サタン暗殺計画①
シュメイトクに戻ったアドラが真っ先に始めたのはガイアスの治療だ。
医者曰く生きているのが不思議なほどの重体で全治に最低一年はかかるとのことだった。
「全身総取り替えすればてっとり早いのに、どうしてそうしないのか不思議です」とはルインの言。この女性ホント怖い。
ただ、医者の言い分はあくまで一般的な魔族の場合で、ガイアスはさすがに鍛え方が違う。
一ヶ月は出てこられないはずの治療カプセルから三日も経たずに自力で抜け出して、今は一般病棟へと移っていた。
「ダメですよガイアスさん。ちゃんと治療液に浸かってないと」
「あんなもんにずっと浸かってたら身体がふやけちまうわ」
曰くできる限り自然治癒に任せないと自分の中にある何かが鈍ってダメになるらしい。同じ理由で身体の総取り替えもNGだそうだ。高度な魔術の世界はアドラにはわからない。ガイアス本人もたぶんわかっていない。野生の本能でモノをいっている。本当に天才と何とかは紙一重を地でいく男だ。
何はともあれガイアスがこの有様では地上進出もクソもあったものではない。残った兵にはとりあえず待機を命じることにした。
もっとも、どのみち出兵は中止にするつもりでいるのだが。
※
「敵は待っちゃくれねえぞ」
病室のベッドの上でガイアスはいった。
現在は全身治療魔術入りの包帯でぐるぐる巻きのミイラ状態だ。
これが妥協できるギリギリの範囲の治療らしい。
「ですよね。だったらここから先はおれがやりますよ」
アドラは神妙に頷いた。
「出兵するつもりか?」
「そのつもりだったんですけど、冷静になって考えてみたら愚策もいいところだと思い直してやめました」
ヴァーチェの民もろとも魔導兵器でサタン復活に関与する者、及び厳重に保管されているであろうサタンの仮ボディや重要データ等をすべて抹殺するつもりだったが……正直なところ確実性に欠ける上に根本的な解決になっているとはお世辞にもいえない。
それ以前にあまりに非人道的すぎる作戦で、このような無差別大量虐殺を許容するようなら、それこそサタンと変わらぬ人類の悪だ。封印を強化するにしても現地民の協力を仰ぐのが正道というものだろう。
――戦争では何も解決しない。
「なんでこんな考え方をしていたのか、正直自分でもよくわかりません」
おそらくそういう思考をするようネメシスたちに誘導されていたのだろう。
もしかしたら意識そのものを乗っ取られていた時期もあったかもしれない。
「バカバカしい、操り人形もいいところだ。ガイアスさん、おれだって男です。これだけいいようにやられて心中穏やかではいられませんよ」
アドラは静かに怒っていた。
今度は誰かに与えられた理不尽なモノではない。
長らく自由を奪われていた男の、己の内から沸いてくる正当なる怒りだった。
「なので全員にキッチリ落とし前をつけさす気なんですけど、とりまどこから手をつけようか迷ってます」
「まあヤキ入れてやらなきゃならん相手はクソ多いわな」
「まずはウリエルからですかね。正直こいつには今、一番腹を立ててますよ」
《八叉冥矛》 をアドラに渡し、戦争を促すような進言をする。
これで何の思惑もなかったとはいわせない。キッチリ問いただした上で最低一発はぶん殴る。
「次はミカエル辺りが妥当でしょう。本来アウェイであるはずの地上でサタンがあれだけ自由に動けてるのは全部こいつのせいですからね。絶対に許せませんよ」
「あいつはすでにくたばったってニュースじゃいってたけどな」
「間違いなく生きてますよ。サーニャさんから送られてくる情報を聞く限りはね」
頭を潰されたにしてはグロリアの統率がとれすぎている。
誤報か偽装か影武者か。いずれにせよどうにかミカエル本人を見つけだしサタンに与する理由を吐かせた上で二発はぶん殴る。
「そんでもってルーファス様ですよ。今にして思えばあの人は何から何までおかしい」
そもそもド田舎に隠遁していたアドラを何の手がかりもなしに見つけだして四天王に抜擢した時点ですでに「おかしい事」だったのだ。
何かにつけてネウロイのことをとやかくいうが、どう考えてもあっちが正常で向こうが異常だ。正しいのは常にネウロイで間違っていたのはルーファスの方だと今ならハッキリ主張できる。
魔王軍の技術力だけやたら突出している点も気になる。
なぜ自分の素性にそこまで詳しい?
