神のみぞ知る世界
「なあダスクさん、あんたはなんで俺の誘いに乗ってくれたんだ?」
「ジジイの護衛が終わって暇やったから。そういうガイアスはんは?」
「アドラが腐ってて暇だったからだ」
「ああ、あいつかぁ。あい変わらずしょーもない奴っちゃなぁ」
「まったくだ。気持ちはわかるがいつまでもジメジメとしてて女々しいんだよ」
「そうそう。あいつはホンマ男らしくない。そのくせ慇懃無礼なところがあるから激しくイラつくわ」
「おお、わかってくれるか。どうやらあんたとはマブダチになれそうだ」
「わいもちょうどそう思うとったところや」
アドラを出汁に楽しく雑談しながら進んでいくと、ダスクの足が突然止まった。
「着いたで」
しかしそこに神の姿は影も形もなかった。
集団無意識による天国の具現化である。空、太陽、雲、天使といったテンプレ的なものしかない。
「俺の目には何もないように見えるが……」
「あんたらの中にそのイメージがないからやな。ほならわいの感覚を分けてやるわ」
ダスクが目をつぶると同時に、ガイアスたちの眼前に蓮華の台座が現れた。
その周辺には鼻が長なく丸っこい生物がプカプカと浮かんでいる。
――これが噂のバクという魔族か。
ガイアスは感心しながら実物をマジマジと観察する。
彼の知識の中で似たような生物を挙げるとすればやはり象だろう。だが象にしては小さく弱々しく見える。もっとも最上級の中でも伝説級の大魔族なのだから、実際は象よりはるかに強大で危険な生命なのだろうが。
万が一戦闘が発生した場合、この人数差でもおそらく歯が立たない。自分だけならともかく仲間を巻き込むわけにはいかない。今から逃げる算段を考えておくべきか。
「神さんに会いに来たでー。案内してぇな」
周囲の緊張感が高まる中、ダスクは伝説の魔族相手に気安く話しかけていた。
人の血が混じっているとはいえ同族だからだろうか。幸いなことに相手は気分を害している様子はない。
バクたちは一瞬、互いの顔を見合わせると、ダスクに向かって何かを語りかけた。
肝心の声は聞こえない。共有されているのは視覚だけらしい。
ダスクはしばらくの間、相づちをうちながら話を聞く。
「ほうほう……そうかそうか、そうなんか。ほなもうええわ、おおきに!」
蓮華の台座と共にバクたちが消えた。
息を飲むモモたちにダスクは笑顔でこう告げた。
「ラースはん、現在行方不明だってさ」
※
「それはあまりに突然の出来事でした」
アドラにそう告げるウリエルの形相は鬼気迫るものがあった。
「今まで聞こえ続けていた神の声が、ある日を境にまるで聞こえなくなったのです」
それがどれほどの緊急事態かはアドラにもある程度は理解できた。
神の声が聞こえない教皇はただの人。もはや存在意義がないといっていい。
「占星術機関の調査の結果、天にましますラース神が失踪したと判明。我々はこの衝撃の事実を永遠に封印することを決定しました」
ああ――神無き時代というのはそういう意味か。
ようやく得心が行った。
てっきり朽ちかけたラースが肉体を捨てて天に昇った後の世界を揶揄してのことだとばかり思っていたが、もっと直接的な意味合いだったのか。
「確かに、それは隠蔽するしかないですね」
アドラは頷いた。
世界の混乱を防ぐためには当然の処置だ。
教皇の権威は失墜し、世界は新たな神を求める声で溢れかえるだろう。
暴動だけでは決して済まない。人類すべてを巻き込んだ大戦争の勃発だ。
「ですが、どれだけ懸命に秘匿しようとも、いつまでも真実を隠し通すことは叶わないでしょう。何より無神の時代に我々マドの民が耐えきれない」
アドラにはあまり理解できない感覚だが、それでも想像することぐらいはできる。
マドの歴史はラースを追い求めることによって紡がれてきた。
