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過去の守人

 気づけばアドラは地獄の釜の底にいた。


 燃え盛る劫火ごうか

 乾ききった大地。

 絶え間なく響く断末魔の絶叫。


 地獄の王子たるアドラですら恐怖で震えあがる正真正銘の生き地獄だ。


 その地獄を我が物顔で闊歩する存在がある。


 山のような巨躯。

 鋭い爪と牙。

 厳つい形相と強大な魔力。

 それに不釣り合いな白練の鱗。


《ファフニール》


 伝説の八邪竜が一翼。

 童話で伝わる姿そのままだ。


「ここは……太古の魔界なのか?」


 確証はない。

 だが状況的にそれ以外にないように思える。

 混乱するアドラの鼓膜に絶望が叩きつけられる。



 ズシン。


 ズシン。ズシン。ズシン。


 ズシン。ズシン。ズシン。ズシン。



 それは巨竜の足音だった。

 しかも一翼や二翼ではない。

 八邪竜のすべてがこの地に集結していた。


 アドラは己が眼を疑った。

 だがそれすらも霞む圧倒的な恐怖はすぐ後からやってくる。


『困ったね。もうまともに動く玩具がないや』


 六枚のはねを広げた三つ首の黒竜。

 その異形をアドラは一時たりとも忘れたことはない。



「サタン!!!」



 アドラの叫びは、しかしサタンに届いている様子はなく、こちらを無視して配下たる邪竜たちに話しかける。


『暇だしうるさいし、もう次の地に行っちゃおうか。というわけでみんな退避してね』


 サタンの命令に従い八翼の竜は次々と空へ飛び上がる。

 最後に飛び上がったサタンが上空でこちらを見た――ような気がした。


『バイバイ』


 黒竜の三つの顎門あぎとがすべて開かれる。

 その奥から今まさに吐き出されんとする極黒の球体は、この世の邪と悪をすべて凝縮したかの如き禍々しさを湛えていた。



「やめろぉぉぉぉぉぉっ! サタァァァァァァァァァァァァン!!!」



 必死の制止もむなしくサタンの 《抹殺の悪威》 は万物の一切を否定すべく魔界の大地へと落とされた。

 圧倒的な悪徳の黒に飲み込まれアドラの意識は強制的にシャットダウンした。



                   ※



 アドラの意識は再び城へと戻っていた。

 周囲を何度も確認し、現世に戻ってきたことを認識すると、全身を冷たい汗で濡らしながら魂を振り絞るように呟く。


「あなたの結界には……あの忌まわしき『過去』が封じられているのか」

「御明察」


 オズワルドは大仰にお辞儀をしてみせる。


「 《陰陽結界インヤンけっかい》 ――伝説の大魔導師シオン・リーが子孫に遺した戒めの楔。リー家の当主は代々この結界を受け継ぎます」

「……いったい何のために?」

「サタンの脅威を後生に伝えるためです。いつの日か、封印されしあの邪竜を討つために、我々は然るべき者にこの過去をお見せする役目を担いました」


 リー家は魔界におけるレイワール家と同じ役割を背負っていた。

 その宿命の重さをアドラは嫌というほど知っている。


「やっぱりおれはあなたと一緒じゃない。おれはレイワール家の宿命から逃げた出来損ないだ。あなたのような高潔さは欠片もない」

「あまりご自身を卑下なさるものではない。結界に取り込まれた後のあなたの様子を見れば、たとえ適性なくとも今もご立派な地獄の王子だということぐらいわかりますよ。このソロネに来たのも自らの責任を果たすためなのでしょう?」


 アドラは頷いた。

 オズワルドを先祖代々同じ使命を受けた戦友ともと信じ、アドラは自らの目的をすべて打ち明けた。

 すべてを聞き終えたオズワルドは満面の笑みを浮かべていう。


「前言撤回。やっぱりあなたと私はぜんぜん違いますね」


 ――ええええええええええええええええっ!!!


