3.貴族院
"ゴルディアに慣れるまでの数日間はのんびりと過ごすといい"と皇帝に言われた怜は、朝早くから起き出すと早速買って来たばかりの乗馬服を身に着けて城内の探索に乗り出した。同じ部屋で護衛を兼ねて寝泊りしていたフローディアと、常に怜の足元に纏わり付いているリリーがそれに付き添う。途中すれ違う重鎮達を紹介してもらいつつ、大よその間取りを頭に叩き込む。同時に襲撃を受けた際の逃走ルート、及び合流場所をフローディアと相談しつつ決めていく。
「迷路みたいだな。」
東西南北どの方角も同じような造りになっており、ぐるぐる廻っているうちに今自分がどこにいて、どちらの方角を向いているのかすら怪しくなってくる。太陽の位置を何度確認したかわからない。
「すぐに慣れるかと。」
「リリーの方が私よりもよほど賢いな。」
来た道を戻る途中で早速方向感覚を失った怜を導くかのように、リリーはトテトテと先を歩く。その足取りには迷いなど一切なく、時折、怜達がちゃんと付いてきているか振り返って確認しては嬉しそうに翼のような耳を羽ばたかせた。
「リリーは本当にレイラ様に良くなついておりますね。」
「最初からフレンドリーだったんだけど、他の人には違うの?」
「陛下のことは特に嫌っているようです。覇力が恐ろしいのかと。」
穏やかに微笑みながら怜より数歩前を歩いていたフローディアの顔が一瞬硬直し、そうして歩調に若干の乱れが生じる。不思議に思いつつ前を見ると、赤茶色の髪を右肩から緩やかに垂らした貴族風の男がゆったりと近づいてくる。男の目はフローディアと怜を交互に捉え、そうしてゆったりと口角を上げた。
「レーバルド公……。」
「やぁ、フローディア、久しいね。」
どこかぎこちなくフローディアは頷いて一歩引くと怜の方を向いて、先ほど紹介してきた重鎮達と同じように彼のことも紹介する。
「レイラ様、こちらは十一貴族のシヴァン・ド・レーバルド公爵です。」
怜は軽く会釈する。
「お話はお伺いしたことがあります。十一貴族筆頭レーバルド公は随分若く、けれども陛下の信は厚いとか。私はフィオール第一王女レイラディアと申します。しばらく貴国に滞在させて頂きます故、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。」
ニコリとも微笑まない無表情なままの怜にレーバルド公は頬を緩める。
「気性の荒い国民性ですが、気の良い者達ばかりです。どうぞ愉しんでください。それはそうと、フローディア。」
突如名を呼ばれて控えていたフローディアはビクリと肩を震わせた。常らしからぬ反応だった。頑なにレーバルド公の方を見ようとしない彼女の顎をいささか乱暴に掴んで上向かせる。
「フィアンセに対してあまりにもそっけないのでは?」
「公……。そのお話は、」
「むかしはシヴァンと呼んでくれていたのにね?」
噛み付くように口付けてフローディアの呼吸を奪う。その場に崩れ落ちそうになるフローディアを見て、怜は慌てて駆け寄った。
「フローディア!」
レーバルド公から奪う様に彼らを引き剥がせば、フローディアの目が金色に輝き、吸血欲を噛み殺すかのように歯を食いしばっている。
「フローディア……?」
レーバルド公に与えられた唾液が彼女に彼の血の味を思い出させる。
「フローディア、僕の血が欲しくなったら、またいつでもおいで。最近は随分つれないが、待っているからね。」
レーバルド公は怜に対してゆったりと腰を折ると、そのまま去っていく。
「フローディア、大丈夫?」
「……えぇ、お見苦しいものをお見せしてしまって、申し訳ございません。」
一度硬く目を閉じて、次に目を開けたときにはフローディアの目は彼女の髪と同じ亜麻色に戻っていた。
「驚いた。フローディアに婚約者がいたなんて。」
「ずっと、お断りしているのですけれど、親が決めたことですから私にはどうすることも。」
「フローディアは彼のことが嫌いなの?」
「そういう訳ではないのですが……。」
そう言いながら両手を胸の前でそわそわと組み替えて、頬を赤く染める様子はどう見ても恋する乙女のもので、怜は首をひねる。
「好きならいいんじゃないの?」
