真夜中のデート③
大通りから外れて路地裏へと身を滑らせる。
魔界の紅月に照らし出されたその場所は都民から忘れ去られし幻想郷。
魔都キョウエンのミステリースポット 《野鼠たちの社交場》 。
うち捨てられた鋼材。
廃棄された木箱。
瓦礫の大海。
それらを背にしたルキフゲがさながら幽鬼の如くアドラを待ち構えていた。
「お久しぶりですアドラ様。ご機嫌いかがでしょうか」
ルキフゲが慇懃にあいさつする。
アドラはすぐさま捕獲に動こうとしたがそれを手で制される。
「あなたのお立場は百も承知。ですが少し、ほんの少しだけお時間をいただきたい」
アドラは構えを解いた。
どんな状況でも相手の言い分を聞くのはアドラの美点であり欠点でもある。
「復讐しにきたんじゃないのか?」
「とんでもございません。此度の戦が最小限の被害で済んだのはアドラ様のご尽力の賜物。感謝の念しかございません」
「感謝してくれているならおとなしく捕まって欲しい。ルーファス様にかけあってできる限り減刑してもらうから」
ルキフゲはゆっくりと膝をつき額を地へこすりつけた。
アドラの前で土下座したのだ。
「あなたに反乱軍の次の頭領になっていただきたい!」
二度めの勧誘。アドラは少しだけ動揺した。
だがそれも一瞬だけですぐに冷静さを取り戻す。
「餌で釣っておびき寄せたところを暗殺か。なかなかいいアイディアですね」
「ご冗談を。魔界全土を探してもあなたを脅かせるものなど誰もおりません。ルーファスごときはもちろん英雄ジークフリーデすらあなたに及びはしないでしょう」
「褒め殺しもここまで来ると幼稚で滑稽だ。そんなに反乱がしたけりゃ自分が頭領をやればいい。おれを巻き込まないでくれないか」
「それは無理です。我が一族はすでにルーファスにより滅亡させられております。後ろ盾がおらぬ故、誰もついてきてはくれません」
今度は本当に動揺した。
ルキフゲもまたルーファスに一族を滅ぼされた犠牲者だった。
予想できないことはなかったはずなのだが……。
「……復讐は何も生まないよ。一族のことは残念だと思うけど、ゲルダさん……いやルキフゲさんには憎しみを捨てて今を生きてもらいたい。そのことを約束していただけるなら、おれは今夜何も見なかったことにしてもいい」
「復讐は私の原動力です。しかし決してそれだけではございません。あくまで魔界の未来を憂いての行動です」
ルキフゲは立ち上がりアドラを見つめる。
その瞳には一片の曇りもなかった。
信念の輝きがそこにあった。
「ルーファスは狂気の笛吹き。いずれは我らを操り奈落の底へと誘うことでしょう。四天王として間近で仕えているあなたは薄々気づいておられるはずです」
「……その時はその時どうにかするよ。それがおれの仕事だし」
「アレが臣下の言葉など聞くはずがありません。闘う以外の道はございません」
ルキフゲは大きく手を広げ、そして魂を込めて叫ぶ。
「なぜお立ちになられないのですか! 短いながらもあなたにお仕えした私には断言できます。この魔界を統べるに相応しい真の魔王はあなたしかいないと! あなたの理想はあなたにしか叶えられない。優しい王となり我らを導いてください!」
ルキフゲの嘆願。
その言葉に嘘偽りはないと感じる。
しかしそれでもアドラは静かに首を横に振った。
「おれは器じゃない。他を当たってくれないか」
「アドラ様のお気持ちは理解できます。今の地位を捨てて孤独に闘うのはさぞお辛いことでしょう。ですがご安心ください、私は決して貴方を独りにはいたしません!」
ルキフゲの背後から人影が現れた。
宵闇の影法師が月明かりに照らされ姿を見せる。
その正体を知った瞬間アドラの全身が硬直した。
真黒の魔角を誇る羊の大悪魔。
王族に匹敵する名家の嫡子。
フォメット・ゴゥト・アスフォルグ。
アドラの無二の親友。
その顔、そのいでたち、見忘れるはずもなし。
フォメットは呆然とするアドラの眼前で叫ぶ。
「Foooooooooooooooooooooooooo!!!」
――またそれかよ! だからラップとかわかんねえって!
