5.人族の集落
馬車へ乗り込む直前に、人族の村へは馬車で4日間程かかると聞いて、愛は安易に"行きたい"等と言ってしまったことをとても申し訳なく思った。魔鏡で見ることも出来ると言われたが、"直接人族の方々とお会いしてみたい"と無理を言ってしまった。
「そんなに遠いとは思っていなくて……。」
「どうぞお気になさらず。一週間ぐらいかけてのんびり向かいましょう。この国へ来て頂いた時はゆっくり街を見て頂くことも出来ず申し訳なく思っておりました。」
差し出されたレインの手をとりながら愛は馬車へと乗り込む。
「私の我侭のせいでこんなに沢山の方々に付き添って頂くのも、何だか……。」
愛が辺りを見回すとざっと50人程の騎士達が見える。その中には愛を守るために戦い、背を引裂かれたシリウスもいた。何人か見知った顔があってほっとする一方、本当は王女でも何でもない自分に付き合わされる騎士達には心底申し訳なく、愛は小さくなってしまう。
「いえいえ、皆久々にゆっくりと旅行が出来ると喜んでおりますよ。普段は訓練等でなかなか王都からは出られませんから。」
愛を安心させるための優しい嘘なのだろうとはわかっていても、その優しさが嬉しくて愛は恥かしそうに微笑んで頷いた。
「レイン!いつまで僕のアイの手を握ってるつもり?!」
既に馬車に乗り込んでいたハルトはそれを見て頬を膨らませ、無理やりレインから愛を引き剥がす。レインはいつの間にか顔色も良く元気になったハルトに安心しながら一礼して馬車の扉を静かに閉め、騎士団を見渡した。愛は"こんなに沢山の方々"と言っていたが、王子二人が同行する旅にしてはむしろ少なすぎるぐらいだった。
普段はメディシスの近衛隊である第二近衛隊だけの移動が多いが、今回はオルフェの近衛隊である第四近衛隊や、ハルトの近衛隊である第五近衛隊の隊員も含まれている。真っ白な制服である第二近衛隊だけの時とは違って金銀煌びやかな制服を纏うオルフェの部隊が混じるだけで色鮮やかになる。この複合部隊の臨時隊長は第四近衛隊の隊長であるシャルルが女装で馬車に乗り込むため、かわりに副隊長であるトリュー・ウェスティンという男が担うことになった。この男がまた変わり者で、その強面からは想像できないほどの可愛いもの好きであり、今も肩に桃色の兎のヌイグルミを乗せている。このヌイグルミには魔方陣が縫い込まれており、トリューの意思で動いたり喋ったりするものだから随分と不気味がられていた。
「では、出発しまちゅよー。」
桃色兎が大きく右手を上げて可愛らしい声を上げるのを聞き、士気が一気に低下するのを感じてレインは苦笑する。平然としているのは既に彼に慣れている第四近衛隊の面々だけだ。一抹の不安を感じ、思わずため息を付いてしまうレインだった。
人族の集落はフィオール王国とは逆方向にあるスベルス山脈の麓にあるという。そこにたどり着くまでに4つの州を抜け6つの街でゆっくりと寝泊りしながら愛達はゆっくりと目指した。王都から離れれば離れるほど、どんどんと田畑が増えていく。
「うわ、田舎~~。」
どこかうんざりした様子でオルフェが呟く。
「オルフェ様は、田舎はお嫌いなのですか?」
膝でごろごろと甘えてくるハルトの頭を優しく撫でながら愛は申し訳なさそうにオルフェに尋ねる。嫌いな場所に付き合わせてしまったのだろうかと不安が胸を締める。
「別に嫌いではないけどねぇ。都会生まれの都会育ちだから、あぁ退屈!買い物するところすらないしさぁ。」
「あれだけ沢山の買い物をしてまだ足りないのですかーーーーー?!」
オルフェの横に座っていたシャルルが思い切り顔を顰めながら抗議する。訪れた町々でこれでもかという程買い物に付き合わされたシャルルはうんざりしていた。
