対決
深夜の魔王城を天馬の如く駆けあがる者がいた。
アドラだ。地上征服などという正気を疑う暴挙の真意を問いただしにルーファスの寝所に向かっていた。
ルーファスの寝所は三つ首の竜の真ん中の頭部に位置する。
エレベーターは魔王専用の鍵を使わねば動かないため呆れるほどに長い階段を利用するしかない。
常人なら上がるだけでもひと苦労だがアドラの健脚であれば一足飛び。
あっという間に竜の首を通過し最上階である竜頭の間に足を踏み入れた。
ここまで来れば寝所まであとわずか。
だが竜頭の間は魔王の喉元。当然そう簡単に面会できるはずもない。
寝所へと続く通路の前に、ひとりの不死騎士が立ち塞がる。
闇黒の全身鎧。その右肩には血文字で『Ⅰ』と刻まれていた。
「立ち去れ。ルーファス様はご就寝だ」
いつもならはいそうですかと引き下がる場面だが今回ばかりはそうはいかない。
正式に謁見の許可を取ったとしても却下されるのがオチだし何より時間が惜しい。
「長い時間は取らせません。少しだけ話をさせてください」
不死騎士は返答代わりに剣を抜いた。
地を蹴り、豪風を纏い、アドラに奇襲をかける。
「死ね」
さながら雷のごとき剣閃が虚空を疾る。
アドラは身を翻しギリギリのところでその一撃を回避した。
――――疾い!
魔界一の脚を持つアドラが思わず唸るほどのスピードとパワー。
その実力はガイアスと同等か、あるいはそれ以上。
これが魔王直属親衛隊 《ナイト・オブ・ザ・ラウンドテーブル》 の実力か。
強敵だ。たとえアドラといえど一瞬たりとも気は抜けない。
「死。死。死。ルーファス様に仇なす者には死あるのみ」
不死騎士がふたたび剣を構える。
その剣にまだ刃が存在することにアドラは大きな違和感を覚えた。
「まさか――――ッ!」
すぐさま結界を確認するとやはり 《炎滅結界》 が斬り裂かれていた。
アドラは気づく。おそらくはあの剣には特殊な魔法が付加されていると。
自分を介してすでに両家の秘法は解析済みということか。
「いつまでも無敵の結界だとは思わぬことだ。覚悟しろ下郎」
アドラの額に一筋の汗が流れる。
想像を大きく上回る実力を持つ不死の騎士。
同等の力を持つ化け物があと11人……サーニャを含めれば12人か。
いつ助太刀に来てもおかしくない。
――さすがにこれ以上の無理押しは厳しいか?
だがもう後には引けない。
アドラの覚悟はすでに決まっていた。
そして覚悟を決めた彼もまた強い。
「下郎……まあ、そうですね。確かにおれは下郎だ。でも下郎には下郎の意地がある。あなた方はそのことをよく知っているはず」
次の攻撃に備えてアドラも構える。
不死騎士とてアドラの脅威は重々承知している。決して舐めてはかからない。
相手が警戒して構えた以上、軽々しく飛び込む愚は犯さない。
一触即発の膠着状態。
それでも互いの距離は少しずつ縮まっていく。
高まる緊張感。
それは破裂寸前の風船にも似ている。
あと少し、ほんの一押しか二押しすれば、何もかもを台無しにする。
両者共にそれだけの戦闘力と影響力を有している。
だが当然、それを良しとしない者がいた。
物陰から今まで様子を見ていた彼は、破滅の風船が破裂するその直前に二人の勝負に割って入った。
「下がれガラハッド。奴の相手は我がする」
不死騎士の背後より現れしは天使のコートを着た初老の男。
魔王ルーファスその人だった。
魔王の命令は絶対。
ガラハッドと呼ばれた不死騎士は無言で頷くと剣をおさめた。
アドラもまた構えを解く。
「アドラよ、このような夜中に何用か」
ルーファスに訊かれアドラはすかさず臣下の礼をする。
決して敵対しにきたのではない。目的はあくまで進言と説得だ。
「夜中ご無礼をお許しください。先ほど出した徴兵令につきまして、王の真意をはかりかね、このようにはせ参じた次第です」
「真意も何もあるものか。そのままだろう。魔界を征服したのだから、次は地上というだけの話よ」
ルーファスは大きな欠伸をしながらとんでもないことをさらりといってのけた。
「知らなかったのかアドラ。世界征服は魔王の義務だ」
――そんな義務はどこにもない!
