放っていた。鈴蘭に似たその花が風に揺れる度に光も揺らめく。
その光景を、空から見ているのだ。
あまりにも神秘的で美しく、息をすることさえためらう程だった。
「どう? 綺麗だから、お姉さんに見せたいなと思ったんだ。この前は、迷惑かけちゃったしね」
「……うん、すごい。言葉にならないくらい綺麗。ありがとう、フール君……」
「気に入ったなら良かった。少し離れたところで降りて、オアシスに行ってみようか。昼間なら水が冷たくて気持ちいいんだけどね」
フール君の提案で私達はグリフォンから降りて徒歩でオアシスに向かった。途中、砂鮫に襲われたけれど、あっさりとフール君が倒してくれた。強い。さすがβテストが始まって以来、ずっとトップを守っているだけある。
実はサモナーなのに、召喚モンスターがいなくても余裕の強さだった。
オアシスには数人のプレイヤーがいた。皆、見た目からでも強いとわかる。
「……真白……が……るな」
「あの……犬の……は?」
ぼそぼそ、と漏れ聞こえる会話は、私とフール君の事を話しているようだった。
見られている。注目されていると思うと心臓が慌て出す。緊張のあまり気持ちが悪くなっていると、ふいにフール君が私の手を引いた。
「こっち。人がいないよ」
優しい微笑みが、少しだけ私の緊張をほぐす。フール君はそのまま私の手を引いて、オアシスの裏側に回った。
確かに、そこには誰もいない。それに、木や茂みのおかげで向こう側からの視線を感じなくなった。
「……ありがと。ごめんね」
大きく息を吐いてそう言うと、フール君は不思議そうな顔をした。
「なんで謝るの?」
「なんでって……えっと」
私は明確な理由を探して視線をさまよわせた。
「……私の人見知りのせいで、迷惑をかけたから、かな」
「そんなの、気にしないでいいよ。ここには僕が誘ったんだし。逆に僕の方こそ謝らなくちゃいけないかもね」
「い、いいよ。そんなの」
首を振って否定して、私はうつむいた。
「……なかなか、人見知りが直らないんだ」
なぜか、いつもは言わない悩みが口をついて出た。オアシスの静かな空気のせいかもしれない。
「直したいの?」
「うん。早く直したい」
「なんで?」
「……えっと。知らない人がいるだけで緊張しちゃうし、さっきみたいに気分悪くなったりして皆に迷惑かけるし、……恥ずかしいし」
まるで幼い子供みたいだと、私は溜め息を落とした。
「……でも、なかなか直らないんだよね」
「性格って、変えにくいからね」
「そうだよね……」
フール君の言葉にちょっと落ち込む。私の悩みを、軽く扱われた気がした。
でも、フール君は続けて言った。
「無理に直さなくてもいいんじゃないかな。付き合い方さえ覚えれば」
「え?」
「性格を変えるより、その欠点と向き合って、どう対処するかを考える方が楽だと思うよ。緊張するなら、リラックスの方法を考えたり、気分が悪くなりそうならいっそ最初から皆に言って、開き直ったり。……大丈夫だよ。皆、手助けしてくれる。心配しなくていいよ」
「…………うん」
しばらく経ってから、私はうなずいた。
今まで、別の方法を考えたことは無かった。いつも、直したい、直さなくちゃ、それだけで。
……今すぐ直らなくても、いいんだ。付き合い方を覚えればいいんだ。
その考えは、私の心を軽くしてくれた。
「ありがとう、フール君」
「どういたしまして」
私が笑顔を浮かべてお礼を言うと、フール君も綺麗な笑みを返してくれた。
風に花が揺れる。
【鑑定】してみると、月光花と出た。確かに、月光を纏ったような花だと思う。
月光花を眺めていた私は、ふと黒の宝玉の事を思い出した。
「えっと……フール君、宝玉は集まった?」
「まあまあ、かな。でも最終日までに全部を集めるのは難しいかもしれない」
珍しくしかめ面をしているフール君に、どうしようかと迷う。
うーん。言うべき、かなあ。でも決闘申し込まれるかもしれないし。皆に悪いから、渡したくないし。うーん……。
「……宝玉を手に入れたんだね」
「うにょっ!?」
「……ピィ」
静かな口調で問い掛けられて――と、いうより断定されて、変な声が出てしまった。それに驚いたのか、今まで大人しく隠れていたレヴィが鳴き声を上げた。
「ピィ……? リンお姉さん、今のは?」
「え、あ、うーん。……レヴィ、出ておいで」
「ピィ!」
私の許可にレヴィが嬉しそうにポケットから出てくる。それを見たフール君はかすかに目を見張った。
「レーヴそっくりだね。この子、どうしたの?」
「えっとね」
私はざっくりとレーヴの卵を入手した経緯を話した。すると、フール君はレヴィの頭を撫で、残念そうな顔をする。
「そっか……じゃあ、狙って手に入れるのは、βテストの間は無理そうだね。可愛いのに、残念だな」
「ピィ」
なんだか話が違う方向に行ってしまった。いいのだろうか、と考えていると、フール君が言った。
「お姉さんが持ってて」
「え……?」
「宝玉。集めるのに躍起になっていたけど、全部は集められないようだし。でも、一つだけ約束してくれないかな」
「えっと、なにを?」
フール君は静かに凪いだ瞳で私を見つめる。
「最終日に、宝玉が必要になった時には、僕に宝玉を渡すことをだよ。多分、必要になる。そんな気がするんだ」
「……どうして?」
「単に、勘だよ。でも、そうなった時には宝玉が欲しい。約束してくれる?」
「……皆に聞いてみないとわからない」
「なら、話し合いに応じる、だけでもいいよ。これならどうかな?」
私はしばらく悩んだ。フール君なりに譲歩しているのがわかる。悩んで、悩んで、私はうなずいた。
「話し合い、なら。皆にも頼んでみる」
「うん、今はそれでいいよ。ありがとう、リンお姉さん」
にこりと、フール君は内面の見えない笑みを浮かべる。
いつか与一さんが言っていた「笑顔仮面」を思い出して、小さく笑うと、フール君はきょとんとした。
「なに?」
「あ、うん、ごめん。なんでもない。それより……綺麗だね」
「ピィ!」
私は誤魔化すように周囲に目を向けた。風に揺れる月光花は本当に綺麗で、そのまま見惚れてしまう。
レヴィも気に入ったのか、ご機嫌だ。
「……まあ、いいか。うん、綺麗だよね。この花は夜にしか咲かないんだよ」
「そうなんだ……フール君、連れてきてくれて、本当にありがとうね」
「うん。僕もありがとう」
「え、なんで?」
「可愛い女の子と見れて、嬉しいからかな」
「……っ!?」
ま、またしても軟派なことを!
私がぱくぱくと口を開けしめしていると、またしても笑われてしまった。くそう、からかっているな。フール君め!
むう、と拗ねようとしたけど、月光花を見て考え直した。こんなに綺麗な景色の中で喧嘩するのは、もったいないよね。
私達は月が天の頂きに昇るまで、月光花を眺めていたのだった。




