3.兄弟愛
寝巻きを気だるげに羽織ったハルトは酔った様なふわふわした気分のままメディシスの部屋を目指す。すれ違う者達はハルトから溢れ出る覇力に目を丸くして崩れるように跪く。
「来たよー。」
扉の両脇を固めていた騎士に許可を得ることもなく、無遠慮に扉を開け放つ。慌てた騎士達を目で制して意気揚々と中へ進めば正座のままゲッソリとした表情のシャルルが恨めしそうにハルトの方を振り返った。
「あれ、何その覇力?!もしかしてアイリ様食べちゃったの?!?!??!」
「うん。僕のだもん。何かいけない?」
「ひどいひどいひどい!!!!」
「何が。」
「あんな幼気な女の子を!!」
「優しくしたよー。」
「メディシス様怒らないの?!」
きっとメディシスを見上げれば狼狽したような表情が彼に浮かんでいる。あれ?と不思議にシャルルが彼を尚も見つめると後方からクスクスと笑う声が聞こえた。
「珍しいね、メディシスが途惑うなんて。あの子の魔力に当てられたね?」
「なんでオルフェにーさんがいるのさ。」
不服そうに口を尖らせながらハルトはゆったりとソファに座る。今来たばかりなのだろうか、オルフェは入り口の扉に頭を預けて興味深そうに室内を観察し、妖艶に微笑んだ。
「俺の部下がメディシスにお説教されているみたいだし、感じたこともない莫大な覇力の気配も感じるし、面白そうだったからつい、ね。除け者にしないで欲しいなぁ。」
「オルフェが関わるとめちゃくちゃになるじゃん。掻き回すだけ掻き回して自分は高みの見物でしょ。」
ついと顔を逸らしてぷりぷりと怒る。
「やだなぁ。今回は高みの見物じゃなくて、ちゃんと参戦するよ。面白そうだからね。」
長い髪をくるくると指先で弄びながら、一歩室内に踏み入れ、片手を軽く上げて外側の騎士に扉を締めさせる。
「で、メディシスもあの子の魔力に惹かれているみたいだよ、ハルト。」
「だからナニ?!嫌だよ、あの子は僕の!」
「いつものメディシスなら独占欲で女性を縛り付けるなんて美しくない、とか言い出しそうだけど、今日は大人しいね?今ならハルトの気持ちがわかるのかな?」
「私は・・・。」
ようやく口を開いたものの、言い淀んで再び閉ざしてしまう。
「ふふふ。いい機会だと思うよ。日増しに女性の魔族が減っているから共有は止むを得ないのが現状であるのに、もともと吸血族は独占欲の強い種族だから、女性を奪い合っての死傷沙汰なんて今じゃ珍しくもない。それを緩和するために多夫多妻制を認める新しい法案は通ったばかりだ。王家が例を示す素材が出来て喜ばしい限り。」
「ヤダ!ダメ!!」
「まぁまぁハルト。あんなに美味しそうな血はめったにない。王族同士の血で血を洗うような争いに発展しないとも限らないよ?そうなると一気に国は瓦解する。君がその溢れんばかりの覇力を使えばもちろん、全員をねじ伏せることが出来るだろう。でも血の玉座に座る君を、あの純粋可憐なお姫様が受け入れてくれるかな・・・?」
「なっ!!うっ・・・。うぅっ。」
「基本は君のもので構わないよ、喉が乾いた時にちょっとかじらせて、ってお願いしているだけさ。」
「ダメ!あの子が嫌がるよきっと!」
ハルトは兄弟と争うつもりは一切なかった。特にメディシスには身体の弱かったハルトを常に心配し、過保護なほどに守ってもらっていた恩義がある。だからといって自分のモノと認識した娘を兄弟と共有するのはやはり嫌で抵抗を試みるが、オルフェがそれを否定する。
「もちろん、選択肢はあの子にあるよ。でも・・・あの子は受け入れると思うな。求められれば拒否できないタイプだ。良く言えば優しいのだろうし、悪く言えば"自分の意思"がない。何もかも相手に同調して流されてしまう。相手の押しが強ければ尚ね。」
ハルトはぐっと黙り込む。
「う~。」
