天命
「あの、はじめまして豊穣神さま。ゾクア・アヴェントスと申すしがない農夫です」
予想を越えた事態に唖然とするネウロイの前にダラクの父親が、いかにも恐縮しているといった風であいさつにやって来た。
「えっ、あ……ご丁寧にありがとうございます。其、ディザスター・ネウロイと申します。いちおう軍師的な仕事をしております」
今の自分の肩書きは何だろうと考えて、一番見栄えが良さそうなものをチョイスした。
島の防衛を任されているのだから間違いではあるまい。
「軍師! すごい!! なんか都会っぽい!!! 憧れるべ!!!!」
「いえ……すっかり耄碌して隠居に近い状態ですので、そこまで大したことは……」
「それでうちのダラクとはどういった間柄で!?」
「ダラクくんの所属している騎士団の交渉相手というだけです。其の事情に巻き込んでしまい誠にもうわけなく思っております」
「ええですええです! 棒っきれ振り回すことしか能のないドラ息子なんで! いくらでもコキ使ってやってください!」
まくし立てるように言うと、ゾクアはネウロイの顔を覗き込むように見る。
「いちおう確認したいんですけど、あなた様は本当に神さまなんでしょうか?」
ネウロイは少し考えたが、意を決して真実を告げる。
「違います。其はガーゴイル種と呼ばれるスラムの下級魔族です。あなたがたはおそらく猫鬼かそれに類する存在とお見受けしましたが、伝説の最上級魔族と比べれば取るに足らない小石のような存在ですよ」
「スラメの火急……? いやいや、そういうんはどうでもええんですわ。ホントに村を救っていただいた大恩人なら、万が一にも失礼があってはならんのですわ」
「それはまあ、いちおう其です。カナイ村には以前お世話になりました」
ネウロイは丁寧に頭を下げてから指輪を外してゾクアに見せる。
「これはかつてミーヤと呼ばれていた賢者から借り受けたものです。これを返せなかったことがずっと心残りでした。今ここであなたがたにお返しいたします」
指輪を見たゾクアは猫のように大きな双眸をますます大きくした。
「この魔力、間違いねぇ! こいつはオイラのお婆ちゃんの指輪だぁっ!!」
「お婆……」
忘却しかけていた記憶が走馬燈のように蘇り、今度はネウロイが大きく目を見開く。
「おまえ、ツアクんとこの孫かぁッ!!!」
「そうですそうです! ツアクはオイラのお爺ちゃんです!!」
「そういえばもうすぐ息子に子供が産まれるとか言ってたわ! あんときゃ飢饉のまっただ中だったから産んだら喰おうかとかクソ物騒なこと言っててなぁ! 儂が必死こいて止めたんだわ! 今思い出しても肝が冷えるわ!! いやぁ、それにしてもでっかく育ったなぁ! 喰われんで本当に良かったわい!」
昔を懐かしんでネウロイが笑っていると、逆にゾクアは大粒の涙を流し始めた。
「親父がいつも言ってた……オイラが生まれてこれたのは、カナイの豊穣神のおかげだって……だから、いつかは御礼をと……ずっとずっと……ッ!!」
乾いた大地が湿るほどひとしきり泣いた後、身の毛がよだつほどの禍々しい魔力が放出される。
「オイラたちが受けた大恩の千分の一にも満たねぇけんど」
戦闘態勢に移ったゾクアの形相はまさに鬼の如く。
最上級魔族の本性が露わになる。
「神に害なす毒虫どもに万の死をッッ!!!」
「もう終わったにゃ」
ゾクアが吠えたところでダラクが呆れた顔でやってきた。
「……え? 今なんて」
「親父が長話してる間に害虫はおいらたちで駆除したにゃ」
「いやでも……今からオイラ、神さまに恩返しを……」
「遅ぇんにゃ! 無駄口叩いてねぇでチャチャッと働けにゃこの無能がぁッ!」
ダラクに蹴り飛ばされゾクアは泣きながら謝る。
すでに決着はついており、騎士たちは全員すでに原型を留めていなかった。
「そもそもこんな雑用で恩を返せると思ってるほうがどうかしてるにゃ。少しは恥を知るにゃ」
「いやまあそうだけんどさ……」
ゾクアは救いを求めるように周囲を見渡すと、血の池地獄の中にまだ生きた人間が残っていることに気づく。
「なんやなんや、まだ一匹おるやないか! ははっ、おめえは相変わらず仕事が雑だべなぁ!」
「あれはわざと生かしておいてあるにゃ」
ダラクはシオンを指さしていった。
「あいつが今回の悪行の主犯にゃ。村に連れ帰って裁判にかけるにゃ」
「は? んなもん要らんやろ」
「形だけにゃ。その後村のみんなで拷問にかけるにゃ。楽に殺してはやらんにゃ」
「そいつはいい。じゃあ今からオイラがとっ捕まえるわ」
「おいらがやるからもうええにゃ。親父は働くのがメンドいらしいし、帰って田んぼの様子でも見てていいにゃ」
「前言撤回! オイラも神様の前でカッコいいとこ見せたいんや!」
「その権利はとっくに失われたにゃ。楽していいとこだけもってこうとすんにゃ」
アヴェントス親子が喧嘩している最中に、ネウロイはシオンの様子をうかがう。
部隊が壊滅状態にあるにも関わらず、シオンは未だに余裕の表情を崩さない。
――まだ何かあるのか!?