あまりにも暢気にしているルーファスに対してアドラは歯ぎしりする。
「ルーファス様は地上を侵略した魔王がどうなるかご存じないのでしょうか?」
「全員あえなく返り討ちだろう? 幼児でも知っている魔界の歴史よ」
そう、地上侵略をもくろむ魔王はすべて死亡、もしくは逃げ帰っている。
アドラの祖父、ヴェルバーゼもまた逃げ帰った魔王の一人だった。
祖父はアドラに地上には『勇者』と呼ばれる恐るべき人間がたくさんいるとよく語っていた。同時に決して手を出してはならぬとも。
地上は広大、戦力は強大。
魔界などというちっぽけな土地の原住民がどう逆立ちしても勝てる相手ではない。
「ならばなぜ、このような無謀な真似を!」
「理由は色々とあるがな、一番の理由は地上にある豊富な資源だ」
地上には『神の金属』ミスリルを筆頭に多くの希少物質がある。
農産物や海産物も地上のほうがはるかに豊富だ。
それらを入手するのが今回の作戦の主目的だという。
今の魔界は地上からもたらされた恵みで繁栄しているところがある。
アドラもそこには強く文句をいえない。
「しかしそのために世界征服とはいささか大げさではないでしょうか」
「大仰だな。大言壮語かもしれん。だがやりがいはあるだろう?」
「いえ、やりがい云々の話ではなくて……」
「では訊くが、貴様は今の魔界の戦力でサタンに勝てる思うか?」
最悪の怨敵の名を突然出されてアドラはぎょっとした。
「ハッキリいって前回勝てたのはただの偶然だ。あの頃と比べて技術こそ向上しているが、正直次は無理だと我は考えている」
「ルーファス様がそこまでサタンのことを気にかけているとは思いませんでした」
「我は貴様より地獄暮らしが長いのだぞ。彼奴の驚異は重々理解している。トマルからも年々焦熱地獄の気温が上がっているという報告を受けているのだ。戦力のさらなる増強は国是といっていいだろう」
「父のことまで知っておられるのですか」
「無論。ヴェルバーゼの万倍は立派な漢だ。昨今珍しい真の英傑よ」
尊敬する父のことを褒められアドラはつい嬉しい気持ちになってしまう。
これも魔王の策略の内だと気づいてはいるのだが……。
「地上を攻め、領土を拡大し、資源と戦力を増強してサタンに対抗する。これ以上ないほど魔王の務めよ。理解したのであれば去るがいい」
「お待ちください! 勇者に返り討ちにされては戦力増強どころの話ではありません! 今一度お考え直しを!」
「確かに我ひとりでは厳しいかもしれない。だが今は頼れる右腕がいるではないか」
ルーファスはアドラを見てにんまりと笑う。
「まさか反乱軍ごときの相手をさせるために貴様を呼んだとは思うまい?」
――そう、その通りだ。
反乱軍などアドラが降伏勧告せずとも、いずれは魔王軍に叩き潰されていた。
――つまり、最初からだ。
最初から地上征服の尖兵としてアドラを利用する腹積もりだったのだ。
「ご冗談を。敵はあまりに強大。私ごときでどうにかなるはずが……」
「貴様が協力してくれるのであれば、シュメイトクの謀反は見逃そう」
アドラは驚愕した。
決して顔に出さぬよう努力したがおそらく無駄なあがきだろう。
「シュメイトクには百を越える間者を放っている。国内情勢など筒抜けよ。当然貴様にも報告が来てると思ったがどうやら図星のようだ」
震えが止まらない。寒気もだ。
恐怖が、絶望が、アドラの全身を支配していた。
「我は約束を違わぬが、魔王軍が地上に進軍すればシュメイトクに侵攻するのは物理的に不可能だ。聡明な貴様なら賢明な判断を下してくれることだろう」
「ルーファス様……ッ!」
「屑と馬鹿を身内に持つと何かと大変だ。貴様ら親子には同情する」
そしてルーファスはガラハッドを引き連れ寝所へと戻っていった。
アドラは何もいえず、ただ拳を握り絞めることしかできない。
取るべき道はひとつしかない。
最初からそこに向かうように仕向けられている。
すべてが完璧なシナリオだ。
ルーファス・カタストロフ。
前人未踏の魔界征服を成し遂げた真の魔王。
武力だけではなくその策謀もまた百戦錬磨。
最初からアドラ独りで太刀打ちできる相手ではなかったのだ。




