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オークは視線を私に定め、近づいてくる。獲物をなぶるつもりなのか、その足取りはゆっくりとしている。
しかし、状態異常《麻痺》で動けない私に出来ることは少ない。
「えっと、キミ。早く逃げた方がいいよ」
幸いにも頭は動くので、少年に逃亡を勧めた。頭まで麻痺していたら、喋るのも難しかっただろうから、これは運営の優しさなんだろうな。魔法などは使用出来なくされているだろうけど。
しかし、少年は私を一瞥すると、逃げるどころか両手に武器を構えた。ええっ!? なんで!?
「一応聞くけど、麻痺薬は?」
「も、持ってない……」
「だよな。オレもだ」
状態異常の回復薬は高いし、《白の都》周辺には、せいぜい毒性モンスターくらいしかいなかった。こうなる可能性をわかっていたら、麻痺薬買っておいたんだけどなぁ。
内心悔やむ私に、少年は淡々と続ける。
「あいつを引っ張ってきちまったのは、オレだからな。――麻痺は、《一分以上、三分以内の肉体の拘束》だ。麻痺が解けたら、すぐに逃げろ」
「い、いや、それはわかったけど……でも、私はデスペナで無くなって困る物持ってないし……」
だから逃げなよ、と勧めたのだが。
「いいから、言うとおりにしとけ。あと、オレの名前は《Torl》だ。キミ、なんて気持ち悪い呼び方は止めてくれ」
こちらを見ずに言い切ると、少年――トオルは両手で握りしめた武器でオークに戦いを挑んだ。
……私を見捨てて逃げたって、別に構わないのに。そう思いながらも、なんだかじわっと胸の辺りが暖かくなった。
……でも、オークに勝てるとは思えない。
「おい! こっちだ豚野郎!」
トオルは自分にオークの意識を向けるためなのか、挑発するような態度で武器を振るっている。
彼の武器は、一抱えもある大きな木のハンマーだ。
表面を鉄で補強されているところがちょっと変わってるけど、大木槌という物かもしれない。
オークが丸太のような腕を振り回すのを避け、トオルは大木槌を叩きつけた。 鈍い音が響き、オークの巨体を揺らしたが、頭上のHPバーの減少は微々たるものだ。
「ちっ! この程度じゃやっぱきかねーか」
再びトオルは距離をとり、大木槌の柄を強く握りしめた。トオルの身体が淡い光を帯びる。
襲い掛かってきたオークの攻撃を避け、トオルは大木槌を振りかざすと、踏み込んだ足が地面にめり込む勢いで振り回した。
「――スキル《回転達磨落とし》!!」
トオルの身体がひときわまばゆい光を放つ。
どおん! と重い衝撃が音になって耳に届き、一拍遅れてオークの巨体が地面に転がった。
その光景に、私は眼を丸くした。すごい。
「あんなに大きなオークをふっ飛ばすなんて……」
力と攻撃力だけじゃ難しい筈だ。きっと、ハンマースキルの特殊効果だろう。
「――おい、まだ動けないのか?」
「え? あ。う、うん。まだ無理みたい……」
ちら、とこちらを見ながらのトオルの問いかけに、私は腕に力を込め、その反応の無さに首を振った。
「そうか……。動けるようになったらすぐに逃げろよ」
厳しい顔のトオルは、起き上がるオークに強い視線を向け、大木槌を再び構える。
派手に転んだオークだけど、相変わらずHPバーの減少は少ない。しかも、先ほどの攻撃でオークの顔つきが変わっていた。
まずい、と、獣人の勘が囁く。
「ぐおおおっ!!」
「――くっ!?」
気をつけて、と叫ぶ間も無く、オークの猛攻が始まった。本気になったオークは、豪腕を振り回し力任せにトオルに襲い掛かっている。
オークの動きは決して素早くは無いが、鈍重というほどでも無く、トオルは避けるだけで精一杯のようだ。
トオルは、オーク同様、力はあるが素早さが低いパワータイプなのだろう。同タイプの場合、力や体力が上の方が有利なのは分かり切っている。
徐々に追い詰められるトオルの姿に、なんとか出来ないかともがいてみても、焦りが募るばかりだ。
「ぐっ……」
動かない身体に注意が向かっていた私は、耳に届いたトオルの苦しげな声に慌てて視線を上げ、息を呑んだ。
見ていなかった間にオークの攻撃を受けてしまったのか、トオルの頭上に表示されているHPバーが、半分以下になっていた。
回復しようにも、距離がとれない。……いや、違う。
――私を庇ってるせいで、距離をとれないんだ。
オークは豚の顔を醜悪な笑みに歪め、大木槌でガードするトオルに拳を叩きつけている。
オークは粗末な皮鎧だけを装備していて、武器は持っていない。その点だけは不幸中の幸いだけど、それでも厳しいのに、私が足手まといになっている現状では、勝ち目なんて無い。
動かない身体に苛立ちが募る。こうしてる間にも、トオルのHPバーはどんどん削られていっているのに……!
