持たざる者たちの挽歌
ルージィ・マレアニトはマド地方のとある名家に生まれた上級魔族だった。
幼少の頃より数々の高等魔術を自由自在に操り、特に固有魔力である不可視の念動力は「神の如き」と絶賛され、周囲からもてはやされた。
身分も種族も関係なく、魔術の腕こそがすべてのマド地方で、ルージィは瞬く間に出世した。
十歳の頃には首都サーモスへの移住が認められ、十七歳で教皇より枢機卿の地位が与えられた。
誰もがうらやむ順風満帆な人生。
エリート中のエリート。
驕り高ぶり増長しても何らおかしくはない。
だが当の本人は会う者すべてに丁寧に対応し「私などあなた方の足下にも及ばない」と、いつも穏やかに笑っていた。
それがまた謙虚で立派であると周囲から評判で、権謀術策渦巻くサーモスで彼が生き残ることができた理由のひとつとなった。
だがルージィは決して謙遜など口にしてはいない。
歴然たる事実だから常にそういっているだけだった。
なぜなら――
『ルージィくぅぅん。本日も諜報活動ご苦労さまだねぇぇぇぇ』
ルージィはサタンがマド地方を監視するために生み出した『サタンチャイルド』の一人だったからだ。
教皇ミカエルの懐刀 《黒死の一三翼》 “持たざる者” 。
それが生まれし瞬間よりルージィに与えられた忌むべき呼称だった。
その渾名の通り、彼は何も持たない道具として生きてきた。
与えられた魔力で、いわれるがままに出世し、いわれるがままにサーモスの情報をミカエルに流し、要人を暗殺し続ける。ただそれだけの存在。
偽りだけで出来たサタンの操り人形。邪竜の私欲を満たすために働く事が、彼の唯一の存在意義だった。
絶望などとうの昔に味わい尽くした。
その先にはあるのは諦観と呼ぶのすら生ぬるい虚無の感情。
ルージィは生きながらにして死んでいた。
そんな彼に転機が訪れるのは二十歳の春。
ヴァーチェとキュリオテスの戦争の調停者として、ミーザル地方に派遣された時の事だった。
「またぞろぞろと雑魚が雑魚を引き連れてやってきたか」
鮮血に染まった顔を押さえてうずくまるヒエロの勇者から視線を外し、その魔族はこちらを値踏みするように眺める。
その瞬間――ルージィの死んでいたはずの心が激しくざわめいた。
キュリオテス王国第一王子 《蛇王》 ジャラハ・エル・ロードランスは、圧倒的なまでに『本物』だった。
その魔力は例えるものが思いつかないほどに美しく清らかで力強く、自分の借り物の魔力が何の価値もない薄汚いゴミ屑のように思えるほどだった。
ルージィはジャラハの強さに一瞬で魅了されていた。
「おれを前にして笑うとはいい度胸だ。おまえも闘る気かい?」
「我々は調停者です。本日は停戦勧告に参りました。でも気が変わりました」
ルージィは法衣を脱ぎ捨てると在らん限りの魔力をすべて解き放った。
「己を最強と信じて疑わぬ傲慢なる蛇の王に、それがただの妄想であると思い知らせてさしあげましょう」
――今ここで本物と闘って無惨に殺されたい。
そう強く願った。
生まれて初めて覚えた心からの渇望だった。
だが泡沫の夢は儚く消えるのが運命。ルージィの望みは叶うことはなかった。
「この戦、妾が預かろう」
突如現れた年端もいかぬ幼女は、見たこともない魔法陣を用いて兵の動きを奪い、瞬く間に戦場を支配していた。
「このような場所で無駄に消耗するでない。我らの『敵』は他にいるだろう?」
その通りだと思った。
ルージィは一時の感情に溺れて破滅を選んだ自らの愚考を恥じた。
彼の敵はジャラハではない。もちろんマド地方でも教皇ウリエルでもない。
真に倒すべき巨悪はただひとり――
「おぬし、サタンチャイルドだな。おおかたスパイでもさせられているのであろう」
「ええそうですよ。私は人類悪の哀れな操り人形です」
ジャラハと和解しキュリオテスとの停戦協定を済ませたルージィは、戦争を止めた不思議な幼女と行動を共にすることにした。
彼女のことを信用しているわけではなかったが、少なくともその魔術の腕前だけはまぎれもなく『本物』だったから。
「おぬしは現状に満足しているのか?」
「まさか。これが運命だから従っているだけですよ。粛々とね」
