盲目の王
かつん。かつん。かつん。
薄暗い闇の中にハイヒールの足音が鳴り響く。
地下下水道をピンク髪の淫魔が我が物顔で闊歩する。
オルガンは単身ダイダロスへと潜入していた。
部下たちはすべて地上に配置した。
もっとも危惧すべきはアスタリオに地上へ逃げられることだからだ。
アドラとは手分けして探すという口実で別々に行動している。
理由はアスタリオをその場で速やかに始末するためだ。
アドラの手前生け捕りの可能性を示唆したが、この魔族だけは百害あって一利なし。どうあっても生かしておく理由がないからだ。
いざ事に及ぶとなればアドラは戦力どころか足手まとい。
よって意図的に危険な単独行動をとっているのだが、オルガンにとってそれはさしたる問題ではない。
下水道の奥から鋼の足音が聞こえる。
白銀の鎧を身に纏った騎士たちがオルガンの前に立ち塞がった。
アスタリオの親衛隊だ。
その中から隊長格と思しき者が一歩前に出る。
「お待ちしておりました。アスタリオのところにご案内いたします」
「ご苦労さま。よろしくねぇ」
親衛隊はすでにオルガンの魔術により魅了洗脳されていた。
お手軽カンタン使い捨てOK。部下は現地調達が一番だとオルガンは笑う。
オルガンは他の淫魔とは違い音にて他者を魅了する。
ガラスの割れる音にて大使館を制圧。
ヴァイオリンの音色にてガイアス軍を制圧。
反乱軍の雑兵程度ならハイヒールの音で十分制圧可能。そこらの鼠と大差はない。
オルガンの秘術は抵抗なき者を容赦なく喰らいつくしていく。寄せ集めな上に敵を下級魔族と侮る反乱軍では到底対応しきれるものではない。
この天才魔術師を敵に回した時点で反乱軍の敗北は必至だったといえる。
※
親衛隊を引き連れてオルガンは謁見の間へと足を踏み入れる。
宝石と黄金で飾られた無駄に広い空間。
何の意味もないただの虚仮威し。
反吐が出る。
だがそんな内心などおくびにも出さずにオルガンは膝をつく。
「お初にお目にかかります大公殿下。お命を頂戴しに参りました」
「陛下と呼べ。無礼であるぞ」
謁見の間を見下ろす高き玉座。
カーテンの隙間から漏れ出す強い魔力は紛れもなく上級魔族のもの。
「余はアスタリオ・ド・フォン・ショーワルド。次代の皇家となる者だ」
レイワール家を潰すと宣言するに等しい不遜な発言。
まず間違いなくアスタリオ本人だ。
安心したオルガンはさっそく先制の火炎魔法をお見舞いしてやる。
放たれた高熱の火球はカーテンを焼き払うだけで終わったがそれで十分。
念のため顔を確認したかっただけだ。
「下級魔族が。度重なる無礼、その生命で償ってもらうぞ」
玉座にて朱いワインを嗜む竜人族の男。
年は若くアドラと同年代だと思われる。
やはり先代は前の戦争で死亡していたか。
「無礼なのは殿下も一緒じゃないですか。先ほどの発言はレイワール皇家への反逆罪を問われてもしかたありませんよ」
「地獄に引き篭もり俗世のことを何も知らぬ連中のいったい何を敬えというのか」
アスタリオはワイングラスを投げ捨てると玉座から謁見の間へと飛び降りる。
金の刺繍の入った高級な洋服を着ているが鱗に覆われた巨躯にはまるで似合わない。
欲にまみれた金色の眼も口元からちらちらと出る赤い舌も実に下品。
この容貌で淫魔を下等と罵るのだからお笑い草だ。
ドラゴン族の裏切り者。
穢れたサタンの血脈。
疎まれし闇の眷属。
どこからどう見ても高貴とはほど遠い出自だ。
もっとも王族など、もとを糺せば皆そんなものなのだろうが。