「王都では見かけもしないものが流行っていたりして地方都市というのはなかなか面白いねぇ。王都の流行が遅れて入ってきているだけの印象だったけど、独自性がそれぞれの街にあって実に楽しい。たまには放浪するのも良いかもしれないねぇ。」
「いいよね、オルフェは仕事がないから自由でさ。」
ころりと寝返りを打ってハルトはオルフェを睨みつける。
「ハルト様は何かお仕事をされているのですか?」
驚いたように目を見開いて愛が聞くと、子供のようにぷっくりと頬を膨らませたハルトが、そうだよ、と頷く。
「魔方陣を研究している施設があってね、国立術式研究所ってとこなんだけど。そこの所長させられているの。僕まだ十五歳で普通なら大学に行っているぐらいの年齢なのにさ!」
「何言ってるんですか、ハルト殿下は八歳の時にもう大学卒業したでしょっ。」
「え?!八歳で?!」
「我侭な王子様なんですけど頭だけは何故か良いんですぅー。あぁー憎たらしいーーー。」
「ねぇアイ、ルルの恥かしい話聞きたくない?」
「わわわわわわわ!!!!やめてください!私が悪かったですぅ!!!!」
ルルとハルトのやりとりにクスクスと笑いながら、まだ十五歳なのに十分に遊べないハルトを可哀想に思い優しくその髪を梳く。
「兄弟の中で何もやっていないのってオルフェだけだよ。ユーリでさえ王立植物研究室の室長してるし。」
「おや、一応俺も王立監獄所の所長という素晴らしく退屈な役職を持っているんだけどね?」
「どんな仕事してるのさ。」
「死刑執行のゴーサインを出しているのさ。1年に数回、紙切れに判子をぽんっと押す大変な仕事さぁ。」
「判子押すだけじゃん!」
「いやいや、無実の罪で死刑なんて笑えないだろう?だからちゃんと本人に会って"あぁ間違いなくこいつが犯人だな"という確信を得てから捺印するようにしているからね、結構大変だと思わない?この俺が小汚い監獄にわざわざ足を運んでいるその真面目な仕事ぶりに看守達はいつも感動してるよぉ?」
「……あの、調書を確認したりとかは?」
恐る恐る尋ねる愛に、オルフェは悠然と微笑む。
「まさか。そんなものより俺は自分の勘を信じているからねぇ。」
呆れてため息を付くハルトの側で愛は驚愕のあまりに固まってしまう。
「ルルは別にオルフェ様を庇うわけじゃないのですが、以前殺人容疑の死刑囚をご覧になられたオルフェ様が、"こいつは違うんじゃない?"っておっしゃるので再調査したら別の犯人が見つかったってことがあって、この方の野生の勘は本当にピカイチなんですよぅー。」
「そうなのですか……。」
いまいち納得できないものの、この国の者でもない自分が口を挟む権利はないと言い聞かせて、曖昧に頷く。話が途切れたタイミングで馬車がゆっくりと止まった。
「お話中失礼致します。」
レインが扉を叩き、許可を得て開く。
「オルフェ殿下、少しよろしいでしょうか。」
「いいよ?」
オルフェは優雅に立ち上がって馬車から降り、不思議そうな顔をした愛を横目で見ながらレインに馬車の扉を閉めさせた。
「で?」
降りて直ぐに目に入ったのは副隊長トリューの桃色兎が見知らぬ男と話している姿だった。
「あちらは本日宿泊する予定だったフェシュガー侯爵の屋敷の者で、侯爵夫人の体調が芳しくなく、今日明日の内に不幸があるかもしれない状況だそうで、侯爵の弟君であるフェシュガー辺境伯の屋敷にお泊り頂きたい、とのことなのですが。」
「ふ~~~~~~ん。」
意地悪そうに微笑むオルフェに居心地悪く思いながら、レインはオルフェの返事を待つ。
「いいよ、別に。寝泊りできれば別にどこでも一緒だからねぇ。ただ……。」
「ただ……?」
「侯爵への訪問はいつ頃彼に伝わったのかな?」
「はっ、昨日早馬を出しましたので今日の朝には侯爵に伝わっていたかと思いますが。」
