サタン暗殺計画②
トマル城の天守閣から城下町を眺める。
すっかり復興した町には様々な魔族が往来していた。
かつてのアドラはそれだけしか見えていなかったが今は違う。『それ以外のモノ』もハッキリと見えるようになっていた。
神経を研ぎ澄ませると行き交う人々の胸の辺りに白い陽炎のようなものが揺らめいているのがわかる。
――あれが『人の魂』だ。
さらに注視すれば魂の揺れぐらいでその者の心情のようなものをある程度読みとれるようになる。激しい感情を抱けば抱くほどそれに合わせて魂も揺れ動くのだ。
先ほどは白といったが厳密には違い、よく視れば汚れのような黒がところどころについている。
だがこれは決して悪い事ではなく、人は生き続ける以上、必ずある程度は魂が汚れていくもの。本当に純白の魂を持つ者など赤子とガイアスぐらいのものだ。もっともあの人狼は精神的に子供というだけであってあまり褒められたことではない。白けりゃいいってものでもないのだ。
ただし――あまりに黒すぎるのはもちろん大問題だ。
アドラは上空からギンギンに感じるドス黒い気配に視線を向ける。
魔界に生息する怪鳥の一羽。
普段なら無視するところだが今回ばかりはそうはいかない。
アレには間違いなく『奴』の魂が乗っているからだ。
アドラは腕を伸ばして指先に霊力を集める。
父トマルは感知に特化し直接魂に危害を加えることはできないがアドラは違う。
レイワール家に伝わる破邪の術すべてを誰よりも自在に操ることができる。
「クワァアア!!」
怪鳥が悲鳴をあげた。
指先より放たれた霊気の槍の直撃を受けて、雷に撃たれたかのように全身が痺れて落下する。
だがすぐに回復して空中で体勢を戻し、慌てて飛び去っていった。
「……使える!」
鳥を傷つけることなくサタンの悪霊のみを祓うことができた。
今のアドラにはあの伝説の僧侶レイチェルと同じ霊術を再現することも容易だ。
「おれは……おれは、ようやくレイワールを名乗ることができる!」
アドラは拳を堅く握りしめ、歓喜にうち震えていた。
長き修練を積んだ末に無才を告げられた時のあの無念。忘れたことなどただの一度もない。その後も諦めきれずに何百年も修行したが何の成果も得られなかった。
だが無駄ではなかったのだ。無意味ではなかったのだ。
アドラの人生、そのすべてが。
動き出した時計の針が失われていた時を取り戻すべく加速している。そして、
「この能力、サタンを討つために神より賜ったとしか思えない!!」
魔界の神はネメシスであるため、もちろんそんなはずはないのだが、それでもそう思わずにはいられない。
それほどまでにこの霊力は現状に噛み合っている。
ネメシスでもラースでもない、ここにはいない名も知らぬ神がアドラに授けてくれたのだ。
――悪を赦さぬ正義の力を!
※
トマル城の地下深く。
牢獄に繋がれ、鎖で何重にも縛られ、まるで咎人のように封印されていた 《八叉冥矛》 。
ガイアスにいわれて渋々持ってきた、視界に入れるのも嫌だったその矛のところに、アドラは自らの意志でやってきた。
「今のおれならハッキリとわかる。こいつは強大な霊具の類だ」
八つある冥道から魂が向かう先を指し示す絶対の神器。
サタンは自分には大して効果がないなどとうそぶいていたが、それは真っ赤な大ウソか、さもなくば神器の本来の性能に気づいていないかだろう。
今のアドラにはこの矛を最大限に有効活用できる自信がある。
――こいつで人類悪を始末する!
