1.対面
穏やかに微笑みあう合う男女や、空から舞い降りる天使達が彫られている扉を、シャルルは呆れた様子で見つめた。王宮内に数ある扉の中でも、この扉だけが異質だ。彼はうんざりしながらその扉を叩いた。
「どうぞ~。」
間延びした声を聞いて扉をくぐると、爪をせっせと研いでいる男が長椅子の上で優雅に寝そべっている。
「や~シャルル、今日も女装が良く似合うねぇ。」
そう言う彼も、高い位置で括られた淡い金色の髪を今日は細かく波打たせて、さらに全体に真珠を通している。彼が少し動くたびに髪の至る所に付けられた真珠がきらきらと輝いた。
「そう?オルフェ殿下は今日も奇抜ですねー。」
「そこいらの女より美しかろう?」
妖艶に微笑みながらオルフェは身体を起こす。
「それで、どうだった?」
「やはり襲撃を受けましたね。何処の者かまではわかりませんでしたけど。数はいましたが、そんなに強くはなかった印象ですかね。」
「吸血族だった?」
「えぇ、見事に全員、そうでしたよ。」
「ふむ。」
―となると、やはりガルドの手のものかな。
オルフェはつい楽しくなってくすくすと笑ってしまう。
「何か楽しそうですねぇ。何で襲撃されるとわかったんです?」
「・・・勘さ。フィオールの姫君は、ガルドの探し物なんじゃないかなーって。」
「・・・探し物?」
「まぁハルトに会わせればわかるだろう。確か今夜は夜会が開かれるのだったかな。で、姫君はどうだった?」
「胸の感触ならふかふかでしたよ。」
オルフェは思わず噴出して、再び長椅子に寝そべりながら、けたけたと笑い転げる。
「やるねぇ!君のそういうとこ好きだよ!」
「そりゃぁよーございました。もう少し侍女でいてもいいですかね?」
「おや、気に入ったみたいだね。いいよ、好きにおし。」
シャルルはスカートを掴むと両足の膝を曲げて侍女の礼を取る。そうして優雅に踵を返し、そのまま愛の部屋へと向かった。
「さて、俺は久しぶりに評議会へ参加するとしようかな?」
オルフェはゆっくりと起き上がると、大きく伸びをする。いつも昼過ぎまで寝ている彼が、こんなにも朝早くから起きている事は実に珍しい。
―いいねぇガルド。楽しませてくれそうだ・・・。
オルフェは上機嫌で立ち上がり、金色の髪を靡かせながら会議室へと向かった。
評議会に呼ばれたルーイガント達は、国王に直接、襲撃の件について報告した。参加している王族や術者達は魔鏡を通して大体のことを既に把握している様子であったため、簡略して説明する。王は彼らの話を聞き終えると、ただゆっくりと頷いた。
「ご苦労であった。卿らがわざと逃した者達については、術者に魔鏡で追わせたが、途中で強力な結界に阻まれ見失った。・・・敵の内部には、それなりの術者がいるようだ。」
王は深いため息を付く。
「フィオールのもう1人の王女も同じく襲撃されたようです。」
若い術者がそう告げると、メディシスは僅かに眉を寄せる。
「無事なのか。」
「はい、王女自らが結界を張り、ゴルディアの護衛をお守りしている様子でした。」
「王女が?」
「はい、ゴルディアは護衛の数を絞っておりまして、一方、敵は相当な数をそろえている用でした。数の暴力の前に成す術もない護衛団を、援軍が来るまでの間、王女がお守りしておりました。」
「騎士が姫君に守られるとは・・・何と情けない。」
メディシスは呆れたようにそう呟く。彼にしてみれば、騎士が姫君に守ってもらうなど言語道断だった。同じく愛に守られたレインはその言葉に思わず視線を落とす。叱責を覚悟したが、メディシスの視線は術者に向けられたままだった。どうやら知らないらしい。バレたら後が怖いが、わざわざ自分から告げる必要もあるまい、とレインは硬く口を閉ざす。
「件の姉君にもお会いいたしましたが、帯剣しておられまして、恐らく最初から戦う覚悟がおありだったのではないかと。」
ルーイガントは気の強そうな怜に、命をかけて愛を守ると約束したことを思い出し、笑みを零す。
「ほう?変わった姫君だな。それで妹の方はどういった娘だ。」
強い魔族が産まれると有名なフィオールの王女に、王は強い関心を寄せる。
「は、それが姉君とは真逆で大人しく、どちらかというと気弱なお方です。・・・それから、どうやら涙もろいようでして・・・。」
