第四話:力
空は冴え冴えと晴れ渡る青だ。
「心太ァ!」
「はいっ!!」
殴り付ける勢いで響いた声に飛び上がり、心太は慌てて声の方へ向かった。
「お前は今、空っぽで境界があやふやな玻璃の器だ。だからその中に水を入れ、水に色を付けてお前と世界の境界をはっきりさせる」
千里は心太を見るや否や切り出す。
「はい。だから小姫の力を俺がもらった……」
「そうだ。それで、今度はその力を抑える力が必要だ」心太が首を傾げた。
「例えば小姫の力、自分の意思で抑えられたら便利だろ?他にも、触れるだけで相手に怪我させる力、放電する力、抑えられないと困る力はたくさんある」
心太は身震いする。
「そんな力もあるんですか?」
危険な、恐ろしい力だ。
「例えばだよ。最終的にはすべて、お前を帰す力として昇華させてやるから心配するな」
心太は千里の目を見て頷いた。
「で、だ!そんなたくさんの危険な力を抑えるには、それらに相当する大きさの力が必要だ。そんな力は、現世で百年足らずしか生きず、狭間でも高々千年の内に現世か常世に引っ張られる人間には持ち得ない」
心太が少し考えて、問う。
「じゃあ…動物とか?狸とか狐とか…あ、鬼とか天狗とか!?」
とにかく何か不思議な力を持っていそうなものをあげてみる。
「惜しいな。確かに狐狸や、イタチや猫にも力はある。だがこれも、化けててもせいぜい千年が寿命だ。鬼や天狗はもっと長く生きるが、近付いたら逆に吸収されるだろうな」
「…じゃあ」
「そもそも形あるものの寿命など知れている」
「幽霊とかは?」
「惜しいな。現世における幽霊というのは、記憶と推測の具現だ。例えば、この人はこんなひどい死に方をしたという記憶から、悪霊になるだろうと推測する。それが具現化する」
「記憶と推測…」
心太が呟いた。
「怪談をしたら寄ってくるとか言うだろ?怪談という記憶を語ることによって、他者がその怪奇について推測し、それが具現化するんだ」
怪談と聞いて眉をしかめる心太を、千里は笑う。
「悪霊に限った話じゃないがな。記憶が像を結び、推測が性格や性質を後付けするんだ」
千里は一呼吸おいて続ける。
その目は伏せられていた。悲しい思い出を語る人のように。
「人に限らず、死んだものは漏れず常世へ行く」
「じゃあここは何?狭間は神でなく人でないものの世界だろ?」
「そう、狭間はお前のような神隠しの者の世界だよ」
「神隠しの人なんて、そんなに多くないんじゃないの?」
心太は敬語を忘れて千里に問う。
「それにここには、日本人しかいないよね?」
「常世にも日本人しかいないよ」
千里は笑った。
「どういうこと?」
「ここも常世も、あるいは記憶と推測の具現なのかもしれない」
「ぜんぶ想像の産物ってこと?」「そうかもしれない」
心太の溜め息に、千里はニヤリと笑った。意地悪な魔女みたいな笑い方だと思った心太は、その比喩があまりに千里に似つかわしいので吹き出しそうになって、慌てて抑える。
「何を笑ってんだい?」
だが抑え切れずに半眼で睨まれた。
「いや、別に…」
「まあいい。それともう一つ、狭間に住む存在があるんだ。何だかわかるか?」
心太は少し考えてから口を開く。
「ん…っと、さっき言ってた、鬼とか天狗?あと動物…」
「そう、長く生きて化けることを覚えた動物や鬼、天狗、山姥、それからあまりに具現が進みすぎた幽霊たち…。遠い昔に現世にも住み、人の傍らで、夜と昼とを分け合って暮らしていた妖異」
「幽霊は妄想って…」
心太の言いかけた言葉を千里は首を振って遮る。
「そんなこと言ってないだろ?幽霊は人の記憶と推測の具現って言ったんだ」
「同じことでしょ?」
千里は首を振る。
「違うな。そもそも狭間や常世のような巨大な具現を人間の心だけで作りだせるとは思えない。幽霊にしてもそうだ。人間がそこまで器用なはずがない」