「正直、ここまでいいようにやられるとは思わなかったなぁ」
ネウロイの視線に気づいたシオンは、彼に向かって声をかける。
「ネウロイくん、これもすべて計算づくのことかね?」
「そんなはずがございません。其はここで死ぬ予定でした」
「だろうね。こんな辺鄙な村の村民がここまで強いだなんて予想できるはずがない」
「状況が見えているのであれば降伏してください。今なら其が口利きいたします」
「どうやら状況が見えていないのは君たちのようだ」
ネウロイの足下には夥しい騎士の鮮血が飛び散っている。
その血が、少しずつ動きだし……。
「僕の本職が何か忘れたかね?」
ネウロイは顔面を蒼白にした。
いつの間にか足下に血の大魔法陣が完成していたからだ。
陣の巨大さはダラクたち全員を確実に射程範囲に収めている。
「『血縛怨霊大呪法』。騎士は死してなお敵を討つことを諦めはしない」
人の生き血を媒介とした禁断の大呪術だ。
怨念の力により相手を無限地獄へと引きずり込む。
禍々しい陣から血に染まった亡者の腕が飛び出し、ネウロイの腕を掴んだ。
「シオン殿! まさかこの術のために騎士たちを見殺しに……ッ!」
「僕だってできればこんな術、使いたくはなかったんだよ。死んだ騎士たちにもうしわけないというのはもちろんだけど、陣内に引きずり込まれたら最後、亡者の仲間入りをして無限地獄を永遠に彷徨うことになるからね」
「い……いや、いけませんシオン殿! 彼らを相手に呪術を使うのは……っ!」
「最後は人らしい最期をと思っていたけれど……まあ、これも自業自得――」
意気揚々としゃべっている途中に、シオンの右目が「パン」と小気味よい音を立てて弾け飛んだ。
「なんだァ!? 何が起きた!!?」
シオンは潰れた目を押さえ、そこで初めて狼狽した様子を見せた。
「いわゆる呪詛返しという奴だにゃあ」
彼の疑問に答えたのはダラクだった。
「おいらたちにその手の呪いはいっさい通用せんにゃ。これこそまさに自業自得にゃ。むしろおいらたち全員を呪って右目だけで済んだのはラッキーにゃ」
ネウロイを縛っていた亡者の手をゾクアが払いのけると、亡者たちはうめき声も出せずに霧散して消えていった。
――やはりそうだったか。
蟲毒の果てに誕生した究極の呪いといえる猫鬼に、それ以下の呪術が通じるはずがない。もっと早くに気づけたのなら術の行使を止められたのだが……。
「まさか貴様ら猫鬼か!? 馬鹿な、はるか太古の昔にチャイーナの皇帝によって滅ぼされた人造魔族がなんでこんな場所にィ!!」
それはネウロイも疑問に思っていた。
チャイーナから逃げ延び、はるばる海を渡ってプリンシパリティにたどり着いたのだろうか。あるいはこちらがオリジナルか。彼らの水嫌いを考えれば、おそらくは後者であろうが、もちろん確信はない。
「くそッ! 想定外の事態が次から次へと!!」
切り札を封じられて逃げようとしたシオンを、目にも留まらぬ速さで移動したゾクアが上から踏み潰す。
「おい親父! 殺すなっつったにゃろ!」
「きちんと加減しとるわ。おまえにいわれんでもコイツは決して楽には殺さんッ!!」
ゾクアに踏み潰されたシオンは、血を吐き息も絶え絶えといった感じだが、確かに存命している。
だが得意の呪術を返され、身体もこの有様ではもはや打つ手はないように思えた。
「神を呪いし外道に億の悔恨をッ!!!」
目を血走らせて啼くゾクアは猫鬼の本性を全開にしていた。
その様は見たネウロイは過去を思い出し、少しだけもの悲しい気持ちになる。
――この村は、良くも悪くも変わってはおらんのだな。
ネウロイが初めて村を訪れた時もこのような感じだった。
村民すべてが殺気を漲らせ、常に自分ではない誰かを悪者にしたてあげ、何かしらの理由をつけて処刑しようとしていた。
