第九話:出発
刀、鍵屋編、終結です。
目が覚めたら身の内を燃やし尽くしそうな熱が退いていた。
心太は体を起こし、庭の井戸で顔を洗う。
「おはようございます。心太さん」
すでに起きて朝食の準備にかかっているらしい繭が、野菜を洗いに出て来た。
「今日は早いんですね?」
小首を傾げて微笑む繭に、心太は頷く。
「今日、出発するつもりですから」
「…そうですか。体はもう大丈夫?」
「はい。ありがとう」
繭は笑みを深くして、井戸端にしゃがみ、野菜を洗い始める。
「鞘をもう一つ作りました」
「え?」
「抜き身の刀を持ち歩くわけにはいかないでしょう?だから、焔さんの分と流さんの分の鞘。あ、心配しなくても、ただの鞘です」
繭はニコリと首を傾けた。
「繭さん、やっぱり俺、あの二人をここに置いて行こうと思うんだ。俺、刀なんか仕えないし…」
「持っているだけでも護身用になると思いますよ?何せあの刀はただの刀じゃありませんから」
「…っでも!」
「あの二人を刀に戻してしまったことを悔いていますか?」
心太は黙る。
「刀になってしまったら会話めできませんからね…」
「繭さん…」
「だけど頭冷やすにはちょうどいいんじゃないかしら?」
「え?」
繭は野菜の入った笊を持ち上げると、立ち上がって家の中へ戻って行く。
「いい年していつまでも兄弟喧嘩してるなんて、みっともない。じっくり一人で考える時間ができて、いっそよかったんじゃありません?」
心太はその背中を見送り、そっと溜め息を吐いた。
「しんたー?」
廊下を駆けて来る軽い足音に、心太は荷造りの手を止める。
「カイコちゃん?」
「はいります」
入口で立ち止まり、断りを入れて襖を開けると、カイコは心太に抱き付いた。
「あのね、蛹にいさまがしんたの刀袋をぬったので、それをもってきました」
畏まって言うカイコの頭を、心太は撫でた。
「ホント?ありがとう、カイコちゃん」
「しんた、ちゃんとほむらとながれをつれていくわよね?蛹にいさまがね、もしかしたらおいていくから、袋はいらないかもしれないっていうの」
心太は少し驚いた。考えに気付かれていたらしい。しかしすぐに目を和ませる。
「…連れて、行くよ。怒られるのが怖くて、動けないあいつらを置いていくなんて、卑怯だしね」
「しんた、わるいことしたの?」
「うん、もしかしたら悪かったかもしれないことをしたんだよ」
カイコは首を傾げる。
「ごめんなさいは言った?」
「これから言うんだ」
「じゃあカイコ、しんたがちゃんとごめんなさいが言えるように、元気のでるおにぎり作ってあげる!」
「元気のでるおにぎり?」
「蛹にいさまと繭ねえさまがおべんとう作ってるから、カイコのおにぎりもいっしょにいれとくね」
「…うん、ありがとう。おにぎり、何が入ってるの?」
カイコは小さく笑う。そして、とてもいいことの様に心太の耳元で告げた。
「イチゴ!」
「……」
言葉を失う心太を残して、カイコは部屋を出て行った。
カイコの持って来てくれた刀袋を提げて、心太は蝶の部屋に向かう。
二振りの刀は彼女に預けてある。
「入りなさい」
ノックもしていないし声もかけていないのに言われて、心太は苦笑しながら襖を開けた。
「失礼します」
「決めたか?」
蝶の前には鞘に収まった刀が二振り、置いてある。
「はい、連れて行きます」
「そうか」
「繭さんにもカイコちゃんにも、二人を連れて行くように言われました。蛹は刀袋を縫ってくれた」
「…ああ」
「だけど蝶さんは何も言いませんでした。…何故ですか?」
蝶はクスリと笑う。
「面白い疑問を持つようになったな?」
「変ですか?」
「いや、成長した、と言えるんだろう、たぶん」
「…あなたは千里さんに似ている」
「あれと私はたった二人の姉妹だからな」
心太は目を見開く。
「鍵屋は四兄弟って…」
「繭と蛹は、私が拾って、弟妹として育てた孤児だ。カイコは、あの子は千里の子だ。私には姪にあたる」
心太は思わず声を上げた。
「千里の子っ!?」
「ああ、繭と蛹同様、私の妹として育てたがな。千里と一緒には、住ませられなかったから…」
「え?」
「さっきの疑問。私が何も言わなかった理由は、私も迷っていたからだ。持って行かせるべきか、否か」
「…どうしてですか?」
「置いていくことも大切だ。これから力を吸収するたびに、その相手を背負い込んでいくわけにはいかない。特にお前は、最終的に全てを置いて、現世に戻るんだからな」
「…」
「力持つものに出会う度に、そのものの持つ物語を背負っていけば、いずれお前が潰される。だからだよ。余計な荷物は置いて行くべきと思ったんだ」
心太は俯く。
「今は?」
顔を上げた心太の目が、真っ直ぐ蝶を映した。
「今はどう考えてますか?」
「…お前の決定に委ねようと思う。連れて行くと決めたなら、そうしろ。しかし背負い込むな。必要以上に近付くな」
心太は刀を袋に入れ、立ち上がる。
出口で一礼をし、蝶の部屋を出た。
厨を覗くと蛹しかいなかった。
「あれ?繭さんとカイコちゃんは?」
「洗い物に行きました。カイコのおにぎり、ちゃんと入ってますよ。二コ」
「二コも!?」
蛹はクスリと笑った。
「そろそろ行くんでしょ?」
「…うん」
「お気を付けて」
「ありがとう」
微笑みと共に渡された弁当を受け取ると、弁当箱を持って両手の上に、蛹の手が重ねられた。
その手から微かな熱が伝わる。
蛹の手の熱ではない。熱は触れた手の先から侵入し、臍の裏に溜まる。
「蝶姉さまは余計な力は心太さんを歪ませると言っていたけれど、俺の力を少し渡しました」
手を放し、蛹は微笑む。
「いずれ必要になります。だけど今は必要ないから、千里さんの力が抑えてくれてるはずです。大切にとっておいてください」
心太は首を傾げる。
「どんな力なの?」
蛹は笑った。
「忘れる力です。完璧に、記憶から消す力。俺は人じゃないものに好かれやすくて、すぐに憑かれるから、そのもののこと、すぐ忘れる力を持ってるんです。膨大すぎる記憶に、精神を壊されないために。…あなたにも必要と思います」
「…ありがとう」
「お元気で」
「…うん」
心太は弁当を荷物に入れた。その荷を持ち、刀袋を抱える。
誰にも会わずに鍵屋の家を出て、しばらく道を行くと、掻き消えたような不自然さで、家は見えなくなった。
次はどこに向かうべきか、わからないまま、心太の足は止まらず進み続ける。