「うん、急に王家の者が押し寄せると聞いて侯爵も驚いただろうねぇ。」
「えぇ、実際この6日間に訪れた先々でもう少し早くご連絡頂ければ十分におもてなしが出来たものを、と言われましたよ。」
レインの言葉など聞こえてないかのような様子でオルフェは目を細めて小さく見える目指していた屋敷を確認する。
「フランヴィア!」
オルフェに呼ばれて桃色兎のヌイグルミが振り返る。次いで馬に乗ったままだったトリューがひらりと馬から降り立ち彼の元へと走りよった。
「あたちを呼んだ?オルフェちゃま。」
オルフェは優しく微笑みヌイグルミを撫でた。
「辺境伯のところに泊まるのは構わない。ただし、10人程を侯爵の屋敷の周囲に待機させておいてもらえるかな?我々は明日、辺境伯のところから直接人族の集落へ行くが、夕方にはこの辺りに帰ってくるから、そこで合流しよう。」
「わかりまちた!」
しゅたっと敬礼をする桃色兎をもう一度撫でてトリューに行くように促した。
「オルフェ殿下?」
「俺の勘が怪しい、って言うからね、念のためだよ。杞憂に終るといいんだけれどもねぇ。」
オルフェの美しい淡い金色の髪が夕日の色を映して紅く染まっていくのにレインは不吉なものを感じとる。馬車の中の儚げな少女を思い、剣の柄を強く握り締め、沈み行く夕日に目を細めた。
十分におもてなしできず申し訳ないとひたすら恐縮していた辺境伯のところで一泊した翌日、さっそく愛達は人族の集落を目指した。昼ごろには着くと言われて愛の胸は高鳴る。魔力がなければ動かない設備がほとんどという世界で、一体人族がどういう暮らしをしているのか、もし苦しい生活をしているのであれば自分に何か出来ることはあるだろうか、と逡巡しながら向かう。そうして辿り着いた人族の集落は愛の想像を絶する程、陰惨としていた。
「着きました。」
差し出されたレインの手をとり馬車を降りて、辺りをゆっくりと見渡す。朽ちた藁の屋根と、今にも崩れ落ちそうな土壁の家々。草の生い茂った道なるぬ道には汚泥で溢れた桶が無機質に転がっている。虫が飛び回り、何処となく異臭も漂っている。
「こんな……人が住むような場所にはとても……。」
「アイ、待って!おかしい。」
ふらりと踏み出そうとした愛をハルトが引き止める。
「人の気配がないねぇ。」
ハルトに続いて馬車から降りたオルフェは匂いが気になるのか布で鼻や口元を覆いながら興味深そうに呟く。
「伝染病の可能性もあります。お近づきになりませんよう。」
不安げな愛の両側を守るようにシリウスとレインが立つ。
「いや、来る前に魔鏡で様子を見てきたんだけど、確かに七日前までは普通に人族が生活をしていたよ。疫病の気配もなかった。それに、ここまで荒れてなかった。」
「え?」
ハルトの言葉をきいて、再び集落を見てみると、剣などの鋭いモノで切り裂かれたような後が土壁に残っている。ところどころに血が飛び散った後のようなものまで目に入った。思わず息を飲み込み後ずさる。
「アイリ様!」
倒れそうになる彼女をシリウスとレインが慌てて支える。と、キィっという戸を開く音が集落からきこえ、彼らは慌てて剣を抜いた。
「おとぅ……?おかぁ……?」
戸から顔を出したのはまだ小さな十歳にも満たないような子供で、彼らの剣を見た瞬間悲鳴を上げてうずくまってしまった。レイン達はほっとして剣を仕舞う。
「よーち!皆、集落の中をくまなく探索ちなちゃーい!」
桃色兎の命令で控えていた騎士達が馬に乗ったまま集落へと踏み込んでいく。愛はハルト達が止めるのも聞かず、慌てて子供の元へ走り寄った。
「大丈夫?一体何があったの……?」
子供は恐る恐る顔を上げると目に一杯涙をためてフルフルと首を横に振る。
「おかぁ……。」