ルーイガントの言葉に、その場にいた数名が眉根を寄せる。
「フィオールには吸血族はおりませんし、王宮に至っては、通常は男子禁制だそうです。そのため、泣いてはいけないという教育を受けていないのではないかと・・・。」
「なるほど・・・。」
王は感心したように何度か頷いた。
「国が違えば文化も異なる。特にフィオールは異色であるが故、常識の違いは多々あろう。皆々、己の常識を諸外国の留学生に押し付けることがないよう、心せよ。・・・だがしかし、この国において泣くという行為は非常に危険であることは知っておいてもらわねばならんな。」
王の言葉に、眉根を寄せていた者達は慌ててその表情を取り繕う。ルーイガントは理解ある王を敬しつつ、しっかりと頷いた。
「それについては、既にご説明申し上げました。」
「うむ。・・・此度のことについては、調査に時間がかかろう。・・・ふむ・・・フェルデスは余の補佐で手一杯であろうし、メディシスには留学生らのことを一任している故、やはり時間が取れずにおろうな・・・。よし、ラウル。」
「は。」
「一任する。」
「承りました。」
「うむ。では、今日はここまでとする。」
閉会の宣言を受け、一同重苦しい雰囲気を纏いながら退室する。その様子をオルフェだけはどこか楽しそうに眺めていた。
目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。愛は辺りを見回してその事に気付くと、慌てて窓辺に寄り、外の景色を確認する。広大な庭の先には、どこまでも続く街が見渡せた。どうやら既に王宮に到着しているらしい。ふと服をみると、昨日着ていた服のままだった。お風呂に入り着替えたい、そう思った矢先、扉が軽快に叩かれる。
「アイリ様~。ルルですー。起きてますか?入っても良いですかぁ~?」
「ど、どうぞ!」
愛は慌てて目をこすり、髪を手で梳かしながら答える。シャルルは愛の返事を受けて遠慮なく扉を開くと、連れてきた侍女達に手際よく指示を出す。
「お早うございます~。ささ、アイリ様お風呂に入りましょう!その間にルル達は朝ごはんの準備をしますデス!」
ルルの言葉に愛はにっこりと微笑み頷く。そうして侍女達を一度見回した後、膝を折って丁寧に礼をする。
「朝早くから、有難うございます。」
侍女達は一瞬挙動を止め、各々顔を見合わせた後、途惑いながらも礼を返した。
本当のところシャルルはお風呂にも付いて行きたくて仕方がなかったのだが、周りの侍女達はシャルルが男であることを知っている。どこかから噂が洩れてフェミニストと名高いメディシスの耳にでも入ろうものなら首を跳ね飛ばされかねないので断念した。愛をお風呂まで案内した後は侍女達に朝食を並べさせ、ちゃっかり自分の分も用意させる。
「あの、シャルル様・・・。」
「ルル!」
「ル、ルル様・・・。ルル様も一緒にお食事なさるのですか。」
「うん、そうだよ。君達も一緒する?」
「い、いえ、私達は単なる侍女ですので・・・。」
「僕もだよ。」
シャルルはぺろりと前菜を摘み食いしながらしれっとそう言う。足をぶらぶらと揺らしながら愛を待ちぼうけること約40分、ようやく愛が部屋へ戻ってきた。ゼフィーニア王族が良く身に着ける、古代ギリシャで着られていたキトンのような服を身に着けている。真っ赤な生地に愛の白い肌や黒い髪がよく映えている。
「わぁー!ゼフィーニアの王族の服が良く似合いますねぇ!」
シャルルの言葉に、愛は目をぱちくりとさせる。
「お、王族の服なの?侍女の方が持ってきてくださって・・・。」
後ろに控えていた侍女を不安げに見ると、彼女はこくりと頷く。
「はい、メディシス様よりの贈り物でございます。他国の全ての王女様方に、色や刺繍の違うものをお贈りされているようでございます。」
大きな一枚の布を真ん中で半分に折り、山折された部分を上にして左脇下から布を回し、右肩の上部で結ぶなりブローチで止めるなりして固定する。同様にもう一枚の布を今度は右脇下から通して左肩上部で固定し、最後に固く編み込まれた帯を締める。愛が締めている帯は金糸で蔦模様が描かれていた。よくよく見てみると赤い布の裾も帯と同じ固めの生地で縁取られている。王族の服と聞いて気後れしたが、他国の留学生達も同じようにこの衣装を身に着けているのだと聞いて安心する。侍女に進められるがままに愛は着席し、食事をはじめる。侍女達はシャルルが同席していることに、どうやら何の疑問も感じていないらしいフィオールの王女を不思議そうな目で見つめながら、お茶やパンを給仕する。
