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第五話:嗅ぎ屋

「ここは……」

心太は思わず立ち止まる。

「そこから先には行かない方がいい」

声に驚き振り返ると、そこに人影があった。

気配などは何もなく、視覚でしか捕らえることのできない人型が、声を発する。それでやっと心太はそれが生きた人間だと気付く。

「足を踏み出すな」

「ここは、なんですか?」

心太の指差した先は、彼の足元に直線を引いたようにそこから先だけが凍り付いていた。

何もかもが、触れるだけで崩れそうに硬く脆く凍り付き、その先の広大な大地には当然植物などなく、生き物が生きる術もない。ただ白く氷だけが地といわず天といわず、一面に張り巡らされていた。

「そこから先はその内崩れて消える」

「は?」

「なくなるんだよ」

「……あなたは?」

「私は蝶。千里から話は聞いている。おいで」

心太は見知った人物の名にほんの少し安堵する。

「千里さんの知り合いですか?」「千里は私たちの贔屓筋だ。もてなしてやるからおいで」

心太は首を傾げる。

「贔屓……?」

「商売をやっているんだ。……ほら、こんなとこに長くいるもんじゃない」

ぐずぐずしている心太に痺れを切らしたのか、蝶が彼の手を引く。

心太はその人物を観察した。

髪は長く、艶やかで黒い。目は切れ長で細く、しかし強い輝きを持つ黒だ。

女……かな?

ちらりと思う。顔は中性的だが身のこなしが女性的に見える。

何となく、だが。

「蝶さん、消えるって……?」

蝶が手を放したので早足について行きながら問う。

「ここは現世の影響をより強く受ける。あれは、人が信仰をなくしつつある証拠さ」

「人が信じなくなれば消える?そんな、どこぞの妖精じゃあるまいし……」

「お前が信じようと信じまいとこの世界の崩壊は免れない。そしてここが壊れきったとき、現世も壊れるのだろうな……。まだ何年も先の話だが。首都・東京……。人と欲望が吹き溜まる魔都。かつての京の都のように、この世界と現世は混じり合い、混乱に満ち、首都から順にじわじわと荒廃する」

