それでも櫻は、もう一度咲く
「パパ、今年も来たよ。明後日は中学校の卒業式だから、この制服も最後だね。また高校の入学式が終わったら来るね。」
小高い丘の墓前で、手を合わせる制服の少女。ゆっくりと瞼を開くと同時に、午後2時46分を知らせるサイレンが鳴り響いた。
「伯母さん、パパの中学の卒業式ってどんな感じだったの?」
「んー、せっかくの舞台だったのに、大雪で大変だったわよ。開始時間に間に合わないからってスタートが1時間くらい遅れて、その間に暇だからってみんな雪合戦始めて、本番は制服がびしょびしょだったわ…」
「そうだったんだ!今年は晴れるっぽいから、びしょびしょにならずに済むかな?」
「どうかしらねえ。泣き虫の幸ちゃんのことだから、涙で制服が濡れたりしてねぇ。」
緩い坂道を下りながら、震災遺構の横を通り抜ける。あの悲劇から今日で15年。それは、幸がこの世に生を受けたその日の出来事だった。
2011年3月11日。西高東低の典型的な冬型の気圧配置で、夕方からは天気の崩れも予報されていた。とはいえ冬の終わりの宮城なんて例年そんなものだ。最高気温が一桁の日だってざらにある。それだけだったら、その日はごくありふれた日常の1コマだった。
…はずだった。
「萌実さーん、ゆっくり息はいてー!大丈夫ですよー!頭出てきたよー!」
昼前の市営病院で、助産師さんの声に驚いたかのように大きな産声を上げた小さな命がこの日生まれた。およそ3,000グラムの健康的な赤子は、萌実の元を離れ裏へと抱えられていった。
「萌実さん、よく頑張ったわね。ここ数年で一番元気な女の子よ。」
「えへへ、そりゃあ私と涼太くんの子だもん、当たり前ですよ!」
「間違いないわね。ところで涼太さんはまだ来てないわね。」
「午前中は訓練があるので、午後からこっちに来てくれるみたいです。まさか私も陣痛がこんなに早く始まるなんて思ってなかったから、油断しちゃってた…」
萌実は、中高の一学年後輩で地元の消防士である相澤涼太と結婚し、6年目でようやく身籠った幸を産んだ。出産予定日は3日後だったので、この日の午前までは当然のように訓練を入れていた。
「早ければ明日には涼太さんも赤ちゃんに会えるからね。どんな反応するか楽しみね。」
しかし、実際に涼太が2人と再会したのはそれから4か月後のことだった。腐食の進んだ亡骸を前に、まだ小さい幸を負ぶる萌実は大声で泣き崩れた。その声は遺体の安置所全体に響き渡り、夏場の熱い風がその空間に吹き込んでいた。
それ以来15年、萌実は姉の晴実と共に幸を育て上げ、中学卒業を控えるまでに大きくなった。
「幸ちゃん、この後レガーミ行く?」
「うん、行きたい!」
10分ばかり緩い坂道を下り、焦げ茶色の建物が見えてくる。プロパンガスを運搬するトラックの脇をすり抜け扉を開けると、慣れ親しんだ珈琲の香りが2人を包み込んだ。壁側の奥から2番目、幸たちの定位置であった席に座ると、晴実の同級生であり幸のクラスメイトの父でもあるマスターがメニューを持ってきた。
「お、はるみんと幸ちゃんが一緒に来るなんて珍しいね。真央なら追悼式典に出掛けてるけど、幸ちゃんは行ってなかったのかい?」
「私はお父さんのお墓が丘の上にあるので、そっちに手を合わせに行ってました。」
「そっか、幸ちゃんのお父さんもあの津波で…」
「お父さんには中学生として最後の制服姿を見せられたので、次は高校の入学式が終わってから行こうと思ってます。」
「それが良いね。高校行ってからも真央のことよろしくね。これ、誕生日の幸ちゃんにサービスのイチゴタルト!」
「えぇ!ありがとうございます!良いんですか!」
大地震に津波、そして原発事故。何もかもが未曾有だった過去のその日も、同時に誰かの誕生日でもある。どうか、毎日が当たり前に幸せ日でありますように。その祈りを込め、「幸」と名付けられた。