「そうだったのですか。えぇっと、メディシス様という方は第二王子様でいらっしゃいましたでしょうか。どのようなお方なのでしょう。後でお礼を言わなければ。」
愛の言葉にシャルルは思わず身を乗り出した。
「あららら?!アイリ様は我が王国の華たる王子達の詳細をご存知ないのですね?!ではでは、ここでルルがさらっと解説しちゃいます!」
シャルルは愛がパンを口にするのを見てから自分もサラダへと手を伸ばす。そうして頬張りながら、くぐもった声で説明する。
「まず第一王子がフェルデス様とおっしゃって、今のところ覇力が一番強いということで王太子様でございます。うーん、そうですねぇー。特徴としては何かちょっと冷たそうで寡黙な感じですかねー。ルルはフェルデス様が笑っているとことか見たことがないですー。」
「・・・そう。気難しいお方なの・・・?」
愛が不安そうに聞くと、シャルルはぷるぷると首を横に振る。
「いえいえ、気難しいというか、淡々としている感じ?全部をありのままに受け止めていて、何事にも動じない的な。」
「そう・・・きっと大人で強いお方なのね。」
愛はほっと胸を撫で下ろす。侍女から今日は夜会があることと、そこで王子達と顔合わせをするという話を聞いていたので、少々怖かったのだ。
「そうですねー。で、第二王子様はメディシス様です。とーにーかーくー見目麗しいお方です!!女性の人気第一位!!!」
「えっと・・・お迎えにいらしてくださったヴィル・・ヴィルヒ・・・?」
「ヴィルヒアイス隊長様でございますよ、アイリ様!でもルーイとかでいいかと。」
笑いながら隊長の愛称をさらりと口にするルルに愛は思わず目を瞬いたが、気を取り直して情報の収集を再開する。
「ヴィルヒアイス様はメディシス様の近衛隊だったかしら?」
「そうでございますー。もともと各国から留学生を集う、という案を思いつかれたのがメディシス様でしたので、メディシス様の部下の方々が総出で各国にお迎えに行ったようですねぇ。」
「そうなの。・・・大変そうね。」
行く先々で、自分の時のように襲撃を受けたのだろうか、と愛はまだ会ったこともない他国の留学生達の身を案じる。
「メディシス様はどこまでもフェミニストで紳士で、部下にもそれを求められるタイプなんですよ。悪く言えば美意識の押し付け、ですかねぇ。規律が一番厳しい隊でもあるそうですよぅ。女性に優しい反面、男性にはめちゃんこ厳しいそうです~。女性を口説いちゃダメとかもあるみたいなんですよぅ。がっつくのは美しくないとかっ。そりゃぁメディシス様は口説かなくても女性がワサワサ集まってきますよ?でも世の中そんな男ばっかじゃないじゃないですかぁ。もてない男はつらいですぅー。・・・という訳だからか何だかはわからないですが、メディシス様の部下の半数以上が異動を願い出て、他の隊に移っていってしまうようです。結果、見目麗しく貴族的な男だけがあの隊に残るのですよ。・・・そうすると・・・。」
拳を握り締めて言葉を溜めるシャルルを、愛は食事の手を休めて凝視する。
「・・・そうすると?」
「メディシス様だけでなくメディシス様の近衛隊まで大人気に!!!」
「あぁ、なるほど・・・。」
愛は堪えきれず声をたてて笑う。シャルルの話し方が面白かった。
「そういえばヴィルヒアイス様もお優しそうな方でした。」
「そうですかぁ??あれは腹黒いと思いますよー。紳士なんてのは大抵腹黒いものです!」
拳を高く突き上げて、シャルルはそう断言した。
「そ、そう?」
「そうです!お気をつけて下さいまし!さて、続いて第三王子様はラウル様です。」
「ラウル様・・・。あぁ、私、覚えきれるかしら・・・。」
愛は自信なさそうにため息をつく。
「忘れちゃっても大丈夫ですよ~。ルルがいつだってお側におります!」
シャルルの言葉に幾分、元気を取り戻して、愛は微笑みながらこくりと頷いた。
