大精霊ルキフゲ
オクトパネサス旅館。
キョウエン南区8番通りにある老舗の宿屋。
主に旅行客を相手に商売している。
先日部屋数増加のためリニューアルオープンしたばかりだ。
主人のダゴンさんの特技はタコ焼き。その評判は国外まで及ぶほど。
そしてゲルダこと大精霊ルキフゲの潜伏先でもある。
「本当は大軍で囲って魔導兵器で蜂の巣にしてやりたいんだけどね」
旅館の前でタコ焼きを食べながらオルガはいう。
タコ焼きは蝙蝠に旅館から盗ませたものらしい。
「物騒なこといわないでください。できるだけ穏便に行きましょう」
アドラもすでに腹をくくっているとはいえ無関係な旅行者を犠牲にはできない。
もっとも大軍で囲おうものならすぐさま察知され獲物に逃げられる。それがわかっているからオルガンも二人だけでここに来ることに反対はしなかった。
しなかったが、なぜか苦言を呈してきた。
「敵は大精霊。ただの淫魔にすぎないあたしなんかとは比べものにならないほどはるか格上。アドラちゃんはちょっと危機感が足りてないんじゃなぁい?」
「呑気にタコ焼き食ってるあなたがそれをいいますか」
「普段ならこんなことしてないわよ。更に格上の大悪魔様がいるからこそよ。とはいえたとえあなたでも足を掬われかねない相手だからもっと用心してって話」
「いわれなくとも用心はしてますよ。そんなことより盗んだタコ焼きの代金、後でちゃんと払ってくださいね」
もとより油断などしていない。
そんな余裕があるほどアドラは自分の強さに自信がない。
両親からもらった結界については全幅の信頼を置いているが、それが大精霊相手にどこまで通用するかは未知数だった。
とはいえ今更ビビってなどいられない。
覚悟を決めてアドラはオルガンと共に旅館に足を踏み入れた。
自動ドアを抜けてフロントにて宿泊手続きをする。突然の来客だったがフロント嬢は快く対応してくれた。
「お二人はご家族ですか?」
「そうよぉ。新婚ほやほやなのぉ」
何を思ったのかオルガンが突然アドラに抱きついてきた。
一般的な成人女性より二回りは大きい乳房を腕にぐいぐいと押しつけてくる。
「お、おい! 人前で恥ずかしいだろ!」
「え~っ、いいじゃないのぉ。減るものじゃあるまいしぃ」
初心なアドラは顔から火が出でるかと思うほど赤面した。
自慢ではないが妻とすらこれほど密着したことはない。
アドラの反応をひとしきり楽しんでからオルガンは満足げな顔で身を離した。
……恐ろしい。やはり魔性の女だ。
「熱々ですね。145番の部屋が空いていますので続きはそちらでお願いします」
嬢から鍵を渡されるとアドラは逃げるようにフロントを去った。
恥ずかしすぎてもうこの宿は二度と使えない。
こういう真似はしないでくれと注意するがやはりオルガンはまったく悪びれない。
サキュバス相手に貞操を問うことほど愚かしいことはない。
これ以上の説教は諦めて任務に集中することに決めた。
余計な事を考えすぎると煩悩まみれとみなされ死後地獄に堕とされかねないので。
「……ホントにこんな場所で堂々と休憩してるんですかね」
「複数の蝙蝠から連絡があったから間違いないわ。ここの宿は改装により近代化していてプライバシー保護がしっかりしてるし部屋数も多いから意外と潜伏するにはもってこいの場所かもしれないわね」
話しながらアドラたちは145番部屋をスルーして報告にあった三階の333番部屋を目指す。
333番部屋の前まで来たところで鍵がないと入れないことに今更気づく。
田舎者のアドラには鍵付き個室有りの宿という概念が頭になかったのだ。
しかしそこはオルガンが魔術でピッキングすることで解決する。
一瞬犯罪じゃないかと思ったが作戦行動ということでギリギリセーフ。
おれが犯ったわけじゃないしと自分にいいわけしつつ、アドラは音を立てないように室内に侵入した。
魔灯ひとつ点かない暗闇の部屋。
いくつかの家具とフロント連絡用の電話。
そして質素なシングルベッドがひとつ。シーツの状況を見るに使われてはいない。
だがルキフゲはそこにいた。
青白い月明かりを浴びてただ静かに佇んでいた。
「お待ちしておりましたアドラ様」
ルキフゲは胸に手を当て丁寧にお辞儀した。
とっくの昔に追跡はバレていたのだ。
すかさず攻撃しようとするオルガンをアドラは手で制する。
「今日はゲルダさんを説得しにきた」
「奇遇ですね。私もです」
ルキフゲは優しげに微笑んだ。
執務室では決して見せなかった表情だった。