ソファに座ったままじたじたと足をバタつかせ、側にあったクッションを乱暴に掴むとガブりとかぶり付きしばらく悶えていたが、ようやく諦めたように"わかった"と呟いた。
「・・・でも、僕のだからね・・・。貸してあげるだけだからね!!!」
「ありがと。」
「ハルト・・・。」
満足げに微笑むオルフェとは対照的にメディシスは申し訳なさそうな様子でハルトに歩み寄り、足元に跪くと優しく抱きしめる。
「僕のだもん・・・。」
「あぁ、わかっているよ。お前から取ったりはしない。」
悲痛な面持ちでハルトを覗き込みば、彼はおずおずと仕方なさそうな様子でクッションから顔を上げ、ため息を吐いた。
「吸血族があの子に惹かれてしまうのは仕方がないよ。あの子が許せば好きにしていいけど、優先権は僕にあるんだからね。」
「あぁ・・・わかっている。優しいね。有難う、ハルト。」
魔族の所有権は覇力の強い者にある。愛の気持ちに対する考慮がなく、まるで物のような扱いで当然のように話されているのが気に食わず、シャルルは頬を膨らませた。魔族の優遇されている国であっても、吸血族の支配者としての意識は大木の根のように奥深くまで張り巡らされ、たとえ本体を切り倒したとしても思いもよらないところから再び芽吹いたりする。そうした危うさがこの国にはあって、吸血族が見れば麗しの兄弟愛のシーンにも見える一連のやり取りを、シャルルは冷めた目で見ていた。ちらりと自分の上司を盗み見れば、それに気付いたオルフェが悠然と微笑んで見せる。シャルルの意図を明確に読み取り、肩眉を上げて面白そうにメディシス達に視線を戻した。常日頃から"魔族と吸血族の間に隔たりがあってはならない"、"弱者は守らなければならない"、等と独自の騎士道精神を説くメディシスの根底に植え付けられている吸血族優位な言動に、本人は気付いていない。大抵の吸血族はそうで、そういう意味でオルフェは特殊だった。自分や他人を客観的に洞察し、"無意識の言動"というものが全くない。彼から発せられるのは全て計算しつくされた言葉だ。そうしてメディシスの騎士道精神とは相反する無意識の言葉を引き出しては愉しんでいる。
―流石オルフェ様。悪趣味だ。
シャルルは呆れながらオルフェを眺めた。
「さて姫君を巡る骨肉の争いが回避されたところで、本題に入ってもらいたいな。」
オルフェの言葉にメディシスは頷くと、すっと立ち上がりハルトに向かいのソファに座った。
「ハルト、君はあの姫君が異界の者だと言っていたね。」
「うん、間違いないよ。」
長椅子に寝そべったまま楽しそうに話を聞いているオルフェにシャルルは"やはり気付いていらしたのか"という思いを強める。
「オルフェ様は驚かれないのですね。」
「何となくそんな気がしていたからね。」
「気付いていたのか。いつからだ。何故言わなかった。」
不快気に眉を潜めたメディシスにオルフェは肩を竦める。
「確証がなかったからね。フィオールが今回の留学生招致の話に乗ってきたのが不自然だった。必ず何らかの理由があるはずだ。そこにゴルディアにも王女がひとり送られると聞く。フィオールから出される魔族はどうやら二人であるらしい。異界から落ちてきた魔族も二人だ。その二人はガルドに落ちずに、どこか別の場所に落ちたはず。それがフィオールだったのなら、今回送られてくる留学生は異界の者である可能性が高いと見て護衛団にルルを紛れ込ませたんだよ。ガルド皇国の吸血族に襲撃された際、役立つと思って。ルルは幼少の頃ハルトの側で育ったから強力な覇力にも耐性があるからね。ゴルディア側は吸血族の女性を護衛につけていたみたいだけれど、我が国には女性の騎士はいない。男性の吸血族の入国は拒否されちゃったから、他に人選しようがなかった。だからこれ以上ルルを責めないで欲しいなぁ。未婚の女性の側に女装した男がべったり張り付いていたというのが君の美徳に反するのはわかるよ?でも姫君に警戒されずに側にいるためにはやはり同性の方が都合が良いからね。ルル、足を崩していいよ。」