「いえ、そういう訳でも……。それに家柄が随分違いますし、公は血の質も良いので私ではもったいないですし、ただ幼馴染だったというだけですし……。」
最後の方は聞き取れないほど声が小さくなっていく。どうやら自信がないだけのようだと安心して彼女を立たせる。
「まぁ、フローディアがいいなら、いいんだけど。それにしてもちょっと城内を廻っただけでほとんどの十一貴族にあったんじゃないかな。彼らは宮内務めなの?」
「あ、いいえ、今日は貴族会議があるため、皆様来城されております。そうですね、あとお会いしていないのは、ディーゼクト公とミドランド公だけかと。」
「貴族会議?」
「はい。2ヶ月に一度、丸一日かけて行われます。貴族院の方々と陛下との意見交換会のようなものです。レイラ様には本日の昼食を皆様と共に召し上がって頂く予定でございます。」
少し先を行き過ぎて怜達が付いてきていないと知るや慌てて戻ってきたリリーを拾い上げながら、怜はしぶしぶ頷いた。
「わかった。じゃぁ一旦部屋に戻ろうか。城内の見取り図がもらえると嬉しいんだけど。」
「簡易なものならご用意できます。」
フローディアは気を取り直して微笑むと女性軍人らしいしっかりとした足取りで怜を先導した。
部屋に戻って一刻ほど経った頃、皇帝カイルが怜を迎えに来たため、怜は仕方なく彼と共に議場に向かった。開かれた扉から、一度退席していた皇帝が女性を伴って戻ってきたことで、議場にはどよめきが起こる。
「昼食の前に紹介しよう。フィオールの第一王女だ。」
「レイラディアと申します。1年ほど留学させて頂くこととなりました。以後お見知りおきを。」
朝方、彼女とすれ違った者達も、まさか議場に彼女が顔を出すとは夢にも思っていなかった。――それも、乗馬服のままで。
「髪が少し乱れているな。」
カイルが怜の髪を梳きながらそう耳打つと、彼女はうんざりしたような顔で答える。
「ドレスを着せられそうになって抵抗いたしましたから、そのせいでしょう。私は命を狙われている身。いつでも逃走できるよう、服も軽装でいたいのです。昼食をご一緒する必要はございませんでしょう。挨拶が済みましたから私は失礼いたします。」
お互いの耳元で囁き合っている姿は実に仲睦まじく、皇帝には吸血族の花嫁をと思っていた貴族達は眉をしかめる。踵を返そうとする怜の腰に手を廻し、カイルは彼女の動きを封じる。
「貴族共の反応が面白い。昼食ぐらい付き合え。」
「私は楽しくないのですが。」
不機嫌を露にした様子にカイルは喉奥でくつくつと笑う。
「余が楽しければそれで良い。」
上機嫌に自分の隣に怜を座らせると、頃合を見計らっていた侍女達が一斉に給仕を開始する。次々と運ばれる料理を尻目にせっかくの機会だからと、怜は議場を見渡した。皇帝に近い上座に座る十一人は間違いなく十一貴族だろう。中でもレーバルド公はやはり特異なようだ。若さの面もそうであるが、何よりこの議場において魔族は彼と怜の二人しかいない。吸血族の統べる国であるから当然といえば当然だが、唯一の魔族が筆頭貴族として皇帝から指定されているというのは、皇帝カイルによる魔族蔑視からの方向転換の意思表示に他ならず、吸血族こそが至上とする保守派からすれば大変に面白くないだろう。
「私に突き刺さる視線が痛いのですが。」
「余の相手が魔族というのは面白くないのだろう。」
「いつ私が陛下のお相手になったのでしょう。私は単なる留学生のはずです。」
「余が覇力を送り込んだのはそなたが初めてだからな。そなたから余の気配がすればやつらも思うところはあるだろう。」
面白そうに細められた目を怜は鋭く睨みつける。
「これ以上私の敵を増やさないで頂きたいのですが。」
怜の冷え冷えとした視線を心地よく受け止めながら、カイルは彼女の首筋をゆったりとなぞる。議場全体がとまどったような雰囲気に包まれるのに構うことなく、そのまま彼女を引き寄せるとそっと囁いた。
「敵は見えぬより見えた方が良かろう?あぶり出しているだけのこと。異界の娘を欲してやまぬガルドの犬がこの中にも紛れている。お前ならどれがそうかわかるかもしれぬな。吸血族の気配には魔族の方が鋭い。」
カイルはすっと身を引くと料理にざっくりとフォークを突き刺した。