「さて、ラウル様はですねー。うぅーん。キリッとした男前な方ですね。王族って大抵、僕は戦いませんよーって主張せんばかりに髪の長い方が多いのですが、ラウル様はきっちりと襟元に沿うように切りそろえられています。魔術が苦手なようですが、その分剣術はそんじょそこらの騎士にも負けないぐらいお強いです!いつも軍服を着ていらしてますねー。王族の服は無駄にビラビラしてて動きにくそうですからね!うーん、あと身分を問わず誰にでもお優しい方ですねぇ。臣民からは親しみやすいと広く愛されていますよ~。・・・まぁでもいい人で終わりそうなタイプですねぇ。」
「きっととても、穏やかで暖かい方なのね。」
「お、ものは言いようで随分変わりますね!さすがアイリ様!さてさて続きましてはー。第四王子のオルフェ様です~。・・・うーん、・・・何て表現しよう・・・。変わった方ですかねぇ。」
自分の主を思い出し、思わずシャルルは顔を顰める。
「どんな風に?気難しいの?」
「いえ・・・、どちらかというと気さくな方ですよ。うーん、常に面白いことを探し回っているような、楽しければそれでいいような・・・、刹那的な快楽を求めるタイプの方ですね・・・。退屈でつまらない事柄があれば、ご自分が楽しめるように躊躇なく変えてしまわれます・・・。建国際みたいな大事なお祭りでも、あのお方は嬉々として掻き回し、はちゃめちゃにしてしまうのです・・・。」
その手伝いを毎回させられている自分を不憫に思い、シャルルはどこか遠くを見つめた。
「まぁ・・・、悪戯っ子なのね。」
「そんな可愛らしいものじゃないですよぅ!しかももう御歳二十一におなりなんですよ!!そろそろ落ち着いて下さったっていいのに!!!・・・そうそう、あと多分、一目見たらこの人がオルフェ様、ってわかりますよ!」
「そうなの?」
「服装とか髪型が奇抜な方なのでー。髪とかめちゃくちゃ複雑に編み込んで高い位置でくくって、女の人みたいに宝石でじゃらじゃら付けて飾ってみたり、いろいろと凄いです。服装もド派手ですねぇ。でも不思議なことに品位は損なわれていないんですよねぇ・・・。一歩間違えれば成金趣味のギラギラした感じになりそうなものですのに、まだその一歩を間違ったところを見たことがないです。」
「趣味の良い方なのね。」
「いや、決して良くはないですよ!奇抜です!!」
愛の言葉をシャルルは全力で否定する。
「そ、そうなの・・・。」
「さてさてお次は第五王子様、ハルト様ですねぇ。・・・お子ちゃまです。」
何か嫌なことでも思い出したのだろうか、シャルルは眉間にぎゅっと皺をよせる。
「え?」
「お子ちゃまです。」
シャルルは大真面目な顔でもう一度しっかりと繰り返す。
「お子ちゃまなんです!とにもかくにもお子ちゃまなんです!何度ルルは弄ばれたことか!!」
「・・・ルル?」
「やりたくないことは絶対にやらない、好きなモノは独り占め、この世のものは僕のもの、って感じのお子ちゃまです!可愛いルルでからかって遊んでは"つまんないの。"とかいいやがります!!!あんにゃろぅ!」
ぷりぷりと怒り出したシャルルをなだめすかしながら愛は続きを促す。
「何かあったの?」
「何かどころか、もう多々あり過ぎて何からお話すれば良いのかすらわからぬ程ですよぅ!・・・まぁお可哀想ではございますよ?もうすぐ御歳十六におなりだというのに、未だ一滴の血も飲むことが出来ず、命が尽きかけているそうです。それも喰わず嫌いだからだとは思いますけど。美味しくない血は口にしない、とか変な矜持を持ってやがるんですよ、きっと。他の殿下方はマズいと感じてもお食事なさっているというのに!」
「そんなに、血を飲むことは大切なの?」
「もちろんですよー!吸血族は普通の食事もしますけれど、それだけでは生命の維持は困難なんです。覇力のために、魔力のために、そうして何より生きていくために、魔族の血が必要なのですよー。」
「そうなの・・・。」
「さて最後は第六王子様ですね!お名前はユーリ様です。」
「ユーリ様ね。」
愛は王子達の名前を何とか頭に叩き込もうと、反復する。
「ユーリ様はかわゆいです。」
シャルルは両の手で頬を挟みうっとりと夢見るようにそう言った。今までとは打って変わった態度だ。