上司からの許可を得て、シャルルはほっと一息ついて足を崩す。痺れてすぐには動き出せそうもない。メディシスは首を傾げて問う。
「フィオールが留学生を送り出すのはそんなに不自然とは思わなかったが。」
「そう?ガルドが力をつけてきているから、もしもの時は守ってくれという条件がそもそも怪しい。ガルドが異界から強い魔族を引きずり落としているのは当然フィオールの女王も知っていただろうし、よほどのことがない限り強力な結界に囲まれているフィオールを襲撃することはありえない。あの結界を破ろうと思えばガルドの皇族が総出で国境付近まで出てこなければならないが、彼らがそんな危険を冒すとは思えない。さらにゴルディアにまで留学生を送るという。ゴルディアは吸血族優位の国だ。そんな国に自分の娘をそうやすやすと差し出すなんて、いつものフィオールの女王であればまず、ない。」
「では、異界の者をゼフィーニアとゴルディアに差し出した理由は?留めおいても問題なかろう。むしろあれだけの力を持った魔族だ。自国の強化に繋がる。」
「そこなんだよね・・・。フィオールに異界の魔族が落ちたとガルドが知ったとしても、ガルドがフィオールに直接手を下す可能性は低い。それはフィオールの女王もわかっているはず。ならメディシスが言うようにそのまま異界の娘二人を国に置いていてもいいはずだから、他に何か理由があるんだろう。」
「他の理由?」
「今のところ情報が少なすぎてわからないなぁ。まぁでも当面の問題はフィオールよりガルドかな。フィオールが攻め入ってくることはないだろうけど、ガルドはいつ何をし出すかわからないからね。」
「ふむ・・・。兄上と相談しなければならないな。事が事だけに私の一存では決められない。」
「えぇー?フェルデスは保守的だからなぁ。俺としては何かしかけたいんだけどねぇ?」
未だどこかふくれっ面をしたままのハルトに顔を向ければハルトはこくこくと頷いた。
「ガルドのことだから何度もあの子を狙ってくるよ。国内に危険分子が入り込んでいないとも限らないし、早めに手を打った方がいいと思う。」
「分かった。兎に角父王と兄上に相談してくる。アイリフィア王女には城内から出ないで頂かなくてはならないかな。ここが一番安全だからね。」
どこか穏やかな表情で愛の名前を口にしたメディシスが善は急げと言わんばかりに颯爽と立ち去っていくのを見守りながらハルトは大きく息を吐いた。
「なんだかんだ言ってハルトはブラコンだよね。」
「なっ?!違う!!!!!」
シャルルがにやにやと笑いながら揶揄するとハルトは毛を逆立てながら否定する。
「こらこら、二人とも喧嘩しない。さぁて、許可出たことだし俺は味見してこようかな?」
ぎょっとした様子で自分を見上げるシャルルを尻目に、女性よりも女性らしい美貌に笑みを湛えて上機嫌に立ち上がる。
「じゃぁ僕も行く。見とく。」
不機嫌そうなハルトの声にさらに目を剥く。
「二人とも何言ってんの?!アイリ様貧血で死んじゃうからやめてよ!」
「ちょっと噛むだけなんだけどなぁ。」
「ダメです!!!!!」
「えぇー?そう。じゃぁ今日は諦めて昼寝でもしようかなぁ。」
「そうして下さい!ハルト殿下もしばらくアイリ様の部屋いっちゃダメ!」
「何でさ!」
「食べるでしょ!?」
「え。うーん。側にいたらかじっちゃうかなぁ。」
確かにとコクコク頷くハルトと共にメディシスの部屋を出て、強制的に彼の自室へと連れて行く。その前にもう一度だけオルフェに釘をさす。
「オルフェ様もちゃんとご自分のお部屋に戻ってくださいね?」
「もちろんだよ、ルル。」
胡散臭げな笑顔で手を振るオルフェに嫌な感覚を抱きつつもその場を辞したことを、シャルルは後で激しく後悔するのだった。