「その運命、妾なら覆せるとしたら?」
ルージィは心底驚いた。
一瞬世迷い言かと疑ったが、一瞬で戦場を支配するほどの魔術の使い手なら、サタンにかけられたこの忌まわしき呪縛を解除することも可能かもしれない。
「そちら側の要望をお聞きしたい」
「おぬしの親玉に妾を紹介せい。妾は研究ばかりでいささか世情に疎い。ひとまず世界の現状を知りたいのでな」
「親玉……ああ、教皇のことですか。で、いったいどちらの?」
「どちらでも構わんぞ。神の智慧を持ち合わせておるのならな」
彼女の要望をルージィは二つ返事で呑んだ。
神の智慧を盗むと公言しているようなものだが、断る理由などどこにもなかった。
枢機卿失格の重犯罪行為だが、それでサタンとの縁が切れるのであれば共犯者でいっこうに構わない。
「最後に……共犯者として、あなたの名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「モーリス・モリアーティ・モーガン。気安くモモモと呼ぶがいい」
こうしてルージィはモーリスからサタンとのフォーチュンリンクを切る手段を授かり、モーリスは教皇ウリエルに認められ 《黒死の一三翼》 “深淵を覗く者” の冠を授かることとなる。
操り人形はその糸を切られ、サタンを討つための一振りのナイフとなったのだ。
だがしょせんナイフはナイフ。サタンという巨悪に突き立てるにはその刃はあまりに脆弱すぎた。
操り人形から解き放たれたルージィの次の人生は、人類悪に突き立てる刃を探すために費やされることとなる。
――蛇王ではダメだ。
彼の魔力は偉大だがその性質はあまりにも防衛に寄りすぎている。
――聖王ではダメだ。
彼女の聖力ではサタンを殺しきれないのは歴史が証明している。
――もっともっと大きな刃が必要だ。
だがそんな途轍もない存在が果たしてこの世に存在するのだろうか。
サタンに従うフリをしながらルージィは可能性を探し続ける。
だが、どうしても見つからない。
サタンはこうしている今も進化を続けている。
ハッキリいってしまえば無敵だ。元の器に戻れば人類を滅ぼすことも容易いだろう。
それをしないのはグロリアを使って国盗りゲームをしているからだ。
人類を玩具にして遊んでいるからだ。
その存在はすでに神と同等だった。
――絶対に許さん!!!
他の誰が神になって世界を牛耳ろうが構わない。
だが自らの運命を弄んだあの邪竜がその地位につくことだけは赦さない。
どんな手段を用いても必ず引きずり降ろす。そのためなら自分の生命などいくらでもくれてやろう。
だがルージィの怒りとは裏腹に何の打開策もないまま時間は過ぎていった。
マドの占星術機関から女神の仔の予言がもたらされるまでは。
そして、月日は流れ四年後――――
「師匠、どこかの孤島に左遷されるってマジですか?」
日課の訓練を終えると大きく肩で息をしているリドルにそう尋ねられた。
彼はミカエルがスカウトした 《黒死の一三翼》 の候補者のひとりで、ルージィの唯一の弟子だ。現在は使用人として雇用し共に生活している。
影が薄くて暗殺の腕も凡庸だがかえってそれが良い。
暗殺者に余計な才覚など不要。必要なのは何も持たぬこと。気配も、情けも、縁も、我欲さえも。身軽なら身軽なほど強くなる。そういう意味では彼はすでにルージィより優れた暗殺者であるといえた。
「ええ。ちょっとばっかり権力を持ちすぎてしまいまして、色んな所から恨みを買ってしまったようです。 “持たざる者” 失格ですね」
もちろんわざとだ。
わざと大きく活動して目立ち、増やしたくもない偽の同志を増やし、既得利権を奪われ疎ましく思ったラファエルに左遷されてもおかしくない状況を自ら生み出した。
ウリエルはすでに折り込み済み。新たな女神の仔に興味のあるミカエルも反対する理由がない。マド地方の監視ならば他にいくらでも代役がいる。もちろん、暗殺家業についてもだ。
なので大手を振ってルガウ島に左遷され、女神の仔の実在をこの眼で確かめることができる。
「そんなわけで 《黒死の一三翼》 引退です。次の “持たざる者” は君だ。後は任せましたよリドルくん」