「ルルはユーリ様派ですー。もう十四歳になられているのですけれど、あのお兄様方に囲まれて育ったというのに、奇跡的に歪んでいなくて純粋で真っ直ぐでかわゆいのですぅ。背もまだ小さくて、短パンから覗く生足ときたら、たまりませぬ。」
「え・・・?」
「あわわわ、いえ、何でもございません。おっとりとしていて大人しい方です。アイリ様とは気が合うかもしれません!あまりにも穢れなさ過ぎて、将来が心配なのですが・・・。きっと大人の醜い争いには耐えられません・・・。繊細な方なのです。」
「まぁ、ルルは優しいのね。」
「いえいえ、ユーリ様派なだけです!あぁ、アイリ様が誰派になるか今から楽しみですー。決まったらルルに真っ先に教えてくださいましね!」
「え?え、えぇ、わかったわ。」
「約束ですよ!!」
愛はもう一度ニッコリと微笑みながら頷いた。不安で仕方がなかったがシャルルの話を聞いて、何とかやっていけそうだ、と思い始めた。夜会で顔合わせをするのは未だ不安だが、そこまで怖い方々ではなさそうだ、と愛は安堵する。食事も終わり、愛はフォークとナイフをテーブルに置く。夜会までは自由にしていいと言われたが、まだ旅の疲れが残っていたため、愛はシャルルや侍女数名と共に時間までのんびりと室内で過ごした。
日がすっかり落ちた頃、何十人もの侍女が愛の部屋に訪れた。
「そろそろ、ご用意なさいませんと。」
「あ、は、はい。・・・他の国の方々は・・・?」
「既に王宮に到着しておいでです。大抵は侍女も連れていらしておりますので、既に準備なされているかと。」
「そう、・・・ですか。申し訳ございません、お手数ばかりおかけしてしまって。」
どうやら侍女もつけずに訪れたのは愛だけのようで、愛は居心地悪そうに俯いてしまう。
「どうぞ、お気になさらないで下さい。ではまず御髪をまとめましょう。」
侍女の言葉に愛は慌てて首を横に振る。前髪を眉毛が完全に隠れてしまう長さでぱっつりと切りそろえているのも、横髪を長く伸ばして顔に沿わせているのも、全て表情を隠すためのものだ。少し俯くと髪の影が愛の顔を暗く隠してくれる。そこに守られているような安堵感を愛は覚えるのだ。
「あの、・・・おろしていてはいけないでしょうか・・・。」
心痛な面持ちでそう願いでる愛に、侍女達は当惑した様子でお互い顔を見合わせた。夜会では大抵髪は複雑に纏め上げられるものなのだ。
「いいんじゃないでしょうかぁ~~。せめてクルクル可愛らしく巻きましょう。それなら良いですか?」
シャルルの助け舟に愛はほっとしてこくりと頷いた。それを見届けてシャルルは手を払い侍女に用意を促す。腰まである長い髪を胸の辺りまでくるくると縦巻きにして、横髪にも軽く癖をつけて弧を持たせる。丸顔の愛の顔をさらに小さく見せた上出来な仕上がりにシャルルは満足する。さらに口紅を付けたりと簡単に化粧を施す。
「おぉー綺麗ですぅ。あとは外衣ですかねぇ。夜会なのでなくても良いですけれど、どうなされますか。」
「外衣ってどういうの?」
「正方形の布ですー。いわゆるマントですね。片方の肩にかけて反対側の手の指輪に引っ掛けたり・・・。ほら、こんな風に布の縁のところどころに穴が開いているんです~。模様に紛れて分かりにくいですけど。肩からかけているだけの方も多いですよ。女性だと両肩を覆って片側をブローチで止めたりされている方もいますし、いろいろですねー。」
何枚か用意された外衣を手に、シャルルの説明を聞きながら愛は真剣に悩む。フィオールは春のように暖かかったが、ゼフィーニアは少しまだ肌寒い。けれど侍女達が複雑に結んでくれた帯を隠すのは忍びない。着物の帯の半分ぐらいの幅の帯が、まるで大輪の花が腰に咲いているかのように美しく結ばれている。
「もし使われるなら色は白が良いですー!赤い今日のご衣裳とあいますもの!」
シャルルは白地の布に銀色の糸で花の模様を描いている布を広げた。
「描かれているのはラビリア・・・?」
「あ、そうみたいですねぇ。」
愛は窓辺に飾られたラビリアの花を見つめた。強さを花言葉に持つこの花が愛は好きだった。すすめられるがままに白い外衣を受け取り、三角に折る。そうして帯が隠れないように帯びの下にたゆませるようにして、両端を腕にゆったりとかけた。寒く感じたら肩にかけ直したらいい。
