悲劇の果てに
まず初めに雷光が落ちた。
陽光より眩しい巨神の鉄槌。
質量すら伴い広大なリングを跡形もなく粉砕する。
次に高圧電流と聖気の激突による衝撃波。それに伴う炎熱が波のように広がった。
あらゆる邪悪を赦さぬ勇者の怒り。
周辺一帯を瞬く間に焼き払う。
すべてが終わったところでようやく雷鳴が追いついた。
取り返しのつかぬ惨状を目の当たりにした女神の嘆き。
鼓膜を破りかねないほど壮絶で悲痛だ。
シルヴェン・アーラヤィナが神雷を放つ時、そこには悲劇しか残らない。
「……終わりました。今すべてが」
爆煙渦巻く場内でシルヴェンは胸の前で十字を切る。
彼女の操る 《巨神の雷霆》 には三段階の威力があり、今のはその中でもっとも力弱い『ブロンテース』と名付けた末弟の神雷。
だがそんな事情ただの人間には関係ない。聖なる力に弱い魔族なら尚更だ。
神の雷は一度放てばあらゆる生物を瞬く間に感電死させる。
己が死んだことにすら気づかせない。
「救護班、選手の治療をお願いします!」
シルヴェンは叫ぶようにいった。
威力は限界まで絞った。アドラほどの強者なら死には至るまい。
もっともそれは淡い期待にすぎないのだが。
「生き延びてくださいアドラさん。もしあなたが姉様と闘うというのであれば、この程度の試練は乗り越えねばなりませんよ」
たとえ魔に属する者であろうとも殺生は彼女の望むところではない。
だが仮に死んだとしてもそれは神の与えた試練を乗り越えられなかったというだけのこと。分不相応の願いを抱いた報いとして受け入れる他ない。
「もしあなたがこの試練を乗り越えることができたなら、私は……」
炎熱が収まり歪んだ視界が元に戻る。
突風が吹き会場を包んだ蒸気が払われる。
着雷点には人影があった。
人影の正体はアドラだ。
片膝をつき剣をわずかに残ったリングに突き刺し杖としている。
神雷をまともに喰らったのは間違いない。
遠目から見る限り、黒こげの焼死体にはなっていない。
咄嗟に周囲に真空を発生させ電熱から身を守ったのであろう。
第一の試練はひとまず合格だ。
だが神雷そのものはそれでは回避できない。
神託による物理法則を無視した超常現象。使い手であるシルヴェンですら同等の聖気で受けるぐらいしか対抗策が思いつかない。
まさに必殺の一撃。
数多の経験を積んだ真の勇者のみに赦された処刑法。
これを聖力を持たぬ身で凌ぎきるのが第二の試練――果たして合否は如何に。
うずくまったアドラの身体がわずかに動いた。
――死んではいない!?
シルヴェンは安堵しかけるがまだ予断は許さない。
死後硬直で偶然動いただけかもしれない。
とはいえ最悪の事態だけは防いだように見えた。
ソロネの回復魔法ならば死んでさえいなければ、いや遺体の状態によってはたとえ死んでいても治療が可能。
今のアドラを見る限り、蘇生可能な範囲内に思える。
おそらく魔力で『傘』を作り、可能なかぎり神雷を受け流したのだろう。あの一瞬の内にたいした判断力だ。
あの男の底知れぬ魔力ならもしかしたら生存すらあり得るかもしれない。
いや――きっと生きている。
シルヴェンの予感は的中した。
アドラの上体がゆっくりと持ち上がっていく。
神雷を受けてなお立ち上がろうとしているのだ。
「さすがは姉様が見初めた御方。たいした男性です」
自ら禁じ手とした神雷を以てしてなお斃すこと敵わず。
この時点でシルヴェンは己が敗北を認めていた。
完全に立ち上がったアドラは、まずは足下を確認し、周囲を忙しく見渡した。
そして最後にシルヴェンのほうを見ると、
「おっしゃぁぁぁ――――っ! おれの勝ちぃぃぃ――――っ!!」
まるで子供のようにピョンピョンと跳びはねてはしゃぎだした。
「見て見て! おれの下まだリングが残ってるから! おれ場内、そっち場外! どう見てもおれの勝ち! 今回はちゃんとルール守れよジャッジぃぃぃっ!」
「む……」
――無傷ですってぇぇぇっ!!
シルヴェンは口から心臓が飛び出るほどに驚いた。
よく見れば服が少し焦げている程度で肌には火傷ひとつない。
「いくら魔力の傘で神雷を受け流したとはいえ、それは絶対にありえないっ!!」
「魔力の傘? なんすかそれ?」
「違うんですか? だったらどうやって神雷を防御したんですか!?」
「いや、あまりに突然すぎて……細いことをしてるヒマなんてないですよ」
巨神の雷霆の直撃を受けて無傷。
シルヴェン本人ですらあり得ない。
この男、いったい何者だ。
「か、怪物め……っ!」
「いやいや怪物なのはあなたの方じゃないですか。あの威力でもまだまだ全然本気じゃないんでしょう? 直接受けるとわかっちゃうんですよねぇそういうの。他人を怪物扱いして自分はまともな人間アピールホントやめてくださいよ。迷惑ですから」
威力を抑えていることに気づけるほどの心のゆとりまである。
本当に呆れた怪物だ。仮に最大火力で放ったとしてもこの男を倒せるかどうか疑わしい。
「まっ……でも、あなたが心の優しい女性で良かったです。一瞬、本気で神雷を放って観客ごとおれを葬るつもりかと思っちゃいましたよ。本日はいい勉強させてもらいました。ありがとうございます」
そういってアドラは頭を下げた。
その言葉を聞いてシルヴェンはようやく姉の言葉の真意に気づく。
――私をかませ犬に使いましたね。
姉に利用されたことは不愉快だが、敗北自体は気持ちよく受け入れられた。
閻魔の血を継ぐ者、アドラ・メノス。
この男ならもしかしたら本当に聖王エリを倒せるかもしれない。
「幸い余力も残せたし、準決勝もがんばろっと。次も頼むよアンサラー」
通電してダメージを受けるどころかむしろ肩こりがとれて調子のいいアドラは、自らの相棒に明るく声をかけた。
そこでアドラは思い知ることになる。
神雷を受けても平気なぐらい頑丈なのは自分ぐらいだという当たり前の事実に。
「アンサラー? えっ、ちょっ、アンサラー!?」
どれだけ呼びかけてもアンサラーは応えない。
巨神の雷霆の直撃を受けたアンサラーは完全に壊れて機能不全に陥っていた。
「そういえば精密機器は壊れ易いから扱いに気をつけろって父さんいってたっけ……」
まったくもってその通りだった。やはり父は偉大だ。
アドラは大急ぎでオルガンにアンサラーを修理してもらうが、やはり大会中に直すことは不可能で、準決勝は棄権せざるをえなかった。




