小さな島の大きな勇者
ルージィ・マレアニトがサタン抹殺の本命として掲げていたのは、実はアドラではなくオキニスだった。
オキニスとの出会いはルガウのとある廃村だった。
もともと悪ガキとして評判だった彼は、そこを根城として不良仲間たちと夜な夜な遊んでいたのだ。
配管工の仕事でたまたま彼らを目撃したルージィは、一言忠告してやろうと思ってオキニスに近づいた。
「何ガンつけてんだオッサン。あんまりナメてっとぶちまわすぞコラ」
「私はまだおっさんなどと呼ばれる年齢ではないのですが……」
「あん? あんた今いくつだよ?」
「34歳です。もうすぐ35ですが」
「オッサンじゃねえかッ!!」
――……あなたもリドルくんと同じ意見ですか。
これでも政治の世界では尻の青い若造と馬鹿にされる年齢なのだが。
百歩譲って三十路がおっさんだとしても、自分は魔族なのだから人間年齢で判断されても困る。
「まあいいや。イジメられたくなかったらさっさと帰ぇんなオッサン」
「いや私、仕事でここに来てるので帰るわけにはいきませんよ。それにここは立ち入り禁止区域です。無許可で入ると最悪殺され……」
「知ったこっちゃねーんだよ! オレたちゃ自由だッ! 何モンにも縛られねぇ!!」
オキニスが拳を振り上げて叫ぶと、周囲の仲間たちが歓声を挙げた。
どうやら彼は悪ガキたちのヒーローのようだ。
「自由は大いに結構なんですけど余所でやったほうがいいんですって。いつまでも廃村のままにしておくわけにはいかないってことでここ、すでに再開発が始まっていますから。特に今日なんか魔族の監視役が部隊を率いてやってきてましてね」
「オッサンになると耳も遠くなるのか。オレたちがどこに居ようがオレたちの勝手だっつってんだよッ!!」
――ダメだこりゃ話にならん。
よくよく考えればこんなガキどもどうなってもいいじゃないか。いちおう忠告はしたのだから、後は彼のいうとおり個人の自由だろう。
ルージィは説得を諦めて仕事に戻ることに決めた。
「クソガキどもが! こんなところにも湧いてやがんのか!」
遠方から魔族の怒声。
さっそく監査役に見つかってしまったようだ。
あれだけ怒鳴っていたら当たり前の話か。
「事あるごとにおれの仕事の邪魔しやがって! 今日という今日は許さねえ、野郎どもやっちまえ!」
小隊を任されて気が大きくなっている監査役は、躊躇することなく不良の子供たちを攻撃してきた。
廃村にたむろしていた子供たちはオキニスが制止しても止まらず、皆散り散りになって逃げ出した。彼とは違って賢明な判断ができるようだ。
「クソったれが!」
仲間を失ったオキニスは逃げるどころか魔族相手に殴りかかっていった。
ここまで来ると最早やけくそなのだろう。
案の定返り討ちに遭いあっさり捕らえられてしまう。
「こいつがクソガキどものリーダーか?」
「みせしめとして公開処刑にしてやる!」
――自業自得だ。
ルージィは嘆息する。
持たざる者にこれ以上の良心の持ち合わせはない。巻き込まれない内にその場を去ろうとした、その時。
激しい電熱に煽られ、ルージィの身体は宙を舞っていた。
遅れてやってきた轟音が鼓膜を破る。もし背中を向けていなかったら閃光で目も潰されていたことだろう。下手すれば自分も巻き込まれて死んでいたかもしれない。
天から降り注いだ巨大な雷が、周囲一体をまんべんなく焼き払ったのだ。
体勢を整え焼かれた身体を再生させてから、ルージィは恐る恐る爆心地を確認する。
月面にあるクレーターのようにえぐれた大地、その中心にオキニスが倒れていた。
気絶はしているが身体はまったくの無傷。他の魔族は影すら残らず消滅してしまったというのに。
ルージィは激しい衝撃を受けながらも気絶したままの彼を保護した。
※
「……すまねえオッサン、あんたは生命の恩人だ」
「本当にそう思うならおっさん呼びをやめてくださいよ」
それから三日後――長い眠りから目を覚ましたオキニスは、与えた飯を一瞬で平らげてからようやく謝罪した。
