英雄の意思
馬車から降りて二人は草原に立つ。
どこまでも続く蒼穹の果てにそびえ立つのは燃えるように紅い山。
正確には山ではなく一枚の岩だそうで、いわれてみれば確かにそのように見える。山頂が妙に平たいのもそれが理由だろうか。
岩は今は紅色に染まっているが、陽光の当たり具合でその色を複雑に変化させると聞く。大自然の生んだ奇跡にアドラは感心しきりだ。
ショーワルド・ロック。
伝説の英雄ジークフリーデ・ド・フォン・ショーワルドが発見した世界で二番目に大きな岩だ。
通称『エルエリオンのへそ』。ヴァーチェ聖翼教会よりこの世でもっとも神聖なる場所――“聖地”認定されている。
「ソロネで一番有名な観光地だからアドラも名前ぐらいは知っているだろう。だが神聖な場所故、観光客の登山は禁止とされている」
「そんな所で決闘するのはちょっとどうかと思うんですが」
「そのための聖地だ。何の問題がある。毎年世界中の富豪が大金を持参して登らせてくれと頭を下げにくる場所だ。登れて光栄と思ってもらいたいものだ」
エリの言葉を受けてアドラは英雄の岩を注視する。
確かにここには岩以外に壊れるようなものは何もない。これさえ気にしなければ闘うには絶好の場所ではあるが……。
「貴重で重要な世界遺産も今日が命日ですかね」
「そうなるようではお話にならない。もっとも私がさせないがな」
「あなたが一番ぶっ壊しそうなんですが。ほら闘技場のリングだってぶっ壊したし」
「やったのはジャイアントだろう。私を不肖の妹と一緒にしてもらっては困る」
――ホントかなぁ。
間違いなく似た者姉妹だと思うが口には出さず、アドラはショーワルド・ロックを目指して歩き出した。
「……エリ、実はもうひとつ頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
登山中にアドラはある話を切り出した。
デリケートかつ極めて厳しい問題のため口に出すかどうか迷っていたのだが、やはり上告はすべきだと判断したのだ。
「オズワルドさんを……リー家を、お務めから解放してあげてくれませんか?」
「ダメだ。無理だ」
エリはアドラのほうを見もせずにけんもほろろに突き放した。
「どうしても駄目ですか」
「君のいってることは私に聖王をやめろといっているに等しい無茶苦茶だ。君の母親が閻魔を辞められるか。君の上司が魔王を辞められるか。生まれついての宿命は神以外の誰にも変えられない」
アドラは唇を強く噛んだ。
わかりきっていた回答だった。アドラにだって当然わかっていた。
だがそれでも、どうしても、言葉にせざるをえなかったのだ。
藁にもすがる想いで、聖王という奇跡起こせし者に。
「でもオズワルドさんは宿命に立ち向かおうとしています。このまま放置しておけば、もしかしたら謀反を起こすかもしれない」
「できやしないよ。伝説の大魔導師シオン・リー……いや史上最悪の呪術師、李紫苑の呪いはそう甘くはない。どれだけ憤ろうと最後は必ず運命に従うさ。歴代のリー家の当主と同じようにね。彼にできることはせいぜい私の像を叩き斬って日頃の鬱憤を晴らすことぐらいだ。いい歳こいて中身は駄々をこねる子供とさして変わらん」
「く……ッ!」
エリの言葉は冷たかった。
特に最後の発言は侮辱に値するといっていい。
およそ長年ソロネに仕えた忠臣へのものとは思えない。
正論だとわかりつつもアドラは怒りが抑えきれない。
「そう怒るなアドラ。君の頼みはどれも無理難題だが解決案がないわけではない」
ショーワルド・ロックを登りきったエリはアドラの方に向き直る。
「解決案……そんなものが本当に?」
「ああそうだ。何もかもが丸く収まる最高にハッピーな解決案だ。本日はその話がしたくて君をここまで連れてきたといっても過言ではない」
アドラは瞳を輝かせた。
自分でも無理は承知の上で半分も解決できれば十分だと思っていたというのに。
「そんな方法があるならぜひお願いしたい!」
「お願い? なぜ君は他人を頼る。君の望みだろう。叶えるのは君自身だ」
エリの細くしなやかな指がアドラの顔を指さす。
「アドラ・メノス――君が、サタンを斃せっ!」
約一万二千年前、魔族の英雄ジークフリーデがこのショーワルド・ロックの頂上で、初代聖王エリを同じ文句で口説いた。
英雄の意思宿る石の上で、歴史は再び繰り返される。
今度は聖王の口から、魔界の英雄へと――




