交渉
「此度は、私の願いを聞き入れていただきたく参りました!」
声の主は初代聖王エリスだった。
その後ろには教皇ガブリエルが数名の屈強な勇者を従えている。
意外な来訪者にアドラは軽く驚く。
「エリス陛下、いったいどうなされましたか」
「私はもう聖王ではありません。神託はすでに当代の聖王に移譲されています。 ≪アスカロン≫ があれば戦えないことはありませんが、それでもサタン相手では戦力外といっていいでしょう。よって敬称は不要ですし、私も威厳ある王のフリをするのはやめることにいたします」
「いや、ですが……」
エリスは自らの顔を拳で殴りつけ、アドラの言葉を遮った。
「私はどこにでもいるしがない町娘だったはずなのに、どうして最初からそうしなかったのか……周囲にもてはやされ、分不相応の立場を与えられ、自分に酔っていたとしか思えない。あまりの愚かしさに呆れかえります」
口元の血を拭うと自嘲し、そして――
「本当の私は、争い事なんて大嫌いだったんです! 人の上に立ちたかったわけでも、英雄になりたかったわけでもないんです! ただみんなと、誰とでも、サタンとも仲良くしたかっただけなんです!」
人類のリーダーである聖王にあるまじき発言。
困惑するアドラ。それでもエリスは続ける。
「死んだ後まで自分にウソはつきたくない! お願いします、私も一緒に連れて行ってください! 力はなくとも言霊はあります! もう一度サタンを説得させてください!!」
ああ――なんてお人好しな女性なんだろうか。
アドラはかつての自分のことを棚にあげて思った。
交渉の時間なんてとうの昔に終わっている。いや、サタンやウリエルのいう通り、交渉自体そもそも無意味で無価値だった。
これは人間同士の諍いじゃない。人類と人類悪の生態系の頂点――すなわち神の座を賭けた殲滅戦争だ。
弱肉強食。オールオアナッシング。勝てばすべてを手にし、負ければすべてを奪われる。大自然の摂理だ。宇宙の法則だ。人類が群れで生きている生命体である以上、個人の感傷が入る余地などない。初代聖王ともあろう者がそんなこともわからぬはずがない。
「……陛下、嵐の時代が来ますよ」
アドラは、かつてエリスにいわれたことを反芻するようにいった。
「空席となった神の座を巡り、血で血を洗う狂気と殺戮の世界が、すでに目と鼻の先にまで迫ってきています。それを未然に防ぐために、今ここでハッキリと世界の頂点に君臨する者を定めようというサタンの主張自体は間違っていないと思います」
アドラは奥歯をぎりりと噛みしめる。
「でも、だからといってサタンが主神になってもさして変わりはしない! 奴は貴女がどれだけ諫めようようとも自分の愉悦のために剪定という名の粛清を繰り返す! 少なくとも人類の半数は死に絶える! 人民が! 国家が! あなたが大切に思っていたすべてのものが跡形もなく消えてなくなるでしょう!!」
そしてアドラは意を決し、トモエに命じる。
「その未来を覚悟してなお、貴女の決意が変わらないというのであれば、共に行きましょう!!」
エリの前にトモエはゆっくりと手を差し出した。
アドラはサタンの説得を容認したのだ。
「……恩に着ます」
エリは躊躇うことなく掌の上へと乗った。
自分の選択にアドラは頭を抱える。
「聖王陛下……いや、エリスさん。女性だけどあなたは大馬鹿野郎ですよ。それを許容するおれも同じぐらいの大馬鹿野郎ですけどね!」
頭では理解している。
交渉など無意味。無駄なことをしている最中に隙を突かれて殺されるのがオチだと。
今はただ闘いのみに集中しろと。
だが、それでも、みんなと仲良くしたいというエリスの想いを無碍にすることは自分には決してできない。もちろん自分はサタンのことは大嫌いだし仲良くしたいとは思わないのだが、こういうのはもはや理屈じゃない。
つうか大嫌いなサタンやウリエルと同じような行動をとりたくないっていうね。
――ああクソ、もうなるようになれだっ!!
最近は頭脳労働ばかりで周囲には頭脳担当みたいに思われているかもしれないが、インドアとアウトドアの違いがあるだけでアドラはどちらかといえばガイアス寄りの悪魔なのだ。理屈より感情を優先する……というより、してしまうのだ。
仲間たちだって自分がそういう性分だとわかって託してくれている。だからこの選択は間違ってはいない……はず!