「どういうこと?」
「つまり具現に必要な記憶というのは、世界の記憶なんだ。そのものが占めていた時間と空間を世界が覚えていて、それを人間の心に従って具現化する。よって具現は力を持つ」
よくわかっていない心太をよそに、千里は話し続ける。
「具現は見えるし、実体化が進めば触れられる。具現が力をつければ現世に関わることもできるようになる。そしてあまりに現世に対する影響が大きくなりすぎると、ここに送られるんだ」
心太は納得したような腑に落ちないような微妙な態度で頷く。
「話を戻そうか。では心太、様々でたくさんの力をある程度抑えることのできるほど巨大な力。何が持つと思う?」
「あ、その妖怪とか?」
今度は心太ははっきりわかった、と声を上げた。
「その通りだ。その中でも特に長い時を生き、鬼や天狗ほど凶暴でなく、常に人と寄り添って来た優しいものたち…」
「…何?」
心太はまた首を傾げる。
「わからないのか?日本人。日本には八百万の神があり、櫛から茶碗にいたるまですべてに魂が宿ると言うだろう?」
「知らないよ、そんな大昔話…。もしかしてその櫛とか茶碗とかの力をもらうの?」
千里は溜め息混じりに頷く。
「そうだ。九十九神と言う」
「ねぇ、でも俺が力を奪ったりしたら、櫛や茶碗の妖怪はただの櫛や茶碗に戻るよね?せっかく長いこと使われて、動けるようになったのに…」
千里は心太の頭をグシャグシャと撫でた。
「力はもらうが魂を奪うわけじゃないよ」
「力をとっても櫛や茶碗は生きていられるってこと?ですか?」
やっと敬語を思い出したらしい心太に、千里は笑う。
「ああ、ま、力のある人間からももらうけど、抑える力は必ず道具の妖異からもらう。じゃなきゃ抑えきれないからな。とりあえずこれからお前は力を持つ人や物を求めて旅に出ろ」
「は?」
「道具は刀とか鏡とか、枕とかに強い力が宿りやすいぞ。あと楽器とかな。あとは、お前の足の赴くままに進むがいいだろう」
「ちょっ…」
「家の中に旅の用意はしといた。行脚僧の装束なら大抵どこででも飯を恵んでもらえるから大丈夫だ」
「何が…」
「待ってよ!千里!!…さん」
千里はきょとんと心太を見つめた。
「どういうこと?」
「聞いたままだ。用意が終わり次第、旅に出ろ!」
千里はにっこりと笑った。
心太は戸惑う。
「旅って…。俺はこの世界で、千里さん以外に頼れる人いないんだよ?」
「わかってるよ。でもお前は行くしかないんだ。私だって今夜から、自分で炊事洗濯掃除に薪割りも風呂炊きも買い物もぜんぶやらないといけないかと思うと億劫だが、お前のためなんだよ」
「今までぜんぶ俺に押しつけといて、さも辛そうに言わないでくださいよ…」
心太は溜め息を吐いた。
「お前にさせて来たのは、この世界で生きる方法を教える為だ」
「……」
心太は自分を見据える千里の瞳をまっすぐ見返す。
「帰りたいのだろ?こうしている間にも現世では時間が経っているんだよ。急がねば帰る場所など瞬く間になくなるぞ」
心太の眼差しが、大きく見開かれて揺れる。しばらく黙って、ただ千里を見ていた少年は、覚悟を決めたように眼を閉じ、彼女に背を向けた。
「……着替えて来ます」
それしか道が、ないのなら…。
心太の進む方向に雲はない。
空は冴え冴えと晴れ渡り、ただひたすらに青だ。
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ここでの幽霊の定義や妖怪、常世などに関する解釈は、すべてこの作品世界での定義や解釈です。
このような不思議な現象について、作者が研究や証明を行った結果ではないのであしからず。
作者は不思議は不思議のままで主義です。
その方が、作中のような勝手な解釈も付けやすいので。笑