「その魂に刻み込め。魔界の頂点は我らショーワルド家だと。凡下はただ我らに畏れひれ伏せばいい」
「皇家っていうのはサタンを封印監視してくれるありがたい存在のことをいうんです。だから一番偉いということにしてるんです。あなたのやろうとしていることはサタンと一緒。王座を返上したらいかがです?」
「侵略者である貴様ら魔王軍がどの口でのたまうか!」
「わぉ、お耳の痛い話。そういう話はルーファス様にして」
オルガンは大気を操り真空のかまいたちを創り出す。
しかしそれを解き放つ直前にアスタリオはすでに身をかわしていた。
オルガンの攻撃をあらかじめ読んでいたのだ。
「出た! ショーワルド家お得意の 《刻詠みの秘術》 ! 確かたかだか3秒ぽっちほど先の未来が視えるのよね」
「それだけ視えればお釣りが来る。貴様を八つ裂きにする分にはな」
アスタリオの鋭い爪がオルガンの柔肌を切り裂こうと襲いかかる。
オルガンは風の魔術を駆使してそれを巧みにかわした。
お供の親衛隊が紙切れのように吹っ飛んだが気にしない。どうせ向こうの兵隊だ。
もちろんかわすだけではなく攻撃も忘れない。
隙あらば火球を生みだし深く考えずにドンドン放り込む。
当然すべて先読みされて当たりはしないがそれで問題はない。
アスタリオの 《刻詠みの秘術》 を攻撃面で使わせないための弾幕だ。
「小虫が。おとなしく潰されろ!」
「逆ギレはやめて欲しいわね。さっさと潰さないのは殿下のほうなのに」
アスタリオは伝説の英雄の血を引く竜人族。
その気になれば強力なブレスなり大魔法なりをいくらでも使える。
それをあえて使わず肉弾戦を展開する理由は明白。
謁見の間に置かれた金銀財宝を傷つけるのが嫌だからだ。
この期に及んで宝の心配とは心底呆れ果てる。
そのような性格だから逃げもせずくだらない罠にかかるのだ。
「そろそろ時間ね」
オルガンが呟くと同時にアスタリオの動きが止まった。
その場に膝をつき苦しそうに胸を押さえる。
「貴様……いったい何をした……!?」
「別にぃ。さっき殿下が飲んでいたワインに毒を盛っておいただけよ」
あらかじめ洗脳しておいた給仕に毒入りのワインを用意させておいた。
呆れるほど単純で幼稚な罠だがアスタリオは見事にかかった。
「ごめんなさぁい。あたしバトルとか趣味じゃないの。そういうのは暑苦しいガイアスと闘ってねぇ……ってもう遅いか」
「馬鹿が! 竜の血をひく余が、この程度の毒で、死ぬと思うかッ!!」
「その毒はステンノがアドラ暗殺用に用意した冥異生命体から抽出した毒よ。ドラゴンだってぶっ殺すらしいけど果たして殿下は耐えられるかしらぁ」
アスタリオは立ち上がりオルガンを殺すべく渾身の力を込める。
しかしどれだけ力を込めても身体は鉛のように動かず、ついには地に這い蹲ってしまった。
激しい屈辱に憤るが、激しいめまいと苦しみで意識が遠ざかっていく。
「ちなみにその毒、アドラちゃんにはまったく効かないそうよ。つまり『格が違う』ってことじゃないかしら。残念ながら魔界の頂点は無理みたいねぇ」
何度も激しく嘔吐し痙攣を起こした後、アスタリオはとうとう動かなくなった。
無知蒙昧な王のあまりにもあっけない最期だった。
「あなたは何も視えてはいない。家の盛衰はもちろん一寸先の闇すらも」
アスタリオの死亡を確認すると、オルガンは生き残った親衛隊に後始末を命じて謁見の間を去った。
ショーワルド家の滅亡。
それにより反乱軍は事実上の壊滅を迎えることになる。