「お、いいですねー。じゃぁ行きましょう。ルルはお側にはいられないですけど、広間で給仕とかしているので、何かあったらお声をかけて下さい。」
愛はしっかりと頷く。側にいてもらえないのは心細いが、いつまでも頼っていては迷惑になる。シャルルに連れられて大広間へと向かうが、緊張でだんだんと足取りは重くなる。それでも有限の廊下を歩み続ければ、いつかは必ず目的地についてしまう。
「さぁ、ここです。どうぞどうぞー。」
いつも通りのシャルルの声と表情に勇気を貰う。扉の前で立哨していた騎士が愛を見るなり、深く一礼し、扉をゆっくりと開く。
「フィオール王国、第二王女アイリフィア様がご到着なされました。」
騎士の良く通る大きな声が広間に響きわたる。視線を一点に受け止めた愛は思わず怯んでしまう。
「ささ、アイリ様、前へ。お席はこちらですよー。」
シャルルに案内された席に愛はゆっくりと腰を落とした。ゼフィーニアと古くから国交のある国の王侯貴族が王族に近い位置に座っている。フィオールはどこの国とも国交をもたない上、小国であるため、愛に用意された席は扉に一番近い下座だった。だが愛は逆にそのことに安堵する。襲撃された時に感じた覇力の独特な気配があちこちに漂っている。あの時のような悪意は一切感じないが、それでも愛にとっては未知で恐ろしいものだった。特にゼフィーニアの王族と思しき高い位置に設けられた席からは、威圧感とも何とも言い表しがたい気配が放たれていて、それが愛を息苦しくさせる。
―あれがフィオールの。
―確かに魔力の質は良さそうですけれど、・・・よくわからないわ。本当に強いのかしら。
―隠しているだけでは。強い魔族程、魔力を隠すのは上手でしょう?
―まぁ、髪をおろしているわ。非常識ね。
―地味な娘。
興味や蔑みの目が愛に突き刺さる。愛は顔を伏せて机の下で握り締めている結界の魔方陣を縫い付けたハンカチをじっと見つめた。これを今ここで発動させて、声という声を防ぎ、自分だけの世界に閉じこもりたかった。けれども愛は耐える。何も見えないふり、聴こえないふりは昔から得意だった。
「さて、全員が揃ったようだ。」
王の低い声が広間に響き渡り、ざわついていた広間が静寂に包まれる。王は広間を見渡した。留学生を募っただけで性別の制限はかけなかったが、見事に全員が女性だった。どうやら各国、ゼフィーニア王族の意図を敏感に感じ取ったらしい。
「長旅、ご苦労であった。これより一年、多くの事を学び、吸収し、自国の発展に役立てて欲しい。今宵の晩餐は顔合わせのようなもの、気を楽に楽しんでもらいたい。」
王が高らかに杯を持ち上げると、同じように席についている全員が杯をかざす。それを見て愛もあわてて杯を手にとった。乾杯の声が響き渡り、食事が運ばれ始める。その時信じられない言葉が王の近くに立っていた文官より発せられた。
「それでは手前の方から簡単に自己紹介を頂きましょう。」
愛は呆然と前方を見る。一番前に座っているチョコレートのような色の髪を高く結い上げた女性は、満面の笑みで立ち上がると前に出て、一段高いところにいる王達の前に跪いた。愛と同じようにメディシスから送られたのであろう衣装は若葉色で、華やかに着こなしている。外衣には大量の宝石をぬい付け、右肩の内衣から大きなリボンのように結びつけて垂らしている。彼女は手馴れた様子で名前や国のこと、得意な分野などについて簡単に説明していた。愛は真っ青になった。昔から人前で話すのは苦手だった。クラスが変わる度に行われる自己紹介が苦手で、いつも初日は休んでしまっていた。授業で当てられると、どんなに簡単な問題で答えがわかっていても、喉から声が出なかった。
―食事をするだけかと・・・。どうしよう・・・。
愛は緊張で指先が冷たく凍えていく。口の中は既にカラカラだ。少しずつ順番が近づいてくるのが、恐怖で仕方がない。出てくる食事に、何一つ手をつけることが出来ない。
―怜ちゃん・・・どうしよう、怜ちゃん・・・。
怜であれば、軽くこなせているであろう事柄も、愛にとっては苦行でしかない。
―泣いては駄目・・・。泣いては駄目よ・・・。