「Hey! おいどうした、ビビってんのかブラザー。おまえらしくねーZe!」
「昔からビビりだよ! 君も同じくビビりだったろ!」
「そんなことねーYo! オレっちは生まれ変わったんだYo!」
わかっていたことだがすっかり変わり果てた親友の姿にアドラは頭を抱える。
いや頭を抱えている場合ではない。
シュメイトクの座敷牢に投獄されているはずの彼がなぜここにいるのか。
アドラはルキフゲをにらみつけ理由を問う。
「メノス家は我らの理想を解し同志となりました。貴方も共に闘いましょう」
「巻き込んだな。おれの家を……ッ!」
冷たく燃える氷炎の双眸。
その奥で蠢き這い出ようとする極黒の魔力にルキフゲはたじろぐ。
これ以上の発言は墓穴――そう判断したルキフゲはフォメットの陰に隠れた。
「そう怒りなさんなブラザー。一緒にムカつく魔王軍と闘おうZe。おれたち二人で最強無敵のコンビだろ? リーダーはオメーでいいけどさ」
「正直、見損なったよフォメくん。おれたち王族貴族はサタンと戦うために存在してたのであって、魔王と戦うためじゃない」
「今の魔王は第二のサタンになりかねないって話をしてるんだYo」
「ルーファス様はすでにレイワール家公認の正当なる魔王。仮に君たちのいうことがすべて真実だったとしても今ある秩序を乱すことは許されない」
「相変わらずお堅いZe! そんなオメーにかける言葉はひとつだけだYo!」
フォメットは素早く両腕を振り上げる。
攻撃――そう判断したアドラはとっさに身構えた。
「チェケラッッッ!!!」
フォメットはアドラの鼻先に指を突きだし奇声を発した。
それ以外には特に何もなかった。
「じゃあなブラザー。次会う時はエネミーかもな」
フォメットの姿にヒビが入った。
次の瞬間、パリンと音を立てて偶像が割れる。
ガラスの廃材を利用した遠隔通信。本体はおそらくシュメイトクだろう。
結局フォメットは何をいいたかったのだろか。
ていうかチェケラって何?
アドラにはフォメットのことがまるでわからない。
わかることはかつての親友が遠い世界に行ってしまったという事実だけ。
よって多少気に食わなかろうと会話の通じる方と話すしかない。
アドラは残ったルキフゲに冷たい視線を向ける。
「外堀を埋めて逃げられなくなったところをからめ取る。あなたのやり方はルーファス様そっくりだ。仮にあなたが魔王になっても魔界は変わらないでしょうね」
「魔王となり魔界を変えるのは私ではなく貴方です」
「魔王になる気なんてさらさらないけど、もしなったとしてもあなたの傀儡になるのがオチだろうね。だってあなた、ルーファス様と同じ考え方してるもの」
自分でいっててむなしくなってきたがおそらく間違ってはいないだろう。
アスタリオも、フォメットも、そして自分も、すべてはルキフゲの復讐のための道具にすぎない。
たとえ本人にその自覚がなかろうともだ。
「我が名はルキフゲ。光を疎み光を蔑む者。あのような愚者とは断じて違う」
「光……そういえばルーファス様の名は陽光を語原としていた。そしてルキフゲさん、あなたも。あなたはもしかして――」
「日を改めます。あなたの気が変わるまで私はいつまでも待ちますよ」
途中で話を強制的に打ち切り、ルキフゲもまた去っていった。
最後に残されたアドラは独り立ち尽くす。
シュメイトクを救うために奔走したことはすべて無駄になった。
メノス家もアスフォルグ家もおそらく敵になるだろう。
――その時、おれはどうすればいい?
我知らず拳を握り絞める。
紅月が照らす孤独の世界でアドラは自らの取るべき選択を考える。
だがどれだけ悩んでも答えはでない。
無為に時が過ぎ去るのみ。
誰にどれだけ強いと誉め讃えられようと痛感するのはいつも己が無力ばかりだった。