――ガルドと繋がっている者がいるのか。
怜は神経を尖らせ、再び場内を見渡す。瞬間的に広がった怜の魔力に誰もが息をとめるが、それは一瞬で怜の中へと収束される。魔力は彼女自身だった。触手のようにそれを広げれば、手に取るようにいろいろなことが分かる。
「じろじろ見られるのは嫌いですの。私のことは気にせず、食事を愉しまれてくださいね。」
ただの威嚇だったかのふりをして、少し声を張り上げてそういうと、多くの貴族が"生意気な"と口を歪ませた。けれども怜は何事もなかったかのように、料理に手を伸ばし、ゆっくりとそれを口に運ぶ。笑みが零れ落ちそうになるのを耐えた。
――二人、私を襲ってきたガルドの使者の気配が混じっている者がいる。喰ったか。
十一貴族の中には流石に足が残るような真似をする者はいないようだったが、確かにガルドの使者の気配をさせている者がいた。吸血族同士で血を啜るのも別段珍しいことではない。魔族の血を取り込む時の快楽に比べれば雲泥の差ではあるものの、僅かながらの心地よさがあるらしい。特にゴルディアでは吸血族同士の婚姻が多く、魔族は愛人扱いがほとんだ。ガルドの使者の中には女もいたから、そういうことなのだろう。近場にいる貴族の男達と当たり障りない談笑をしながら最後のデザートまでペロリと平らげ、お皿もすべて回収されたのを確認してから、長居は無用と怜は立ち上がる。
「送ろう。」
怜に付き添って議場を後にしたカイルは人気がなくなるとすかさず"どれだ?"と問うた。
「緑のベストを来た白いお髭が素敵な脂ぎったおじ様と、その斜め向かいにいた成金趣味キラキラの指輪を全ての指につけていた恰幅の良い方。」
「ハイラルド男爵とベズラー男爵だな。ルディア。」
「は。」
呼ばれて柱の影からルディアが姿を現す。全く気配が読めていなかった怜は悔しさから顔をわずかに歪ませる。
「調べておけ。」
「御意。」
影に溶け込むようにルディアの姿と気配が完全に消えると、怜は腰に当てられていたカイルの手を振りほどき彼に向き直る。
「貴族院に派閥はあるのでしょうか。」
「ある。二人ともディーゼクト率いる派閥に属している。どちらかといえば右派だか、実態は単なる拝金主義の巣窟だ。」
「ディーゼクト公は何処にお住まいなのでしょう?地方の方ですか?」
「いや、帝都内だが、……行くつもりか?」
眉をしかめたカイルに対し、怜の口元はゆるやかな弧を描く。
「本日は丸一日お留守のようですから。」
ガルドが関わる者は、愛の敵でもあるのだ。怜としては放っておくことなど出来ない。ただし危ない橋を渡るつもりもなく、周辺の様子を見てみる程度にするつもりでいた。捕らえるかのごとく伸ばされたカイルの手につかまらないように身を引きながら、怜は悠然と言い放つ。
「ここまでで結構です。お送り頂きまして有難うございました。どうぞ、議場にお戻り下さい。」
「余の許可なく城内を出ることはまかりならぬ。」
「フローディア達についてきてもらいますから、ご心配なく。」
自室に向かうべくカイルに背を向けると後ろから再び腕が伸びてきて抱きすくめられる。無理やり上向かされて降りてきた唇から逃れることができない。
「ーんっ!」
抵抗しようにも羽交い絞めにされていては不可能だった。カイルの覇力が大量に体内に注ぎ込まれ心臓が割れそうな程激しく脈打つ。全ての神経に覇力が絡みつき自由が奪われていく。ようやく身体が離されると怜は乱暴に口を拭った。
「何をする!」
「ふむ。その方がそなたらしいな。余に対してかしこまる必要はあるまい。」
「何をした!」
身体中に何かが纏わりついたような不快さがある。怜は野生獣のように牙を剥く勢いでカイルになじり寄る。
「多めに覇力を注いだだけだ。これである程度そなたの行動が見えるようになる。ただし帝都からは出るなよ。」
怜は握り締めた拳を震わせながら再びカイルに背を向ける。これ以上の言葉は無意味と言わんばかりに黙したまま去る彼女を見届けながらカイルは軽く肩をすくった。
「随分じゃじゃ馬な方ですな。」
「ジークか。追え。あまり無茶はさせるな。」
「は。」
天井から聞こえてきた諜報部隊の声に短く命じると、カイルはマントを翻して議場へと戻っていった。