込み上げてくる物を必死で飲み込む。身体は震え、もはや話す内容を考える余裕すらない。愛の異常な様子に真っ先に気付いたのはシャルルだった。
「アイリ様・・・?いかがなさいました?」
そっと近づいて話しかけると、愛はぱっとシャルルの方を振り返った。安堵の為か、耐えていた涙が一滴、ぽろりと零れ落ちる。
「・・・!!!!いけませんアイリ様!ここで泣いては・・・!」
シャルルは思わず声を荒げる、が、既に遅かった。広間を取り囲んでいた騎士の内、吸血族であろう者達が苦しげに喉を押さえながら床に膝を付く。
「・・・くっ。」
フェルデスやメディシスも反射的に自分の目を掌で覆う。吸血欲と性欲は表裏一体だ。従い、吸血欲を人に見せるのは、魔族が涙を見せるのと同じに、品位を貶める行為だった。ラウルも一拍遅れて、慌てて金色に輝き、瞳孔が狭まっているであろう自分の目を隠す。
「わお~、美味しそうな気配~。」
オルフェだけは隠しもせず堂々と、異常に輝く瞳とぎらついた牙をさらけ出す。落ち着きを取り戻したメディシスは手を下ろすとオルフェを嗜めた。
「オルフェ!」
「お、さすが~。もう瞳の色、元にもどっているねぇ。強靭な理性だなぁ。」
オルフェは反省することなくニコニコと笑ってそう言う。
「でも、俺を怒るより、ハルトやユーリの心配した方がいいんでない?」
そう言われて慌てて弟達を確認する。ユーリは耳まで顔を真っ赤に染めて、両手で顔全体を覆い隠して俯いている。相当に恥らっているようだ。一方ハルトは肘置きに肘をのせた方の手で目を覆い体重を支えながら、牙で自分の唇を強くかみ締めて、荒い呼吸を何とか鎮めようとしている。ハルトの方が危険な状態のようだった。吸血欲に支配されて我を失いかけている。メディシスはハルトが吸血欲を感じていることに一瞬安堵するが、今はそれどころではない。
「ハルト、」
「・・・今僕に話しかけないで!!!!」
搾り出すような掠れた声で、ハルトはメディシスの言葉を遮る。思わず手を伸ばしかけたその時、女性の悲鳴が響き渡った。
「しまった・・・!」
広間を護衛していた騎士の一部が愛に襲いかかる。愛自身は恐怖で声も出ない様子で呆然と向かってくる吸血族を見つめていた。踊りかかってくる吸血族を、シャルルは全力で殴り飛ばす。ただ人数が多い。シャルルひとりで守りきることは出来ない。他の魔族の騎士達が慌ててシャルルの手助けをするが、覇力を全開にしている吸血族と、加減をしながら戦うのは容易ではない。
「・・・触らないで。」
「ハルト?」
自我を保っている騎士達に指示を飛ばすフェルデスや、逃げ惑う王女達を落ち着かせようと努めていたメディシスは、呟くように発せられたハルトの声に思わず振り返る。
「・・・僕のに、触らないで・・・!!!!!」
怒りのままにハルトから膨大な覇力が爆発的に広がる。重力が急に何十倍にでもなったかのように、思わずメディシスはその場に膝をついた。騎士達も床に這い蹲り、王女達に至ってはバタバタと気を失っていく。
―まだこんなにも、覇力が残っていたのか。
感心すると同時に焦りがこみ上げる。
「いけない、ハルト!本当に死んでしまう!!」
最後の覇力を振り絞っているのではないか、そんな不安がメディシスを襲う。ハルトは朦朧とした様子で、メディシスを横切り段を降りる。愛は信じられない程の圧迫感に瞬きも忘れてハルトを見つめた。ゆっくりと近づいてくるハルトが恐ろしく、愛は少しずつ後ずさる。何かが当たり振り向くと、シャルルも苦しそうに床に臥せっている。
「ルル・・・!」
シャルルは何とか顔を上げると声を搾り出す。
「殿下、目を覚まして!!!!」
その声は決してハルトの耳には届かなかった。美味しそうな気配がする、ただその思いに突き動かされるようにハルトは前に進み、床にへたりと力なく座る愛の前に屈みこむ。そうして次から次へと零れ落ちる彼女の涙に舌を這わした。
「・・・いやっ。」
床に愛の手を縫い付けて、静止の声も聞かず、ハルトは何度も涙の跡を辿る。血程ではないにしても、涙にも魔力が多分に含まれている。
―甘い。
僅かに残った自我が、心の中でそう呟くのを、まるで他人の声のように認識しながら、ハルトは今度はゆっくりと愛に口付ける。
「・・・!」