オークが両手を握り合わせ、大きく振りかざす。やばい、あれを受けたら絶対保たない。
VRの中だというのに息苦しさに襲われて、私は浅い呼吸を繰り返した。
動け、動け、動け!!
それはおそらく、単なる偶然だった。
祈るように心の中で叫んだとたん、がくっと膝が沈む。
はっと目を見開き、次の瞬間、私の脚は地面を蹴っていた。
「――《二連撃》!」
トオルの前に滑り込み、剣スキルを発動させる。
《二連撃》は、素早く二度攻撃する技だ。力《STR》の低い私では、大してダメージを与えられないが、上手く当てれば攻撃をそらすことが出来る。
一撃め、成功。二撃め、――成功!
狙い通りにオークの太い手首に攻撃がはいり、軌道をそらすことが出来た。
地面にオークの拳がめり込み、土煙があがる。その隙にと、私とトオルはオークから距離をとった。
「おい! 動けるようになったらさっさと逃げろって言っただろ!? 攻撃してどーする! もうお前も共同バトルに入ったぞ!? ――いや、今からでもいーから早く逃げろ!」
ズボンのポケットから回復薬を取り出しながら、トオルが私に怒鳴る。確か、インベントリの短縮スキルだったかな。
「トオルくんを残して一人で逃げるなんて出来ないよ。二人でなら、なんとかなるかも知れないし」
私は緊張しながらも反論した。一度バトルに入った以上、逃げるにも逃亡判定がつく。素早さにはちょっと自信のある私はともかく、トオルは難しいと思う。 トオルはわざとらしいくらいに深く溜め息を吐いた。
「……くん、もよせ」
「なら、トオルさん?」
「なんでだ! ふつーに呼び捨てにしろ!」
「うええっ!?」
「なんですげー嫌そうなんだよ!?」
いや、だってですね? 人見知りの私がいきなり呼び捨てなんて、ハードルが高いと思うのですよ!
それに、外観は私と同じくらいの年齢だけど、もしかしたらすごく年上って可能性もあるし! ……なんとなく、見た目通りの年齢の気がするけど。
などと言える筈もなく、あわあわしてると、トオルは橙色の瞳を鋭く細めた。
「おい、来るぞ。――あんた、名前は」
「わわっ! 《Rin》――リン、だ、よっと!」
本来の名前を一文字変えただけの名を名乗りながら、襲ってきたオークの拳をバックステップで避ける。 ついでに隙だらけの脇腹を切りつけたけど、かすり傷程度のダメージしか与えられなかった。むう、短剣の攻撃力じゃ無理かなぁ。
「リン。タゲをとっておいてくれ。そのスピードなら大丈夫だと思うが、油断するなよ」
「……タゲって何?」
「何って……お前、初心者かよ!」
初心者ですよ? しかし、トオルは口が悪いなあ。お前呼びは流石にやめて欲しいんだけど、今はそれを指摘する暇は無いかな。
「はぁ……。タゲは、ターゲットをとること。つまり、あいつの注意を惹き付けててくれって事だ」
「なるほど。了解!」
疲れた口調でだけど説明してくれたトオルに頷き、私はオークにまとわりつくように攻撃を仕掛け出した。
オークが怒声をあげながらがむしゃらに腕を振り回す。それを軽いステップを踏んで躱しながら、トオルから離れた位置へ誘導し続ける。一瞬だけトオルを見ると、赤い回復薬を口にしていた。
スキルポイント《SP》回復薬だ。あのハンマースキルは、一度でかなり消費するらしい。私の方は、あと三回は使える。
「リン、パーティー組んでコンボいくぞ。コンボはわかるか?」
「うん。攻撃を続けることだよね?」
オークを惹き付けながら、トオルからのパーティー申請を受け入れる。あ、初めてのパーティーだ!
「おい、右!」
「うわわっ!」
緊張したせいであやうくオークの攻撃を受けかけてしまった。今はとにかく、バトルに集中しよう。
「まったく……気をつけろ。――いいか? 一撃めは通常攻撃、二撃めからはスキルだ。攻撃力の高いオレが最後になるようにやるぞ」
「うん、わかった。じゃあ私からだね。タイミングがちょっと怪しいんだけど……」
「攻撃がヒットして三十秒以内だ。そうだな、掛け声かけてくぞ。一、二、三、だ」
「わかった!」
話している間も、私はオークの攻撃を避け続けている。瞬発力と素早さが高いおかけで、避けるくらいは余裕だ。毎日のダッシュ訓練の成果かな。
その瞬発力を生かして、私はオークの腕を掻い潜り、まずは一撃を加えた。
「いち!」
「――に!」
ほとんど間を置かずに、トオルの大木槌がオークの背を打つ。続けて、私はスキル《二連撃》を発動させた。
「さん!!」
よし、上手く入った! そして、トオルの大木槌が光る。
「――よん!」
先ほど以上の轟音が響き、オークが再び地面に転がる。同時に、場違いに軽快なシステム音がコンボ成立を告げた。
――4Hit! コンボダメージボーナス発生! 総ダメージ×2
「やったあ!」
思わず歓声が口をつく。ボーナスダメージのおかげで倍のダメージが入り、オークのHPを半分近く削ることが出来た。
トオルも初めて笑みを浮かべている。
「よし! もう一度いくぞ!」
「了解っ!」
トオルがSP回復薬を飲む傍らで、私は起き上がるオークを警戒して短剣を構える。勝てるかも知れない。 僅かな希望が際限なく膨らんで、脈うつ心臓の鼓動がうるさいくらいに高鳴っていた。
トオルが回復薬を飲み終わり、合図をよこす。それを見て、私はオークへと走った。まずは通常攻撃!