「アドラ様のご用件は承知しております。私の方からよろしいでしょうか」
「いいよ。君の要求が聞きたい」
許可を得るとルキフゲはアドラに手を差し出す。
「我らと共に魔王軍と闘いませんか?」
それは反乱軍への誘いだった。
あまりにも意外な要求にアドラは少しだけ困惑する。
「何を驚かれますか。我が軍は下級魔族どもの反乱に対抗するために生まれ、参加者の多くが上級魔族です。もともと貴方はこちら側の魔族なのです」
「どうでもいいよ上級とか下級とか。昔の人が勝手に決めたことじゃないか」
「それが歴史と伝統というものです。どうかご理解ください」
歴史や伝統などという薄っぺらい箔ではアドラの心は微塵も動かない。
まだルーファスたちの情熱のほうが共感できる。
そういう意味ではアドラの立ち位置はまだ正しい方といえる。
もっとも魔王軍に属していなくとも、アドラがこの誘いに乗ることは決してありえないのだが。
反乱軍に対するアドラの好感度はゼロどころかマイナス。
理由は今更問うまでもない。
「私は魔界の歴史と伝統を護るため名のある魔族たちに声をかけ続けてきました。無論、放蕩していたあなたにも――」
「だからおれたちの村を焼いたっていうのかッ!」
アドラの感情の昂ぶりを鎮めるかのように氷獄結界は発動した。
歴代最高の閻魔イザベルにより強化された結界はたとえアドラの 《抹殺の悪威》 であろうと易々とは破られない。
だがそのすべてを内側で抑えるというわけにもいかず、漏れ出た魔力は霜となりアドラの足下に降りた。
霜はすぐに溶けたがその驚異に気付かぬ愚者はこの場には存在しない。
これはあまり怒らせてはならぬ相手だ。
瞬時に察したルキフゲは慌てて頭を下げる。
「すべては部下の暴走。誠に失礼いたしました。関わった者は厳重に処罰致しますので何とぞお赦しください」
「……もういいよ。幸い死者は出なかったし」
アドラが必死に守ったおかげで奇跡的に死者数はゼロだったが、救助活動に躍起になっていたおかげで家は全焼。本人は莫大な借金だけを背負うこととなる。
だが全額弁償しろとは口が裂けてもいえない。
金の催促がダサいというのもあるが反乱軍に恩義を感じるような行為はいっさいしたくない。彼らのことは嫌いなままでいたいのだ。
「そっちの用件はわかったよ。今度はおれの用件を伝えるね」
アドラは手を挙げて制止していたオルガンに攻撃を許可する。
「おとなしく捕まってくれないかな。悪い結果にはならないようにするから」
オルガンの放った魔法のツタは瞬く間にルキフゲの全身を拘束した。
「彼のいう通りにしたほうが身のためよ。賢いあなたならわかるはずよね?」
「そうしたいのは山々ですが、私には果たさねばならぬ使命がありますので」
オルガンの忠告にルキフゲは不敵な笑みで応えた。
「私は光を恐れ光に逃げ惑う者。何人たりとも私を“視”させはしない」
ルキフゲは瞳を閉じてその場に倒れ込んだ。
気絶したのだ。
「オルガンさん! あんまりきつく絞めちゃダメっていったじゃない!」
「違う! これは……してやられた……ッ!」
気絶していてもわかる。
すでに魔力の波長がルキフゲのものではない。
そこに倒れているのはルキフゲの人格と魔力を埋め込まれた一般市民だった。
オルガンはすぐさま蝙蝠に指示を飛ばすがおそらくは徒労に終わるだろう。
『この世にゲルダという人物は存在していない』
その事実をオルガンはようやく理解した。
特徴が一致したのはこの女性がルキフゲが参照したサンプルというだけ。
視覚操作と認識操作を駆使して自らの外見を頻繁に変えているため軍内にある人物データはいっさいアテにならない。
よって追いたくても追いようがないのだ。
「あのクソ爺め……わかってて私に追わせたわね」
ルーファスとルキフゲ、二人の魔族に踊らされてオルガンは珍しく舌打ちした。
もっともこれについては見抜けなかった自分がマヌケだったと自省するしかない。
アドラを納得させるためのダシに使われたのであれば不愉快ではあるが無意味ではないだろう。
「……」
ゲルダが偽者と気付いてようやく慌てだすアドラを一瞥してオルガンは思案する。
ほんの一瞬とはいえレイワール皇家の大結界をも凌ぐアドラの底知れぬ魔力。
対抗策はいくつか思いつくが正直闘りあいたくはない。
適度にマウントを取りつつも仲良くするのが最上の策。
敵に回すのだけは極力避けたい。
アドラとオルガン――図らずも両者の思惑は一致していた。