口は死ぬほど悪いが不良なりの仁義というものはあるらしい。
「いや、でも本当に良かった。雷の直撃を受けた時はマジで死んだかと思いましたからね。大丈夫なんですか身体?」
「ぜんぜん平気。人体って不思議だな」
不思議の一言じゃ済まねえよと思ったが、ルージィは肩をすくめるのみにとどめた。
「ここはどこなんだ?」
オキニスは窓から周囲を見渡しながらいう。
どこを見ても草木しか見えない景色から現在地を割り出すのは無理だろう。
「私の別荘……というより秘密基地ですね。私の弟分がそういうのが好きでしてね。影響を受けてしまいました」
「自宅じゃねえんだ」
「君みたいな浮浪者のガキを連れ込んだら嫁と義兄さんに殺されます」
「そりゃそうか」
そういってオキニスはケタケタと笑った。
半分は事実だが、もう半分は彼の存在を隠蔽したかったからだ。
オキニス・エンシが異質な存在であることは間違いない。
自宅に連れて行くと枢機卿としてグロリアとサーモスに報告せざるをえなくなる。
もし報告するとしても彼の正体を見極めてからだ。
「ご両親はご健在ですか?」
「いねぇもんだと思ってるよ。ここじゃ珍しくもねぇ」
「だったらしばらくここでほとぼりを冷ましてください。あなた下手したら魔族殺しで指名手配されてるかもしれませんからね」
「何から何まですまねえ。この恩はいつかぜってえ返すから」
「はぁ……では期待せずに待ってますよ」
※
オキニスを匿ってから更に数日が経った。
「見てくれルージィさん! オレ身体からすげー力が出るようになったんだ!」
ルージィは驚いた。オキニスの身体から溢れ出す力は明らかに聖気だったからだ。
つい先日までただの人間だったことは間違いない。いわゆる後天的勇者だ。直接この目で拝むのは初めてのことだった。
「オレ……念願の勇者になったんだ! 神さまがオレの願いを叶えてくれたんだ!」
――もしかしてあの雷が原因なのか?
だとしたらまさに神が願いを叶えたとしかいいようがない。
ああ、なんたる不平等か。この世には人生を神に捧げながらも何ひとつ願いを聞き入れられずに生を終える人間が山ほどいるというのに。それがこんな信仰心の欠片もない不良のクソガキに……不平等な世界を平等に均すという破滅思想に囚われるリドルの気持ちも理解できる。
「この力、あんたのために使いてぇ! 遠慮せず何でもいってくれ!」
「……」
ルージィは思案した。
確かに後天的勇者は珍しい。だがそれだけなら特に利用価値も報告する必要もない。ここらで親元に返すのもいいだろう。
――しかし、あんな衝撃的な勇者誕生は前例がない。
後天は神からの託宣を受けて勇者になるケースがほとんど……というより自分が知る限りすべてだ。あの伝説の勇者である初代聖王エリスですらそうなのだ。
――もしかしたら私は、とんでもない瞬間に立ち会ったのかもしれない。
確証はない。
だがそれでも手元に置いておいて損はないだろうと考えたルージィは、オキニスの勇者活動を支援することに決めた。
知り合いの闇鍛冶師からミスリルソードを購入。布切れ同然だったボロ服を新調して、マントを被せてやるとずいぶんと勇者っぽくなった。馬子にも衣装とはこのことか。
「うおおおおおっカッケー! それで、この剣で誰をぶった斬ってやればいいんだ?」
「うーん、そうですねぇ……」
ルージィは悩むふりをしてから、ルガウの新王であるアドラの存在を伝えた。
「とうとう地の底から魔王がやって来やがったか! 腕が鳴るぜぇ!」
「あなたは新米勇者。くれぐれもご無理はなされぬようお願いします」
マドが仕えるべき神の仔であろうアドラ。
彼の登場と同時にオキニスが現れたのは運命だとしか思えない。
二人を引き合わせるのは自らに課せられた使命か。
「安心しなよルージィさん。あんな若造、今のオレならひと捻りだぜ!」
なぜ34の自分がオッサンで2000を越えているアドラが若造なのか。
この一件でルージィはしばらく思い悩むこととなる。
※
ファーストコンタクトでのオキニスは当然、アドラの敵ではなかった。
