終戦
謁見の間を出たオルガンは下水道で迷っているアドラと合流した。
正確には迷っているというより迷わせたのだが。
ガイド役として渡した鼠の使い魔に適当に時間を稼がせるように命じておいたのだ。
「オルガンさぁ~ん! 助かりましたよぉ~っ!」
アドラはオルガンを見つけると情けない声ですがりついてきた。
威厳も何もあったものではないがこれでもいちおう王族である。
「鼠さんもぜんぜん役に立たないし、じゃあ自力でどうにかしようと思ったんですけど探しても探してもアスタリオの影も形も見当たらず……」
「アスタリオならもう死んでたわよ」
アドラの間の抜けた顔が急激に引き締まる。
オルガンはすぐにフォローを入れるべきだと判断した。
「毒杯をあおって自殺したみたい。反乱軍の頭首らしい実にご立派な最期だったわ」
「そう……ですか……」
アドラは意気消沈していた。
表情や仕草から演技ではないことがわかる。
村を焼き自分を殺そうとした魔族の死を本気で悼んでいるのだ。
「行きましょう。この機を無駄にしてはいけないわ」
「……はい。ありがとうございます」
優しい。
あまりにも優しすぎる。
本来なら軍になどいてはならない男だとオルガンは痛感する。
ルーファスはその優しさにつけこんでアドラを利用しようとしているが、果たしてそれはどこまで有効なのだろうか。
彼の優しさが、いつどこで反転するか、それは誰にもわからないのだから。
聖人が外道へ堕ちる瞬間をオルガンは飽きるほど見てきた。
悲しいかな魔族はとかく移ろいやすい生き物だ。
いつもなら鼻で笑って済ませられるがアドラの場合はそうはいかない。
放っておくわけにはいかなかったのはわかる。
だが保護監視程度に留めておくべきではなかったのか。
軍に引き入れたのは両刃の剣ではないのか。
ひるがえった時、その刃はあまりに鋭すぎるとは考えないのか。
オルガンの懸念は尽きることがない。
アドラの機嫌は反乱軍などよりよほど重大な問題だった。
「ところでアドラちゃん、使い魔から誰かを捕らえたって話を聞いたけど……」
「はい。反乱軍の幹部だと思われる女をここに……あれ?」
アドラが捕縛用のロープを引く。
しかしその先には誰もいなかった。
慌てふためくアドラを見てオルガンは大笑いする。
「逃げられちゃったわねぇ。情けなぁい」
「すすすす、すいません! 確かにさっきまで捕まえておいたんですがっ!」
「どうでもいいわよそんな小物。それよりこの戦を止めることが先決よ」
切れたローブの先が石化していることをオルガンは見逃さない。
逃げられた幹部はステンノだ。
だったら逃がしておけばいいと思う。
どうせ独りでは何もできないしそのほうがアドラのためになる。
願わくば敵ではなく妻としてアドラを支えてやって欲しいのだが。
「城に帰ったらルーファス様にアドラちゃんの退役をかけあってあげる」
「えっ、ホントですか!?」
「あまり期待はしないでね。どうせ却下されるだろうから」
「ですよねぇ……」
くだらない会話でも少しは彼の気も紛れるだろう。
謁見の間に戻るまでの間、オルガンはアドラと世間話に花を咲かせた。
※
謁見の間の更に奥。
短い階段を上った先に王の間はあった。
大仰な玉座がありそこから謁見の間が一望できるのだが今はそれはどうでもよく、重要なのはその後ろにある巨大な魔法陣だった。
「通信用の魔法陣……だけど、こんな大がかりなモノは初めて見たわ」
「オルガンさんでも知らなかったんですか?」
「知らないわけじゃないけど、普通はもっと小さな陣をたくさん組むのよ。その方が簡単でコストがかからない。数が多いと一人で使うのはちょっと面倒臭いかもだけど」
大方ものぐさなアスタリオに楽に使わせるために無理に大型化したのだろう。
ルキフゲの気苦労を考えると笑いがこみ上げてくる。
忠臣だったという噂も案外ウソではないのかもしれない。
「ショーワルド家は予言者の家系。未来を詠み危機を識り民に報せる。この魔法陣も元来そのために使うもの。それを戦争の道具にするとは世も末ねぇ」
「その、色々とすいません……」
「アドラちゃんが謝る必要なんてないわよ。王家なんてとっくの昔に腐敗しきってたわけだしね。今でも真面目にやってるのなんてレイワール家ぐらいよ」
「……」
アドラは無言で魔法陣に入ると大きく息を吸って声を張り上げる。
「我が名はアドラ! アドラ・メノス! メノス家当主にして九代目閻魔として汝等に命ずる! 勝敗は決した! 今すぐ投降せよ!」
わずかな言葉だった。
だがそれだけで十分だった。
アスタリオの敗北。そして新たなに生まれた盟主からの敗北宣言。
これ以上の戦闘行為は無意味だと皆が悟る。
続々とアドラの許に送られてくる了承のサイン。
後の世に語られるデウマキア戦争は魔王軍の完全勝利で締めくくられることになる。
「それでオッケーよアドラちゃん。余計なことを口にするとボロが出るからね」
「オルガンさんのいう通りです。サタン復活に備えるために生まれた六大王家。でもとっくの昔に形骸化していて自らの血統の繁栄ばかりを考えるようになっていました」
結界から出たアドラは寂しげに微笑む。
その顔を見るとオルガンはなぜだか胸が締めつけられるのだ。
「古き王家はもう魔界に必要ない。これでネウロイさんに胸を張っていえますよ。王族として最後の責任を果たしたって」
アドラは世間知らずの情けない男かもしれないが決して無責任な子供ではない。
その態度からは想像もつかないほど多くのものを背負って生きている。
政はせずとも彼は紛れもなく王族だった。
弱きを助け悪を挫く誇り高き真の王族だった。
「行きましょうオルガンさん。戦後処理で今日は徹夜ですよ」
「事後処理なんて部下に任せればいいのに。でも……あなたはそれでいいと思うわ」
彼の優しさは軍人には向いていない。
その考え自体は変わってはいない。
しかし指導者としてはどうか。
その優しさで民を守り国を未来へと導いていく。
そんな為政者がこれからの魔界には必要なのではないか。
もう少しだけ様子を見てもいいのかもしれない。
オルガンはふいにそう思う。
辛い現実に次々と直面し、もがき、苦しみ、疲弊して、彼の心から優しさが消え失せてしまうまでは。
その日は決して遠くないのかもしれないが。




