運命の紅い糸
「では皆さん、例の計画について異論はないわね?」
ステンノは場末の酒場に集まった荒くれたちに最後の確認を取る。
「姐さん、マジで殺るんですかい?」
荒くれたちの中の一人が訊いた。
その表情にはステンノに対する不信感がありありと出ていた。
「そんなことしなくても、あんたは何不自由ないご身分だろうに」
「あらあなた、御大臣になりたくないのかしら」
「なりてぇさ! でも正直あんたがそんな危険な橋を渡る理由がわからねえ!」
声を荒げる男にステンノは妖艶に微笑む。
その濡れた瞳からは常に洗脳魔術が放たれている。
オルガンのような強力な術ではなくせいぜい話を聞く気になる程度のものだが、だからこそ誰も気づかず対策が取りづらい。
「あなた認識が間違ってるわ。私は不自由だらけよ。現にさっき歓楽街を作ってってねだったけど断られたばかり。ホントに自由にやるなら実権を握らないとね」
「その程度のことで旦那を暗殺する気なのかよ。何か裏がある気がしてならねえよ」
ステンノは内心で舌打ちする。
意外と勘が鋭い男だ。こちらの真意にまでは届いていないとは思うが……。
「もちろん私怨もあるわよ。夫婦間の仲は決して良好ではなかったということね」
「それにしてもなぁ……」
「私のことなんてどうでもいいじゃない。もし裏切りの心配をしてるようなら血判状をご用意いたしましょうか?」
ステンノはあらかじめ用意しておいた血の契約書を荒くれたちの前に差し出す。
契約書には「裏切りは赦さない」「計画成功の暁には大臣の地位を確約する」等と書かれていた。
「悪魔にとって契約は絶対。破れば死の呪いが襲いかかる」
ステンノがナイフで指を切って契約書に血痕を押しつける。
「これでもまだご不満かしら?」
「……わかったよ。それであんたを信じることにする」
男も同様に指を切って血判を押す。
様子を窺っていた荒くれたちも二人に倣って次々と血判を押した。
「はい契約成立! これで私たちは一蓮托生ね!」
そういってステンノは大げさに血判状を掲げてみせた。
実は何の効果のない偽の契約書なのだが学のない連中にはわかるはずもない。
「めでたく真の仲間になったところで、そろそろ『コレ』をお見せするわね」
契約書の入っていたブランド物のバッグから今度は一本の瓶を取り出した。
焼酎瓶と呼ばれるヤパン伝統の酒瓶だ。
「酒ですかい姐さん」
「いいえ聖水よ」
荒くれたちは顔を青ざめさせた。
地上の超大国ヒエロに祀られているという絶対の神器『聖杯』で清められた、すべての魔を滅するという伝説の水。
魔族が魔族である以上、恐れぬ者がいるはずもない。
「そんな物騒なモンなんであんたが!?」
「私、少々地上にコネがあってね」
地上で料理修行する酔狂な魔族に頼み込んで入手した珠玉の一品。
あくまで調理用であり危険だから決して原液では使うなと念を押されているが知ったことではない。
毒が駄目なら薬で殺す。
「アドラは酒を嗜まないし働きづめで食事もインスタント。それに城内では家臣どもが毒の検分をしてるからこれを飲ませる機会がないのよ」
それはそうだろうと荒くれたちも思う。
簒奪者とはいえ相手は天下の炎滅帝。周囲が暗殺に気を配らないはずがない。
「だけど善良な市民からのお誘いならアドラも付き合わざるをえないでしょう? あたしがどうにか理由をつけてここまで呼んでくるから、あなたがたはあいつを酒に誘う口上を考えなさい」
「ちょっと待て、おれたちが何いったってこんな怪しいモン飲みゃしねぇだろ!」
「いいえ上手く誘えば絶対に飲むわ。あいつはあなたがたが思っているよりずっと馬鹿でマヌケなお人好しだから」
そういってステンノは高らかに笑った。
「実行は一週間後。失敗は許されないわよ」
ステンノは立ち上がり瓶を高々と掲げる。
「では詰めていきましょうか。この『炎滅帝暗殺計画』をっ!」
「あなた今、決して口にしてはいけない言葉を口にしましたね」
いつの間にかステンノの背後に男がいた。
男はステンノから聖水を取り上げると瓶を開けてラッパ飲みする。
「たぶん本物なんでしょうけど、こんなショボい瓶で適当に保管された聖水が効くわけがない」
男は聖水をすべて飲み干すと、空になった焼酎瓶を床に叩きつけた。
「おれを滅する気なら聖杯から直接飲ませないと」
男は炎滅帝だった。
大物の突然の登場に酒場は混乱した。
反射的に殴りかかってきた荒くれをアドラは平手一発で店外まで吹き飛ばす。
「マスター、あんたもグルかい?」
「あーいえいえ、そのようなことは決して……」
酒場のマスターは頭をかきながら愛想笑いを浮かべた。
この期に及んでこの態度。舐められているのは明白だ。
――少しいい顔をしすぎたか。