「……そんな……どうすれば……」

「お前が寿命をまっとうした後の話だ、そうなるのは。気にするな」

蝶は心太の質問を躱す。

「……」

「まだじわじわと、狭間の国が壊れている過程だ」

「でもいずれは……」

「現世も壊れる。……心太」

蝶は急に心太を向き直り、真剣な顔を向ける。「はい?」

「これ以上聞くな」

「そんなっ……」

「どうしても聞きたいと言うなら……」

「……言うなら、なんですか?」

「金を払え」

しばらく無言で歩き、一件の家の前で立ち止まった蝶が言う。

「は?」

呆気にとられる心太を余所に、蝶は家の扉を開ける。

「ただいま、心太を捕獲したよ」

「捕獲っ?」

心太が声をあげるのと、幼い声と小さな塊が蝶にぶつかるのとは同時だった。「ちょうちょ姉さまおかえりなさーい!!」

「カイコ、お利口にしてたか?」

「うん!!」

幼い声が答える。

「おかえりなさい、姉さま。心太さんも、お疲れ様です」

家の奥から凛とした声が聞こえた。見ると、蝶によく似た、しかし蝶より若い女性が立っていた。

「繭、蛹は?」

「ここに……」

蝶の問い掛けと共に繭の背後から、繭と同じ顔の、しかしよく見れば少し背が高くしっかりした骨格を持った男性であることがわかる人影が姿を現す。

「挨拶なさい、客人だ。カイコも」

言われて幼女が心太の手をとる。

「ようこそ、しんた。あたしはカイコです。よろしく」

「蛹と申します。蝶の弟です。こちらが双子の姉」

蛹が自分を指すのを待って、繭が微笑む。

「繭と申します。よろしく、心太さん」

「あの……」

カイコに手を掴まれたまま、心太は戸惑う。

「千里さんはお元気?」

繭が微笑みを深くして近付いて来た。

「あ、はい……あの……」

「人見知りするのね?かわいい」

心太は人見知りはしないタイプだ。ただし、会ってそうそう腕を絡めて来る積極的な女性に対しては別の話だ。つまり繭のような。

「繭、千里の弟子をからかうんじゃない!悪いな、心太」

蝶が叱るが繭は気にしない。

「あら、だってかわいいんだもの。心太さん、客間を用意したの。ご案内するわね?」「や、あの、皆さんは千里さんとはどういう……」

カイコが下から心太を見上げてにっこり笑う。

「あたしたちはきょうだいでかぎやをやってるの」

カイコの舌ったらずな発音は難解だ。

「鍵屋?」

「嗅ぎ屋です。表向きは錠前屋ですけど、裏では情報屋ですよ」

蛹が心太から繭を引きはがしながら言う。

やん、と短い声を上げて、繭が不服そうにしながら離れた。「千里さんは常連さんです。最近はみえてませんが」

そしてカイコを抱き上げ、心太の唇にカイコの唇をくっつけた。

心太は慌てて離れる。

「っ!?蛹さん??」

蛹は落ち着いてカイコを下に下ろした。

「僕らの秘密を話したから、情報料です。カイコより繭がよかったですか?」

「え?いや……」

「繭がしようとしてたから、繭よりはカイコの方が傷が浅いかなぁと……」

蛹は淡々と言う。

「でも……」

「もしかして蝶姉さまの方がよかったかしら?」つまらなそうに繭が言う。

「さなぎ兄さまがよかったの?」

カイコがにっこりと笑って繭の真似をした。

「なるほど……」

カイコの言葉を聞いた途端に言って、蛹が心太の顎を捕らえる。

「ちょっ!!それはマジで一生物の傷に……」

寸前で蛹の顔が止まった。くすりと、笑みを漏らす。

「確かにかわいい。繭の気持ちもわかる」

「やめとけ、蛹。対価に匹敵する情報なんか持ってるのか?」

「ありませんね」


蝶の制止にあっさり身を引き、蛹は心太の荷物を受け取る。

「部屋に案内します」

「え?」

「しばらく泊まってくださいな」

繭がまた心太の腕に絡み付く。

「しんたは何も考えず歩いてきた。それでもここについた」

カイコがもう片方の腕を取る。

「そして私たちは千里からお前のことを頼まれた。それは、何かが起こるからだ。それまではここにいてもらう」

蝶が微笑む。

「千里の読みは当たるし、心太の無意識も当たるらしい。その二つがここを示したなら、きっとここに心太の求める物がある」

「これから来るのか、もしくはこの家にあるのか……」

蛹が呟いた。蝶は笑みを深くする。

「好きに探せばいい」

「……対価は?」

心太が問うと、繭が三度彼の腕に縋り付く。

「キスでいいわよ。今度は私と」

「だめだよ、繭。情報以外のものを売って対価をもらうなんて……」蛹が繭を諫める。

「あら、蛹は心太さんが気に入ったからって焼き餅焼くのね?みっともないわよ」

「惚れたはれたはみっともないものさ」

「っ薪割りでも飯炊きでもなんでもします。家事なら!」

心太は慌ててそう言った。

「心太、さっき蛹も言ったが……」

「対価ではなく、ご親切へのお礼です」

「……なら、頼むかな。買い出し」




次の日、心太は荷物を抱えて坂道を登る。

「大丈夫ですか?心太さん」

心太の倍の荷物を持った蛹が、心太を気遣う。

「あの家は男手がなくて、荷物持ちしていただけて助かります」

何故あえてこの男との外出を言い付けたのか、蝶にはじっくり聞きたい。

「あと少しなんで、がんばりましょうね。今夜はよく寝れますよ。昨日は寝れなかったようですけど……」

昨日も随分歩いてきたんでしょ?疲れてなかったですか?と首を傾げる蛹に、お前の双子の姉のせいだと言ってやりたかったがやめた。

蛹は前を向いて歩く。

心太は下を向いて歩く。

だから心太は、蛹が急に立ち止まったことに対する反応を遅らせた。

「わっ!?なんですか?急に止まって……」

心太は蛹の背中にぶつけた鼻を擦りながら問う。

「いえ、人が……」

言われて見ると前から女が一人歩いてくる。

「本当だ。この辺の人かな?」

心太が言いながら、近付いて来た女に頭を下げる。

それに気付いて女も頭を下げた。

「こんにちは。いい天気ですわね」

その声は低くはなく、聞き苦しくもない。しかしどう聞いても、男の裏声だった。

こんなのばかりか、と心太は漏れそうになる溜め息を飲み込んだ。

「はぁ……、こんにちは」

「この辺に鍵屋さんがあると聞いたのだけど」

女――男は頬に手を当てて首を傾げる。

「ご存じありません?迷ってしまったようで……」

「逆方向です」

蛹が男の来た方向を指し示す。

「あら?」

「私は店主の弟で蛹と申します。よければご一緒しますか?すぐそこですので」

「お願いします。あたしったら素通りして来ちゃったのね」

男の整った細い眉がハの字に下がる。

「私、焔御前と申します。焔とお呼びください」

言って焔は、心太と蛹に、美しく微笑みかけた。




E

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