「いち!」
短剣を、オークの腕に当てた時だった。オークの腹が大きく膨らむ。私がそれに気付くのと、オークが口を開けるのはほぼ同時だった。
「ぐおおおお!!」
「――っ!」
オークの《雄叫び》が間近で轟いた。頭を金槌で殴りつけられたくらいの衝撃に、身体がすくむ。
「――リン! 避けろ!!」
耳鳴りがおさまると、トオルの切羽詰まったような声が聞こえた。そして、顔に影が落ちる。
顔を上げると、青空と崖を背景に、丸太のように太い腕が私へと振り降ろされて――。
――ふっと気がつくと、私は人混みの中に居た。
思考が上手くまとまらず、無意味に周囲を見回すと赤い石畳と乳白色の建物が視界にうつる。
そこが《白の都》の時計台広場だとわかった私は、身体から力が抜けてその場にへたりこんだ。
「負けちゃったのかあ……」
「……もう少しだったのにな」
独り言に返答があって振り向くと、時計台を背に肩を落としたトオルが立っていた。
お互い顔を見合せ、苦笑をこぼす。
「……悪かったな、無茶なバトルに付き合わせて」
「ううん、別にいいよ。それより、一人で廃坑に入るのは危ないから止めた方がいいよ?」
私が立ち上りながら忠告すると、トオルは目を逸らして短い焦げ茶色の髪を掻き乱した。
「あー、あの廃坑は入り口近くならたいしたモンスターは出てこないから、一人でも平気なんだ。ただ今日は、ちょっと奥まで入り過ぎて……」
……なんとなくわかった。つまり、油断してしまったのだろう。
「……次から気をつけてね」
「……ああ」
仏頂面で頷くトオルをやれやれと笑って、私は、あれ? と首を傾げた。
人見知りの私が、あまり緊張せずに会話が出来るようになってる。……一緒にバトルした仲だからかな?
「どうした?」
「え? あ、ううん。なんでもないよ。それより、鉱石はどうなったの?」
私の指摘に、トオルは息を呑み、慌ててインベントリを開いてアイテムを調べた。その強張っていた表情が驚きを滲ませ、安堵に緩む。
聞くまでもない、わかりやすい笑顔だった。
「良かったね」
「……ああ」
トオルは見ている方が嬉しくなる笑顔でインベントリを閉じ、私を見た。そのとたん、またしても眉間に皺を寄せた仏頂面になる。
え? なんで?
「それにしても……お前のその格好はないだろ」
「え? 私の格好がどうかした?」
またお前呼ばわりされたけど、それよりも呆れた目つきが気になる。何か変かな?
首をひねる私に、トオルは溜め息をついた。
「なんでまだ初心者装備のままなんだよ。武器も、それ、最初に配布されたやつだろ?」
「ああ、そのことなんだ。うん、いや。スキルとかアイテムにお金使っちゃって……」
それは私自身気にしていたので、苦笑するしかなかった。いや、だって、ソロプレイだとあまり稼げないんだよ。
トオルはもう一度溜め息を吐くと、頭を掻きながら言った。
「……今度、オレの店に来い。いつもは、そこの噴水の裏辺りに出してるから。今回の詫びに、何か武器を作っておく」
「え。いいの?」
「ああ。いない時もあるから、事前に連絡してもらえると助かる」
トオルが何かを操作すると、私の前に半透明なウインドウが表示された。
――《Torl》からフレンド申し込みが来ています。
トオルを見ると、相変わらずの仏頂面。でも、なんとなく、耳が赤い気がする。
私は笑って、《Yes》と告げた。
今日は、初めて他のプレイヤーと一緒にバトルして、死に戻りを体験した。
――そして。
初めての、オンラインの友人が出来たようです。
「――なあ、ところでさ」
お互いのことを話しながら歩いていると、トオルがふいに尋ねてきた。
「なに?」
「いや、そっちはデスペナ大丈夫だったのか?」
「え? えーっと……ああっ!?」
「なっ、なんだ!?」
「……い、一番高かったアイテム《トラップツール》が無くなってる……」
私は愕然と目を見開いたまま呟いた。
デスペナにより10%減ってしまった今の所持金は、3680C。……そして、《トラップツール》はなんと3500Cもしたのだ……。
「……すまん」
がっくりとうなだれる私に、トオルが深々と頭を下げる。
油断大敵、備えあれば憂い無し、が身に染みた私達だった。
今回で一区切りついた感じです。
文字数がだんだん増えてますが、読みにくいとかないでしょうか? 次は閑話なのであっさりです。