翌々日、幸の中学では卒業式が行われた。旅立ちに相応しい、澄んだ蒼い空が広がっていた。
「答辞。卒業生代表。3年1組、相澤幸。」
司会である教頭の呼び掛けと、卒業生が一同に立ち上がる音が体育館に響く。幸の9つの足音が止まると、微かに震える声でその詞は始まった。
「冬を惜しむように寒さが続くなかにも、ようやく暖かな風の中に、春の訪れが感じられる季節になりました。
本日は、私たち卒業生のために、このような華やかな式を挙行してくださり、誠にありがとうございます。また、ご多忙の中ご臨席くださいました、校長先生をはじめとする先生方並びに保護者の皆様へ、卒業生一同心より御礼申し上げます。
まだ身の丈に合わない大きな制服に包まれて迎えた入学式を、まるで昨日のことのように鮮明に覚えています。まだ新型コロナの影響が仄かに残る4月の校舎で、直前に閉幕したワールドベースボールクラシックの熱気が冷めやらぬ中での新たな門出。不安を残しつつも3年間を通して絆を深めることを決意し、新たな道を歩き始めました。夏頃にはそんな不安もすっかり無くなり、地元の高等学校が2年連続の甲子園制覇に王手をかけた際には、みんなでテレビの前に張り付いたのを覚えています。
2年生になり後輩ができると、私たちが彼らの不安を取り除くために奮起しました。学校行事も率先して行い、いつしか入学時の目標は学年内に留まらず、学校全体で達成したいと思うようになりました。みんなで感情を共有できるような雰囲気作りのために、夏休みにはパリオリンピック観戦会、秋には東北の星・大谷翔平選手が出場するワールドシリーズの観戦会を企画し、先輩後輩教師の関係を越えた空間作りを計画しました。
時は止まることなく流れ続け、気が付けば最後の1年となりました。修学旅行で大阪関西万博を訪問したり、受験勉強の息抜きに世界陸上を観戦しに東京まで行ったり、非常に活動的な1年でした。
勉強や学校でのイベントのみならず、世間で盛り上がる事象に対して積極的に参加する喜びは、この学校だからこそ感じられたものです。
一方で、心が痛むこともありました。入学年の2023年は、関東大震災の発生から100周年、2024年は元日に石川県能登地方で大地震、2025年は岩手県で山林火災や九州地方でも大きな地震に見舞われるなど、自然災害の恐怖と共に過ごした3年間でもあります。
そして西暦2026年。それは私たちにとって中学卒業という人生の節目であると同時に、あの日から15年という節目でもあります。去る3月11日、それは15年前に私がこの世に生を受けた日でもあります。あの日あの時、東北地方全域を襲った大地震を、私たちは誰も覚えていません。まだまだ震災の爪痕が残るこの町のために、私たちは何ができるだろうか。そんな宿命と共に、私たちは再び新たな道へと羽ばたきます。
この3年間、私たちに本気で向き合ってくださった先生方、思い出と活気のために尽力してくださった地域の皆様、そして15年間、恐怖や悲愴と戦いながら育ててくださった家族に、心から感謝を申し上げます。今後の私たちが明るい未来を作ることを誓い、答辞とさせていただきます。
令和8年3月13日 卒業生代表 相澤幸」
溢れそうな涙を堪えながら読み上げたその想いは、彼ら一人一人の心の新たな決心の灯となった。
年度が明けた4月、高校の入学式を終えた幸の姿は、あの丘の上にあった。
「パパ、見て、高校の制服。似合ってる?ママの制服姿とどっちが可愛い?」
「それ、中学の入学のときも言ってたわよ?」
どれだけ辛く悲しい出来事があったとしても、時間は止まらない。そうそれは、毎年この丘の上で咲き誇る櫻のように。