目標の突然の喪失はどれほど深い絶望だろうか。
「一番最初に壊れ始めたのはラースにもっとも近しかった先代教皇ウリエル――ハルメス聖下でした。私は情報としてしかあの御方の絶望を知りませんが……廃人にならなかったのは奇跡的だったと思います。それほどまでにあの御方は、人生すべてを神に捧げていましたから。聖下は激しい葛藤の末、自分が完全に壊れてしまう前に教皇の座を降りることを決心いたしました」
ハルメスはアドラに招待状を書いた後すぐに教皇を辞めた。
その理由がいまいち釈然としなかったが、今ようやく心から納得できた。
むしろギリギリまで耐えていたということか。
「主神の不在はいずれ白日の下に晒される。その前に我々はラースの遺言に従い新たな神を生み出さなければならない。ハルメス様にマドの未来を託された私にはその責任があります」
「だからといってわざわざ戦争を起こす必要はないでしょう」
「新たな神の誕生に争いは必要です。神の威を示さねば誰も納得いたしません」
「だったら神の存在そのものが不要ですね。新たな道を模索しましょう」
「無理です。無駄です。無意味で無価値です。世界情勢的にもそうですが、我々の歴史がそれを赦しません」
「おれの命令でもか?」
「……無論、貴方が真に神になるというのであれば、我々は託宣に従うのみです」
ウリエルは起立し叫ぶようにいった。
「ミカエルはこの機に乗じてサタンを新しき神に仕立て上げようと企んでいる!」
血走る眼から放たれる強烈な視線を、アドラは指を組んだまま泰然自若に受け入れた。
「他の誰が神になろうと構わない! だがサタンだけは絶対に赦されない! 奴が神になることを阻止するためなら何でもやるし、誰だろうと何人だろうと騙し、殺します! これはマド地方の総意と思ってもらって結構です!」
――ルージィさんも同じようなことをいってたな。
あの枢機卿にしてこの教皇ありといったところか。
とはいえ……もはや国家単位の怨念と化した両者の因縁。最優先すべきは民などと諭すのは無意味だし、誰が悪いという話でもない。
正論などこの世のどこを探してもありはしない。
そこには集団化したことにより増幅した感情論が横たわっているだけだった。
「戦争はしない。これはマド地方の神であるおれの決定だ。異論は認めない」
「戦争は起きますよ。いえ、すでに始まっています。空席となった神の座を巡る選神戦争が。それが歴史の必然です」
「だとしたら決着はおれたちだけで着ける。余計な手出しは一切無用だ」
「……御意」
訊きたいことは聞き終えた。
アドラは静かに立ち上がり、ウリエルに背を向ける。
何発か殴ってやろうと思ったが事情を聞いて気が変わった。
魔界の民と同様、彼女たちもまた迷える子羊だった。
導く者なくしては生きていくことすらままならないのだ。
あまりに哀れで殴る気にもなれない。
「ああ、ひとつ言い忘れていました。今のおれはサーニャさんに魔力を貸し出していて無防備な状態です。暗殺するなら今が絶好のチャンスかもしれませんよ」
――自分たちに都合のいい神を代わりに据えたいと思うならね。
最後にそう伝えて、アドラは部屋を出て行った。
取り残されたウリエルは深々と一礼してからボソリと独りごちる。
「魔力という薄皮を脱ぎ捨て、蛹の時代を終えた貴方の神威は底が知れず。代わりなどいるはずもございません」
火蓋の切られた選神戦争。
その初戦はネメシスが退きアドラが残った。
マドが世界を託すべき神は定まった。
これ以上の工作は必要ない。
「アーメン」
ウリエルは胸の前で十字を切った。
最後に勝つのはアドラかサタンか、あるいはそれ以外の何者かか。
ここから未来は神のみぞ知る世界。
凡そ人智の及ぶところではない。