「あー王家から出奔した放蕩息子だと聞いてたんで、もうちょっと適当な御仁だと思ってたんですけどねぇ……実際会ってみたらやっぱりクソ真面目な堅物坊ちゃんじゃないですか。これじゃここから先の話には賛同してもらえませんねぇ。アテが外れちゃいました。これについては聖王の眼のほうが正しかったということですか」

「あの、すいません、話がまったく見えてこないんですが……」

「ぶっちゃけた話、私、自分の使命なんてクソ食らえだと思ってるんですよね」


 いやぶっちゃけすぎでしょ。

 だったらさっきまでの話は何だったんだ。


「先ほどアドラさんに見せた過去、誰が一番体験しているかわかります?」

「それは勿論……リー家の当主かと」

「そう。有権者にサタンの脅威を伝えるには、伝導者である私自身が誰よりもそれをよく知っていなければならない。だからこの結界は幼少の頃に植え付けられる。あなたの氷炎結界と同じようにね」

「……」

「この結界は術者の聖力の高まりに反応し、強制的に術者に過去を視せます。サタンの脅威とリー家の使命を植え付けるために。私はリー家の当主で、もちろん勇者としての修行をしなきゃいけないですから、そりゃもう何度も視せられましたよ。凄惨で忌まわしい光景を何度も何度もね」

「オズワルドさん。気持ちは痛いほどわかります。ですが――」

「何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も! これで頭がおかしくならないわけがない! 事実、歴代当主の中には耐えきれずに廃人になった者もいる! ふざけるな、いつ何時訪れるかもわからん脅威になぜ我々が犠牲にならねばならん!?」


 オズワルドは激怒した。

 その怒りが正当であることをアドラが一番よく理解している。

 それは幼少の頃に彼が何度も抱いた感情だったから。


「……私には一人娘がいましてね。それはもう可愛くて可愛くて、目に入れても痛くないほどです。私はともかく娘にだけはこの『呪い』を継がせるわけにはいかない」


 オズワルドの背後にある聖王像に切れ目が入った。

 アドラがそれに気づくと同時に像は瓦解する。


「たとえ王家を滅ぼしてでもッ!」


 聖王像の破壊――それはソロネ王家に対する宣戦布告に等しい。


 オズワルドは本気だった。


「常に多くの護衛を伴う聖王を暗殺するには王の最終試練しかありません」

「いや、あの女性ひとけっこう独りで出歩きますけど……」

「それはあなた絡みの時だけですよ。それに闇討ちでは大義名分がつかない。アドラさんの用件は私のほうで何とかしますので、ここはひとつ譲っていただけませんかね」


 アドラは少しだけ思案し、しかしやはり結論はひとつしかないと首を振る。


「オズワルドさん、あなたは立派な父親だ。かつてのおれが何度も考えて、結局出来ずに諦めたことを為そうとしている。だがそれでも、あなたのやろうとしていることはやはり赦されない。あなたの暴走はおれが止めます」


 最初は怒るかとも思った。

 王家から逃げたアドラにはその言葉を口にする資格がないように思えたから。

 しかしアドラの答えを聞いたオズワルドの顔はソロネの朝のように爽やかだった。


「同じ宿業を背負いし魔界の戦友ともよ。あなたならそういうと思っていた。ならば私の答えも一つ。聖王への挑戦権を賭けて正々堂々、全力をもって戦いましょう」


 オズワルドの差し出した手をアドラは迷わず握り返した。

 出会った日にちはわずかでも、万の月日を越えた友情がそこにあった。


「正々堂々を口にした以上、先に告げておかないといけませんね。誠にもうしわけないのですが次の三次選考、あなたの勝ち目はほぼありません」

「確かに先ほど像を破壊した攻撃、おれには正体が見えなかった。でも次は必ず見極めてあなたを止めてみせます」

「いやいや、一対一の決闘ならばあなたにも勝ち目は多分にあるでしょう。だがご存じの通りここから先の選考に直接的な戦闘行為は一切ない。そしてここソロネは私の庭です。名門リー家の人脈をフルに使ってあなたを完封します」

「あ、それは卑怯ですよ。ぜんぜん正々堂々じゃない」

「そう思ってこのように聖王像を破壊しておきました。この事実を上手く利用すればあなたにもわずかながらに勝機が生まれるかもしれませんね」


 アドラは苦笑いを浮かべた。

 オズワルドを聖王像を破壊した謀反者だと糾弾するのは簡単だ。

 だがアドラがそれをいって信じる者がいったいどれほどいるというのか。逆にこちらが冤罪を被せられるのがオチだ。


「やっぱズルいですよオズワルドさん」

「こうして事前に教えてあげてるんですから十分にフェアですよフェア」


 意地悪そうに笑うオズワルドにアドラは肩をすくめた。

 とはいえ本拠地ホームグラウンド敵地アウェイの問題はどうしたって発生する。それを理由に卑怯というのは間違っているだろう。


 アドラは敵地であることを承知の上で乗り込んだのだ。

 それを乗り越えてこそ聖王と闘う資格がある。


 魔界の未来のためにも、そしてオズワルドのためにも……次の試練、決して負けるわけにはいかない。

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