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《 World 》のプレイ開始から、今日で五日目。
いつものように家事を終えてログインした私を待っていたのは、約束の武器が出来たと知らせるトオルからのメッセージだった。
オークとの戦いから二日がたっている。
早いのか遅いのか。鍛治の経験が無い私には判断できないけど、責任感の強いトオルのことだから、かなり頑張ってくれたと思う。
すぐに返信して、トオルの出している露店で会う約束をした。
――プレイヤーが最初に降り立った広場、通称『時計台広場』。そこは、名実ともに《白の都》の中心地である。
広場を囲む商店街には、スキル屋や雑貨屋などの主要な店が並び、時計台の周囲には、ログインしたばかりのプレイヤー達がこれからの予定を話し合う姿が見られる。
そして、南側の噴水を中心とした一角はプレイヤー達の露店で賑わっていた。
噴水の周りに敷き詰められた色とりどりのテントやビニールシート。
シートの上に直接商品の見本を置いて、客を呼び込む露店商達。
その中には料理スキルを持つプレイヤーが出している屋台もあり、VRの中だとは思えない香ばしい匂いで通りかかる人々の嗅覚に訴え掛けている。
「新作できましたー! 【カレーうどん】ATK+10 効果時間は、十五分でーす」
「帰還用アイテム【帰還の雫石】一つ2000C! 十個だけの限定品だよー!」
威勢のいい呼び込みに時々気をとられながら、私はプレイヤーの露店が並ぶ【時計台市場】を歩いていた。
今までは人混みが苦手で避けていた市場だけど、こうして実際に足を踏み入れてみると、変わった品物ばかりで面白い。便利そうなアイテムや、安くて良い装備品もありそうだ。
奈緒の言うように人見知りを治したら、もっと楽しいんだろうな。
……そう思っていても、なかなか治らないんだけどね。
沈む気持ちにつられて足元に視線を落とした私の耳に、小さな鈴の音が響いた。
『――リン、聞こえるか?』
私が設定した鈴の音の後に、ボイスチャットが届く。この世界で私にこれを送れるのは、一人しかいない。
通行人の邪魔にならないように脇にどき、私はウインドウを開いてチャットに応えた。
「トオル? 今、そっちに向かってるけど、何かあった?」
『今どこだ?』
「え? えっと、市場の中だけど……」
『そうか。悪い、まだ工房に居て、少し遅れそうなんだ。暫くその辺りで時間を潰しててくれないか?』
「うん、いいよ。珍しいのがたくさんあるし、見てるだけでも楽しいしね」
申し訳なさそうな声音に私がすぐに了承すると、トオルはほっとしたのか少し砕けた口調になった。
『見てるだけなのかよ。どうせなら、防具でも買ったらどうだ? 初心者向けな上に、掘り出し物がある露店を教えてやるから』
「防具かぁ……。トオルのお店では売ってないの?」『オレは基本、武器専門だからな。金属製のやつとかならたまに作ったりするけど。
お前は、金属製の防具は止めとけよ? 力低いから、素早さががた落ちするぞ』
「う、それは困る。うん、気を付けるよ」
素早さは私の生命線だ。防御力は全然育っていないし、本当に気を付けないといけない。
アドバイスしてくれた事も含めてトオルにお礼を言い、チャットを切った私は、さっそく教えてもらった露店に向かった。
プレイヤーの露店には、NPCの店売りとは違い、色々な物がある。防具もそうだ。
変わったデザインの物、特殊効果がついている物。なかにはレアドロップアイテムも売られていたりする。
デスペナで一時は所持金が三桁になった私だけど、カエル狩りや新しい狩場のおかげで少しは懐も暖かくなっている。
せっかくだから良い物を買いたいところだ。
でも。
……たかい。
唇だけで呟く。可愛いな、防御力も高いな、と思う防具は、お値段も高値だった。なんだろ、この、「お前もかブルータス!」と叫びたくなるようなモヤモヤ感。
いつも金銭面で苦労してる気がする。おかしいな、ゲームなのに世知辛いぞ。
それでも、トオルが教えてくれた露店は、一万以下の装備品が数多く並ぶ貧乏な初心者ソロプレイヤーに優しいお店だった。ありがとう店主さん!