人殺しという巨悪を行うには、相手をそれ以上の悪に仕立て上げるしかないのだから。
――やはり儂は神では非ず。
村に長期滞在し、少しは彼らの意識を変えられたと思っていた自分は愚かだった。
自分には人を変えるような神通力はない。
「おいネウロイ! 僕を助けろ!!」
叫んだのはシオンだった。
何かしらの法術を使い、しゃべれる程度には回復したようだ。
「僕が死ねばソロネとの友好関係は破綻する! そうなったら困るのは君だろ!?」
「シオン殿……」
「今ならすべてなかったことにしてやる! だからこいつらを退かせろっ!」
「……」
「頼むネウロイ!!」
先ほどまで殺そうとしていた相手に躊躇なく助命を乞う。
なんという生への執着。なんという生き汚なさか。
シオン・リーという呪術師は自らの肉体が滅びた後も、そうやって誰かにしがみついて生き続けてきたのだ。
――儂には決して出来ぬ生き様だ。
それが出来ぬ自分は鬼道を往く策士にも非ず。
神に成りきれず、さりとて悪党にも成りきれず、ああ――なんという半端者か。
すべてはシオンの言葉通り。
ネウロイは己のふがいなさに自嘲する。
ここでおとなしく人生の幕を閉じるのが分相応だろう、が……。
「もうしわけないがシオン殿とはこれ以上、交渉はできません」
「なんだと!?」
「よってここからは其の友と話をしようと思います」
いってネウロイは一枚の術符を取り出し、シオンの額に張り付けた。
チャイーナ地方伝来の破魔の札。陽陰結界が破壊された今なら有効だろう。
「ご気分はいかがですか?」
「……まあ、良くはないですね。思いっきり踏まれてますし」
札によりシオンの魂は封じられ、身体は元の持ち主であるオズワルドへと戻っていた。
ネウロイはゾクアに頼んでオズワルドを解放してもらう。
「どこからどこまで記憶がおありですか?」
「だいたいは……どうやら脳の主導権を取り戻したようです」
オズワルドが額の札を剥がしてから服の汚れを払いながらいうと、ネウロイはすかさず地に頭を擦りつけた。
「其の勝手に巻き込んでしまい誠に、誠にもうわけございません! この期に及んで更に我が儘をもうしますが、この一件! どうか、どうか其の生命だけで事を収めていただきたく!」
「わかっててやってるならタチ悪いんでマジでやめてくれません? せっかく復活できたのに今すぐここで死ねっていうんですか」
殺気に溢れるカナイの民に愛想笑いを浮かべながら、オズワルドはネウロイの手を取り立ち上がらせる。
「騎士団の長としてこんな事をいうのはアレかもしれないですけど、一族を呪い続けてきたシオンの陽陰結界は潰れたし、何かと邪魔だったシオン派の騎士どもも綺麗さっぱり一掃できた。ここで殺されなければ私としては万々歳。ネウロイ殿には感謝しかないんですよねぇ」
「オズワルド殿、しかしそれで騎士団の面子が……」
「面子なんてもうどうだっていいんですよ。何なら今すぐ騎士を辞めたって構わないぐらいです」
そういってオズワルドは爽やかに笑い、ネウロイに頭を下げた。
「一族を、我が娘を、呪われた宿命から解き放っていただきありがとうございます。これが私の偽らざる本音です」
オズワルドの差し出した手をネウロイは震える手で取る。
「聖王には私が上手いこといっておきますのでどうかご安心を。貴殿は貴殿の為すべきことを為してください」
――儂の為すべきことを……か。
ここで死するのが天命だと思っていた。
だが天はこの半端者を生かした。
ならばそこに意味を見いだすべきだ。
何かがあるのだ。自分がこの世で為さねばならない大事が。
老兵は死なずただ去るのみなどというが……どうやら老け込んでいる場合ではないらしい。