愛は衝撃で一切の抵抗が出来なかった。手はハルトに押さえ込まれ、身体は覇力に支配されている。結界の魔方陣が描かれたハンカチは遠くに力なく落ちている。
「・・・だ・・・め・・・。」
口内を舌で犯され、呼吸の合間にただ嫌だと訴えることしかできない。ハルトは夢中で彼女の唾液を吸い上げて、魔力を取り込み覇力を高めて行く。そうしている間に徐々に落ち着きを取り戻し、ゆっくりと覇力を収束させると、ハルトは愛の下唇を軽く吸い上げてから顔を離し、愛の膝へとずり落ちていく。
「・・・僕・・・疲れた・・・みたい・・・・・・・。」
その言葉を最後に、ハルトは意識を手放した。
ようやく覇力から解放されたシャルルは、むくりと起き上がった。
「酷い目にあった・・・。」
シャルルは起き上がるやすぐにハルトを愛から引き剥がそうと引っ張る。しかし、どうやらハルトは両手をしっかりと愛の腰に廻しているようで、なかなか剥がれない。
「むっ!」
シャルルはさらに力を入れて無理やり引っ張ってみるが、やはり駄目だった。
「ハルト!」
メディシスが慌てて駆け寄ってくるのを見て、シャルルは諦めてハルトから身体を離す。メディシスはハルトに近づくと、まず息をしていることに安堵する。よくよく見てみると、顔色も随分良くなっている様に見えた。愛から無理やり魔力を奪うような行為は王族としてはあってはならない恥で、後で厳しく叱らなければならない。だが十五年もの間、喉が渇き続けていたことを思えば、彼女の首筋に牙を立てて血を啜らなかったのは奇跡のようでもあった。僅かに理性が残っていたのだろう。メディシスは涙の跡が痛々しい愛の目を見つめ、そっとその手をとると、甲に口付ける。
「姫君には恐ろしい思いをさせてしまい、大変に申し訳ない。」
考えてみれば、深い森の奥で生まれ育ち、吸血族にも男性にも慣れていないはずの姫君をいきなり吸血族だらけの大広間に放り込むような夜会を開いた自分の失態に思えた。メディシスは心から謝罪する。
「あ、いえ、あの・・・。」
愛はしばらく視線をさ迷わせた。そういえば、この人は王の二つ隣の席に座っていた。歳の順に並んでいると聞いていたから、ということはこの人が第二王子なのだろう、と当たりをつけ、彼の顔をじっと見つめてみる。シャルルの情報の通りに美しい顔立ちだった。この人が第二王子なのであれば、服を贈ってくれたのはこの人なのだろう。
「あの、お、お洋服、有難うございました・・・。」
どこか自信がなさそうに胸元に手を合わせながら、そうお礼を言う。多くの女性が気を失って倒れており、机の上は我を忘れた吸血族に荒らされてぐちゃぐちゃ、料理は床に散乱し、止めに入った魔族が数人傷の手当をしている。そういう異常な状況下で、さらに王子であるハルトを膝の上で寝かせながら、贈り物のお礼を述べる愛は、際立って異常だった。
「あの、あと・・・これは、私が、泣いたせい・・・なのでしょうか・・・?」
俯いて萎れた花のように身体を縮める愛が痛ましい。
「いいえ、貴方のせいではない。我々の落ち度です。さぁ、どうぞ顔を上げて。」
メディシスは愛をきつく抱き締めて眠っているハルトの腕を無理やり剥がすと、彼を抱え上げた。そうして女装をしているシャルルを見る。何故そんな格好をしているのかと問いただしたかったが、恐らくオルフェの差し金だろうとため息をつく。
「・・・ルル。」
頼りなげにシャルルに愛が身を寄せたのを見て、メディシスはさらに眉間の皺を寄せてシャルルを睨みつける。シャルルは悪びれる様子もなく、しれっと視線をそらした。このあたりが主人であるオルフェと良く似ている。
「君はあとで、私の執務室に来るように。」
シャルルに冷たくそう告げると、メディシスは近場の侍女を呼んで愛を部屋へ下がらせる。
「メディシス、ここは私が片しておく。ハルトを。」
フェルデスに声をかけられ、メディシスは深々と礼をとると、混沌とした大広間を抜けていく。フェルデスは短いため息を付きながら惨状を直視する。
―王女達が目覚めた後が面倒だな。
何人かが機嫌をそこねて帰国すると騒ぐ王女もいるだろう。国交に影響が出るかもしれない。ガルドから目が離せない今、さらに敵を増やすわけにはいかない。フェルデスは冷静に指示を出しながら事態の収拾にあたるのだった。