陰と陽
アドラ・メノスが己が異常性に気づいたのは実はつい最近のことである。
修行と研究を重ね、未熟ながらも魔導の一端に触れて、そこでようやく自らの魔力の性質が他の魔族のソレとは一線を画することに気づいたのだ。
自分の魔力に触れた物体がまるで最初からそこになかったかのように消失する。
通常では決してありえない超常現象だ。
何よりも異常だったのは、その事実を何とも思わなかった過去の自分の精神だった。
生まれた時よりそれが当たり前のことで、他の者も似たようなものだと何の根拠もなく信じて疑っていなかった。
気づく機会はいくらでもあったはずなのに、それらを思い込みで封殺していた。
アドラは恐怖した。
幼児にも劣る自らの無知蒙昧を。
そしてこれほど危険極まりない凶器をこの身に宿していたことに。
『僕らはおまえにとてつもなく過酷な運命を与えてしまった』
父――トマル・メノスの言葉がアドラの頭をよぎる。
『それはきっと僕の人生なんて比較にならないほどに辛く、苦しい、破滅の運命だ』
アドラは破滅の運命を背負って生まれた死神の王子だった。
だが決して父を恨みはしない。もちろん世界を恨みもしない。
――この力は制限しよう。
それがアドラの出した結論だった。
結界でガチガチに固めて出力を抑え使用の際も必ずアンサラーを通して行う。
無闇に使えば相手はもちろん己自身をも滅ぼしかねない禁忌の力として。
その誓いをこうもあっさりと破るとは――我がことながら呆れ果てるばかりだ。
「初めて逢った時、あんたはこの魔力を忌避していたように思えたんだけどな」
「何度もいわせるな。君が覚えるべきは制限ではなく抑制と制御。力に飲まれて暴走させるなと叱ったまでだ」
「暴走しないと思っているのか。これほど邪悪で禍々しい魔力が」
「何事もやってみなければわからないだろう。もっともしたならしたで構わない。制御なき暴力ではどう足掻いても私に届きはしない。もちろんサタンにもだ。君がソレを飼い慣らしてようやく対等に渡り合える」
エリが右手の聖剣を大きく振りかぶる。
「唸れ 《リントブルム》 !」
不規則かつ超高速で飛来する聖気の刃。
アドラはそれを虫でも払うかのように素手で弾いた。
「吼えろ 《ヨルムンガンド》 !」
今度は左剣から聖気の刃。先ほどより少し規模が大きい。
これはアンサラーで軽く受け流し空へと逃がした。
「なんだ、制御できているではないか」
「この程度ならね。問題があんたが本気で来る場合だ。出来る限り加減はしますが手が滑るってことも十分有り得る。そしたら取り返しがつかないことになる。おれとしてはその前に降参することを薦めますよ」
「舐められたものだ。ではこちらもそろそろ本気を出そうか」
エリは呪言を唱えてシニヨンに纏めていた髪をほどいた。
同時に今までどうにか身の内に収まっていた聖気が外界へと溢れ出す。
「女の髪には神が宿る。我ら姉妹は髪を縛ることで聖気を抑えているのだ。君の氷炎結界のようなものだな」
「……今までずっと手を抜いて闘っていたのか」
「本気を出す理由もなかったしな。少なくとも君のように恐怖で封印していたわけじゃない。私は自らの可能性に蓋をするような真似はしない」
エリはアドラに剣を向けて大声で叫ぶ。
「挑戦なくして進歩なし。全力でかかってこいアドラ。胸を貸してやる!」
アドラは笑った。
このイカれた実力を誇るチート勇者と闘っていると、今まであれこれ悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
世界最強のこの魔力、どの程度制御できるか、彼女で試してみるのも悪くない。
「では遠慮なく!」
アドラは極黒の魔気を纏ったアンサラーで思いきり斬りつけた。
エリは双剣を十字に構えてその一撃を受け止める。
「ぬるい!」
万物に平等なる死を与える死神の一撃。
だがエリはそれを完璧に相殺し、あろうことか力尽くで魔剣を弾き返した。
「今度はこちらから行くぞ! 双竜よ、暴れ狂えっ!!」
次のエリの攻撃はすでに剣技を越えていた。
あえて形容するならば『竜巻』という自然現象を持ち出すより他ない。
エリを中心に致命の斬撃が渦巻きアドラを飲み込む。
暴風が如き聖剣の一つ一つをアドラは研ぎ澄まされた集中力で捌き続ける。
時間にしてほんの一瞬。だが何百合打ち込まれたか最早数えきれない。
これだけ一方的に打ち込まれれば嫌でも気づく。
――圧されている……だとっ!?
最大最強最悪のはずの魔力が、アドラに架せられた破滅の運命が、こうもあっさりと圧倒される事実に驚きを禁じ得なかった。
聖王には破滅の運命を打ち破る力が備わっているとでもいうのか。
「どうしたアドラ! この程度か!?」
対するエリの声には余裕がある。
もしかしたらこれでもまだ余力を残しているのかもしれない。
禁断の魔力に手を出してもまだ足りない。
聖王に届くには更なる力が要る。
「……もっとだ」
もっと!
もっと、もっと!
もっと力を振り絞れ!
全身全霊を篭めろ!
――もっとだ、もっと魔力を寄越せッ!
「むぅ!?」
竜巻が如きエリの突進が止まった。
アドラの剣圧が突然上がったこともあるが、咄嗟に自ら飛び退いたのだ。
反射的な行動だった。危機感知か、あるいは恐怖か、どちらでも大差はない。
「私を……退かせたなッ!」
禍々しい漆黒のオーラを放つ死の化身。
その背後にある空間に大きな亀裂が入った。
亀裂から垣間見えしは余りに巨大過ぎる“闇”。
その奥底に座する深紅の単眼がエリを冷たく見つめている。
そして声なき声でこう告げるのだ。
「これ以上近づけばあなたを殺します」
魔界ではガイアスのみが体験したアドラの破滅の絶対領域。
それを見たエリは口の端を大きく吊り上げて笑う。
「やはりそうか! 邪なる女神の子よ! 万物の一切に死を与えるその魔力、この私のために使えッ!!」
エリの双剣はいつの間にか光に飲まれて消え去っていた。
代わりに一振りの大剣が大地に突き刺さっていた。
エリはその大剣を引き抜き高々と掲げてみせる。
「聖剣エクスカリバー。私の真実の剣。正真正銘の本気だ。こいつで君の本気をすべて受け止めてみせる!」
エリは瞳孔より紫電を放ちながら、闇に飲み込まれた悪魔に臆することなく踏み込んだ。
アドラもまた双眸より極黒の閃光を奔らせ勇者を迎撃する。
両者の剣が交錯する。
正義と悪。光と闇。白と黒。
陰陽入り交じり完結するその様は――最悪の呪術師、李紫苑が想い描いた理想そのものだった。