「というわけでちょっとサタンを説得してきます! もうしわけないですが、ジャラハさんは相手を刺激しないようしばらく待機しててください!」
決意に満ちたエリスと迷うアドラを乗せて紅色の武者は発進した。
正真正銘、最後の大博打。泣いても笑ってもここですべてが決まる。
半か丁か、どの目が出るかは神すら知らぬ。神はすでにいないのだから。
「で……おまえは、エリスと一緒に説得しに行かなくていいのか?」
出撃した二人を見送りながらジャラハがガブリエルに訊く。
「ヒエロはサタンを説得するなどという『悪事』には荷担いたしませんよ。おれ個人としてもあのクソ野郎のご機嫌をとるなんてまっぴら御免です」
「そりゃそうだ。だったら何でアレにくっついて来た?」
「そんなの決まってるじゃないですか」
返答は教皇ガブリエルではなく 《黒死の一三翼》 が一翼、ヨシュア・マーカス・ストレンジャーとして放たれる。
「おれの信じる世界最強の男と一緒に、サタンに一発ぶちかますためですよ」
ヨシュアは自らの顔の傷に触れながらいった。
「その傷……ああ、ミーザルでぶちのめした勇者たちのリーダーか。わりと手強かったから覚えてるわ」
「わりとですか……まあ、あなたにとってのおれはそんなものですよね。おれからすれば世界で一番強いと自惚れていた自分に身の程を教えてくれた恩人なのですがね」
「あんたの指揮のせいでおれはグロリアまで攻め込みきれなかったんだから誇っていいと思うんだがな」
「ミーザル地方全体の救援要請を受けて仕方なしに敵対しましたが、サタンが復活した今となっては良いことだったのやら悪いことだったのやら……」
「どうでもいいさそんなこと。モーリスの話を聞いて、グロリアに攻め込んだところで本来のサタンとは闘えねえと思い直したから撤退したまでだ。おれは現状に不満はない」
「そりゃあ、あなたはそうでしょうが……」
「うるせえな。終わったことをいつまでもグズグズというな」
その言葉にヨシュアは頷いた。
過ぎ去ったことをいつまでも気にしていても仕方がない。大事なのは今、この瞬間だけだ。
「しかしさ、あんたの口振りだと、エリスとは一緒に戦えねえって風に聞こえるぜ。ヒエロの教皇としてそれでいいのかい?」
「まあ、ヒエロの教皇ガブリエルとしては聖王を支持するべきなんでしょうけどね。この期に及んで自分にウソはつけませんよ」
そしてヨシュアは教皇として決して口にしてはいけない発言を口にした。
「ミーザルの戦場でおれはあなたの中に神を見た。おれはあなたみたいなすごい奴に次の時代の神になってもらいたい」
――呆れたイカレ野郎だ。
ジャラハは大きく肩をすくめた。
どうやらキュリオテスに限らず馬鹿はどこにでもいるらしい。
「勇者のくせに変わりモンだな。そういやルージィの奴も魔族のくせに勇者を神に選んでたな」
「今は祈る神も自由な時代ですからね」
「ハハッ、罰当たりだなぁ」
「当たりませんよ。神は死にましたから。それにあなただって喉から手が出るほど欲しいでしょう――『神の威光』が」
ヨシュアは少し悪そうな顔をしながら、懐から聖杯を取り出して見せた。
それを見たジャラハもお返しとばかりに意地悪な笑みを浮かべる。
「どうやらおれも困ったときの神頼みってのをするときが来たようだな」
無論、神になる気はさらさらないが、聖杯の威力は是が非でも欲しい。
邪竜を討つのにこの男を利用しない手はない。
「交渉成立……ってことでいいですよね?」
「まったくとんだクソ教皇だ。あんたミカエルのこと悪くいえねえぜ」
ヨシュアの差しだした手をジャラハは力強く握った。
アドラとエリス、ジャラハとヨシュア。ここに誰にも予想できなかった、因縁を越えた聖魔のタッグが二組も誕生した。
……あるいは、今は亡きラースはそれこそを望んでいたのかもしれない。
真神戦争画に描かれた彼の手は、確かに魔族の手を握っていたのだから。
【余談】
「今回めちゃ頑張りましたし、あたしもう帰ってもいいデスよね?」
……といって、全員がその場からいなくなってから、サーニャはこっそりルガウに帰りましたとさ。
敵前逃亡? いえいえ、アドラ様にすべてを託したのデス。