胸中で店主さんに感謝しながらシートの前にしゃがみこみ、品物をじっくりと眺めてみる。店番は雇われているらしいNPCの男性。積極的に薦めてこないので、焦らずに悩むことが出来た。
二十点以上の服やアクセサリーが並ぶ中、良さそうな品を二つ見繕う。
ひとつは、【火鼠のケープ】という上半身『上』装備の、肩を覆う程度の長さしかない短い黒のマントだ。
これは布素材な割に防御力も高めだし、回避補正も火耐性もついていて、かなり良い防具だと思う。お値段は、8700C。
もうひとつは、碧色の金属で造られている【山亀のガントレット】。
こっちは、上半身『腕』装備で、盾としても使用可能。さらに、《スキル【亀の守り】効果:防御力一分間上昇》がついている。お値段は9000C。
……どれを選ぼう。
ケープには、回避が命の私にとってすごく魅力的な《回避補正》がついている。
ガントレットの方は、いざという時に盾があると助かりそうだ。
トオルからは、金属製の物はやめとけ、と言われているけど、これくらいなら大丈夫じゃないかな。
二つとも魅力的で悩んでいると、すぐ隣に誰かがしゃがみこんだ。
「そっちのケープがいいと思うよ」
長い時間悩みすぎたかな、と急いで場所を開けようとした私は、その言葉に動きを止め、横を向く。
そこに居たのは、白い髪の少年だった。
奈緒よりも年下で……多分、中学生くらいの外観。 さらさらの髪は銀ではなく新雪の白さで、前髪だけが少し長めのショートカット。そこからのぞく特徴的な長さの耳が、彼の種族がエルフだと表している。
光を受けて宝石のように煌めく紫の瞳が印象的な、エルフの美少年だ。
これは……かなり、凝った外装だなぁ。
私は、VRの中とはいえ、あまりの美貌に目を瞠った。
外装は、VR機器の性能によって変化する。
VR機器に自身の外見を反映させ、それに手を加えたものが一般的だが、別売りの外部機器を使って理想の外装にカスタマイズする人もいるらしい。
高性能な物だと、一般の機器では不可能な『性別変更』『十歳以上の年齢操作』なども可能だと聞いたことがある。
この少年がそうだとはわからない。なにしろ、私はオンライン初心者。
自分の外見にあまり興味を持っていないせいもあって、その辺りのことには詳しくなかった。
ただ、エルフ君があまりにも綺麗な外装なので、これが噂の特注品(特別外装)なのかな? と思っただけだ。
身に纏う藍色のローブもすごく上品で高級感が漂っているし、かなり上位のプレイヤーかも知れない。
私がぼんやりそんなことを考えていると。
「あ、ごめん。いきなり話しかけて、驚かせちゃった?」
私がエルフ君を見つめたまま黙っているのを、『いきなり話しかけられて警戒している 』せいだと思ったようで、謝罪されてしまった。
「う、ううん。えーっと。……このケープがお薦めなの?」
たんに外装に見惚れてただけです。とは言えずに、先ほど薦められたケープを指差して話を誤魔化す。
エルフ君もそれに乗ってくれるらしく、私の腰に下がっている短剣にちらりと目を向けて、彼は言った。
「うん。お姉さんは短剣使いなんだよね? なら、ガードよりも、素早さを重視して回避を基本にしたほうがいいかな、って。――余計なお世話だったら、ごめんね」
にこり、と微笑むエルフ君。
私は、エルフ君に自分の戦闘スタイルを見抜かれて驚いた。それに、悩んでいた部分をぴたりと言い当てている。
「ううん、余計なお世話なんかじゃないよ。ちょうどその辺りで悩んでいたんだ。……うん、決めた。このケープにする」
私は少し考えて決断した。エルフ君に薦められたからというだけでは無く、改めて自分のバトルスタイルを考えた上での決定だ。
私の言葉を聞き、エルフ君は穏やかに微笑む。
「それなら良かった。なら、早く買っちゃいなよ。そのケープ、一点物みたいだよ?」
「あ、本当だ。うん、そうするね」
店番の男性に話しかけて、ケープを購入する。
さっそくステータスウィンドウで装備を選ぶと、黒地に朱色で縁取りの入ったケープが、ふわりと肩を覆った。
滑らかな表面で、思っていたよりも柔らかい。胸の下あたりまでの長さしかないので、おもいっきり動いても支障はないと思う。
装備:【火鼠のケープ】
DEF+9 回避補正2.7% 火耐性15%
「アドバイスしてくれて、ありがとう」
良い買い物が出来た満足感を覚えながら、私は親切なエルフ君にお礼を言った。
「うん、どういたしまして」
再びにこり、と微笑んだエルフ君が、何故かその笑みを消して私をじっと見つめてくる。
な、なんだろ。
無言で見つめられると、だんだん落ち着かない気持ちになって、緊張してきた。
「……あのさ」
遠慮がちに切り出された言葉を遮るように、次の瞬間、私の手は彼の小柄な身体を“突き飛ばして”いた。
私と同じようにしゃがみこんでいたエルフ君が、地面に倒れこむ。それと同時に、彼が居た場所に何かが飛んできた。
――大きな斧だ。
見本が並ぶシートに当たりかけて、弾き飛ばされたそれは、大斧だった。
両面に刃のついたそれは、柄の部分に至るまで黒っぽい金属で造られていて、かなりの重量があるということを窺わせる。非力な私では、持ち上げることすらおぼつかないだろう。
こんな物が当たれば、大怪我は間違いない。――現実なら。
規制により保護されている露店に弾かれ、地面に転がるそれを見て、突き飛ばすまでもなかったことを思いだす。
咄嗟に、現実のように動いてしまった。たとえ大斧が命中したとしても、規制により弾かれた筈だったのに。
むしろ、突き飛ばした私こそが暴力を働いてしまったことになる。
「ご、ごめんね。つい、手が動いちゃった」
「うん、大丈夫。気にしないで。それより、喧嘩みたいだね」
地面に尻餅をついていたエルフ君は、すでに立ち上っていて、私の後ろを見ていた。
彼の言葉に振り返った私の視界に、人だかりの中心で対峙する二人のプレイヤーが映る。
先程までは明るく活気に満ちていた市場が、今は不穏な空気を漂わせはじめていた。




