哀妻家
ステンノがヴェルゼブブにやってきてからヴェルバーゼ城の雰囲気は一転した。
無機質な城内に再び煌びやかな装飾品が戻り、多くの召使いたちが新たに雇い入れられた。
尖塔にあったヴェルバーゼの私室をステンノのために解放し、召使いのほとんどは彼女の世話に費やされた。
「ありがとうあなた! 私のために色々としてくれて!」
「いやいや、いいんだよ。君には大変な思いをさせたからね」
「それじゃ私、エステを頼んでるから部屋に戻るわね!」
上機嫌で去っていくステンノをアドラは笑顔で見送る。
二人のやりとりの一部始終を見ていたイビルは吐き捨てるようにいった。
「馬鹿ばかしい。金の無駄遣いだ」
こればかりは反論のしようもない。アドラは苦笑いを浮かべる。
「……許してくれ。いちおうおれの給料内でやってることだからさ。城の内装も売り払おうとしたものを戻しただけだし」
「それが馬鹿ばかしいといっているのですが。せっかく捻出したあなたの給与全部つぎ込んでまであの雌豚を飼う必要がどこにあるっていうんですか?」
「言い方! もっとマイルドに!!」
もっともどれだけマイルドにしようと、アドラのやってることに問題があるのは間違いないのだが。
「仕事が大変だったとはいえ、長い間彼女のことを放置してたからさ。彼女の望むことは少しでも叶えてやりたいんだ。男としてね。おまえも男ならわかるだろ?」
「ぜんぜん、まったく、これっぽっちもわかりません」
――……そうっすか。
イビルに訊いたのがそもそも間違いだった。
「英雄色を好むともいいますし、ある程度は許容しましょう。しかし質素になった城を元に戻すほどに入れ込んでいると周囲に女に溺れていると思われかねない」
「いやいや、それはないから! 決して公私は混合しないから!」
「すでに半分してるようなものですがね」
アドラの必死の言い訳にイビルは嘆息する。
「兄上は清廉潔癖がすぎる悪癖がありますが、今はそれが良い方向に向いています。長きに渡る悪政を打ち崩し民を重税から解放した大英雄という評判となってね」
「英雄扱いは困るんだが……」
「ですが、もしあなたがこのままあの女の尻に敷かれているようであれば、いずれその評判は地に墜ちることでしょう」
「ああ、それはかえって助かるな」
「あなたはそれでいいかもしれませんが、民や臣下はそういうわけにはいきません。何度もいいますが王が権威を持つのは承認欲求を満たすためじゃないんです。強く偉大な王の下についているという安心感が国の安寧に繋がるのです。いい加減ご理解を」
「……」
「あなたの色惚けた頭では理解できないようならわかりやすく言い直します。上がナメられてると下がついてこねぇんだよッ!」
イビルのいっていることはもっともだ。
もっともだが……。
「……嫁ひとりにおおげさだよ。国民だって愛妻家と思って納得してくれるさ」
「炎滅帝がそうおっしゃられるなら、私はこれ以上何もいうことはありません」
イビルは大げさに一礼すると、アドラの許を去っていった。
「失望されたかな」
残されたアドラは力なく独りごちる。
弟は話にならない馬鹿だと判断した相手には必要以上に関わらない。
早々に話を切り上げたということはつまりそういうことだ。
謀殺しに来たときにはベラベラしゃべっていたが、あれはアドラのことを高く評価していたからに他ならない。弟は自身が賢いと認めた相手と会話するのが好きだからだ。これが最期の機会となればなおさら饒舌になる。
そして今、それがなくなった。
「わかってるさ。じいさんと似たようなことをしてるってことぐらい」
少なくともイビルの目から見ればそう映っても仕方がない。
自分の立場が逆でもそう思うだろう。
――もうしわけない。
もうしわけないが、それでも今は妻を蔑ろにするわけにはいかなかった。
※
「なぁーんか殺風景ねぇ」
尖塔の一室から城下を一望しながらステンノはアドラにいった。
「もう少しお庭を綺麗にしましょうよ」
「今はちょっとお金がなくてね」
「そんなことじゃダメよあなた。王様は立派にしてないと民に舐められるわ」
「イビルにも同じことをいわれた。いずれ庭園も再整備するよ」
「手早くお願いね。それとこの国には娯楽も足りてないと思うのよ。例えばそうね……カジノなんてどうかしら?」
「娯楽の提供もまだ金銭的な余裕がないよ」
「お金を集めるために建てるのよ。魔族はみんなギャンブルが大好き。大きなカジノができれば国外からも客がやってくるわ」
「参考になるよ。でもカジノを建てるお金がなくてね」
「そんなもの民から徴収すればいいじゃないですか」
「いやそれは……」
「いわゆる先行投資ですわ。カジノ運営が軌道に乗れば国は潤い就職先も増えて、いずれは民に還元されていきますわ」
「……」
「あとね、夜の店も増やしたほうがいいわ。大きな歓楽街を作りましょう。ヴェルゼブブはもっとキョウエンを見習ったほうがいいと思うの」
確かに魔都キョウエンは魔界の理想都市のひとつだろう。
しかしその手の店は国が意図的に増やしたわけではないし、むしろルーファスは行き過ぎた業者を取り締まる立場だった。
それにしても豪邸の所望に歓楽街の希望とは、どこかで聞いたような話だ。
「ねえステンノさん。おれが地上に出張中、君はいったい何をしていたんだい?」
「実家に帰って養生しておりました。知っての通り私は体が弱いものでして」
そんな設定あったのか。今初めて知った。
「病弱ならあまり無理して遊び歩かないほうがいいんじゃ……」
「今はもうピンピンしております。むしろ今までの運動不足を取り戻すために遊び歩かないといけません」
「そうなんだ。ところで実家ってどこ? ご挨拶しに伺いたいんだけど」
「私、友だちと遊びに出かける約束をしてますの。なのでそろそろ失礼いたしますわ」
「一人で出歩くのは危ないよ。護衛をつけよう」
「どうかお気遣いなく。むさ苦しい護衛など無粋ですわ」
ステンノはオホホと笑いながらそそくさと部屋を出ていった。
「……」
アドラが椅子に座り独りたそがれていると、書類を持ったイビルがステンノと入れ替わりになる形でやってきた。
「后は街で悪い友だちをお作りなされているそうですよ」
「知ってる」
「炎滅帝は自分には逆らえないと吹聴して回ってるようです」
「知ってる」
「雇った探偵の調査から彼女の素性が明らかになりましたがご覧になりますか?」
「それどこから出た金?」
「私のポケットマネーです」
「ならいい」
アドラはイビルからもらった書類に一通り目を通すと、投げ捨てるようにつき返していった。
「知ってた」
イビルは用済みになった書類を魔術で焼き払うとアドラに問う。
「如何いたしますか?」
その問いアドラは答えない。
「あなたがお辛いようであればこちらで始末しますが」
「……いやいい」
アドラは立ち上がると、静かに命じる。
「おれがやる。おまえは命令があるまで待機せよ」
イビルは無言で一礼してから部屋を出た。
アドラもまたそれ以上一言もしゃべらず、窓の景色をじっと見つめていた。
覚悟は、とうの昔に決まっていた。
そのはずなのだが……。