そのことについてルージィは期待を裏切られたとは感じなかった。
むしろ生まれたてにしては優秀だと思ったぐらいで、それよりアドラに思いのほか人間性があることに注目していた。
危険人物なら始末することも視野に入れていたが、これは嬉しい誤算。サタン抹殺の駒として利用できると踏んだのだ。他のマドの民とは違い、ルージィに神を崇める敬虔さはない。
ないはずだった。
「すまねぇ……あんたからもらった剣を折っちまった」
「相手は魔王。気にすることはありませんよ」
ルージィは今度はヴァーチェ本国から最高級のミスリルソードを取り寄せると、無償でオキニスに贈呈した。
出来る限り恩義は感じさせておく。いずれはアドラ共々サタンを討つための駒として利用するために。
そんなルージィの心境が変わることになるのは、ヴァーチェ旅行を終えたオキニスの成長ぶりを間近で見てからだった。
「ルージィさん、オレ強くなりてぇ……ッ!」
黄金の聖気を纏うオキニスを見て、ルージィは今まで薄々感じていた疑惑が確信へと変わる。
「気づかれていないかもしれませんが……今のあなたは、十分すぎるほどに強い!」
――彼はラースの生まれ変わりだ!
正確にはラースが人に生まれ変わる際に選んだ器というべきか。
そう考えればあの落雷も天啓だったのだと納得できる。
赤子から始めなかったのはアドラの地上出現により急遽決まった選神戦争に間に合わせるためか。おそらく何者かが運命を加速させたことによる緊急処置なのだろう。
――理由なんて何でもいい。彼をサタンにぶつければ勝てる!
何しろ主神の生まれ変わりだ。
選神戦争の最有力候補といっていい。
今はまだ未熟なれど最悪相討ちになってくれればそれでいい。仮に負けたとしても次はアドラをけしかけてやれば事足りる。不可能だと思われていた人類悪への勝利の目がとうとう見えてきたのだ。
「どうかその強さを大事にしてください。あなたはいずれ人類の希望となる」
しかしルージィはオキニスをサタンにけしかけるようなことはしなかった。
人類の希望や未来など知ったことではなかったが、どうしてもそんな気分になれなかった。
自分を信じてついてくるオキニスに、今は亡きリドルの面影を見ていたから。
―― “持たざる者” としたことが、若者の未来を憂うだなんて。
やはり自分はおっさんなのかもしれないとルージィは自嘲する。
――まあいいか。
この調子でオキニスが成長し続ければきっと誰にも負けない存在になる。いずれはサタンはおろかラースすらも越える新時代の神となることだろう。
そちらのほうがずっと確実だし人類にとっても都合がいいはずだ。
問題はそれまで敵が待ってくれないということだけだが……。
――ならば、私が犠牲になりますかね。
サタンの元眷属であるルージィは、主の完全復活の気配をひしひしと感じていた。
この様子だとすでに地獄は人類悪に制圧されていることだろう。
もはや一刻の猶予もない。サタンが地上に這い出てくる前に、誰かが生命を賭して地獄を現世より隔離しなければなるまい。
そしてその役目はサタンの眷属である自分が相応しい。
そして、ルージィは誰にも告げずに地上を去った。
自らが選びし神、オキニスの成長のために生け贄になることを決めたのだ。
そのはずだったのだが……。
※
「……なんでついてきますかねぇ」
どういうわけかこちらの行動を察知して辺獄まで追ってきたオキニスに、ルージィは呆れるようにいった。
するとオキニスは笑顔で、
「いっただろ。オレの力はあんたのために振るうって」
ルージィは天を仰いだ。
こうなったら逆にサタンをオキニスの成長のための生け贄にしてやるまでだ。
聖王をも越える至高の勇者をこの世界に誕生させてやる。彼に相応しい冠もすでに用意してある。
手段が目的に変わってしまったような気もするが致し方なしだ。
マドの民は託宣の使徒。運命に導かれて生きている。
ルガウでオキニスと出会ってから、きっとそうなる運命だったのだ。