「来い 《八叉冥矛》 !!」
矛はアドラの声に応じた。
封呪の鎖を軽々と引きちぎり再びアドラの身体へと戻っていく。
今度は矛に操られるのではなく操る主として。
「三つ首を洗って待っていろサタン。おれがおまえにとっての死神になる」
アドラ・M・レイワール。
メノス王家の魔力とレイワール皇家の霊力、その双方を受け継ぐサラブレット中のサラブレット。
世界最強にして魔界を代表する大悪魔。伝説を継ぐ者。
その封印が今解かれ、自らを封じた邪悪に牙を剥かんとしていた。
「ようやく殺る気になってくれたか」
矛を受け入れたアドラにガイアスが声をかける。
女神より受けた傷は未だ癒えず、ルインに車椅子を押してもらってようやく移動できる状態だが、すでに生命の危機は脱していた。
「人生是れ博打。それでこそ助けてやった甲斐があったというもんだ」
「いやいや、おれはガイアスさんみたいな主人公気質じゃないんで、わずかな勝機にすべてを賭けての大博打――なんてことはしませんよ?」
「だったらなんで槍を取りにきた?」
「当然、十分な勝算が見込めると踏んだからです」
勿論いきなり一か八かの封印解除などはしない。
入念な準備と十分な根回しを行い万全の体勢を整えた上でサタンを暗殺する。
もちろん失敗した際のアフターケアも十分考慮した上でだ。
絶対勝つなどとは口が裂けてもいえないが、リスクヘッジさえキチンとできていれば負けても大きな問題ではなくなる。
「サタンは神でも人類悪でも何でもない。ただの害獣です。害獣は専門の業者に頼んで駆除するだけです」
「その業者がおまえなんだろ?」
「そうです。よってお仕事としてメンバーを募って適切に駆除します」
害獣駆除に英雄は不要。
何のドラマもなく安全な場所から淡々と作業する。
闘争など発生しないしさせない。
サタンは何もわからぬ内に死ぬ。
いや、すでに死んでいるのだから成仏させてやるというべきだろう。
「ただちょっと時間はかかりますね。こういうのはお役所仕事なんで」
「おいおいあんま悠長にはしてらんねぇぞ」
「わかってますけどこればっかりは仕方ないですね」
作戦をより完璧なものにするためにはまず魔界全土を掌握する必要がある。
これはすでにほぼ達成しているといっていい。
現在のアドラは炎滅帝として魔王と同等の地位に就いている。
後はルーファスさえ協力してくれれば計画は滞りなく進むはずだ。
もっともそれが一番の問題なのだが。
――ルーファス様、あなたはもしかして……。
あまり考えたくはない事態ではあるが、ルーファスはサタンの操り人形である可能性がある。
それを確認するためには、もう一度あの魔王と会わなければならない。
とはいえただ会うだけではダメだ。サタンは魔族を黄泉との中継地点にしているだけなので、アレがいない時に会っても真偽のほどを見定められない。
確実にサタンが憑依するであろうシチュエーションを用意した上で視認しなければならない。
そのためには――
「ちょっと魔王城まで行ってきます。ルーファス様に何か伝言等ありますか?」
「つうか一緒に連れてけや。俺様が直々にぶん殴って目を覚まさせてやる」
「いやいや、ガイアスさんはまだ動ける状態じゃないですから。それにサタンが憑いてると決まったわけじゃないんで……」
「サタン云々は関係ねーよ。こいつのせいで人狼族はずいぶんと振り回されたからな。理由の如何によらずボコらなきゃ気が済まねえ」
「おれの時もそんな感じで問答無用で殴りかかってきましたよね!?」
「おまえん時は俺でもハッキリ憑いてるのがわかる状態だったからなぁ」
そう、平時ならともかく進軍侵略などという大事の際には、宿主は必ず顔を出す。
サタンもネメシスと同様のはずだ。
「ルーファス様も近日、地上へと進出します。その時がチャンスです。もしもサタンの分霊を確認できたら、おれがガイアスさんの代りに除霊ってやりますよ」
「……できるのか? ただ除霊するだけじゃダメだぞ。二度と黄泉から戻ってこれないよう通路そのものを切らねえと」
「できます。やります。退魔師がおれの本業ですから」
そういってアドラはガイアスに対して頭を下げる。
「言いそびれてましたが、助けていただきありがとうございます。あなたのおかげでおれは、ようやくおれとして生きられます」
ゆっくりと頭を上げた時、アドラの瞳には決意の焔が灯っていた。
「この御恩は、必ずや働きを以てして」
レイワール。
それは生まれし瞬間よりサタンと闘うことを宿命付けられた者。
二千年の月日を経て真実の姿へと戻ったアドラの本当の闘いが今、始まる。




