後戻りなどできるはずもない
ああ――――今日も憂鬱だな。
アドラはいつもの文言を、まるで呪詛のように何度も反芻する。
理不尽な世界への憎しみと、
不甲斐ない自分への怒りが、
やり場を求めて燃え盛っている。
それは身の内に宿る魔槍に煽られ、
さらに激しく、
禍々しく立ち上り、
天地を焦がさんばかりに。
気持ちが晴れる日など、あろうはずもない。
「準備が整いました。号令を」
ルウィードの言葉にアドラは頷き立ち上がる。
冬の夜よりも暗い黒装束。
友の死を悼む弔いの喪服。
だが何も知らぬ者にはすべてを飲む込む虎口が如く。
「……ああ、わかった。本当にいいんだな?」
「無論でございます」
最後の確認を取ると、アドラは側近を引き連れて天守閣へと向かった。
廊下を歩く度に弾ける漆黒の火花。
もはや氷炎結界ですら抑えきれぬほど。
アドラの 《抹殺の悪威》 は、常に成長を続けている。
黒く、黄昏く、闇雲に。
「決しておれに触れるな」
不用意に近づいた配下を一瞥してアドラは忠告する。
「消えて無くなるぞ。何もかも」
氷の瞳の隙間から極黒の電光が迸る。
臣下は恐怖に慄き慌てて離れる。
――そう、それでいい。
悪は孤独。
悪は不遇。
悪は大負。
その最期はすべからく破滅。
それがかつて同類であった親友への慰めとなろう。
持たざる者の渾名は自分が継ぐ。
天守閣へと到着したアドラは、城下に集めた武将たちを見下ろす。
規則正しく整列した精悍な顔つきの武者たち。シュメイトクに現存する全戦力といっていいだろう。
「よく集まってくれた。大義であった」
――何が大義だ。
アドラは自嘲する。
戦争にそんなものあるはずがない。
「忠義溢れる諸君らの生命、このおれが頂くことを誠に申し訳なく思う」
かつての自分が必死に止めようとしていたことを率先して行うという凶行。
悪の一字以外にどう形容できようか。
「だが諸君らの屍の先にあるのは、輝かしい勝利の栄光であると約束しよう」
欺瞞だ。
殺し合いの果てにあるのは悲劇のみ。
だが不思議な話だ。
その果てが破滅的であればあるほど、家臣たちは喜んでついてきてくれる。
ネズミを死地へと誘うハーメルンの笛吹き男になった気分だ。
「明日の魔陽が昇ると同時に地上への侵略を開始するッ!!!」
アドラの号令を受けて城下の武将が大きな喝采をあげる。
――それほど海の底に沈みたいなら好きにするがいい。
もちろん彼らだけを沈ませはしない。
もろともだ。
魔王軍も、
ソロネも、
ヴァーチェも、
サタンも、
無論、自分自身も、
すべて巻き込みすべてを終わらせる。
このやり場のない怒りを鎮める方法はそれ以外にないのだから。
「敵は強大、我々だけでは勝ち目はないだろう。だが、地上には我らの協力者がいる。彼らと力を合わせれば必ず勝てる。いや、絶対に勝たなくてはならないッ!」
怒りと共に何もかも消えて無くなればさぞや清々しいことだろう。この鬱々とした気分も晴れるに違いない。
それがたとえ刹那の瞬間だけであろうとも。
「いざ往かん! 邪竜討伐に!!」
メノス家当主、炎滅帝にしてシュメイトク王。
そして魔王軍最高指令。
あれほど嫌っていた地位に自ら望んで着いたアドラは可能な限りの戦力をかき集め、ヴァーチェとの決戦に赴く。
新しき神を選ぶための最後の戦争。
その華々しくも凄惨なる舞台の幕がとうとう切って落とされることとなる。




