檻の中の少年
フィルメリアは今よりも、ほんの少し幼い頃、この砦にやってきた。
砦は盗賊たちにとって、絶好の隠れ家だった。
破棄の際に一部の城壁が壊されたとはいえ攻めに難く守りに易い構造は健在で、蔓が伸び盛り緑色の保護色に覆われ、外観はよりいっそう周囲にとけ込んだ。当時こそ、山の向こう側の敵から侵略を許さないために、山の中腹作られた拠点だったが、一つの国となった今では、旧時代の名残として鬱蒼と茂る緑の中に置き去りにされたままだ。
遠目からはすっかり消え失せたかつての城砦を、人々は次第に時と共に記憶を風化させてしまったのである。
唯一記憶に留める近隣のものは、それを“忘れられた砦”と人知れず呼んだ。
砦にやってくる前は、父親に連れられ、あちこちの町や村に行っていた気がする。気がするというのは、その頃のフィルメリアの記憶がとても曖昧だからだ。父さまと一緒に歩いたのは、もう、ずっとずっと遠い昔のように感じられる。
「…………っ」
フィルメリアを襲った寒い風に、できるだけ身体を丸めてひたすら耐える。遠くまでよく見える見晴らし台の上に座り込みながらも、凍える指をきゅっと握り締めてひたすらじっと周りの景色を見つめた。
馬車でも旅人でもなんでも、何かが近くまで来たらすぐに知らせる。
これがフィルメリアの与えられた仕事だ。
盗賊たちは皆とても大きいし、怖かったけれど、砦を出ようとは思わなかった。出れなかった。森の中が危ないのは、よく知っている。不思議な力を持った魔獣や、人の味を憶えた猛獣がうようよといるのだ。フィルメリアが一人で出たら最後。頭からバリバリと食べられてしまうと、父さまにうんとよく教えられたから。
そして一番、気を付けなくてはいけない事があった。
罠だ。
魔獣や猛獣を退治するように、人の手で仕掛けられたものが街道から少し逸れた獣道や森の中あちこちに設置されていた。
父さまが以前、言っていた。獣は皆、鼻が利くからこんな物には掛からない、掛かるのは人だけだと。一度だけだったけれど、そのときの父さまは怖い顔をしていたのでフィルメリアはよく憶えている。フィルメリアが罠に嵌りかけ、大怪我をしそうになったときだ。足に引っ掛かった紐に、何かがいきなり地面から飛び出してきて、父さまの腕を少し掠ってしまったのだ。
それから父さまは、ゆっくりと元気が無くなっていった。
以前は、ゆっくりでいい、いずれ憶えると笑っていた父が、急にフィルメリアに色々と教え始めたのも、その頃だった。お腹が痛いときは、この木の実。怪我をしたときには、この葉っぱ。これとこれを混ぜれば痛いのが無くなる。
しょっぱい石はいつでも持っておく事。このお守り袋は母さまだから、いつも首から下げておく事。
日に日に顔色の悪くなる父親の異変に気付きながらも、フィルメリアにはどうすることも出来なかった。
そして突然、人相の悪い大きな怖い人たちに囲まれた。それが、砦の盗賊たちだったのである。
フィルメリアの父さまは、一番怖くて一番身体の大きい男に気に入られた。それが頭領だったのである。フィルメリアたちを囲んだ盗賊を、父さまは皆やっつけたのだ。
砦に招待された後、父さまは数回の獣の襲撃を手際よく一人で退け、仕止めた獣を調理しては盗賊たちに振る舞ったりと、数日ですっかりと溶け込んでしまった。
大して役には立たないフィルメリアが、追い出されずにここに居れるのは、間際まで盗賊たちの機嫌を取った父さまのお陰だ。そんな父さまは、今は砦の裏の冷たい土の中で眠る。
しかし肉親を弔う悲しみに浸る時間はなかった。父親という庇護を失ったフィルメリアは、独りで盗賊たちの機嫌を損なわないよう立ち回らなくてはいけなくなったのである。
「!」
向こうに何かが動く影が見える。今は豆粒の様に小さいが、段々とこちらに近づいて来ているようだ。
フィルメリアが急いで知らせると、頭目が見張り台に登ってきた。直ぐに脇に身体を寄せて、場所を譲る。
小さな指が差す先を見た頭目は、珍しく顔に笑みを浮かべてテキパキと他の大人に指示を出したのだった。
「ただいま戻りやしたぁ〜っと」
しばらくすれば、出掛けていた数人の大人が上機嫌に戻ってきた。服をべったりと赤色に汚しながらも、首には金色の鎖をいつくも巻き付け、指に色とりどりの綺麗な石を沢山つけては見せびらかすように両手を広げている。
「大漁、大漁〜」
「はっはぁ! 笑いがとまんねぇっ」
周りを囲んで盛り上がる男たちを、頭目が押し退けて前に出た。
「馬車の中にあったのはそれだけか?」
「あ、いや、馬車ん中には何にも無くて」
「何もない?」
「あ、いや、あるにはあったけど空っぽの檻ばっかで」
「手枷やら何やら一杯あったけど、スッゲー臭くてチラッと見ただけで中は漁ってません。宝石だけで十分かなぁ〜っと……、すいやせんっしたぁ!!」