アドラはマスターのところまで歩いていくと、酒瓶の置いてあるカウンターもろともマスターを蹴り飛ばした。
「今まで飴を与えてきたが」
冬の海より冷たい眼差しでアドラは宣告する。
「これからは鞭も与えていく」
酒もろとも店外に吹き飛んで消えたマスターを見た荒くれたちは、血の契約のことも忘れていちもくさんに逃げ出した。
「邪魔者はいなくなりました。では家族会議を始めましょうか」
逃げ損ねた……というより、逃げるだけ無駄だと知っているステンノは、しなを作って出来うる限りの媚びを売る。
「もうあなたったらあんなの冗談に決まってるじゃないの! その聖水は調理用で、忙しいあなたのために手料理を作ろうと思ってたのよ!」
「でしょうね。暗殺用ならもうちょっとマシな容器に入っている」
「そうそう! だからね――」
「今回の件は冗談で済ませてもいい。でもこっちは看過できない」
アドラは懐から写真付きの資料を取り出してステンノの前に放り投げる。
「シュメイトクから取り寄せたあなたの悪行の数々だ。傍若無人極まっていたからわざわざ調べあげるまでもなく呆れるほどの罪科があったよ」
「た……他人のそら似では?」
「イビルが探偵を雇って裏付けを取っている。これは間違いなく君だ」
アドラは机を叩いて語気を強める。
「おれに対しては何をやっても構わない。だが国を乱し、民を虐殺したことは決して許されない」
「……」
「言い訳があるのなら聞こう」
「……これは、何かの間違いです」
この期に及んでステンノはシラを切った。
大粒の涙を流しながらアドラに訴えかける。
「私がこのような非道を行うはずがないとあなたなら知っているはずです! これはきっと私を妬んだ者が私を陥れるための罠でございます!」
ステンノはアドラに抱きついた。
そして体内に隠していたナイフを取り出しアドラの背中を刺す。
「ゴルドー家に代々伝わる石化の宝剣! こいつならどうだ!?」
「どうもこうもない。刃先を見てみなよ」
刺し貫いたナイフを見ると刃が消滅していた。
この程度の悪意では死神に傷ひとつ付けること叶わず。
「革命で滅びたゴルドー王家の遺児か。暴君だったと伝え聞くし同情はしないよ」
「何の話だかさっぱりわかりませんわ。それにゴルドーは素晴らしい王家だったと聞き及んでいます」
かつて栄華を誇った石化魔術を得意とする蛇人の王族。
家が滅びた今も他国に取り入り暴政を続けていた。
王を誑かし意のままに操ることを誇りとする。
自らの『道連れ』を増やすために。
「最初からおれが王族だと知ってて国を潰す機会を狙っていたのか」
「何を馬鹿なことを! そのような恐ろしい企み、考えたことすらありません!」
ステンノはナイフを捨てて再びアドラに訴えかける。
その間も洗脳魔術は絶えず放たれ続けていた。
昔はこんな低級魔術気づきもしなかったが、それなりの修行を積み、怒りで感覚が研ぎ澄まされている今は鋭敏に感じ取ることができる。
「まあ、おれが国に戻るなんて読めるわけがないし、ただの私怨かもな。ゴルドーは何千年も昔に滅ぼされた恨みを現代の無関係な国家にまでぶつける狂人の一族らしいし」
「そんな――事実無根の話でございます!」
「おれたちの間に最初から愛なんてなかったんだな」
「めっそうもありません! 私はあなたのことを本気で愛しております!」
「ではそのナイフは何だ?」
「これは一時の気の迷い! あなたが私を信じてくださらないのが悪いのです!」
「……」
――間違いなく本気でいっている。
「そう、すべてあなたのせいよ! この薄情者っ!!」
この世にはその場で思いついた嘘を誠の話であると信じて疑わない者もいる。
自己愛が強すぎるあまり放った言葉のすべてが真実になるというべきか。
演技ではないからこそ騙される者も多い。いや騙してすらいない。
よってこれ以上会話を続けるのは無意味で無価値だ。
アドラはステンノの首筋に手刀を入れて昏倒させると、外で待機していた騎士団に渡した。
「ほらいったでしょう。あなたは幻想に踊らされているただのマヌケだって」
騎士団の指揮者であるイビルは得意げに鼻を鳴らした。
「返す言葉もない。おまえがすべて正しかった」
己が非を認めたアドラはイビルに謝罪した。
臣下に頭を下げるのはこれが最後だ。次はない。
「この失態は働きによって返す。幻想を捨て真に強き王となり民を導こう」
アドラの瞳にはドス黒い焔が宿っていた。
その様を見たイビルは愉しそうに笑う。
「それでこそ炎滅帝だ。ようやくあなたのことが少し好きになれそうです」
この瞬間よりアドラは覇道を歩むこととなる。
燃え盛る怒りの焔で邪魔者すべてを滅する修羅の道を。
それが何者かによって与えられた血塗られた運命だとも知らずに。




