魔王からの招待②
「ここでルーファス様を待て」
アドラが通されたのはいつもの謁見の間だった。
主君と臣下、まあ妥当な対応だろう。特に不満はない。
ガラハッドが去るとアドラは独りごちる。
「あの日は四天王勢ぞろいだったな」
ここに来ると四天王に任命された日のことを思い出す。
ほんの数年前の出来事なのに妙に懐かしい事のように感じる。
ネウロイ、ガイアス、オルガン、サーニャ――今は自分以外誰もいない。
せめてガイアスぐらいは呼びたかったが残念ながら音信不通だ。ウリエルからもらった携帯機器が何の役にも立っていない。彼に限って大事などあるはずもないので、きっと存在を完全に忘却してるのだろう。
持たせた意味ねぇなと呆れるが、ガイアスらしいと納得もしている。狼は誰よりも自由で何にも縛られはしない。
――四天王の座を奪われたネウロイさんは災難だったなぁ。
ルガウで王代理としてヒーヒーいってるであろうネウロイを思い出して軽く笑う。
彼には悪いとは思うが、これが縁で仲良くなれたのだから、アドラにとってはそう悪い思い出でもなかったりする。
多少いざこざはあれど結果的には四天王全員と仲良くなれた。今ではみんなかけがえのない仲間だ。
――そう、ルーファス様にここに呼ばれた事は、決して悪いことではなかった。
自分についてくるのが一番の幸福だという彼の言葉に嘘はなかった。
そのはずだ。
「失敬。遅くなった」
アドラが思い出に浸っていると、ルーファスはすぐにやってきた。
威厳溢れる相変わらずの風貌にアドラはすぐさま膝をつく。
謝ってはいるがいうほど遅くはない。当たり前だがヴェルバーゼとは違う。
そして本当に独りだ。伏兵の気配は感じない。逆にそれが恐ろしくもあるのだが。
「思いのほか早く帰ってこれて何よりだ」
ルーファスは、まるで世間話でもするような軽い調子でいった。
「ええそうですね。少々大回りはいたしましたが」
「そうか。いい経験になっただろう」
「おかげさまで」
「地上はどうだった?」
「とてもいい所でした。魔界とは何もかもスケールが違いました」
「何しろ太陽神の生み出した『本物の世界』だからな。あの大海を知ってしまえば、魔界など黄泉と地獄の境に生まれた水たまりにすぎんよ」
「おっしゃるとおりです」
――なんだなんだ、なんだこれは。
まるで何事もなかったかのような気安い会話にアドラは戸惑いを覚える。
あっただろう色々と。全面戦争になってもおかしくないほどの事柄が互いに!
――こちらから切り出していってもいいものか。
アドラが逡巡していると、
「なぜ斯様な軍勢を率いてきた?」
ようやくルーファスが本筋に触れてきた。
しかしクーデターそのものではなく軍を率いてきたことに対してなのはなぜだ。
「貴様ほどの魔族ならあんなもの不要だろう。その身ひとつで来ればよかったものを」
「あれは今の自分の立場をご理解していただくためあえて連れてきました」
「なるほど、正真正銘の炎滅帝になったといいたかったわけか」
「はい。そのことについてもし異議等あらば……」
「あるはずもない。貴様の好きにしろ」
意外な反応にアドラは少し驚いた。
「今の貴様は形の上では臣下だが、実際は我と同等かそれ以上の立場にあるだろうよ。仮に異論があったところで、我には止めることさえできんよ。なあ人類の王よ」
――こちらの情報すべて筒抜けか。
アドラの動きは極力内密にしていたのだが、ネウロイのいうとおり、やはりそう甘くはないらしい。
魔王ルーファス。
現在の魔界ではぶっちぎりで優秀な男なのは間違いない。
なのになぜ世界征服などという狂気に手を染めるのか。
「まあ、そちらにもまるで異議はないのだがな。炎滅帝の力も、聖王の力も、世界征服のためには必要不可欠だからな。むしろよくやったと褒めてやりたいところだ」
「聖王はそのような邪な企てには乗りませぬ。無論この私もです」
「異なことをいう。てっきりその覚悟で我が招待に応じたとばかり思ったのだがな」
「ご冗談を」
「貴様が魔界に戻るには黄泉比良坂を通るしかない。黄泉比良坂を通ってきたということはマドでそれなりの地位についているということ。ならば知らぬはずがあるまい」
――ま、まさかッ!