凄む頭目に観念したように男は謝った。
「赤髪、お前、取りに行ってこい」
頭目が顎をしゃくる。視線の先にはその呼び名の通り、くすんだ赤髪の男がいた。まだ年若い赤髪の男は、突然の指名に鬱陶しそうに顔をしかめた。
「お頭ぁ、宝石がこんなにありゃ、別に鉄を集めなくってもいーんじゃないですかねぇ」
細くなる頭目の目に、赤髪は慌てて了承した。
素直に「わっかりましたって」と言いながら、頭目には聞こえないように「チッ、アイツらの食べ残しの後始末をしろってのかよ」と不満そうにしていた赤髪だが、直ぐにフィルメリアを見ては意地悪く口を歪ませる。
「オイ、ガキ。てめぇは荷物持ちだ、一緒に来い。別にいいだろ、お頭ぁ」
フィルメリアの肩がビクリと揺れる。すがるように頭目を見るが、肝心の頭目はフィルメリアを見ようともしない。
「待て、俺も一緒に行こう」
しかし、もう一人髭面の大男が名乗り出て、赤髪は今度は分かるように舌打ちをした。
「血の臭いを嗅ぎ付けて獣が集まるかもしれん。少人数は危険だ。構わんだろ?」
その言葉に頭目はゆっくりと頷いた。
通った獲物は商人だったらしい。来る途中で教えて貰った。
砦からさほど離れていない場所に、ポツンと森の中に馬車は残されていた。誰かの忘れ物みたい。フィルメリアはそんな感想を抱く。
それほど大きくはないが、しっかりとした造りの馬車は、屋根まで木でしっかりと覆われている。けれど、繋がれていた筈の馬も乗っていた筈の人も誰もいない。
「?」
ふと違和感を感じてフィルメリアは首を傾げる。
「大きさの割には窓がねぇな」
「はぁ?」
低く呟いたヒゲの言葉に、赤髪は不機嫌そうに返したが、フィルメリアには直ぐにピンときた。違和感の正体が分かり、うんうんと頷いた。
「俺は御者台の方を見てくる。馬車の中を頼む」
言うが早く、ヒゲは前に回り込み、大きな身体が見えなくなってしまった。
「だとよ。オラッしっかり見てこいっ」
赤髪にお尻を足で軽く蹴られて、フィルメリアも慌てて馬車に近づく。軽く、といってもフィルメリアにとっては強い力だ。危うく転びそうになった。
今フィルメリアを見張っているのは仲間内でも、若い血の気の多い奴で、フィルメリアに乱暴するのは、いつもこの赤髪だった。一番怖がっている奴でもある。
馬車の後ろに回り込めば、案の定、入り口を見付けた。
まずはそっと隙間を開けて中を覗けば、果てしない暗闇が広がっている。
「なにやってんだよ、さっさと入れ」
後から赤髪のせっつく声に意を決して身体を滑り込ませた。
ツンと鼻に刺激を感じて両手で押さえる。凄く酷い臭いだ。
次第に暗闇に慣れたフィルメリアの目が始めに映したのは黒く太い鉄の格子だ。まじまじと見詰める。フィルメリアが普通に入れるくらいの大きさの檻だ。それもいくつもある。
いったい何が入っていたんだろう? きっとすごく、すごく大きい獣が入っていたんだ。フィルメリアは思った。
恐ろしい大きな獣の体を想像し、ぶるりと身を震わせる。大丈夫、恐ろしい獣はもう、いない。あるのは全部、空っぽの檻ばかり。自分に言い聞かせる。
思わず身動いだ拍子に足にヒヤリとした何かが触れて飛び上がった。怖々と足に触れた正体を手で探る。鉄の枷、のようだ。ソレを手で拾う。これは鉄くずとして売れる、立派な戦利品だ。
外に出れば、フィルメリアを見て赤髪が顔をしかめた。
「うわ、くっせー。糞ガキ近づくなよ」
「…………」
じんわりと目蓋が熱くなる。
再び馬車の中に入れば、ツンとした臭いがフィルメリアを襲った。我慢しながら、薄暗い馬車の中から鉄を探して一生懸命運びだす。あまり遅いと殴られてしまうからフィルメリアも必死だ。
息を切らし、なじられながら運び出すフィルメリアは、転がる鎖に足を絡ませ頭から床に転がった。
「……ふえぇ」
じわりとおでこに、目に、と熱が篭る。我慢だ、我慢。ぐすりと鼻を啜らせ、拳で瞼を擦る。大丈夫、痛くない。
不意に視線を感じた。
ゆっくりと、見ている何かを刺激しないよう強張る身体を静かに起こす。
見られてる。フィルメリアの行動をつぶさに観察している何かがいる。
恐る恐る顔を上げる。
窓のない馬車の暗がりの奥、僅かばかりの光を反射させる鋭い双眸と目が合った。
人、人がいる!
フィルメリアは、とても驚いた。
檻の中に、何故か、フィルメリアより少し大きい人が入っていたのだから。檻は獣や家畜を入れる為のものであって、人が入るものではないはずだ。
大慌てで馬車から飛び出したフィルメリアは、驚きで声が出ない。それでもぱくぱくと口を閉口しながら赤髪に近づく。
「ガキぃ、近づくなっつってんだろ!」
腹に凄まじい衝撃を受けて、フィルメリアの意識はぷっつりと途絶えた。