魔王軍だけが魔導兵器の開発に成功した理由は?
世界征服に異様に拘るのは何故?
すべてを問いただした上で三発ほどぶん殴……いや、さすがにルーファス様は殴れません。いちおう家臣なんで。
やむにやまれぬ事情もありそうな感じだし、この辺は慎重にやっていこう。
「ガイアスさんはまずどいつからケジメをつけさせたらいいと思いますか?」
「……おまえの怒りはよくわかった。だが優先順位の話をするなら最優先の奴がいるんじゃねえのか?」
ごもっともな指摘にアドラはひきつった笑みを浮かべた。
最優先に矛先を向けねばならぬ怨敵は当然サタンだ。
しかしこいつをわからせる手段は……。
「ヴァーチェのお偉いさんぶん殴ってサタンと縁を切らせた後に、博物館の結界を強化してガイアスさんの回復と成長を待つつもりだったんですけど……無理筋ですかね?」
「無理だ。俺の真実魔術は何でもぶっ倒せる都合のいい魔法じゃねえ。どれだけ成長しようが『真実』にはまったく通用しない。ネメシスみてえに黄泉に帰すのがせいぜいだが……仮にそれが出来たとしてもアレはすぐ戻ってくるだけだろうな」
――やっぱダメか。
ガイアスの力がサタンに及ばないというのはこの前聞いたばかり。
だが時を稼げばあるいはと思ったのだが……。
「つうか進軍制圧や博物館の結界強化自体があまり効果的な策じゃねえよ。おまえにとり憑いてたサタンの悪霊の話をしただろ。あれが一つだけだと思うのか?」
「ええ……他にもいるんですかぁ……」
「おれが視認しただけでも大小あわせて百近くはいたな」
「ひゃ――ッ!」
アドラは青ざめた。
サタンが魂を分裂させられることは最近知った。
だが仮にいるとしてもせいぜい二つか三つぐらいだと思っていたからだ。
「魔界が未だにサタンの障気で溢れかえっている最大の理由がこれだ。俺たちゃあいつにとって都合のいいあの世とこの世の中継地点なのさ」
黄泉から魔界へ。魔界から地上へ。
何百、下手すれば何千というサタンの分霊が、世界中で暗躍しているというのか。
「……無敵だ」
恐るべき事実にアドラは絶望した。
元霊を封印したところで分霊が自由に動けるなら大した意味がない。
世界中に広がった分霊すべてを見つけだして倒すことなど不可能だ。
どんな作戦だって立てられる。どれだけやられたって問題ない。終始余裕なのも当たり前だ。現在も、そしてこれからも人類を裏で操り続けることだろう。
「人類は、人類悪に勝てない……っ!」
アドラの悲痛な宣言に、しかしガイアスは首を振る。
「諦めるな。どれだけ絶望的に見えても諦めなければ勝機は必ずある」
「しかしガイアスさん! もはやこの世界の神も同然の奴にどうやって……っ!」
「いい作戦を思いついた。それを実行に移すために俺はおまえに会いに来たんだ」
心強いその言葉にアドラの曇った表情は一転して明るくなった。
「さすがは世界――いや史上最高の天才大魔術師! 人類が頼れるのはやっぱりあなたしかいない!!」
「まあな。ただちょっくら危険な賭けになるけどな」
「ちょっとぐらいなら大丈夫です! これでも結構な修羅場くぐってますんで!」
「そうか。なら安心した」
「いったいどんな策なんですか!?」
「サタンの封印を解く」
――……は?