「現在の地上はサタンの手によって支配されているという事実を」
衝撃の事実にアドラは驚愕した。
自分の動向だけではなくまさかサタンの健在まで知っていようとは。
「サタンに奪われた世界を人類が取り返す。正当な権利であろう。どこに邪なところがある?」
「あなたは……すべてを知っておられたのですね」
「無論。ふぬけたネウロイと一緒だとでも思ったか?」
「ならばなぜこのような回りくどいことを! 最初からそういってくれれば……」
「では逆に問おう。サタンが地上の支配者だといって当時の貴様は信じたか?」
アドラは言葉に詰まった。
「貴様も他者にサタンの話はしたのだろう。その者たちは貴様の話を信じたか?」
――信じるわけがない!
ルウィードにせよイビルにせよ話半分といった感じだった。
身内ですらこれだ。どれだけ吹聴して回っても誰も信じはしない。
ルーファスに懐疑的だった当時のアドラも当然信じはしない。
「よって我はエレベーターを一時停止させ貴様を地上に封じた。ヴァーチェに渡らせ、世界の真実を目の当たりにさせるためにな」
「しかし、それでも――」
「貴様は我が見出した人類の切り札。命令で渋々ではなく、心底望んで動いてもらう必要があった。そうでなくてはサタンには到底勝てぬ」
「……ッ!」
「そして現在、貴様は自らの意志で魔界に戻ってきた。幾多の困難を乗り越え大きく成長してな。今の貴様に再度問おう。地上侵略は是か非か?」
アドラは混乱した。
答えは当然『非』だ。
魔界は地上のいざこざに介入するべきではない。
「自分だけでどうにかなると驕るな。これは人類の命運を賭けた戦いだ。すべての戦力を投入して然るべきだ。魔導兵器がある以上、どのような弱兵でも戦力にならないということは決してない。拠点制圧ひとつ取っても人手はいる。勝利の確率は0.000001%でも上げたい」
だがしかし、ルーファスの言葉がどうしても正論にしか聞こえないのだ。
「我はサタンが所有する聖翼教会を手中に収めるだけで構わない。それで十分、世界を征服したことになる。国家運営はおのおの好きにすればいい。貴様が思っているような馬鹿げた略奪行為は極力抑えるつもりだ」
ルーファスはアドラの抱いた疑問を先回りして答える。
完全に見透かされている。
「サタンがいつまでも大人しくしていると思うなよ。あれはかつて戯れに人類を大虐殺した邪竜だ。いずれ必ずや我らに牙を剥く。必ずだ」
そう、サタンは必ず人類と敵対する。
確かに聞いた。本人の口から人類の半分を殺すと。
このまま放置すればきっとそれだけでは済まない。
何をさしおいてもサタン復活は絶対に阻止しなければならない。
「どうした答えぬのか? 考える時間は十分にあったはずだ。それほど優柔不断だというのであれば、やはり我の下にいるべきではないのか?」
アドラは何度も頭を抱え、躊躇し、手の汗を強く握り締めながら――最後の最後にこう答えた。
「現在サタンの魂はグロリアに封印されています。この千載一遇の好機を見逃す手はございません。全軍をもってしてヴァーチェに侵攻すべきです」
アドラの答えにルーファスは満足げに笑った。
「その答えを待っていた。さすがは全幅の信頼を寄せる我の片腕よ!」
「……」
――今でも、そう思ってくれているのか。
とっくの昔に見限られているとばかり思っていた。
いや、むしろこちらが見限りかけていた。
故に対決もやむなしだと思っていた。
だが違ったのだ。
「今のサタンは1万2000年前とは訳が違う。神も同然の超越存在だ。たとえ封印されていようとその脅威はさして変わらぬ。我らの勝ち目は薄いやもしれん。だが……」
ルーファスは玉座から降りるとアドラの肩に優しく手を置いた。
「我と貴様がいれば、きっと為し遂げられると信じているぞ」
――敵わないな。
そう悟りアドラはルーファスに敬礼した。
今日はどちらが真の魔王に相応しいか確かめに来た。
結果はわざわざ口にするまでもなく明白だろう。
意志を曲げたアドラの敗北だ。
地上に出て少しは賢しくなったつもりでいたが、結局はルーファスの手のひらの上でしかなかったということだ。
「私の完敗です。ヴェルバルトは魔王軍に従います」
「すでに魔界は一つだ。勝つも負けるもない。人類の勝敗を決するのはこれからだ」
だがそれはそれで構わないと安堵もしている。
この御方についていけば、魔界の未来は明るいと思えるようになったのだから。
余計な荷物を背負う必要などもうないのだ。