「ええ……普通に嫌っす。そういうのは他の候補者にいってくださいよ」
「これはミカエル聖下直々の辞令なので、文句なら聖下に直接どうぞ」
「嫌だぁ! ぼくの殺しはただの趣味なんだぁ! 師匠行かないでくださいよぉ!」
「わがまま言わないでください」
ルージィに窘められるとリドルはふてくされてその場に寝ころんだ。
「まあ、訓練漬けの半奴隷生活から解放されるのはいいかなぁ」
そういって夕暮れの空をぼんやりと眺める。
その様を見てルージィはくつくつと笑う。
「そういえばリドルくんは家業の農家を継ぐのが夢でしたね」
「夢ってわけじゃないけど、継がないと死んだ親にもうしわけないから……」
「ご自身で殺されたのに?」
「言わないでくださいよ。ぼくだって殺したくて殺したわけじゃないんです」
「ああそうなんですか。その辺の事情、私よく知らないものでして」
「実はぼくもよくわからないんですよ。だから聞かれても困っちゃいます」
『生まれついての殺し屋』
『本能に人殺しが染みついている』
『すべての “悪” が彼に味方する』
ミカエルはそういってリドルを寵愛していた。
もしそれが真実ならば正真正銘の『本物』だ。自分以上に “持たざる者” に相応しい最低最悪の暗殺者になれる。
ならば――私の人生の幕引きに相応しい相手は、彼ではなかろうか?
「リドルくん、私が使命を終えて長い旅から戻り、君が 《黒死の一三翼》 を名乗るに相応しい暗殺者として成長していたら、その時は――私を殺していただけませんか?」
「ええ……普通に嫌っす」
ドン引きだった。
そりゃそうだ。こんなことを面と向かっていわれたら自分も引く。
「ぼくが殺すのは英雄だけですよ。『自分は他人より優れているんだー』って調子こいてる奴が許せないだけなんです。師匠みたいに左遷されて島送りになるくたびれたオッサンなんて哀れすぎてとても殺せませんよぉ」
「オッサン……私、これでもまだ二十代ですよ」
「ああそうなんですか。何やってもつまらなさそうにしてる顔と慇懃無礼な口調のせいでぜんぜんそんな感じしませんよ。今すぐ直しましょう」
「直すってどうやって……」
「とりあえずそのシケた顔を改めましょうか。いつも爽やかなスマイルを忘れずに。口調も若者らしくもっと軽い感じに。人に会ったらまず『おいーっす!』というところから始めましょう」
「…………おいーっす?」
「あーいいっすね。なんかちょっと若者らしくなってきた」
そういってリドルはゲラゲラと笑う。ルージィは何度も首を傾げながらも彼が良いというのであればきっと良いのだろうと納得した。
その後、ルガウ島に渡ったルージィは軽薄な笑みと口調の軽さをマオリに咎められ、口調を戻し、威厳を得るために髭を生やさせられるのだが……それはまた別の物語である。
「……なんかいいっすよね。夕暮れ時にこうやってだべってるの」
リドルがつぶやくようにいった。
沈みゆく太陽の光が世界を茜色に染めていく。
「そうですね。我々に相応しい最悪のシチュエーションだ」
ルージィもリドルに同意した。
一日の終わり。明日が始まる保証などない。無限の暗黒に堕ちる光景。
その身ひとつで『終わり』が訪れるのをただ待ち続ける。
持たざる者にこれほど相応しい瞬間があるだろうか。
「私を殺す件、真面目に検討しておいてくださいね」
「だから嫌だっていってんじゃないですか」
「ならば私が君を殺しますよ」
「そっちはもっと御免です。ていうか口調が戻ってますよ」
「おいーっす」
終わりゆく世界の果てで二人は笑いあった。
この時、すでに予感はあったのだろう。
次に出会う時は互いに殺し合う宿命だと。
それでも笑った。
これが最後の晩餐の代わりになればと思い。
持たざる者は清貧で、パンとワインなど贅沢がすぎるから。
この物語は、持たざる者たちへの挽歌。
たとえ何も持たずとも、たとえ人間未満の存在で、人殺しのゲスであろうとも、その最期には深い哀悼の意を表したい。
この世界に存在している限り、すべての者は等しく俳優。
その退場は、万雷の拍手と共に見送られて然るべきである。
第三章ここで終了となります
次回より四章魔界編となります