「その……封印というのは、グロリアの博物館の奴ですか?」
「勿論全部だ。一番重要なのはデュデッカの方だが」
アドラは一旦呼吸を整えてから、
「そんなことしたら人類が絶滅しちゃいますよッ!!!」
ただでさえ勝ち目がないと嘆いていたところにこの提案だ。
ただの負けが大負けに……いやそれどころの騒ぎじゃなくなるぞ。
「まあ落ち着けアドラ。言い分はもっともだがこれしか手段がないんだ」
「正直おれにはサタンの封印を解いたらどうしてサタンを倒せるようになるのかサッパリわかりません」
「サタンが何百何千という膨大な数の分霊を生み出せる理由がわかるか?」
「霊術学の常識では不可能とされてますが……」
「それを可能にしているのが奴の魂のけた違いのでかさだ。山みてえな巨体を動かすには相応のエネルギーがいるということだ」
そこまで聞いてアドラはようやくガイアスの意図を察する。
「そうか! 死体を動かしたり人を誑かす程度なら分霊でもどうにかできるけれど、邪竜本体を動かすとなったらすべての分霊を回収して真霊になるしかない!」
「そうだ。そこを狙えばサタンを確実に倒せるって寸法だ!」
得意げな顔をするガイアスにアドラは朗らかな笑顔で告げる。
「ガイアスさん。それ策じゃないっす。自殺行為です」
本末転倒とはまさにこのこと。
サタンが完全体にならないために長年がんばっているのに意図的に戻せとかもう無茶苦茶。それならまだ現状維持のほうがナンボかマシである。
「ガイアスさんのやろうとしてることはFXでの損失を取り戻すために借金してFXするようなものですよ。行き着く先はとーぜん確実な破滅です。狂ってた頃のおれですらそんな発想は出てきませんよ」
「それ昔のおまえの話だよな?」
「そんなことはどうでもいいんです。あいつの手のひらの上で転がされて悔しい想いは同じですが、他にアイディアないんですか?」
「まあ待て最後まで聞け。てめえは現状のままでいいと本気で思ってんのか? 奴は俺たちどころか全人類総ナメしてんだぞ。こいつをシメなきゃ何も始まらねぇ」
「良かないですけど勝算がなさすぎます。エリといいあなたといい、相手の事情もよく知らんのになんでそんなに自信マンマンなんですか。あなた完全体になったサタンの恐ろしさを知らないでしょ? 実際復活したらその脅威は12000年前の比じゃないですよ」
エリは12000年前のサタンを視て勝てると踏んでいるが、それは大きな間違いだった。
現在のサタンは神を名乗るにふさわしいほど禍々しい成長を遂げている。完全体になってしまえば、もはや人類が敵う相手ではない。
「俺は聖王とは違って真正面から勝てなどとはいわん。殺るならもちろん暗殺だ。奴が本体に戻る直前を狙う」
「魂を直接ってことですか? ですが実体のない相手をどうやって……」
「普通の魔族にゃ不可能だ。無論俺でも無理だ。だが――」
そしてガイアスはアドラを指さしていう。
「――おまえなら可能だろうと踏んでいる。天才霊媒師トマル・メノスの息子にして九代目閻魔である魂の申し子――『真実』のアドラ・メノスならな」
アドラは蒼然とした。
どうやらとんでもない計画のリーダーに指名されてしまったらしい。
「名付けて『サタン暗殺計画』。一考の余地はあると思うぜ」
途方もない計画ではある……が、確かに検討する価値はあるかもしれない。
これが人類の最後の希望となることを信じて。
もっとも、まず今の自分が使い物になるかどうか試すのが先ではあるのだが。
「……計画の具体的な内容を聞かせてもらえますか?」
「それを考えるのがおまえの仕事だ」
――だと思った。
アドラは久方ぶりに天を仰いだ。