母親を求めて泣きじゃくる子供にこれ以上問い詰めるような真似は出来ず、ぼろぼろの服を纏った子供の背を愛は優しく撫でた。
ようやく子供が泣き止む頃には、狭い集落は既に騎士達によって十分に調べつくされたようだった。
「あの子供以外は誰も見つかりませんでした。」
「無理やり連れ去られた後があります。」
「僅かに覇力の気配のする場所があったので、恐らく吸血族の仕業ではないかと。」
次々と行われる報告を受けながらシャルルは首を捻る。
「人族なんて攫ってどうするんだろう?奴隷にすらなりゃしないよ。魔力ないんだもん。」
愛には聴こえないように小声でぼそぼそと話すと、ハルトがそれに応じる。
「うん、いろいろ可能性はあるけど、これがガルドの仕業だったら最悪だよ。」
「まさか、国内に入り込んだっていうの?」
「そう。それが最悪その1。」
「その2は?」
「術者以外を生贄にする術式が完成した可能性がある。」
「それは最悪だねぇ。」
言葉とは裏腹にオルフェは楽しそうに話にまざる。
「すぐに父上と兄さん達に知らせないと……。」
爪を噛みながらハルトは呻く様に声を絞り出した。
「まぁまぁハルト、落ち着いて。詳しいことはフェシュガーに聞くとしよう。」
「え、辺境伯??」
シャルルは意味が分からないというようにオルフェを見上げるが、彼は"いいや"と首を振る。
「侯爵の方さ。ま、勘だけどね。」
愛が子供の手を引きながら馬車の前に戻ると、シャルルやハルトが何か真剣に話をしていた。きっと消えた人々の調査等の相談をしているのだろう。邪魔をしては悪いと辺りを見渡すと、同じくシャルル達と話しているオルフェと目が合った。
「もしかして連れて帰るつもり?」
そう言われて愛は思わず俯いてぐずっている子供の方を見る。怯えて震えている子供を、こんな誰もいないところに置いては帰れない。
「……駄目でしょうか?」
瞳を潤ませてじっと見つめれば、オルフェは観念したように肩を竦める。
「いいけどね、俺の馬車には乗せたくないなぁ。汚れちゃう。」
「でも……。」
馬車に乗せずにどうやって連れて行けばいいのか、と困惑しているとシリウスが"では私が"と名乗り出てくれた。先に子供を馬に乗せてから自分も軽々と馬に跨る。
「辺境伯のところに寄って、風呂と洋服をお借りしましょう。その後であれば馬車でも問題ないかと。」
「うん、いいよ。ただし向かうのは辺境伯ではなく、侯爵のところだ。」
「しかし、侯爵様のところは奥方様が大変な状況にあると。」
「侯爵のところだ。」
笑顔で2度言われてしまえばシリウスは従わざるを得ない。困惑しながらもしっかりと頷く。
「あのレイン様……。」
愛はシリウスの横に馬を並べていたレインの服を必死に握りしめて彼を見つめた。
「あの、私を一緒に乗せていただくことはご迷惑でしょうか。」
「駄目ーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
レインが返事をする前にハルトが物凄い勢いで飛んできて愛の腕にしがみ付いた。
「アイは僕と一緒に馬車に乗って僕に膝枕するの!!!!」
「でも、あの子の側にいてあげたくて。」
「駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目!!!!!!」
猛烈な抗議を受けて愛は困惑してしまう。レインは自分の服を握り締める愛の手をそっととるとその甲に優しく口付けた。
「フェシュガー侯爵のところまではほんの数刻です。その間、あの子供が不安にならないよう、私もシリウスも心を尽くしますので、どうぞご心配なさらず馬車にお乗り下さい。」
「はい……。」
愛は後ろ髪を引かれるような思いで何度も子供の方を振り返りながら馬車に乗り込んだ。桃色兎の掛け声で一同は侯爵家を目指して動き出した。